第100話 越後の昇りリュウ②

 新宿での狂乱が起こる前、東京都の二次探索者資格試験……いわゆる実地試験……の試験会場には、新宿ダンジョンと渋谷ダンジョンの二カ所が用いられていた。


 試験内容としては、大竹丸が受けた松阪ダンジョンの実地試験と何ら変わりないのだが、新宿ダンジョンはダンジョンの難易度を考慮して、若干浅い階層が最終目的地として設定されていたのである。


 その為か、新宿ダンジョンで探索者資格試験を受けるのは、受験者有利と言われており、探索者を目指す者たちで聡い者はわざわざ東京都にまで出向いて探索者資格試験を受ける者まで現れるほどであった。


 そうして、噂が独り歩きした結果、新宿ダンジョンには多くの探索者資格試験の受験者が集まり、多くの探索者が生まれたのだが、その影でまた多くの死傷者も生み出していた。


 そんな折に、新宿ダンジョンで二次探索者資格試験を受験した一人の男がいる。


「はぁ……、はぁ……」


 それは、あまりに速く、あまりにも唐突であった。


 二次探索者資格試験で「新宿ダンジョンが当たった!」と喜んでいたのも束の間――。


 男と一緒に試験を受けていた受験者たちは、ダンジョンでと相対した瞬間にバラバラの肉塊となって、ダンジョン内にぶち撒けられていた。あんなとんでもないモンスターが出るとは聞いていなかった男は、吃驚して思わず隣を歩いていた引率役の自衛隊員を見て、その表情を凍り付かせる。


 隣を歩いていたはずの自衛隊員の首から上が無い。


 ぴゅっ、ぴゅっと血の噴水を首から上げる自衛隊員の姿を見た時、男は自分の死を悟った。男の周囲の者たちは既に全員死んでいたし、そのモンスターは暗がりに潜んでジッと男を見ていたからだ。この状況で自分だけが助かるだろう……なんて考えられるほど男はおめでたくはなかった。


「――周藤隆治だね?」


 暗がりが人に分かる言語を発したことで、それがモンスターの類ではなく人であることに男……周藤隆治は即座に気付いた。


 そして、それに気付いた瞬間、隆治は一目散にその場を逃げ出したのだ。


 幸運だったのは、彼が照明係としてLEDランタン明りを掲げていたことか。これで、暗い中を走るといった危険極まりない事態は回避できた。隆治は元来た道を脳裏に思い浮かべながら懸命に走る。


 そんな最中でありながらも、彼の頭の中には何故、どうしてという思いが渦巻いていた。


「はぁ……、はぁ……、アイツは俺を知っていた……! 俺を狙った犯行ってことか……!? けど、試験中は一般の探索者はダンジョン内に入場できないはずだろ……!? どうやって入ったんだ……!? いや、そんなのはいくらでも方法はあるのか……!? とにかく、ヤバイストーカーだってことは確かだ……!」


 走りながら携帯を取り出して、電波状況を確認する。


 だが、外部と連絡が取れる位置にはいないようだ。


 なんにせよ、アイドルである隆治を手に入れるためなら、手段すら厭わない殺人鬼が隆治の前に現れた化け物の正体なのだろう。あんなものに捕まったら何をされるか分かったものじゃない。


 隆治は背筋から上がってくる怖気に身を任せるようにして、とにかく走る。


 正義感の強い者であれば、死んだであろう受験者や自衛隊員を見捨てられずに立ち向かうだろうか。


 だが、一目見て即死とわかる人々の為に、勇気を出してあの場に踏み留まる意味は薄かったはずだ――そう、隆治は自分の心を無理矢理納得させる。


 本心を言えば、怖かった。


 怖くて怖くて仕方なかったのだ。


 あの場にいたら絶対に殺されると思ったからこそ、隆治は懸命に逃げ出してきたのである。


 もしかしたら、犯人の目的が自分にあり、その場に留まり続けていたら殺されなかったかもしれない、と気付いたのは走り出した後からである。


 今となってはもう遅い。


 恐らくは逃げ出したことで殺人鬼のストーカーの逆鱗に触れた。


 だから、今更戻るというのも無理だ。


「死にたくない……、死にたくない……。仲間を見捨てたことでスキャンダルになるか……? だが、そんなの死んじまったら意味ないだろう……!」


 体力には自信のある隆治だったが、あまりの恐怖にフォームがバラバラで上手く走れている気がしない。隆治は上がる息を抑える為に、少しだけ走る速度を落とし――、


「もう追い掛けっこは終わりかい?」


「!?」


 すぐ背後に化け物の声を聞いたと思った瞬間、衝撃が隆治の背を襲い、隆治は頭から地面へと転がる。心の中でクソと毒づきながら、慌てて立ち上がろうとするが視界が歪んで上手く立ち上がれない。


 どうやら、転んだ際に頭を打って脳が揺れてしまったようだ。身を起こそうとして失敗する隆治を、恐らくは背後から殴ったであろう人物は真っ白に染めた内巻きのミディアムショートの髪を弄りながら、猫のような目を楽しそうに細める。


「ふふ、活きの良いのは結構。やはり、君はボクが睨んだ通りの人間のようだ」


「何を、言っているんだ……?」


 やはり、頭のおかしいストーカーなのかと隆治は訝しむ。


 だが、その白髪の人間はそんな隆治の様子などお構いなしに言葉をつづけた。


「若くして芸能界のトップに登り詰めるスター性。そしてどんな困難であろうと軽々と乗り越えてしまう才能。君はここまで来るのにきっと大した苦労もせずに登り詰めたことだろう。テレビの画面越しに見ていてもボクに伝わってきたよ。――だからかな」


 白髪の人物は懐から紫色に光る不気味な芋虫のようなものを取り出し、ゆっくりと隆治に向かって近付いてくる。


「……君が堕ちる姿が見てみたくて堪らないんだ! 君のような天才が嫉妬に狂い、苦難に歯噛み、苦しみ悶える姿が見てみたくて堪らないんだよ! ……大丈夫。普通に暮らす分には何も変わらないさ。むしろ、いつもよりも調子が良くなるだろうね。けど――」


 白髪の人物の手が思ったよりも小さく、そこで隆治は相手が女だということを改めて認識する。その少女は猫のようなつり上がった目でニコリと隆治に笑い掛けてくる。


 こんな不気味な出会いでなければ、思わず惚れてしまいそうなほどに美しい――そんな場違いな感想を抱いてしまうほどには、少女は美しかった。


「君が自分自身を信じきれなくなった時、築いてきたものはあっという間に崩れていくよ。……そういうものなのさ。ふふっ、天才君がどれだけ耐えられるか楽しみだ」


 白髪の少女が隆治の顎を掴む。


 その力は万力よりも強く、隆治がいくら足掻こうとも外れることがなかった。


 そして、そのまま強烈な力に堪え切れずに口を開けた所を、見せつけるようにゆっくりと、紫色の芋虫を隆治の口へと近付けていき――……。


 ★


「――!? はぁっ、はぁっ、はぁっ……」


「あ、周藤ちゃん。起こしちゃった? ゴメン~、まだ時間あるからもうちょっと寝てていいわよ?」


「え? あぁ、えっと……そうですか、すみません。少し休ませてもらいますね」


 新潟行きの新幹線のグリーン車のシートに背を預けながら、周藤隆治は今見た悪夢のことを誤魔化すようにサングラス越しに笑顔を振りまく。どうやら、マネージャーが気を利かせて、隆治の隣の席に買ってきた弁当とお茶をおいてくれたようだ。その時の気配で、寝ていた隆治が跳び起きてしまったということらしい。


「この感じだとグルメリポートとかは無い感じか。まぁ、当然だけど……」


 今回のロケは隆治が探索者資格試験を改めて受験し、合格したことに端を発する。隆治が探索者資格試験に合格したことに日本探索者協会が気付き、是非隆治にイメージキャラクターをやってもらいたいと言ってきたのだ。隆治が所属する事務所としても、これからの新時代に向けて隆治には探索者資格を取得させた狙いがある為、一も二もなく受けたという次第である。


 だが、この話については隆治自身が乗り気ではなかった。


 何せ、初めての探索者資格試験であんな目にあったのだ。


 普通に考えて、ダンジョンに二度と潜らなくなってもおかしくはない。


 だが、あの事件のことは世間一般には報道されてはおらず、隆治自身もSNSなどで探索者資格を取ることを公言していた為、もう一度探索者資格試験を受ける運びとなってしまった。


 そして、二度目の探索者資格試験挑戦は驚くほどあっさりと突破してしまった。


 その後、日本探索者協会と事務所の間で話し合いがもたれ、隆治は日本探索者協会のイメージキャラクターとして採用される運びとなっていた。


 思えば、あの一回目の探索者資格試験での事故が世間一般に報道されなかったのは、事務所と日本探索者協会で、その手の話し合いがあらかじめ持たれていたからではないのだろうか。今更ながら隆治はそんなことを思う。


 何にせよ、探索者というものは全て自己責任だ。


 ダンジョン内で死ぬにせよ、謎の女に追いかけられて気を失って他の探索者に助け出されるにせよ、それらは全て自分の責任であり、どこかに当たり散らすことはできない。


 あの時死んでしまった人たちには申し訳ない気持ちでいっぱいだが、隆治は自分が助かったことに酷く安堵していた。


 こういうのを持っているというのだろうか?


 何にせよ、一度砕けそうになった誇りプライドも二度目の探索者資格試験をあっさりと合格パスしたことによって戻ってきた。


 今回のダンジョンでのロケも成功させれば、一度目の探索者資格試験で追った心的外傷を完全に払拭することができるだろう。そう考えれば良い機会だ、と隆治は萎えそうになる気持ちを無理矢理奮い立たせる。


 まぁ、隆治の不安は事務所側にも伝播していたようで……。


 今回のロケを迎えるにあたって事務所側はとんでもない助っ人を寄越してくれていた。目を通した台本には、ゲストとして公認探索者第六席、長尾絶の名前が書いてあったのだ。


 公認探索者が日本政府より発表されて、隆治もその名前だけは知っていたが、そんな大物と共演できるとは思ってもみなかっただけに驚きだ。それだけ、事務所側が安全に配慮した結果とも言えよう。


(何にせよ、あんな危ないことはもう懲り懲りだ。だから、安全に配慮してくれるのは有難いと思う。あと……)


 隆治は少しだけ……ほんの少しだけだが、日本政府公認探索者というものに興味があった。


(……公認探索者というのはどの程度のものなんだ? 大したことないようだったら、俺がに居座っても構わないだろうか? トップアイドル兼公認探索者というのも悪くない響きだよな?)


 今回のロケはそんな意味でも隆治の実力を確かめるための良い試金石になるだろう。隆治は用意された駅弁に手を掛けながら、そんなことを思うのであった。

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