第104話 越後の昇りリュウ⑥

 絶と隆治――。二人が正眼に構えて向かい合う。


 絶が握るのは不壊の木刀と呼ばれる木刀の形状をしたものであるが、隆治が握るのは西洋剣と言われる両刃の直剣ロングソードであった。その二つの武器に殺傷能力の差があるのは否めないのだが、その程度のことはハンデにもならないというのか、絶が隆治の武器を咎めることはなかった。


 そもそも、絶の会得している長尾流剣術は、戦場での組み討ち術から発展したものであり、その修行内容は剣術のみに留まらず武芸百般に渡る為、生半可な鍛え方はしていないのだろう。それこそ、若干運動神経が良かったり、少しばかり体力に自信があったり、ちょっとだけ自分の得物より切れる刃物を持っている程度では、絶の影すら踏むことはできないのかもしれない。


「行きます」


「…………。……どうぞ」


 何故打ち掛かるタイミングを教えるのだろうかと訝しむ絶だが、これはあくまで稽古の一環であり、本気の打ち合いではないのだと思いなおす。


 そして、宣言通りに正面から打ち掛かってくる隆治。


 ガチッと一瞬だけ剣先を打ち合わせるが、絶の木刀がピクリとも揺れないのを見て、隆治は剣の軌道を鋭く変えて絶の手首を狙う。それを絶が木刀の根元で軽く弾くと、隆治の腕はまるで自動車が衝突したかのように激しく上にかち上げられていた。


 隆治の目が丸くなって驚きを示す。


 だが、次の瞬間には強い意志をこめて目付きを鋭くすると、彼はかち上げられた勢いを殺して即座に剣を振り下ろしたではないか。


 その判断力や動きは確かに素早いし、鋭い――と絶は考える。


 だが、場当たり的で何の工夫もないのもまた事実。


 相手が自分の実力と拮抗している、もしくは実力が下の者であるのなら、その攻めの姿勢で問題ないだろう。だが、相手の力が自分よりも確実に上回っているのであれば、迂遠であろうと奇策を練らなければ勝てない。


 周藤隆治はそこを理解していない――と絶は思う。


 恐らくは今まで負けというものを経験してこなかったのだろう。だから、格上に対する戦い方を理解していないのだ。それか、少し練習するだけであらゆる分野のコツを掴んでしまう天才なだけに、奇策を用いる必要がないのだと割り切ってしまっているのか。


 何にせよ、振り下ろされる剣を前にして、絶は自ら間合いを詰めていた。そのまま振り下ろされる隆治の右腕を木刀を手放して素早く掴むと、そのまま肩に担いで隆治を投げてしまう。勢いのままに地面に背中から叩き付けられた隆治は激しく咳き込み、その様子を見ながら絶はゆっくりと手放した木刀を拾い上げていた。


「ゲホ、ゲホッ……! い、一本背負い……? 剣での試合の最中に……?」


「間合いに合わせた技で相手を制圧するのは当然。剣は超至近距離での戦闘には向かないから投げただけ。……どうする? もう終わりにする?」


「……いえ、もう一回お願いします」


 背中の痛みを堪えながらも隆治は立ち上がる。


 そして、そのまま剣を正眼に構えるが、その切っ先が一瞬で木刀に弾かれて、手から剣が飛ぶ。


「うっ……」


 そして、次の瞬間には隆治の喉元に木刀の切っ先が突き付けられていた。


「集中力が足りていない」


「も、もう一度お願いします……」


 剣を拾ってきて構える隆治。


 その隆治が「ぐっ」と呻いて心臓を抑える。


「…………」


 その様子を少し感心した目で見る絶。


 なるほど。病気を装って騙し討ちをしようというのか。即興でありながらもなかなか良い手ではある。


 だが、そんな見え透いた手は食わないぞとばかりに絶は近付かない。慎重に間合いを保ちつつ、隆治が斬りかかってくるのを待つ。


 やがて、演技が通じないと理解したのか、隆治が胸から手を離して顔を上げて絶を睨む。その瞬間、絶は何か違和感を覚えて、まじまじと隆治の顔を覗き込んでしまった。


(今、一瞬、目が赤く光ったような……?)


 だが、それは見間違いであったのか、隆治はすっと視線を外すと獣もかくやの動きで絶に迫る。


(何? 先程とはまるで動きが……)


 横薙ぎに薙がれた剣を絶が木刀で受けると、腕が若干の痺れを訴えかけてくる。どうやら変わったのは動きだけではないようだ。


 ……動きの質が恐ろしく向上している。


 いや、質というよりは、身体の動きが随分と力任せパワフルになったようである。地面の草地が派手に捲り上がるのを見て、絶がほうと息を吐く。


(足の指で地面を掴み、全身を使うことで威力ある攻撃ができるようになったみたい。だけど……)


 そんなことができるのであれば、何故最初からそれをやらないのかという思いが浮かぶ。それとも、最初は出来なかったのか。どちらにせよ――、


「――がぁっ!」


 まるで獣のような叫び声と共に打ち掛かってくる隆治。


 弾かれようが、流されようが、構わないとばかりに打ち掛かってくる様子はまるで狂気に取りつかれてしまったかのようだ。勢いで押し切ろうという強い圧力を感じる中、絶はその猛攻を冷静に捌いていく。


(多少力が強くなったのは認めるけど、技術が上がったわけじゃない)


 だったら、絶にとっては難しくもない対処だ。


 受けた剣を木刀で後方に流すだけで隆治の体勢が崩れ、そこを足を引っ掛けて転ばせる。


「――!」


 だが、転がろうとする隆治の指が伸び、それが絶の目を狙って放たれる。一瞬、驚く絶ではあるが目突きを落ち着いて額で受ける。それだけで、みしりと隆治の指の骨が悲鳴を上げる音が聞こえた。


「ぐぅぅぅ……!?」


「目突きを実戦で狙うのは難しい。打撃に混ぜて、掌底のついでに狙うのが得策だと思うよ」


 手を押さえて蹲る隆治に、絶の言葉は厳しい。そんな絶の額には浅い血の線が入っていた。どうやら、隆治の爪で傷付いたらしい。それを軽く指で撫でて確認してから、絶はDPで回復薬ポーションを買って取り出す。それを自分の額に軽く塗って傷を治すと、その薬を隆治の指に振り掛けて皹が入ったらしい指の傷を治す。


「大丈夫?」


「はは、まだ敵わないか……、痛ぇ……」


「傷は治ってるはず」


「なんか、胸が痛いんですよね……」


「そこは攻撃していないけど?」


「ですよねぇ。あいたた……」


回復薬ポーション掛けとく?」


「いえ、少し休めば治ると思いますので……」


 爽やかな笑顔を浮かべて上半身を起こすと、どうにかこうにかといった様子で地面に座り込む隆治。そんな彼の傍らに転がった剣を拾い上げて絶は渡す。ありがとう、と隆治から感謝の言葉を受けてから、絶はようやく自分のお気に入りの木刀を腰に挿し直していた。


「いやぁ、全然敵わないですね。流石、公認探索者の第六席……」


「私なんてまだまだ。もっと沢山上がいる」


 隆治の言葉に絶は東京での経験を踏まえた上でそう返す。


 大樹に背を預けながら思い返すのは、一席や二席、三席の顔だ。後は摩訶不思議な力を使う双子の顔もか。彼らは新宿での残党狩りの際に共同戦線を張った仲だ。そして、その際に彼らの強さの一端は目の当たりにしている。


 ……なんでもありのびっくり箱の一席。


 ……底知れぬ実力を隠しながら余裕でモンスターを狩る二席。


 ……どの体勢から放つ一撃も全てが必殺となる三席。


 この辺は本当に絶が本気で戦ってもどうなるか分からない相手だと肌で感じていた。だから、絶は偉ぶることはないし、褒められても調子に乗らない。自分よりも確実に上である存在がこの世にいるのだから天狗になっている暇はないと考えるのである。


 ちなみに双子は絶との戦闘スタイルが違い過ぎて、その実力がきちんと測れていない。なので、もしかしたら負けるかもという予想が成り立つようであり、双子も絶の中では競争相手ライバル認定されていた。


「そうなんですか……。六席がそう言うんですから、公認探索者の上位はもっと強いのか……。凄いなぁ、戦ってみたいなぁ……」


「良く分からないんだけど――」


 日の落ちた森の中で隆治の目だけがぎらぎらと輝いている気がして、絶は先程から気になっていたことを尋ねる。


「――あなたは稽古をつけて貰いたいの? それとも、死合いたいの?」


 それは戦っている最中に絶がずっと思っていたことだ。


 戦っている最中にもずっと隠そうとしていたようだが、隠し切れない殺気が常に漏れ出していた。それが、獣性に繋がったり、目突きに繋がったりしていたのだろう。隆治がぴくりと身動ぎし、顔を俯かせる。


 何を考えているのだろうかと絶が慮るよりも早く、ややあって隆治が声を出す。


「勝つ為に相手をぶっ殺してやろうと思うのはおかしいですかね?」


「別に。勝ちたいって思いが強過ぎれば、そう考える人もいるかもしれない。私はそんなことを考えたことはないけど」


 絶の場合は自分を高めたい、強くなりたいという思いだけでやってきた。なので、他人をどうこうしてやろうなどという思いは抱いたことがない。人生とは己との戦いである――これは絶の祖父の格言だが、全くその通りだと絶も考えている。


 だから、隆治の言葉は絶には良く分からなかった。


「俺の場合はそうやって自分に気合いを入れるんですよ。だから、六席にはそんな風に感じられたのかもしれないですね……」


「そんなものかな……? まぁ、分かった。私はそろそろ食後の運動は終わりにしようと思っているけど、あなたは?」


「俺はもう少しここで休んでいきます……」


「そう。周囲にモンスターはいないと思うけど、何かあったら大声で呼んで。駆け付けるから」


「はい。ありがとうございます」


 闇夜の中でどこか安堵したような隆治の声が響き、絶は野営地の灯を目当てに歩きだす。


(しかし、変な感じだった……)


 絶は自分の手を見て、握っては開いてを繰り返す。


 今は手の痺れも収まっているが、戦っている最中に隆治が急激に成長したのは確かだ。しかも、技術どうこうという話ではなく、急激に膂力が上昇したような印象を受けた。足で地面を掴むことが出来るようになったから、力が上がったようにも思えたが、それだけではないようにも思える。


(うーむ。ある時期を境に実力が急激に伸びたりすることはあるけど、修練も何無しで急に力が上がることなんてあるの……?)


 そんな疑問を持つ絶だが、彼女も生まれつき力が強過ぎる体質なので他人のことは言えなかったりする。


 絶は何度も首を傾げながらもゆっくりと野営地へと向けて歩を進めるのであった。


 ★


「グゥゥゥゥ……ッ!」


 心臓が激しい痛みを訴えかけ、隆治は思わず胸を自分の片手で押さえつける。


 分かっている。これはただの痛みではない。


 ――歓喜の痛みだ。


(理由は分からないが、この心臓の痛みが俺を強くするようだ……。俺が、勝てない、駄目だと思う度に、俺を頑張れって励ましてくれているのか……? 最高の相棒だぜ、は……)


 心臓の痛みに悶えながらも、隆治は闇の中でニヤリと笑みを浮かべる。


 そうだ。この痛みがくる度に、体の中から力が溢れ出してきて、自分の力を一歩も二歩も先へと進ませてくれるのだ。だから、この痛みが収まった時、自分は先程よりももっと強靭で圧倒的な存在へと昇華していることだろう。隆治が自分自身の変化に期待していると――。


 ――めりっ。


 何か嫌な音が聞こえて、隆治の心臓の痛みが収まる。


「何だ、今の音は……?」


 恐る恐る自分の体を確認する隆治は、自分の右腕を見て思わず悲鳴を上げそうになってしまった。


「なんだよ、これ……」


 右腕の筋肉が異様に膨張しており、その腕が太く硬い剛毛に覆われているのを見て、隆治はその表情を俄かに強張らせるのであった。

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