第102話 越後の昇りリュウ④

 丈の短い草地を踏んで、木陰から狼が飛び出してくる。


 絶滅した日本狼とは種類が違う灰色の毛並みに、一メートル近い体躯を揺らしながら牙を剥いて走ってくる様子は、一般人なら怯んでしまうほどの迫力だ。


 だが、その勢いに負けない気合いで踏ん張り、飛び掛かってくる灰狼グレーウルフの噛みつきを剣で受け止める者がいる。


 周藤隆治である。


 トップアイドルでもある隆治の動きは場慣れした冒険者と遜色ないほど鋭いものであった。


「……狼系の魔物は一度噛みついたらなかなか離さなくて厄介なんだけど、それが隙でもあるんだよね!」


 狼の突進を剣で受けた隆治は、そのままガラ空きの腹部に向かって蹴りを放つ。


 剣に噛みついて剣を奪い取ろうと躍起になっていた狼はその不意の一撃でくぐもった悲鳴を上げながら、隆治から距離を取ろうと離れていた。


 だが、後退りするのは体の構造上苦手なのか、距離を取ろうとしても取れていない。


 敵わないと分かったのなら、それこそ尻尾を巻いて逃げれば良いものを――と思いながらも隆治は刹那で間合いを詰めて剣を振るう。


「ギャワン!?」


 致命傷を受けた狼は光の粒子となると、宙に溶けるようにして消えていった。


「――はい、カット!」


 実際の戦闘なのだから、カットも何も無いだろうとは思いながらも、絶は茫洋とした表情で隆治の立ち回りを眺めていた。


 有り体に言えば、退屈である。


「姫、暇そうですね」


「それは師匠も一緒」


 ディレクターがどうしても隆治が格好良く活躍するシーンが撮りたいと言うので、注文に応えて『鋼の意志』と『迅雷』の二パーティーで周囲のモンスターをほぼ殲滅した後で、あまり強くないとされる狼のモンスターとの一対一タイマンが行われていたというわけだ。


 そして、絶たちは今回に関しては何の仕事も振られていない。


 彼女たちの仕事は緊急時の対応なので、出番がない状態なのだ。


 緊急時の備えが重要なのは分かることには分かるが、それでも絶たちにとっては暇に過ぎた。


「私としてはあっちの雑魚モンスターの駆除に混ぜて貰いたいところなんですけどね」


「フィールド型のダンジョンは三百六十度全方位に注意を払わないといけないから、緊急時の備えに最高戦力を近くに置いておきたい気持ちは分かる」


「性格の問題ですかね。それなりのお金を貰っているのにも関わらず置物になっているのは何だか気が咎めるんですよね」


「それは師匠の性格のせいだと思う」


「姫みたいに泰然自若の大物感が出せれば良いんですけどねぇ。……おや、何か揉めてますよ?」


 沙耶の視線の先を見れば、確かに隆治とディレクターが何やら言い争いをしているようだ。一体何を揉めているのだと耳を澄ませてみれば、どうやら隆治自身が今の戦いに納得がいっていないようである。


 会話としてはこんな感じだ。


「――狼とか楽勝すぎません? 視聴者はもっとスリルとか緊迫感を求めてると思うんですよね」


「それは二日目最後のエリアボスとの対決で演出しようと思っているから……」


「でも、こんな楽勝に終わっちゃうと、見ている人にとっても探索者なんて簡単に慣れる職業だって思われちゃいますし、何よりも俺が狼程度でドヤってる痛い奴だって勘違いされるのが一番嫌なんですけど?」


「それじゃあ、参考に聞くけどどんなモンスターだったら良いの?」


「蜘蛛とかムカデとか? あとは猪とかも戦ってみたいですね」


「それ、リュウちゃんが戦ってみたいってだけじゃないの?」


「いやいや、見ている人たちの心を鷲掴みにしようって話ですよ。ディレクターも数字は欲しいでしょ」


「そりゃそうだけどさぁ」


 悩む素振りを見せるディレクター。


 どうやら、隆治の戦闘シーンの相手をもっと緊迫感のある相手に変えるか考え込んでいるようだ。


 どうするのだろうと絶たちも眺めていると、唐突にディレクターと視線が合う。


「長尾さんはさっきのリュウちゃんの戦いぶりを見て、どう思った? もっと強い相手と戦っても大丈夫そうかな?」


 どうやら戦闘のプロとして助言が欲しいようである。


 絶は先程の戦闘風景を思い出しながら、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。


「センスも悪くないし、動きも悪くない。もう少し強い相手ぐらいなら何とかなると思う」


「そっかぁ。それならリュウちゃん――」


「……気に入らないなぁ」


「リュウちゃん?」


 隆治の不穏な言葉にディレクターが戸惑ったような声を出す。


 そんな隆治は自身の癖のない黒髪を掻き上げながら大き目の黒瞳で絶をじっと見つめていた。


「悪くないって言葉は一見すると良いように聞こえるけど、それって優れているってことじゃないですよね? 俺、撮影現場に来るアクションの先生や殺陣の先生には必ず「天才だ」って言われるんですけど、それでも止まりですか?」


 挑発するような隆治の言葉に、絶は静かに首を振る。


「何を期待しているのかは分からないけど、悪くないものは悪くないで変わらない」


「…………。小島さんも同じ意見ですか?」


 頑なに意見を変えようとしない絶に聞いても仕方ないと思ったのか、隆治が唐突に沙耶に話を振る。まさか、こちらに飛び火してくると思っていなかった沙耶は、あまり考えもせずにありのままの心情を吐露していた。


「え? 私? あぁ、すみません。私はそういうの良く分からないんですよ」


「第六席の師だとお聞きしていますが?」


「分からないというか、興味がないんですよね。象がミジンコ同士の争いに興味持ちます? そういうことです」


 そんな沙耶の回答に、明確に隆治の表情が引き攣る。


 彼としては安い挑発を行うことで直接の手合わせ、もしくは間接的に公認探索者というものの実力を肌で感じたかったのだろう。だが、沙耶の天然ナチュラルな煽りによって遊びのつもりであった隆治の気持ちに火が点く。


(正直、俺も業界の中でトップクラスの運動神経と言われて調子に乗ってた部分はあるけど、あそこまでバッサリ言うか? そこまで言うなら逆に見せて欲しいな。その圧倒的な実力って奴をさ)


 隆治が表面上は笑顔を貼りつけながら内心でそんなことを思っていると、周囲の警戒に当たっていた『鋼の意志』のパーティーから大声が上がる。


「やべぇ! 暴走猪だ! 直撃コースで来てるぞ! 皆散れ散れ!」


 こういうのをというのだろうか――隆治は内心で笑みをこぼす自分を押し殺しながら持っていた長剣を構える。


 これは、この撮影の為に探索者用の武器防具を扱う店で買ったものだ。年季としては浅いが、随分と手に馴染む感覚と丁度良い重さを気に入ってる。


「対猪やってみます! カメラを回して下さい!」


「リュウちゃん本気!?」


「無茶はしませんから!」


「それが無茶だって言うのに! えぇい、もう来てるじゃない! カメラ急いで回して!」


 隆治が梃子でも動かないことを悟ったのか、ディレクターが急いで撮影スタッフに指示を出し始める。その様子を見ながら、絶はさっと足元にしゃがみ込んで何かを拾い上げると、こちらに近付いてくる砂煙に気付いた。


「あれが、猪?」


「普通の猪よりも何倍も大きいですね。いや、普通にアイドルが何とか出来る相手じゃなさそうですよ。どうします、姫?」


「依頼者の希望はなるべく叶える方向で。無理そうなら割って入る」


 その絶の手の中では、じゃらじゃらと音を立てる小さな小石が幾つも握られていた。


 ★


 それを見た瞬間、『ヤバイ』という感想以外のものが出てこない――それほどの迫力を猪のモンスターは持っていた。


 全高は五メートル。体重はトンは軽く超えているのではないかと思わせる巨躯。まるで二階建ての建物がそのまま突っ込んでくるかのような幻視が見えたほどだ。


 そんな相手を前にしながらも、隆治の中の思考は酷く冷静であった。


 明鏡止水といえば聞こえは良いが、言ってしまえば場馴れだ。


 隆治はこの時以上に緊迫する現場や、殺伐とした撮影に参加したことがある。そこで、一身に期待を背負って、全てを成功させてきたといった成功体験が彼の背を後押しするのだ。


 呼吸を整え、迫ってくる巨体を見据える。


 猪は周囲の木々を巻き込んでは倒しながら進んでくるため、突進の速度は思ったよりも遅い。むしろ、狙い目は木に衝突した瞬間だろう。その刹那の間だけは猪の動きが鈍るのだ。その瞬間を狙う。


 どくん、どくん、どくん……。


 心臓が早鐘のように鳴る中、隆治は狙いを定めていく。狙うのは交差技カウンターによる突き。それを猪の目の奥に叩き込む。上手くいけば眼底を突き破って脳にまで達する致命傷を与えられるはずだ。


 意識をいく。


 達人は雑念や邪念を払うというが、隆治は集中する時は意識をまとめていくという感覚がしっくりくると思っていた。


 人間とは煩悩の塊である。


 そんな煩悩を多少払ったところで真の集中などできるはずがないのだ。


 だから、思念の方向性を定め、まとめ、寄り合わせ、糸のようなイメージで意識を一点にまとめあげていく。


(見えた――……ッ!?)


 ――……ずるり。


 一歩を踏み出した瞬間、胸に妙な痛みを覚えて隆治の一歩目が減速する。


(まずい……!)


 交差技はタイミングが命だ。


 集中し、計算し尽くされたそのチャンスが、一歩目の遅れで全て狂ってしまう。


 だが、次の二歩目で急に体が加速する。


(――!?)


 自分の体がどれほど鍛えられていて、どれほどの力が出せるのかといったことは、自分の体調管理において必須だと考えている隆治は自分がどれぐらいの速度で走れるのかを完全に理解していたはずであった。


 だが、その予想を裏切る加速。


(でも、これなら――)


 遅れたタイミングを戻すことができるはず。


 隆治が草地を蹴って突き進んでいく中で、巨大な猪も隆治の姿を捉えたのか、一直線に隆治へと向かってくる。


 その動きは単調にして単純だが、荒々しさや破壊力は語るまでもない。


 その小山が迫るような迫力を目の前にして、隆治は初めて不安を覚える。


 大地が鳴動し、森林地帯が破壊されながら迫ってくる様はまるで小さな竜巻だ。そんな小さな、とはいえ自然現象のようなものを自分の力で覆すことができるのか、と思ってしまったのだろう。


(ははっ、それを試すのが面白いんだろう!)


 心の内に生まれた不安を吹き飛ばすように笑いながら、隆治は猪との距離を詰める。


 タイミングは完璧。


 猪が衝撃に備えて顎を引き、隆治はその分を加速する。


 まるで自分の体ではないように思った以上の力を発揮する隆治の体は、隆治の狙い通りに動き、寸分違わぬタイミングで猪の目に剣を突き入れていく。


「ンゴォォォォォォ……!」


 だが、隆治の狙いとは違い、猪を即死させるには至らなかったようだ。


 あまりの痛みに猪が跳ね、その巨体が宙に舞う。どうやらその有り余る体で隆治を押し潰すつもりらしい。


「あ、やべ……」


 隆治がそう小さく声に出すのと同時――、巨大な猪の体にひとつの小さな穴が開く。


 穴はその衝撃の強さを物語るかのように、猪の丸々と肥えた体に拳大のクレーターをずどんっと作り出していた。


 そして、吹き飛ぶ猪を追うようにして更に穴とクレーターが増えていく。結果的に隆治から十メートル近くも吹き飛んだ猪の体には合計で六発もの小さな穴が穿たれていた。猪のモンスターは直後に光の粒子となり、宙に溶けて消えていく。


「何だ、今のは……。まるでライフルで撃たれたような……」


「石ころを指で弾いただけ」


 隆治の疑問に答えるようにすぐ近くに立っていた絶が余っていた石ころをその場に投げ捨てる。それはなんの変哲もない石ころに見えたし、実際そうなのだろう。


 だというのに、それを指で弾いただけで銃弾並の威力が出るというのか。


(これが、公認探索者の力か……。ふふっ……)


 末恐ろしいものを感じながらも、隆治はまたしても心臓が小さく蠢くような違和感を覚えて顔を顰めるのであった。

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