第97話 北へ行くよ、らんららん⑪

 プルルル……、プルルル……。


「……電話ですか」


 巨大な斧を振りかぶる手を止めて、前鬼がそう呟く。


 どうやら、その発信音は前鬼の尻ポケットから鳴っているようだ。


 前鬼の斧の射程外にまで一足飛びで跳んだ大竹丸は、小通連を下ろしながら半眼で前鬼を睨み付ける。


「妾ですら持っていない文明の利器を何故お主が持っておるんじゃ……」


「今の主から頂きましたので。どっかのケチな主とは大違いですよ」


「け、ケチじゃないでしょう!? そもそも、使役鬼が電話を持っても仕方ないじゃないですか!?」


「ですが、現に私は利用しています」


「ぐ、ぐぬぬ……!」


 法起坊が歯噛みをする中、前鬼は睨みを利かす。今までなら緊迫感の溢れる場面であったのだろうが、その現場に流れる電子音だけがただひたすらに緊張感をぶち壊していた。やがて、大竹丸は阿呆らしいとばかりに武器を消す。


「えぇから、電話に出ぬか。……興が削がれてやる気も起きぬ」


 そもそも、法起坊と前鬼後鬼の言い争いの時点でかなりやる気のなくなっていた大竹丸だ。更にこの電子音はトドメとなったのだろう。やる気が失せたとばかりに、パンパンと薄汚れてしまったジャージを叩いて汚れを落とし始める始末である。


「それでは、失礼して。――後鬼」


「えぇ、分かっています」


 鳴り響く携帯電話を取り出す前鬼を守るようにして、後鬼が前に出る。言葉では何とでも言えるとばかりに、信のない態度である。


 事実、それを見た法起坊は「お嬢ちゃん、今だ! やってしまえ!」などと宣っている程である。まさに、屑の極み。その様子を見ていた太郎坊も、戦う気のない奴を一方的に攻撃するのは好かんと言って、法起坊の命令を聞く気はない態度を取り始める。大竹丸に至ってはお前に指図される謂れはないとばかりに睨みを効かす始末である。


「ぐぬぬ、かくなる上は……」


 やがて、法起坊は痺れを切らしたのか、自らがやるとばかりに前に出る。ダンジョン攻略後で疲労の残る体に鞭を打ち立ち向かっていこうとするが……。


「やめい」


 スパンとその後頭部を引っ叩く大竹丸。その一撃を喰らって派手に吹っ飛んだ法起坊は信じられない者を見たとばかりに、その目を真ん丸くして素早く起き上がって大竹丸を見つめる。


「な、何をする!? 私が誰か知っての狼藉か!? その代償は高くつくぞ!?」


「お主が何者かなんぞ、とうに知っておるわ。……じゃがな、話を聞く限り、悪いのはお主の方じゃ! しかも、しょうもないことばかりで諍いの種をばら撒きおって……そんなんで天狗の長とは嘆かわしいぞ!」


 大竹丸が一喝するが、それには異議ありとばかりに法起坊が唾を飛ばして近寄ってくる。


「ぼ、僕だって好きで天狗の長になったわけじゃない! というか、元々、僕は修験道を極めたくて京の都を飛び出したんだよ! それが、いつの間にか天狗の長に祭り上げられているし、修験道の開祖として祀り上げられてるし! 偉くなったら、モテるかなぁとか思って放ってきたけど……結局は畏れられたり、担ぎ上げられたりするばかりで全然モテないし!? しまいには後鬼を取り上げられて――……女っ気のない天狗社会に軟禁状態だよ!? しかも、周り全部ムキムキ天狗か烏天狗しかいない社会ってどうなのよ!? 僕に死ねって言いたいのかい!?」


「お主、本当に修験道の開祖か?」


「モテたいから強くなる道を選んだだけであって、開祖にも長にもなりたくてなったわけじゃないんだよ!? なんで、そこを理解してくれないかなぁ!?」


「…………。動機はしょうもないが、中身は天才という奴か。なんとまぁ」


 大竹丸の何とも言えない表情を見た後で、法起坊は荒れた息を整えてから、自分の衣服に付いていた砂埃を払う。そして、右斜め四十五度の角度で大竹丸を見て、さっと前髪を流すと――、


「というわけで、お嬢さん。僕の境遇に同情して一夜のアバンチュールを楽しまないかい?」


 ――とかいう、世迷言をほざいてみせる。


 ので、きっちりと握った拳を見せて、にこりと大竹丸は微笑んであげた。


「グーと、中指一本拳、どっちがいいかのう?」


「ははは、じょ、冗談さ……」


 声を震わせて法起坊が引き下がったところで、前鬼が通話を終える。


 そして、そのまま後鬼の肩を抱くと懐から何やら光る珠を取り出してみせる。


「撤退しますよ、後鬼」


「え?」


「どうやら周りの鏡が全て割られ、友軍ダンジョンも攻略されてしまったようです。残党も全滅は時間の問題だと連絡がありましたからね。時間を置いたら不利になるのはこちらです」


「そう……。あの御方がそう判断したのであれば退きましょう」


「ちょ、ちょーっと待った! 前鬼君、せめて後鬼君だけでも置いていってくれないかなぁ!?」


 撤退宣言をする前鬼後鬼に対し、しつこく懇願する法起坊だが……。


「言ったはずです。後鬼は私の妻であると」


「あっかんべぇ」


「そんなぁ……」


 後鬼のあっかんべぇで打ちひしがれたのか、法起坊がその場に膝から崩れ落ちる。そして、そんな法起坊を同情する人間はその場には居なかった。


「では、あの御方と道を違えることがあるようであれば、またいましょう」


「ふむ。お主たちには多少同情出来る点があったからのう。あんまりり合いたくはないんじゃが」


「儂はいいぜぇ? お前らは歯応えがあって楽しいからよぉ! かーっはっはっは!」


 大声で高らかに笑う太郎坊に迷惑そうな視線を向けてから、大竹丸はふと気になったことを前鬼に聞く。


「――というか、誰なんじゃ、そのあの御方というのは?」


「おや、言っておりませんでしたか?」


 前鬼が光る珠を地面に叩き付け、その珠が眩い光を放つなり、彼らの姿を光の中に消していく。その最中で蚊の鳴くような小さな声でありながらも、大竹丸にはその言葉がはっきりと聞こえていた。


「おぉッ⁉ 消えよったぞ⁉ 天狗の御業か⁉ いや、儂らが天狗じゃった! じゃが知らん! 何じゃあ、あの技は!」


「遊んでいる場合じゃないでしょ、太郎坊……。はぁ、これからまた筋肉たちとの共同生活かぁ……。折を見てススキノに行きたいけど……、あいつらの監視網を抜けるのって大変なんだよなぁ……」


 太郎坊が慌て、法起坊が肩を落とす中、大竹丸は一人神妙な顔付きで先程、前鬼が残していった言葉を小さく口の中で反芻するのであった。


「大江山の酒呑童子、じゃと……?」


 その名は大竹丸の心の中にざらりとした不安の種を植え付けるのであった。


 ★


 天高く伸びる大樹の枝葉が大風に吹かれたかのように大きく揺れる。


 だが、その原因は風ではない。


 大樹の木の幹を蹴って、リトル・イエティが三角飛びをしたからだ。そのままリトル・イエティはまるで空手でもやっているかの如く、飛び蹴りを放ってくる。それを横にステップすることで躱した幼女姿の大竹丸は着地と同時に起き上がる前のリトル・イエティの顔面に拳を叩きこむ。リトル・イエティはその一撃で吹き飛ぶが、拳を繰り出した直後の大竹丸に隙が出きたとばかりに、オーガの巨大な手が迫ってくる――だが、その腕は肘に銀線が走ったかと思うと、肘より先が地面に落ちてどうっと重たい音を立てていた。


「……一席、油断大敵ですよ」


 枝切り鋏の一閃で丸太のようなオーガの腕を切断した景は、返す刀とばかりにそのままオーガの首をも刎ねる。血がオーガの首から間欠泉のように噴き上がり、生暖かく、生臭い血が頭から二人を濡らしていく。そんな血をぺっぺっと唾と共に吐き捨てながら、幼女姿の大竹丸はぶるぶると頭を振るって言う。


「油断というか、体のサイズの関係で上手く動けぬのじゃ。まぁ、礼は言うておくぞ」


「はいはい。アミちゃんとクルルちゃんが下がった分、俺たちで何とかしないと――、ですからね」


「老婆の容態が良くなったと報告するのと同時に二人を下がらせるとは、なかなか気遣いの出来る奴じゃ。褒めてつかわす」


 そりゃどうも、と笑みを刻みながら、景は病人めいた顔色のままに皮肉気な笑みへと移行――、


「まぁ、一席に比べれば、大体の人が気遣いの出来る人になると思いますよ」


 ――などと言う。


「呵々! 言いよる!」


 楽しそうな大竹丸は、その言葉に怒りを現すよりも早く、猿のように木々を足場にしながら、リトル・イエティを次々に足蹴にして進んで行く。


 頭部近くを蹴られたリトル・イエティはその体をよろめかせ、そのよろめいた間を駆け抜けるようにして、景が高枝切り鋏を素早く振るうと、即座に細切れ肉が地面にバラバラと転がっていた。以心伝心というわけではないだろうが、言葉とは裏腹にそのコンビネーションは恐ろしい程のキレを持つ二人であった。


 そんな二人の動きを見て、一人離れたところで戦う次郎坊が短く唸る。


「うぅむ、恐ろしい技ですね……。天狗仲間に揮われなかったことを神に祈りたいぐらいですよ……」


 そう言いながらも、オーガと両手を組んで力比べをしていた次郎坊は、そのままオーガを地面に引き倒していた。


 景はそんな次郎坊を見ながら、どっちもどっちじゃないかなぁ、と思いつつも枝切り鋏を振るっていく。


「しかし、数が多いのう……。景よ、また頼む」


「はいはい。人使いが荒いんだから……」


 ぶつくさと文句を言いながらも、景は意識を集中させると「転べッ!」と裂帛の気合を轟かせる。すると、周囲にいたモンスターたちが何かに躓いたように、その場で盛大に転んだ。


 いや、転ばぬ者もいたか。


 だが、何にせよ、現れた隙を見逃すほど大竹丸も甘くはない。短剣サイズので大通連を即座に召喚すると、次々とモンスターたちの脳天をかち割ってゆく。幼女がまるで遊び歩くようにして、モンスターの息の根を止めて歩く姿はある種の悪夢であろう。大人が見たらまず顔を顰める姿だ。


「これ、すんごい疲れるんですけど……」


「慣れれば、その内使いこなせるようになるじゃろ。そのダサい掛け声も出さずにやれるようになるはずじゃ」


「それは、有難いですね。実際ダサいですし……」


 嘆息を吐き出しながら、景は転ばずに体勢を崩したモンスターを中心にバラバラにしていく。


 だが、大竹丸ではないが、モンスターの数が多い。


 まるで、森中のモンスターがこの場に集まってきているかのような多さだ。


「ところで、この状態、いつまで続くんですかね? 俺、もう結構ギリギリなんですけど……」


「それだけ、軽口が叩けるならまだまだやれるじゃろ。喋れなくなってきたぐらいでようやく序の口といったところじゃ」


「どれだけ働かせる気なんだか……――っと?」


 景が何かに気付き、モンスターの集団の後方を確認すると何やら騒ぎのようなものが起きているようだ。何事だと景が目を細めていると、次郎坊がそれに気付いたのか笑みを深める。


「どうやら、援軍のようですね」


「援軍?」


「三郎殿が鏡を全て壊して、こちらに向かってきているのでしょう」


 ならば、今、モンスターの集団は景たちと飯綱三郎率いる天狗の軍団に挟撃されている形になっているということか。機会としては絶好だが、ここで討って出るほどの余力が景たちにはない。むしろ、尻に火が点いたとばかりにモンスターの攻勢が強まるのではないかと景が夢想する中、大竹丸はにやりと笑う。


「ナイスタイミングじゃなぁ、丁度、妾たちにも援軍が来たようじゃ」


「え?」


 景が振り返ると、そこにはいつも見慣れた姿の大竹丸と、辺泥姉妹、そして太郎坊の姿があった。


「一席が二人……。うわぁ、本当に分身しちゃってるよ……」


「その言い方じゃと信じておらんかったようじゃな?」


「いや、言葉で説明してもらうのと、実際に見るのとでは、また違う感想を抱くっていうか……。そんな感じです」


「まぁ、そこを詰める気はないから安心せよ。何、とりあえずこれで戦力は整ったわけじゃ、では一気に殲滅しようかのう」


 かくして、北の大地での殲滅戦が始まる。


 戦力の規模としてはモンスター軍に圧倒的に水をあけられていたものの、戦力の質という意味では圧倒的に大竹丸たちが勝っていたこともあって、三時間もしない内にモンスターたちは完全にその姿を消していた。


 そう、大竹丸たちの勝利である――。

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