第105話 越後の昇りリュウ⑦

「はい? 周藤隆治が消えた、ですか?」


 早朝に寝ぼけ眼を擦りながら起き出してきた沙耶は、ディレクターが開口一番に発した台詞にそんな言葉を返していた。下手を打てば、この危険な環境で二度寝する勢いであった眠気が完全に吹き飛んでしまった瞬間だ。


「そうなのよぉ、朝起きて起こしに行ったらいなくなってて……。昨日の夜にはテントに戻ったのは見た人がいるから、散歩か何かでふらっとその辺をしている可能性はあるんだけどぉ……」


「モンスターがウロついている危険な場所を散歩というのはないのでは?」


「普通はそうなのよねぇ。でも、リュウちゃん強いでしょ? 武器もなくなっているみたいだし、そういうこともあるかなぁって……」


「彼はスタッフにそういうことを言わずに散歩するような人なんですか?」


「うぅん。こんなの初めて。普段は礼儀正しい良い子なんだけど……。何か猪と戦った後から様子がおかしかったから心配していたんだけど……」


 気持ち的にはその話は朝飯を食べた後にしてもらえますかと言いたかったが、ディレクターの必死な表情を見ていたらそうも言い辛い。沙耶は内心でこっそりと嘆息を吐く。


「分かりました。こちらも姫と一緒に探してみますよ」


「本当!? 助かるわぁ! ありがとう!」


 オネェ口調のディレクターに両手を握られて上下に振られても全く嬉しくないんだけどなぁ、などと場違いなことを考えながら沙耶は失礼にならないように愛想笑いを浮かべるのだった。


 ★


「というわけで、周藤隆治を探しに行くことになりました。姫、行きましょう」


「私、お腹空いているんだけど」


「それは私も同じです」


「後じゃ駄目?」


「人命が懸かっているかもしれませんが悠長にしていて良いというのでしたら」


「……分かった。この越後の地で救える命があるのなら私は動く。……お腹が減っていても頑張って動く」


「その調子です。姫」


 一瞬渋り掛けた絶を何とか説き伏せて、森の中を捜索すること十分。


 昨日と同じ装備を身に付けた絶と沙耶は、隆治が突如として失踪した痕跡を探して歩いていた。下手すれば既に隆治はモンスターにやられて、モンスターたちの腹の中という可能性もあるのだが、それはそれで遺留品が残されていないか探さないといけない。そういうのも彼女たちの仕事だ。


 とりあえず、真新しく踏み潰された下草があるので、それを辿って歩いてきたわけだが、どうやら失敗だったようだ。


「おはよーっす、長尾の姫さんたちも捜索に来たっすか?」


 下草が踏み潰された跡は、迅雷のパーティーが探索を行った跡のようだ。


 迅雷のメンバーが分散しながら隆治の痕跡を探して歩いている中、絶の姿を見つけた甘粕が片手を上げながら近づいてくる。


「うん。そっちも?」


「そっすねー。ぶっちゃけ全然手掛かりがないから、結構諦めムードっすけど」


「助かる命があるかもしれないから頑張ろう」


「ま、姫さんにそう言われちゃ仕方ないっすねぇ。俺たちも頑張るっす」


「うん、その意気」


「そういえば、柿崎さんの方のパーティーはいないんですか?」


 沙耶がなんとなくそう質問すると、甘粕たちが捜索にあたっている間に撮影スタッフの護衛として、柿崎たちは野営地の守りについているらしいことを知る。


 二人がなるほどと頷いていると、甘粕のパーティーメンバーが何かを見つけたようだ。「リーダー! これ見てください!」という声に誘われて、絶たちもその声の方向へと向かっていた。


「どうしたっすか……って、これデビルベアの爪痕じゃないっすか!」


「もう領域に踏み込んでいるみたいでさぁ。どうします?」


「うーん……」


「どうしたの?」


 絶が声を掛けると甘粕が渋い表情で現状を説明し始める。


 どうやらこのダンジョンの中でも屈指の強敵であるデビルベアという熊型のモンスターの縄張りに足を踏み入れてしまったらしい。迅雷がそのデビルベアに出会ったのなら全滅はしないが、犠牲者は出てしまうので、いつもなら逃げの一手なのだそうだ。だが、今回はまだ探し人を見つけられていない。


「デビルベアは強い?」


「実際にやりあったわけじゃないっすから、俺もまた聞きなんすけど……。なんていうか執念が凄いらしくて、必ずパーティーメンバーの弱い奴を道連れにして死ぬとか言われてるっす」


「強い云々の前にタチが悪いですね。……どうします、姫?」


 沙耶の問いかけに絶は少しだけ考えた後で、結論を出す。


「探すのを続けよう。私たちも危険だけど周藤隆治はもっと危険な状態。彼を放ってはおけない」


 その絶の言葉を聞いて、甘粕はほうっと心の中で感心する。


 探索者の中では自分の命を最優先と捉えて危険だと感じたら、その時点で退却を決断する者も多い。だが、彼女の中には見捨てるという選択肢がないようだ。それは、眩しくもあり、同時に危うくも思えた。


「大丈夫。熊が出ても最悪師匠が何とかしてくれる。その辺はあまり考えなくても良い」


「最初から他力本願なのは頂けませんよ? まぁ、どうにもならないようなら何とかしますけど」


「凄い自信っすねぇ。というか、姫さんの師匠なんすか? てっきり俺っちは長尾の家の居候か何かだと思ってたんすけど」


「まぁ、それなりに長く御厄介になっているので、それなりのものは身に付けている――と言っておきましょうか」


 ぼかして答える沙耶に鋭い視線を向ける甘粕。下手すれば、その場で試合でも申し込みそうな雰囲気を察し、絶が間にやんわりと入る。


「今はそんなことよりも周藤隆治を探すのが優先。優先事項を間違えないで」


「おっと、そうっすね」


「そうですね。虱潰しに探してみましょう」


 かくして、迅雷のパーティーと合流した絶たちは、隆治が失踪した痕跡がないか、目を皿のようにして探すのであった。


 ★


 捜索を開始して一時間。


 流石に一度野営地に戻って報告を入れようかという話になり始めたところで、絶たちの近くで大きな獣の叫び声のようなものが聞こえた。


「デビルベアだ!」


 誰かがそう叫び、迅雷のメンバーが身を固くする中で絶だけが眉根を寄せる。それにいち早く気付き、声を掛けたのは沙耶だ。


「どうしました?」


「何か叫びというか……、断末魔の声に聞こえた」


「断末魔ですか? だとしたら、かなりまずいですね」


「どうして?」


「デビルベアよりも強い存在が近くにいるってことじゃないですか」


「なるほど」


 腕を組んで納得する絶はまさに泰然自若だ。沙耶としては若くしてこれでいいのだろうかという思いが募るが、この場では頼もしい限りである。一瞬、パニックを起こし掛けた迅雷のメンバーも最年少の絶がこれだけ落ち着いているのだからと冷静に努めようと動き出す。


 そして、その心掛けが良い方向に向かったのだろう。


 迅雷のメンバーの一人が鋭く口笛を吹いて、全員に注意を喚起する。


 下草を踏む音が徐々に近付いてきており、迅雷のメンバーと絶たちは何が近付いてくるのかと得物を手に構えを取っていた。


 やがて、緊張する彼らを嘲笑うかのように、何かが弧を描いて迅雷のメンバーたちの中央へと放り投げられる。


 どすんっと重々しい音を立てて地面に落ちたのは――、


「フゥッ、フゥッ、フゥッ……!」


「デビルベア!? だが、この状態は一体っす!?」


 四肢を切断され、頭と胴体だけの状態で地面に落ちたのは致命傷を負ったデビルベアの姿であった。それはデビルベアが誰かにやられたという明確な証拠ではあろうが、これをやった者が誰なのかが分からない。混乱する面々を余所に下草を踏む音が更に近付いてくる。


「ダンジョンの面倒なところは殺してしまったら、モンスターの死骸が消えてしまうところですね。それだと、実際の現場を見せなければ自分の実力を証明できない。だから、どうすべきか凄く迷いましたよ」


 木々の間から流れてきた声を聞いて、迅雷のメンバーはホッと息を吐く。それは聞き慣れた周藤隆治の声だったからだ。半ば生きていることを諦めていた部分もあっただけに、その声を聞けたことは彼らの苦労が報われる意味でも大きかっただろう。


 だが、いざその声の主が彼らの目の前に現れた瞬間、誰もが言葉を失った。


 元々背丈は高かった方ではあるが、それが三メートルを越える偉丈夫となっており、全身から剛毛を生やし筋肉がはち切れんばかりに隆起している。そして、その髪は怒髪天のように衝き立ち、額からは二本の大きな角が生えていた。顔だけは隆治の面影を残しているが、その他は言われなくては彼とは分からないような変貌を遂げている。はっきり言って化け物のような外見へと変貌していた。


「でも、これでようやく俺が強いと証明ができた。ですよね、甘粕さん?」


「本当に周藤隆治さん……なんすか?」


 その場にいる全員の意見を代表する言葉だ。


 そして、それに鷹揚に頷きを返す隆治。


「俺にも良く分からないんですけどね。一晩寝たらこうなっていたんですよ。そして、どうしようもなく何かをぶっ殺したくなっちゃいましてね。仕方ないから、森のモンスターを倒そうかと思って森の奥までやってきたんです。でも良かったですよ」


「良かった……?」


 沙耶が聞き返すと隆治が凄絶な笑みを浮かべて、その体からしたら短すぎるであろう長剣の切っ先を絶たちに向ける。


「モンスターは歯応えが無さ過ぎて。そろそろ鍛えられた人間を斬りたいなぁって思ってたんですよ」


「……本気で言ってるっすか?」


 甘粕の眼光が鋭くなる中、隆治が爽やかとはかけ離れた、狂気に塗れた笑顔をみせていた。それはまさしく人の顔ではない。悪鬼の表情であった。


「冗談で言えることじゃないでしょう? ふふっ、楽しみだ。モンスターは斬ってきたけど、人の肉を斬る感触ってのはどんな感じだろう? 考えただけでもゾクゾクしますね……!」


「……哀れな。鬼道に堕ちましたか」


 沙耶がそう言って前に出ようとするのを絶が止める。


「姫?」


「あれが本当の周藤隆治だとは思えない。何か原因があるはず」


「…………。原因が分かったところでどうもならないかもしれませんよ?」


「でも、その口振りならどうにかできる可能性もあるということ」


 沙耶と絶は長い付き合いだ。それこそ、幼少の頃より絶は沙耶に師事している。だから、沙耶が含みを持たせたということは、何とかできる方法も知っているのだということを半ば確信していた。


 そして、それはどうやら当たりだったらしい。


 はぁ、と沙耶が諦めた表情で嘆息を吐く。


「私が相手の太刀筋と状態を見極めますので、その後で姫は周藤隆治を抑えて下さい。その際にちょっとショッキングなことが起こるかもしれませんが、絶対に感情に左右されないで下さいよ?」


「善処する」


「では、甘粕さんと愉快な仲間たちの皆さんさがって下さい。ここは、この小島沙耶が引き受けました」

 

 沙耶が一歩前に出る。


 その様子を品定めするかのように見ていた隆治の目が三日月のように細まって――嗤う。


「最初の犠牲者は貴女ですか。貴方はメインディッシュに取っておきたかったんですがねぇ」


「お生憎様ですけど、犠牲者は誰も出さない方針が姫の意向ですので。勿論、その犠牲者という括りの中には貴方も入っていますからね。周藤隆治くん?」


「そうですか。だったら、俺の心を救う為に死んで下さいよぉ!」


 そう言って周藤隆治――いや、悪鬼は長剣を大きく振りかぶるのであった。

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