第103話 越後の昇りリュウ⑤

「ほう、さっきのを第六席殿が……」


「相変わらずエゲツねぇっすねぇ……」


 小山のようであった猪のモンスターを苦もなく退治してみせたことで、柿崎と甘粕が感心したような声を漏らす。


 この彌彦ダンジョンで猪のモンスターが出てきた時は懸命に逃げるか、身を隠すかの二択らしく、迎え撃つということは滅多にないらしい。猪のモンスターが荒らして回った後を繁々と眺めながら二組のパーティーリーダーが常識に囚われない絶の行動に感嘆の言葉を交わしていた。


 その一方で、無謀な挑戦をした隆治は体に怪我がないかどうかをマネージャーやスタッフに念入りに確認されている。その様子にちらりと視線を向けながら、柿崎が自慢の分厚い胸部の前面で腕を組んでいた。


「どう思うよ、甘粕よ?」


「んあ? 何がっすか?」


「周藤君の動きだよ」


「悪くないんじゃねぇっすか? けど、圧倒的に判断力が足りないっすねぇ。自分の力を過信してるんじゃないっすか?」


「逆に俺は芸能人にしては、動け過ぎだと思ったんだがな。アイツなら電流爆破デスマッチを申し込んでも平気で受けそうな雰囲気があるわ」


「芸能人はそんな危険なことしねぇっすよ」


「それを言うなら、猪相手にも普通は突っ込まねぇだろ」


「それもそっすね」


 一連の行動から、隆治の恐ろしいのはその胆力だと柿崎は思っていた。芸能界という浮き沈みの激しい世界で生きてきたせいか、その度胸が同年代の若者よりも何倍もすわっているような気がしたのだ。


 そこは甘粕も認めるところである。


「ウチのパーティーも腕自慢が集まってるっすけど、猪に正面から突っ込む命知らずはいねぇっす」


「だよなぁ。ウチの連中は若干試してみたいって奴はいるかもしれねぇけど、好き好んでアレに突っ込む馬鹿はいねぇよ」


 芸能人というものが、皆、あれほどの命知らずなのか。


 それとも、周藤隆治が特殊なのか。


 それを測りかねて柿崎と甘粕は微妙な表情を見せるのであった。


 ★


「リュウちゃん、どう? 大丈夫? 撮影続けられそう?」


「はい、大丈夫ですよ。第六席が守ってくれましたね。全然問題ないです」


 爽やかな笑顔を振りまきながら、隆治が復帰したのは猪の襲撃から十分後のことだ。


 あまりに早い復帰に、逆に撮影スタッフの中で隆治を心配するような声が上がるが、隆治はそんな声を吹き飛ばすように破顔一笑してみせていた。


「とにかく、今後はあんな無茶はやめて頂戴ね」


「そうですか? 俺、何かさっきよりも動けそうな気がするんですよ。しかも、さっきよりも早く強く動けそうな……」


 その場で軽くシャドウボクシングをして具合を確かめる隆治。


 それを近くで見ていた絶の目が細まるが、それに隆治は気付かなかったようだ。清々しい表情のままに笑う。


「まぁ、今後はこんな無茶はしませんよ。ご迷惑お掛けしました」


「本当、お願いね~」


「はい。あと、第六席にも迷惑を掛けてしまい、申し訳ない」


「仕事だから」


 つっけんどんな返答ではあるが、絶は元からこのような性格だと思い返し、隆治は気持ちを改める。


 何故かは分からないが、彼の体は今、熱を帯びており、その体調が絶好調であることを隆治に伝えてきていた。それが先程のシャドウボクシングをしただけで隆治には分かってしまった。


(なんだか良く分からないけど、さっきから体が軽いんだよね。今なら、さっきの猪程度なら何とでも……。流石に猪は無理かな?)


 体が軽いと気持ちも軽くなる。


 隆治はどこか上機嫌で、迷惑を掛けたスタッフに謝って回るのであった。


 ★


「おかしい」


「何がです、姫?」


 周藤隆治の容態を見に行った絶が帰ってくるなりそんなことを言い出すので、思わず沙耶は反射的に尋ねてしまう。すると絶は、彼女には珍しく難しい顔をしてみせていた。


 戦闘のこと以外は、意外とポンコツな感じの絶が、無い頭を振り絞ろうとしているのを感じて、沙耶は慎重に事の次第を聞き出す。


「護衛対象者が元気満々」


「良い事じゃないですか」


「そうじゃない」


 何がそうではないのか。沙耶は頭の中で首を捻る。


「むしろ、良くなっている」


「猪と戦う前よりも、ですか」


「うん」


 それは、おかしな話だと沙耶は思う。


 猪との戦いでは隆治は死力を尽くして戦っているように沙耶には見えていた。そして、普通ならそこで死力を尽くしたのであれば、その後の性能パフォーマンスは落ちて然るべきではないかと考える。


 だが、絶曰く、隆治の性能は落ちるどころか上がっているのだという。


 たった十分程度の休憩で気力、体力を持ち直したというのなら、まだ理解できる範囲なのだが、更に性能が上がるというのが理解できない。


「周藤隆治って人間ですよね?」


「アイドルという新しい種なのかも」


「アイドルを化け物みたいに言うのはやめましょうね?」


「分かった」


 案外と素直に応じる絶に笑顔を返しながら、沙耶は一連の不可解な現象の謎を解こうと頭を捻るが、それに対しての答えは出てこない。そして、彼女は考えることを放棄した。建設的でないからだ。


「とりあえず、周藤隆治の動向には今後も注意しましょうか。もしかしたら、何か変な魔法罠に引っ掛かっているといったような可能性もありますし」


「それだと大変。私は物理で何とかなる代物を希望する」


「希望が叶えば良いですね」


「うん」


 存外に素直な絶の頭を撫でながら、沙耶は思いを巡らせる。


 厄介なことでなければ良いのだけど、と沙耶は半ば祈りにも似た思いで願うのであった。


 ★


 その後、撮影は順調に進んだ。


 トラブルもなく、隆治とモンスターが戦闘を行う風景も問題なく撮影が行われる。今度は猪の時のような危ない場面もなく、むしろ鮮やかにモンスターを鎧袖一触してみせた姿は、周囲のモンスターの露払いを行っていた二パーティーが思わず口笛を吹いてしまう程に手際が良かった。


 そんなこんなで一日目の撮影も終わり、今は森の中にある少しだけ開けた場所の中で野営の準備を行っている最中である。


 ダンジョンが出現する前から、日本ではキャンプをする文化が徐々に浸透してきたこともあり、キャンプ用品の調達や設営には何の問題もない。番組に関わるスタッフが総出でキャンプの準備に取り掛かった結果、野営の準備は恙なく完了した。


 逆にそういったキャンプの準備が苦手な人員は、周囲のモンスターを狩ることで貢献し、一時の平穏を人々に齎す為の一助として活躍している。当然、絶と沙耶は周囲のモンスター駆逐組に参加して多大な戦果をあげていた。


「こういう場所での御飯はDP食ばかりだったから、カレー楽しみ」


「何かキャンプで食べるカレーって妙に美味しく感じるんですよね」


 そんな会話を楽しみながら、絶と沙耶が野営地に戻ると既に晩飯の準備はできていたらしく、鼻を刺激する良い香りが食欲を増進させる。


「あ、お疲れ様です」


「ん」


 スタッフの一人の挨拶に応えながら絶たちが野営地に入ると、早い者は既に出来上がったらしい晩飯に手をつけ始めているではないか。これは、自分も負けられないとばかりに、食事の配給の列に並ぼうとした絶を止める者がいる。


「あ、お疲れ様です。第六席」


「周藤隆治。……お疲れ様」


「あ。後で良いんですけど、お時間できたら俺に付き合ってもらえませんか?」


「愛の告白?」


「それをやったら、俺が条例でしょっぴかれますよ……。とにかく少し話したいんですよ。頼みます」


 絶の目の前で両手を合わせて拝み倒す隆治。


 その背後では美味しそうな臭いをぷんぷんさせているカレーの寸胴鍋。


 そして、抜け駆けして列に並びに行ってしまう沙耶。


 絶は辛抱堪らずに、「わかった」と隆治の願いを安請け合いしてしまう。


「本当ですか。ありがとうございます! 楽しみにしていますよ!」


 そう言って去る隆治の背中もそこそこに、絶は配給の列に並んでカレーを受け取る。


 夜の森は不気味ではあったが、澄んだ空気と夜空の下で食べるカレーは心底美味いと感じた絶であった。


 ★


「それで何?」


 食後の休憩を挟んで、ようやく隆治の願いを思い出した絶は隆治の姿を探して野営地の中を探し回った。すると、隆治は野営地の裏手とも言える森の中の暗がりで一人静寂を楽しむようにして立っていた。それを目敏く見つけた絶が声を掛ける。


 その声を聞いて、隆治は背を預けていた木の幹から背を離し、ゆっくりと腰の得物を抜く。


「少し、食後の運動など如何かと思いまして。どうでしょう、一手指南願えませんか?」


「…………」


 試すような、からかうような表情。


 絶はその表情に見覚えがあった。


 それは、長尾の道場を道場破りに来た者たちが絶に見せる表情と同じだったのだ。


 ――即ち、侮られている。


「いいよ。少しやろう」


 侮られたことを憤ることはない。


 ただ、分からせるだけだ。


 長尾絶がどういう者であるかということを――。


 そうして、彼女は不壊の木刀をすらりと引き抜くと、周藤隆治と対峙するのであった。

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