第96話 北へ行くよ、らんららん⑩
「ハァ……。なんじゃ、あの程度の低さは……」
「……一席?」
戦場と化したクレーターより少し離れた森の中でアズマを囲んで深刻な表情を見せていたクルルと次郎坊がぱっと振り返る。
だが、そこに現れたのは背丈の小さな女の子であった。ぶかぶかの黒ジャージの袖と裾を折り曲げて身に付けながら、闇夜でも煌めくほどの黒髪と大き目の黒瞳を輝かせている。声自体は多少甲高くはあるものの、クルルたちが知る大竹丸のものであったため大竹丸かと思ったのだが、見たことも無い少女だ。クルルは戸惑ったように尋ねる。
「一席なんです……?」
「そうじゃよ。妾じゃ。分け身の術が分け身の術を使うと、上手く操作が出来ぬようでな。こんな感じに少女時代に戻ってしまうのよ。はぁ、難儀なことじゃ……」
「分け身ということは分身……? ということは、先程から私たちが会っていたのは……?」
「本体でないぞ。というか、東京でお主らとモンスターの残党を狩っていた時点で本体は三重に帰っておるよ」
「そう……」
「安心せい。妾が消える時には、妾の記憶が本体に戻る。じゃから、お主等と戦った記憶や経験、その時の感情も本体は吸収することじゃろう。じゃから、妾が消えても、お主等は誰じゃっけ? とはならぬから安心せい」
「別に……。そんなこと心配してないけど……。とりあえず、分かった」
頷くクルルに良い子じゃと返す大竹丸。
「それで、太郎坊はどうしましたか?」
次郎坊が姿の見えない
「法起坊が来たからのう。そっちで前鬼、後鬼ともう一人の妾とで決戦中といったところじゃ。そこに手を貸してもらっておる。……というか、前鬼、後鬼の怒りようから、さぞ辛い目にあってきたのかと思ったんじゃが、争う理由があまりに稚拙で阿呆らしくなってしもうてな。こちらの様子を見に来たといったところじゃ」
「それは……、すみません」
「まぁ、お主が謝ることでもあるまい」
前鬼、後鬼が言うには、法起坊に対する恨み辛みというのは、仕事の報酬に頂いた餡子餅を何もしていない法起坊が一人占めして食べてしまったことやら、大風が吹いて倒れた建物を顎先ひとつで前鬼に直させたことやら、ちょいちょい後鬼にセクハラ発言をしたりしたことやら、本人同士以外には割とどうでも良いような理由が積もり積もったためであった。
そんな彼らにうんざりした大竹丸は、彼らの争いに程々に加わりながら、分身を生み出し、アズマの様子を見に来たというわけである。というか、あんなくだらない理由で死者が出てしまったら、それこそ寝覚めが悪いといったところか。
「それで、老婆の具合は?」
「傷は塞がりましたが、意識が戻りません。恐らくは血を大量に失ったことで失神しているのではないかと思いますが……」
「ふぅむ。本来であれば、ダンジョン内で
「そもそも、それは難しいですね。先程、こちらに立ち寄った方です法起坊殿の話ではダンジョンは潰したと言っていましたから」
次郎坊の言葉に大竹丸の顔が歪む。
次郎坊の言葉が本当なら、恐らく法起坊が単独でダンジョンに潜り込んで、そのダンジョンを攻略したということなのだろう。そして、その法起坊の邪魔をさせじと殿を務めていたのがアズマであり、今回の前鬼、後鬼の暴威に巻き込まれたというわけだ。
しかし、そうなってくるとダンジョンが消えてしまったこともあり、アズマを救うことが難しくなってくる。ダンジョン産の道具はダンジョンの外で使うことで、その効力を著しく落とすからだ。真の効力を発揮するには、ダンジョン内で使う必要があるだろう。……だが、そのダンジョンはもう無い。
「厳しい、のう……」
「!」
厳しい、の意味を正確に感じ取ったのだろう。クルルが縋り付くような目で大竹丸を見つめてくる。
だが、無い袖は振れぬのが道理というものだ。どうにかしようと思っても、どうにも出来ないということは往々にしてあることなのだ。それを分かっているからこそ、大竹丸も渋面を作っているわけだが……。
「――あ」
だが、偶然とは恐ろしい。
大竹丸はその幸運と自分の先見の明に一人ほくそ笑むと、「あるぞ」とごちていた。
「この老婆を救う方法があるやもしれぬ」
「!」
クルルが驚いたように大竹丸を見つめ、次郎坊が表情の分かり難い顔で大竹丸を見つめる中で、大竹丸は腕を組んで得意げに言う。
「第三席、如月景。彼奴がこの状況を救う鍵――……」
「――え? 俺がどうかしました?」
得意げに言った大竹丸の正面の草葉が揺れたかと思ったら、そこから不安そうな表情を見せるアミと、どこか気怠そうな表情を見せる景が姿を現すのであった。
★
「アミちゃんが嫌な予感がするって言うから、こっちに来てみたら小さくなった一席もいるし……。何がどうなっているんですかね……?」
全身に浴びるように血を被った状態で真っ赤に濡れそぼった景はボロボロになった高枝切り鋏を肩に担ぐようにして、そこに集まった面々を見やる。
一人は景も知る、アミの双子の姉クルルであるのは分かる。
だが、その他の面々に違和感を覚えていた。
公認探索者第一席の面影を残す幼女はいるし、腹部を血に塗れさせた老婆はいるし、そして何よりも景が思い描いていた通りの天狗の姿もある。その状況を見た時、景は「良し」とばかりに高枝切り鋏の刃の切っ先を次郎坊へと向ける。
「良く分からないですけど、多分、コイツがモンスターですよね。斬れば良いんですか?」
「阿呆! そいつは味方じゃ!」
「……というか、そもそも一席っぽい一席は一席なんですか?」
「なんちゅうか、お主、そんなに元気一杯な奴じゃったか? 咳もしておらんようじゃし……」
「俺は何か斬ってると調子が良くなるんです。さっきもちょっと――……」
景が言い終わるよりも早く、その高枝切り鋏の刃の部分を背後に向けて一閃する。それだけで、背後から襲ってきたオーガの巨体が上下に分断されて、大きな音と共に地面へと倒れていた。
「あぁ、すみません。モンスターの群れの中を突っ切ったせいか、何匹か引き連れてきてしまったようです」
そう呑気に言う景の背後には、とてもではないが何匹というレベルではないモンスターの群れの姿が見えていた。そこをまるで散歩でもするかのように歩いてきたというのなら、連れのアミの目が少しだけ死んでいるのも分かろうというものだ。
「三席……」
「はい、何でしょう。クルルさん」
「アミを傷物にしたら、責任取ってもらうから」
「え!? いや、傷とか付いてました? スッパリやっちゃってました?」
「…………。一席、何か三席が怖い……」
「仕方ないじゃろ。コヤツは普通の人間ではないからのう」
「人を
その景の言葉を聞いて、大竹丸は驚いたように目を丸くする。
だが、周囲の状況はそんな悠長なものではないようであった。
オーガが怒声を上げ、リトル・イエティが甲高い声を上げて仲間を呼び寄せている。大竹丸たちが喋っている間にも、その数は徐々に増していっているようであった。どうやら、普通にやっては勝てぬと悟って数で押すつもりのようだ。
大竹丸も片手に大通連を呼び出すが、そのサイズはナイフ程のサイズでしかなかった。どうやら、この姿では大通連をまともに生み出す力もないようだ。間合いが狂うとばかりに、大竹丸は小さな大通連を消去する。
「何じゃ、気付いておらんのか、お主」
「何がです……? コホコホ……」
「お主、妖怪の先祖返りじゃぞ」
「妖怪……。はぁ……。――ハァッ!? ゲホゴホゴホゴホゴホッ!?」
「妖怪の……」
「……先祖返り?」
景が噎せ、クルルが胡散臭そうな表情を見せ、アミが心配するような視線を見せる中、次郎坊はなるほどとばかりに頷く。
「あの巨体の鬼もどきを一撃で、しかも片手で斬り伏せる時点で人知を超えているとは思っていましたが……なるほど」
「いやいや、意味分からないですよ……。俺が妖怪の先祖帰りって……。俺は人間ですよ……ケホケホ……」
「お主の先祖に妖怪と心を通じ合わせた者がおったのじゃろう。もしくは魅入られたか……。何にせよ、その妖怪の力が何の因果か、お主の中で蘇った。紛れもない先祖返りじゃよ。安心せい、体の構造は人間と何も変わらぬ。ただ、妖怪の力を宿しているというだけでのう」
まるで不気味なものでも見るように、景は自分の体を見下ろし、そして戸惑ったような視線を大竹丸に送る。
「俺は……どうしたら良いんですか……? コホッ……」
「別段、今までと変わらぬよ」
「そうじゃなくて! 俺、この力のせいで迷惑してるんです! 刃物を持つと何でもスパスパ切れちゃうし! そのせいで子供の頃から危ない奴扱いされてるし! 俺は……! 俺はこんな力欲しくて、得たわけじゃないッ! むしろ、こんな力なんか……! ――ゲホゲホッ!」
激しく咳き込む景。どうやら興奮し過ぎたようだ。
血を吐く勢いで咳き込む景の様子に大竹丸は眉を顰める。
景の体調が悪いのは先祖返りのせいだ。妖怪としての性質と、人間の体が反発し合っているのである。だから、妖怪としての性質を……欲求を解消している間だけ、頗る体調が良くなるのである。
「大丈夫か、景よ? ……まぁ、お主としてはそうかもしれぬが、お主の力を必要とする人間もおるということを忘れぬことだ」
「え……」
大竹丸がクルルとアミに、そしてアズマへと次々に視線を送る。
その視線の先を追う景は、どういうことかとばかりに最後に大竹丸に視線を向けていた。
「景よ、お主の先祖の妖怪の名は――……」
★
――オーガたちが雄叫びを上げて襲い掛かってくる。
それに呼応し、素早く一歩を踏み込んだのは次郎坊だ。
「噴ッ!」
青筋の浮かんだ太い腕が、まるで重機のような威力で以てオーガの腹を抉る。オーガの巨体が思わず浮き上がるが、それでもオーガは高い生命力を活かして、次郎坊の体を巨大な腕で抱きかかえようとする。
だが、そこは次郎坊の方が
「――破ァッ!」
次郎坊が拳に神通力を込めると、拳に触れていたオーガの腹がぼんっと臓腑を撒き散らして微塵と散る。太郎坊も使っていた技ではあるが、相も変わらずエグイ技である……そんな感想を抱きながら、大竹丸も次郎坊を追い越して前に出る。
「お主等ァ! こ奴らを通すなよ! 死ぬ気で守るんじゃあ!」
やかましいとばかりに振るわれるオーガの拳をヘッドスリップで躱しながら、オーガの腕が伸びきった瞬間に、素早くそのオーガの腕を両腕で取る大竹丸。
拳というものは一度繰り出されたら必ず戻す必要があり、その射出と戻しの間には確実にスピードがゼロになる瞬間があるのだ。
そこを確実に見切り、腕を取った大竹丸は体全体を使ってオーガをジャイアントスイングの要領でぶん投げる。しかも、投げっぱなしにして、大勢のオーガを巻き込むのも忘れないおまけ付きである。
「ふん、ダンジョン産のせいか、個体差が全くないのう! スピードも力も
「「準備できた!」」
「次郎坊!」
「あぁ!」
クルルとアミの掛け声に合わせて、慌てて飛び退く大竹丸と次郎坊。
そして、そんな二人が開けた射線を拳大の鋭い弾丸のような石の礫が無数に飛んでいく。
「「
その様はまさに石の弾丸で出来たマシンガンだ。
しかも、風の力を使って、石の弾丸の軌道を変えているのか、近くの木々を傷付けることなく飛来しては、モンスターだけを狙って被弾させていく。オーガの頭が弾け飛んで脳漿が噴き出し、リトル・イエティの顔面が陥没して動かなくなる。その威力は凄まじいの一言だ。
だが、そんな大技を放った二人の消耗具合も尋常ではない。
クルルも、アミも、たった一度の大技を放っただけだというのに、額に大粒の汗を浮かばせる。それもそのはず、彼女たちが守る背後には一歩も行かせないという精神的な負担が彼女たちに圧し掛かっていたからだ。
その背後では、未だに意識の戻らないアズマを前にして真剣な表情を見せる景の姿があった。
(まさか、俺が妖怪の先祖返りだったなんて……。でも、生物学上の分類はホモサピエンスってことで良いんだよな……?)
期せずして自分の正体を知り、自分の力の正体を知った。
だが、今の景にとっては戸惑うばかりの話であった。
そんな中、大役を押し付けられてしまったことに景は驚いたが、それはそれとばかりに意識を集中していく。
目の前の老婆。その老婆のみに意識を集中していく。すると、老婆の体に赤い稲妻のようなものが幾つも走るのが見えた。
この線が走っている部分を斬るとスパリと面白いように物が切れるのである。
幼少期はそれが面白くてそればかりやっていたせいか、揺れ動く稲妻に合わせて斬ることなど、景にとっては朝飯前とも言える動作になってしまった。
(集中しよう。もっと深く、もっと奥に……)
稲妻の奥底。
その激しく光る赤い光の合間に小さな緑色の点がちかちかと瞬いているのが見える。最初はその光点は気のせいだと思っていた。特に赤い稲妻が目立つせいか、その緑色の光点は、目の疲労のせいだと自分自身で納得させていたものだ。自分の勘違いだという思いが強くなればなるほど、光点は見えなくなっていき、そして、いつの間にか景の目には緑色の光点は見えなくなっていたのである。
だが、実際は見えなくなっていたのではない。見ようとしていなかっただけなのだ。
無意識の内に情報を遮断し、自分の見たい情報だけを見るようにしていたのであろう。ただでさえ、何でも斬れるという化け物染みた力があるのだ。これ以上の無用な長物は必要ないという思いが働き、景自身が自分の力に蓋をしたのだろう。
だが、それを使う段となって、意識して見てみれば、確かに緑色の光点が輝いているのが見えた。これは、やはり目の錯覚などではないということか。
(ふぅ、緊張するな……。けど、俺がやらないと……)
今も、景の邪魔はさせじと仲間が頑張ってくれている最中なのだ。
そんな仲間の期待は重くもあったが、幼少期の頃より、他人に畏れられてばかりいた景にとっては心地良いものでもあった。
だからこそ、その期待に応えたいと考える。
(赤い稲妻が邪魔をして、緑色の光点が見えにくい……。やり辛いな。だけど、やれないわけじゃない……)
深く呼吸を繰り返しながらタイミングを読む。
何度も何度も繰り返し、没頭するように光点の光る瞬間を……タイミングを……覚える。そして、全ての存在を忘れ、景の指先と光点のみが視界に映る中でゆっくりと呼吸を合わせていく。
その時、景の中で何かが見えた。
やれる、と確信したと言っても良いかもしれない。
赤い稲妻の線はもう見えない。見えるのは緑色の光点だけだ。それを躊躇いなく正確に突いていく。それはツボ押しにも似た作業であった。それと同時に、気を失っていたアズマの顔が苦痛に歪み、苦鳴が漏れる。
(俺の持つ力の特性は、斬ることだけじゃない……)
大竹丸は言った。
お主の先祖の妖怪の名は――鎌鼬なのだと。
ならば、景の特性は斬ることだけに特化しているわけではない。ただ、知らなかったから、それだけを磨き上げてしまったというだけで、やろうと思えば出来るはずなのだ。相手を転ばせることも、そして――……。
(治すこともできるはずなんだ)
アズマの喉から声ならぬ絶叫が響き渡るが、景はやったという手応えがあった。直後、ツボを刺激されたおかげだろうか、アズマの顔色に血の気が戻っていく。そんな老婆の様子を見やりながら、景ははぁと深いため息を吐いていた。
「はは、馬鹿だなぁ、俺……。こんな力があるってことを知っていたら、もっとマシな人生をおくれただろうに……。何を斬ることに固執しているんだよ。あぁ、本当に間抜けだ……」
夜空を見上げ、虚無しかなかった幼少期を思い出す景だが、そうして身に付けた力が今こうして大竹丸たちとの繋がりを作っていることを思い返して苦笑いを浮かべる。人間万事塞翁が馬、ということだろうか。
「悪くないのか、この人生も……。いや……」
戦う仲間の後ろ姿を見つめながら、景はゆっくりと傍らに置いていた高枝切り鋏を手元に寄せる。
「……良くしていくんだ、これから。最後には悪くなかったって思えるように」
そして、景は戦う仲間たちの元へとゆっくりと歩み寄るのであった。
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