第六章 全国平定編 -新潟-

第99話 越後の昇りリュウ①

 白い砂浜に、白い気泡を含んだ波が寄せては引きを繰り返す。


 その砂浜から少し離れた所にある白いサイドテーブルと白いビーチチェアが真っ白な陽光を弾き返し、それらを遮るようにして白いビーチパラソルが砂浜に突き刺され、真っ白な大輪を咲かせる。


 そんなビーチパラソルを砂浜に突き刺した女性は、自身の零れ落ちそうな瑞々しい肉体を布面積が少ない白いビキニ水着に身を包み、未だ熱いビーチチェアに体を預けて寝転がる。


 白い髪に白い肌。そして、赤い瞳――。


 その女の目は白い空間の中で唯一そこだけが燃えるように赤い光を湛えていた。


 白い女はサイドテーブルに飲み物が並々と入ったグラスを置き、のんびりと寛ぎ始めたのだが、唐突にその動きを止める。


 彼女の目の前に『CALLING』と掛かれた板状の砂嵐の画像が現れたためだ。


 それを嫋やかな指ですっと触れると砂嵐の画像が薄れ、途端に闇色を背景とする画像に切り替わる。


 通話相手のいる場所が暗いのか、それともあらかじめそういった画像が用意されていたのかは分からないが、とにかく女の通話先の相手の姿は確認することができないようであった。通話先から声だけが漏れ出る。


『久し振りだな』


「あら、貴方からなんて珍しい。どうしたの?」


 女がしっとりと湿ったような声で尋ねれば、通話先からふんっと鼻先で笑うような声がする。


『俺がお前にする話題などひとつしかないだろう』


「そうね」


『それで進捗は?』


「変わりないわ。新宿の一件で一度接触があったっきり、それ以降は姿を見せていないわ」


『そうか……』


 通話先の相手があからさまに落胆しているのを感じ取った白い女は、少しだけ眉根を寄せる。


「何? 焦れているの?」


『焦れていないと言えば嘘になる。既にとっておきであったS級ダンジョンは二つも攻略され、他のダンジョンの攻略ペースも早い。このままでは拙いのは君も分かっているだろう?』


「新宿と、三重の奴ね。でも、この二つはどちらも同一人物による攻略よ。落ちるべくして落ちたというべきでしょうね。他の三つのS級ダンジョンは日本以外かいがいに散っているから大丈夫じゃないかしら」


『気楽なものだな。そもそもS級ダンジョンは攻略不可能という想定で作成されたものであったはずだろう』


「人の進歩というものは恐ろしいものよね?」


『ふん。それにしたって攻略ペースが早過ぎる。日本Japanを筆頭に各国でも既にDランクダンジョンレベルでは攻略者が出始めているのだぞ。このままでは当初の計画に支障が生じるのではないか?』


「分かっているわ。その辺は手を打つつもりよ。ダンジョンがクリアされたおかげで少しだけリソースが戻ってきたから、頑張っているダンジョンにボーナスDPを支給するつもり。それと別の手として、日本のダンジョン攻略ペースが早過ぎるから、助っ人を雇い入れることにしたわ」


『外部の者か? ……大丈夫か? 奴の間諜スパイの可能性もあるだろう』


「奴は動かないわよ」


『何故そう言い切れる』


「新宿で現れた時の解析ログに一文だけ残っていたわ。恐らく、私たち宛のメッセージだと思うけど『少しだけ時間をあげる』と書いてあったわ。だから、彼が満足する現状では彼は動かないはずよ」


『だといいが……』


「とりあえず、このまま奴の思い通りにさせる気はないわ。……もうあんなのは御免なのよ」


『あぁ、そうだな……』


 通話先の相手の声が沈む。二人の心に去来するのは闇の奥底よりも暗い、苦々しい思いに違いない。その証拠に白い女の形相はいつの間にやら悪鬼羅刹のように歪んでいたのだから……。


 ★


 その日はしとしとと冷たい雨が降っていた。


 甲信越地方の本日の天気模様は雨。黒い曇天が一面に空を覆い、日光を地上まで届かせぬ生憎の空模様であった。天気予報によれば、この天気は二、三日続くらしく、暫くは寒い日々が続きそうだ。


「生憎の天気ですね、姫」


 鎧戸を開け放ちながら、長い前髪で目を隠した女性……小島沙耶こじまさやが道場の内部に目を向ける。そこでは、鉄棒入りの木刀を一心不乱に振り続ける長尾絶ながおたえの姿があった。


 腰まで届く長い黒髪を後頭部の後ろでポニーテールに結んだ結果、絶が木刀を振るう度にポニーテールが躍るように舞う。だが、そんなポニーテールの動きとは裏腹に絶の剣は実直そのものであった。最短を最速で駆け抜ける剣。それは、彼女の人並み外れた膂力と相俟って空すら引き裂く代物であった。


 その異常なまでに鋭い剣の軌跡を目で追いながら、集中しているのだろうと沙耶が鎧戸を閉めようとして――、


「涼しいから、もう少しそのままで」


 ――絶の剣がようやく止まる。


 一体いつから木刀を振り続けていたのだろうか。


 絶の足元には水溜まりが出来るほどの汗が滴り落ちていた。


 ただでさえ重い鉄芯入りの木刀をあれだけの速度で振り続けたのだ。疲労しないわけがないだろう。絶の人並み外れた膂力がどうやって培われているのかが、分かろうというものである。


 いや、彼女の膂力は生来の部分もある。


 だが、それ以上にその膂力を育て上げる為に彼女は手を抜かないのだ。


 才能に胡坐をかかないというのが正しいだろうか。


 毎日のように自身に負荷を掛けて追い込み、それが負荷とならなくなったら更にもっと強い負荷を掛けて鍛えていく――。


 結果、彼女の肉体は筋肉の膨張を通り越して縮小への道を辿り、ほっそりとした女性として羨むべき肉体へと進化していた。その代わりとばかりに、その身に詰まった肉の質はアスリートをも軽く凌駕する恐るべきものに育っていたのだが……それは今は良いだろう。


「師匠はやらないの?」


「私はもうやりましたよ」


「本当に?」


「武術家の技は宝の山です。陽が昇ってからやっているようでは盗んで下さいと言っているようなものじゃないですか。ですから、私は陽が昇る前に毎日終わらせています」


「流石、師匠。尊敬する」


「いえ、毎日努力できる姫も素晴らしいと思いますよ。おっと、そういえば御隠居より呼ばれていたのでした。もう少し涼んだら行きますよ、姫」


「爺様が? 私を呼ぶなんて珍しい」


 長尾の一族は地元で代々剣術を教えることを生業とする名士と呼ばれる家柄である。その歴史は長く、その分地域に貢献してきただけあって広大な土地と莫大な財を抱えていた。


 今世では剣を習う習慣も廃れてきてはいるが、長尾の血統は優秀であり、各分野で成功者を多く抱えている為、道場が取り壊しになるようなことはない。


 特に、絶の父である長尾為継ながおためつぐは長尾流剣術道場の現当主でありながらIT企業の社長であるという変わり種であり、彼のポケットマネーの何割かは道場の維持費に当てられていた為、長尾の道場が潰れるという心配はほぼ杞憂といってもよかった。


 その代わりというべきなのか、絶の父はほとんど仕事に掛かり切りで道場の管理は絶に任せきりとなっている状態なのが実情である。


 絶は絶で剣術を教えるということをあまり金儲けに結びつけたくないのもあって、土曜日に子供たち向けに無料で剣術道場を開いているぐらいの活動具合だ。


 いや、そもそも彼女は現役の女子高生なのだ。四六時中道場を開けているというわけにもいかないのだろう。


 そんな道場にいつごろから住み着いたのか、我が物顔で長尾家を闊歩する人物がいる。


 それこそが、小島沙耶であった。


 彼女は先代当主である絶の祖父、長尾定満ながおさだみつに剣の教えを請う為に現れ、その技の数々を吸収し長尾流の免許皆伝を言い渡されている強者だ。


 なので、実際の年齢は老婆と言えるような歳のはずなのだが、見た目はずっと十代後半から二十代前半の若々しさで止まっているという不思議な体質をしていた。


 なお、誰もがそのことを疑問に思って質問しようとするのだが、そのことを口に出そうとすると沙耶から無言の重圧が放たれ、口を閉ざすしかないという状況が続いた為、誰もそのことを尋ねることはしなくなってしまう――簡単に言うと、無言の重圧に敗北したと言ってもよい。


 だが、老いが無いことは不気味ではあるが利点が無いわけではない。


 何せ、長尾の技を生きた状態で学べる。


 剣聖と呼ばれた祖父、長尾定満の技を完全にコピーしているのが沙耶なのだ。


 故に長尾定満の全盛期の技を絶の前で簡単に再現できるのである。そのため、絶は沙耶のことを師匠と呼び、沙耶は沙耶でお世話になっている定満の娘であることから絶のことを姫と呼ぶ――そういう不思議な関係が出来上がっていたのである。


 そんな関係の二人ではあるが、祖父定満は長尾の剣を活かした仕事を絶に頼むことはなかった。


 主には沙耶に頼むことが多かったのだ。


 警視庁に剣術顧問として招聘された時も定満と連れ立って東京に向かったのは沙耶であったし、絶が呼ばれることはなかった。恐らくは絶の高校生活を気遣っての行動ではあるのだろうが、定満の仕事に絶が関わることはほとんどなかったのである。


 それが、今回は沙耶と共に呼ばれているという。


 どういう風の吹き回しだろうか、と絶も首を捻る。


「姫も公認探索者オフィシャル六席となりましたからね。それを御隠居も考慮したのでしょう。此処からは長尾の剣を継げるかどうか、御隠居は見ているはずですよ。姫は今後も変わらず邁進なさりなさい」


「うん。分かった」


 汗が引くのを待ちながら、汚れてしまった道場の床を拭く。


 やがて、落ち着いてきた時分で着替えを済まし、二人は定満が待つ部屋の襖の前に立つ。


「小島沙耶、長尾絶、共に参りました」


「おう。入って良いぞ」


「「失礼致します」」


 二人が襖を開いて鴨居を潜ると、白髪を肩にまで流した八十は下らないだろうという老爺が座布団の上に胡坐をかいて座っていた。


 着流しを粋に着こなし、煙管をぷかりとやる姿はその全身から溢れ出る野獣のような気配とは正反対であり、正しく自分の野生というものを制御コントロールしていることを窺わせる。


 老爺は鋭い眼光を孫娘の前だけでは少しだけ緩めて笑顔を見せる。


「悪ぃな。急に呼び寄せちまってよ」


「朝の鍛錬も終わった所。丁度良かった」


「今日は日曜で姫は学校も無いですからね。それで、御隠居、私たちに話というのは?」


「おう、それなんだがな。俺ぁ、断ろうと思ったが虎子さんがなぁ……」


「――お爺さん、お茶も出さずにお話を進めるのは無作法に過ぎませんか?」


 するり、と襖の扉が開けられてお盆に乗せたお茶を持ってきたのは絶の母である長尾虎子ながおとらこだ。彼女は、音もなく絶たちの前に茶の入った湯飲みを置くと部屋の隅にちょこんと座る。どうやら居座る気満々らしい。


 それを見て、定満はやり辛そうな空気を出すが、気を取り直して咳払いをひとつすると話を続ける。


「実は、絶を指名しての依頼が舞い込んだ。というか、公認探索者第六席を指名しての話が日本探索者協会からきたという話だな」


 本来ならば、絶に直接話がいくのだろうが、絶は未成年ということもあり定満を通して話が舞い込んだということらしい。


 ふむ、と絶は静かに頷く。


「絶は周藤隆治すどうりゅうじってのは知ってるか?」


「タレントの?」


「そうだ」


「お母さんが好きなドラマに出てるから知ってる」


 うんうんと部屋の片隅で頷く虎子。


 この時点で沙耶は「ははぁん……」と思ってはいたが、態度にはおくびにも出さずに定満の次の言葉を待つ。


「どうも、その周藤何某君が探索者資格を取ったらしくてな。ダンジョン攻略風景をテレビで撮影して探索者募集のアピールをしたいという打診が、日本探索者協会から入った。周藤君の事務所側は安全に配慮してくれるのならその仕事を受けるといった条件で了承したみたいでな。それで、絶に話がきた」


「それって姫にボディガードをやれってことですよね。何で新潟にまで来てやるんですか? 東京とかにも名の知れた探索者はいるでしょう?」


 沙耶の疑問はもっともだ。


 だが、定満はゆっくりと首を横に振っていた。


「関東では、新宿ダンジョンが潰れ、渋谷ダンジョンもどうもきな臭いときている。そこで公認探索者の中で東京に一番近い新潟に居を構えている絶に白羽の矢が立ったというわけだ」


 なるほど。他の公認探索者は北海道、青森、三重、山口、長崎、福岡と東京から離れた位置にある。テレビスタッフの移動や、タレントのスケジュールを考えると新幹線一本で行ける新潟が一番近いという判断なのだろう。


 その内容をじっくりと吟味した後で、絶は内容を確認するように言葉を紡ぐ。


「つまり、探索者協会の広告塔の護衛?」


「言ってしまえばそうなる」


 難しい顔で定満が目を閉じる。定満としては可愛い孫が今をときめくアイドルの当て馬にされるのが嫌なのだろう。そもそも絶は学生だ。公認探索者の仕事で学業を疎かにさせるのも可哀想という思いもある。


 そんな気持ちを抱く定満とは違い、沙耶がゆるりと声を出す。


「大丈夫ですか、それ?」


「大丈夫、とは?」


「姫がテレビに出たら、その周藤何某を食ってしまいますよ? 姫は色んな意味でヤバイですから……」


 沙耶が真面目な顔をしてそう言うと、弾かれたように笑う声が聞こえる。


 虎子だ。


「いやいや、沙耶さん、それは無いわよ! 相手は隆治君よ? 芸能界でもトップ中のトップ! オーラとかバリバリ出まくってるだろうし、ウチの絶が隆治君を差し置いてそんな目立つわけがないじゃない! あ、絶! 隆治君と共演したら、サイン貰ってきてね! 絶対よ!」


「お母さんの中ではもう既に決まっているみたい……」


「ですね……」


 こうなってしまっているから、定満も断るに断れないと言ったのであろう。


 その空気を絶も感じ取って、仕方ないとばかりに嘆息を吐き出す。


 これで依頼を断ったものなら虎子がしばらく落ち込んで使い物にならないことを知っているのだ。


 前に一度父が忙し過ぎて結婚記念日に帰って来られなかった時などは、料理は消し炭になったし、ずっとため息をつきまくられて家中が沈んだ雰囲気になったことを思い出し、絶は渋々その依頼を受けることを決心する。家族円満の秘訣は我慢だと学ぶ絶である。


「爺様。その依頼を受けると協会に伝えて欲しい」


「そうか。……そうか」


 どこか自分の孫を生贄に差し出してしまった気分になりながら、老爺も渋々ながら頷く。


 だが、そんな長尾一家の様子を眺めながら沙耶だけは違った感想を抱いていた。


(周藤某君が、姫の踏み台にならないと良いんだけど……)


 そう心の底から彼女は思うのであった。

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