第106話 越後の昇りリュウ⑧

 ――悪鬼と化した隆治の動きは思いの外早かった。


 天高く掲げられた剣が空から降るようにして一直線に迫ってくる。それを見た沙耶は腰に差していた小太刀を二刀即座に抜刀し――、そして斬撃。振り下ろされてくる剣よりも早く抜いて、斬りつけるという確かな技術を見せつけて、その凶刃を防ぐ。血風が舞い、右肘後部を斬られた隆治の手から剣がすっぽ抜けて飛んでいくのが沙耶の視線の端に映り込んでいた。


「とんでもない技術っす!?」


「流石、師匠!」


 甘粕と絶が思わず唸る。


 体長三メートルの筋骨隆々とした人間――更には早い動きの中で、腕一本を落とすのは困難だと考えたのだろう。肉は分厚く骨は硬く、刃の入りが甘ければそれこそ刃が途中で止まるし、最悪刀が折れかねない。それこそ文字通り、肉を切らして骨を断たれる状態になりかねないと沙耶は判断したに違いない。


 そのため、沙耶は隆治の腕一本を落とすのではなく、肘後部の上腕三頭筋を狙って斬りつけたのだろう。剣が振り下ろされる中、骨に刃が入らぬ距離と速度を見定めてそれを行ったのだとしたら、まさしく神業だ。


 だが、隆治はそんなの関係あるかとばかりに吼える。


 巨体に似合わぬ速度で牽制の当身技を左腕一本で放つが、その質量は牽制技の域を越えていた。まさにヘビー級ボクサーのストレートよりも早くて重いそれは、対象に当たればたちどころに意識を刈り取るどころか、三途の川を渡ることになるだろう。


 だが、沙耶は上半身を柔らかく使って、放たれた拳を掻い潜ると、刀の柄頭で左腕に一撃を加えて隆治の腕を遠ざけ、その反動を利用して隆治の左胸に小太刀を深々と突き刺す。


「イッテェェェェェッ!?」


 心臓に近い位置。


 だが、僅かに心臓を外している。


 沙耶の技術でミスが起こるとは考えにくいので恐らくはわざとだろう。


 それは一歩間違えれば致命傷であり、それが分かるからこそ――……隆治の身体が反応した。


 隆治の左胸の筋肉が蠢動したかと思うと、胸の傷口からピンク色の細長い芋虫のようなものが姿を現す。まるで肉で出来た触手のようなそれは即座に隆治の胸の傷を塞ぎ、異物である小太刀を体外へと排出する。


「なるほど。分かったかもしれません」


 回転して飛んでくる小太刀を空中で掴み取って構える沙耶。その片眉がぴくりと跳ね上がる。


 なんと隆治の体の各所から出たピンク色の触手が隆治の体に絡み付き、その巨体を補強していくではないか。


 まるで全身を筋肉のコイルに巻かれたような状態になった隆治は、動かなくなっていたはずの右手を開閉して凶悪な笑みを浮かべる。


「この力は素晴らしい。俺が欲しいと思うものを全て与えてくれる。例えば、こんな風に……」


 隆治の背から無数の肉でできた鞭がうねりを上げて鎌首を持ち上げる。攻撃が当たる気配すらないのなら物量で押せば良い――なるほど、実に単純で明快な答えである。


「はははっ! 今度は外さないぞ! 空振りなんて格好の悪いことは俺には似合わないからね! その辺、空気読んでくれよ!」


 無数の肉鞭が踊り狂うようにして沙耶に殺到する。それを無駄のない動きで斬り刻む沙耶。二倍速、三倍速と徐々に沙耶の速度が上がっていき、やがて無数の斬撃と数多の肉鞭が拮抗したと思われた瞬間――肉鞭の切っ先が全て断ち斬られて弾け飛ぶ。速度と物量の対決はどうやら速度に軍配が上がったようだ。


「お見事!」


「いや、まだっす!」


 沙耶に一息つく間も与えないとばかりに斬られた肉鞭の切っ先から今度は更に細い肉糸が再生し、まるで投網のように沙耶に襲い掛かる。それすらも斬って捨てようとした沙耶だが、その小太刀の刃が肉糸に絡み取られるのを見て目を見開く。


「粘着性の高い分泌物が出ている!? いつの間に……!」


 見やれば、ぬらりと肉糸が艶めき、沙耶の小太刀に斬られながらも貼り付いて、その斬れ味を著しく低下させているではないか。沙耶はその小太刀を引き剥がそうとするが、粘着力が強いのか、肉糸に絡まった小太刀を外すことは叶わない。


 そして、その一瞬の動作の遅延が致命的な隙を生む。


「くっ……!」


「つ~かまえたぁ!」


 粘性の高い肉の網が沙耶を捕らえ、次々に纏わりつく。それは粘着による動作の自由を奪うことよりもその重量によって沙耶の行動を縛る。肉網の目が締まり、沙耶の動作が封じられていく中で沙耶は小太刀を地面に投げ捨てると腰だめに拳を構えて一心に集中する。


「その状態じゃ、ろくに抵抗もできないだろう! あぁ、たまらないなぁ! こうして強者を降す感覚は! 俺自身が強くなったと実感できるからね!」


 朗々と宣言する隆治であったが、その直後に腹部に痛みが走ったかと思うと口から大量の血反吐を吐いて地面に片膝をつく。


「な、なにが……?」


「知識不足ですね。触れずとも相手を地に跪かせる技はあるということです」


「まさか、遠当とおあて……」


 百歩神拳とも称されるそれは、遠くにいる相手すら触れずに打ち抜くという攻撃方法である。気や頸、または感応を利用したとされるそれは、実際に使える達人はいないとまで言われる秘技中の秘技だ。肉網に絡め取られながらも、その網を突き破って拳が飛び出しており、その先から飛んだ不可視の打撃が隆治の臓器をズタズタに破壊し尽くしたのだろう。


 だが、必殺の一撃を当てたはずの沙耶の表情は晴れない。


 それもそのはず、ぐちゃぐちゃに破壊されたはずの臓器を復活させて、隆治が何事もなかったかのように立ち上がったからである。いくらダメージを与えようとも即座に復活する隆治のしつこさに、沙耶の表情も曇ろうというものだ。


「実戦で使える奴がいるなんて知らなかった。だけど、残念。俺には効かないよ。強いからね。……しかし、いや残念だ」


 隆治が虚空を掴むようにして拳を握り込む。それと同時に肉網がより締め付けをきつくし、沙耶が苦し気な呻き声を漏らす。


「俺が見る限り、この中では貴女が一番強かった。だから、殺すのは一番最後にしようと思っていたんだ。だけど、素敵な技を見せてくれた礼は必要だよね。……だから、苦しまずに逝かせてあげるよ!」


 締め付ける肉網が沙耶の身体に徐々に食い込んでいく。そして、真っ赤な血が弾けるようにして飛び散り、沙耶の苦鳴が轟く。目の中に血が入り込み、目が真っ赤に充血していく中で沙耶はその視線を絶へと向けていた。


(姫……。私との約束を……)


 そして、次の瞬間、肉の網が支えを失くしてぱさりと地面へと落ちる。後に残ったのはぶちまけられたようにして残る血溜まりと天に昇るようにして去っていく薄い煙だけであった。


「おや? バラバラの肉片になって転がると思ったんだけどなぁ? ダンジョンの中というのはモンスターだけじゃなくて、人間だって吸収してしまうのか? ……いや、あれ、おかしいな? 俺が最初に試験を受けた時は……」


 隆治が考え込む中、誰にともなく息を飲んだのは甘粕であった。


 それは隆治の強さに対する恐怖によるものだ。


 隆治の攻撃は既に人間のレベルを越え、モンスターのレベルに達している。その証拠に人間が到達できるであろう最高の武を持っていたはずの沙耶があっさりと討ち取られてしまったではないか。


 それだけではない。


 普通の人間なら躊躇しそうなものである殺人に対してもまるで忌避した様子がない。つまり、隆治は精神性からしてモンスターなのだ。武術をスポーツだと捉えていない甘粕でも、それを殺し合いの手段として割り切っていたわけではない。それを考えると周藤隆治という人間は確実に人であることを捨てようとしているのではないか。そんな思いが込み上げ、甘粕は震え上がったのである。


 そんな思いは甘粕のパーティーメンバーも同様だ。


 誰もが勝てない敵との勝負に尻込みし、臆する中で……一人ゆっくりと歩みを進める者がいた。


「長尾の姫さん……っ!」


 ――絶である。


 絶は沙耶が死ぬ間際に彼女の視線を受け、その意味を正確に読み取っていた。


 即ち――、


「師匠は周藤隆治を抑えろと言っていた。それはつまり、時間稼ぎをしろということ。そうしたら、きっと師匠が何とかしてくれる」


「し、師匠が何とかするって!? 今の見てなかったっすか!? こ、小島さんは……!?」


「大丈夫。師匠は嘘つかない人。だから、多分何とかしてくれる」


 みしり……。


 甘粕は気付く。そう語る絶の握る木刀から軋む音が響いてきていることに。


 甘粕はハッと顔を上げて絶の表情を覗き込むが、その表情は変わらない。表情をいちいち表に出すようでは二流だとでも言うべき態度。


 だが、その怒りの感情は得物を持った右手に集約しているようだ。不壊と名付けられた木刀が悲鳴をあげる音が聞こえる。


「おいおい、おいおい、おーい、おいっ!」


 不用意に自分に向かって近付いてくる絶を見て、隆治が思わず戸惑った表情で叫ぶ。その表情は絶が何を考えているか全く分からないと言っていた。


「今のを見て何とも思わなかったの!? 俺は今、小島さんよりも強くなっている! いや、むしろ、今の俺は軽く人間を越えているんだよ!? そんな俺を相手に一人で挑むって……馬鹿なの!?」


「周藤隆治、あなたは何なの?」


「何? なにって……、何を言っているんだい……?」


 隆治は言葉に詰まる。そんな質問をされるとは思っていなかったからだ。

 

 絶は怒りを押し殺しながら、静かに続ける。


「師匠を殺すことに躊躇いを見せないくせに、私が近付いたら動揺して。その割に人を斬ることに興味津々だったり、一体あなたは何なの? 何を目指しているの?」


「はははっ、なんだそんなことか! そんなこと簡単だよ! 俺は証明しているんだ! 俺が誰よりも強いということを! そして、小島を倒したことで確信した! 俺は今、人すら超えた! つまり俺が世界最強――……」


「それで?」


「……は?」


 虚を突かれたように隆治は間抜け面を晒す。


 それをクスリとも笑わずに絶は睨み続ける。


「それで最強になって何がしたいの? 世界征服? それとも人助け? あなたが向かっているのは何処?」


「そ、それは……」


 言い淀む隆治。やがて、何かに気付いたのか表情を晴れやかにする。


「――俺がやりたいのは最強の証明だよ! 自分が強いことは相手を倒してこそ証明されるからね! だから、相手を殺すし、倒す! それが俺の向かう先だ!」


「……あなたは過程が目的になってしまっている。あなたが進む先には何もない。それは単なる修羅道。信念なき暴力。そんな身勝手な力を振り翳す愚か者に、我が長尾の剣は決して退かない。――いざ尋常に参る!」


 地面が間欠泉のように噴き上がり、絶が一気に加速する。化け物染みた膂力は脚力にまで及び、その吶喊する姿はまさに稲妻の如しだ。絶の急な行動に隆治も肉鞭を慌てて繰り出すが、力に振り回されて制御するのがやっとの隆治と、常に怪力と共に歩んできた絶では力の制御の精度が違い過ぎる。


 振り回される肉鞭を搔い潜り、肉網を大きく避けて回って、絶は素早く隆治の懐に潜り込んでいた。


「うぅっ!? 馬鹿な、小島は六席よりも強いはずなんじゃ!?」


「弟子が常に師匠よりも弱いとは限らない。そして、師匠はあなたの太刀筋は教えてくれなかったけど重要なことを教えてくれた」


「重要な、ことだとっ!」


 隆治の腹がばくりっと割れて、そこから鋭い肉針が無数に飛び出す。だが、絶はその攻撃を避けることもなく木刀を最短距離で振り抜き、隆治の体を巨木の幹へと激しく叩き付ける。派手に吐血し、ぐたりと隆治の体から急激に力が抜けていくのが分かった。


「ゴホッ、ゲホッ――……」


「あなたは割と本気で殴っても死なないってこと」


 絶は全身に浅くない切り傷を作りながらも眉ひとつ動かすことなく、そう吐き捨てる。痛みはあるはずなのだが、おくびにも出さないのは流石だ。


「ゴホゴホゴホッ、……良かったよ。俺も今ひとつ良いことを知った」


「?」


「小島沙耶よりも強い奴が目の前にいるってことさぁ!」


 叫ぶ隆治が肉の鞭を素早く展開する中、隆治の頭上にぴきりと卵の罅割れのようなものが生じる。絶が警戒感を露わにする中で、その罅割れは徐々に縦割れの瞳のように開いていき――、そこから生白い腕がゆっくりと出てくるのであった。


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おまけ(蛇足)

 新年あけましておめでとうございます。

 今年もぼちぼちとやっていきますので、本年度もよろしければお付き合いの程宜しくお願い致します。<m(__)m>

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