第95話 北へ行くよ、らんららん⑨
「おう、鬼の! 前鬼殿の方は頂くぜぇ! かーっはっはっは!」
「ふむ。では、こちらは女同士で
太郎坊が地面すれすれを飛んで、一気に前鬼との間合いを詰めていく後塵を拝しながら、大竹丸もまた地を蹴って一気に後鬼との間合いを詰めていく。前鬼が暴れた為に地面は掘り起こされ、木々は木っ端微塵に吹き飛んでおり、大竹丸たちの侵攻を阻む障害物は現状無いに等しい。
「ふっ、日本三大妖怪と煽てられ、舞い上がって奢った愚か者と、法起坊の腰巾着か」
「真の強者とは潜み、隠れ、在野に在ることを知りなさい」
前鬼が斧を中空に放り投げると、その数が二つ三つと増えていく。まるでジャグリングをするかのように斧を十以上に増やしながら、前鬼はその斧を次々と投擲する。斧は鋭い回転が掛けられ、宙を舞い、そのひとつひとつが小型の竜巻を起こしながら、太郎坊へと迫る。
「しゃらくさい!」
太郎坊が腰の後ろからヤツデの葉を取り出すと、それを横薙ぎに払った。すると、斧が生み出すよりも大規模な竜巻が発生し、小型の竜巻を次々と打ち砕いていくではないか。
「もう
更にヤツデの葉を振るう太郎坊。
すると、辺りには強風が吹き荒れ、立つことすらもままならぬ状態となる。その中を風を切り裂いて飛ぶ飛燕のようになりながら、太郎坊が前鬼へと肉薄しようとする。
だが、そんな太郎坊の背中の翼が次の瞬間にはズタズタに引き裂かれ、太郎坊はバランスを崩して地面へと激突していた。
「ぐぉっ!? なんじゃあ!?」
首を回して血が出る翼の様子を確認する太郎坊。それはまるで鋭い刃物で連続で切り裂かれたかのように痛々しい傷跡を見せていた。その傷痕をよくよく見れば、その翼の傷に細かな氷の粒が付着しているではないか。
「ふふふ、前鬼を傷付けることは許しませんよ?」
見やれば、後鬼が小瓶の中から次々と鋭い氷の刃を放っていた。どうやらそれが強風に紛れ、太郎坊の翼をズタズタに切り裂いたらしい。
その空気を読まぬ行動に、太郎坊は赤ら顔を更に赤くして憤慨する。
「お主の相手は
「私たちは別に個々で戦うとは言っておりませんので」
「そういうことさ」
両手に斧を持ち、地面に斧の刃を突き刺しながら、立つのも困難な強風の中を前鬼が迫ってくる。膂力に任せた大地を割りながらの移動はまさにマウンテンゴリラのような印象を持たせる。力も強いが、それ以上に斧を地面に突き刺しながら進んでくるスタイルが腕の長いマウンテンゴリラにそっくりなのである。
一見、笑ってしまうような移動方法であるが、罅割れ、破壊される大地を見やる太郎坊の表情は強張っていた。あの大地を割るような膂力が自分に襲い掛かるのだと考えれば、笑っていられる場合ではないのだろう。
「ぐぬぬ! 鬼のっ! なんとか出来んのかッ!」
「なら、大風を止めぬか! 味方まで巻き込む阿呆がどこにおる!」
「此処じゃあ! むしろ、儂じゃあ!」
「一遍、往生しさらせ! 阿呆天狗!」
大地に刀を突き刺し、強風に飛ばされないように堪えていた大竹丸が叫ぶと同時にピタリと風が止む。それと同時に動いたのは大竹丸ではなく――。
「相手が阿呆だとここまで楽か」
一息で間合いを詰めた前鬼の方であった。
太郎坊が呆然と前鬼を見上げる中で、前鬼は高々と振り上げていた巨大な斧を無慈悲に振り下ろす。
次の瞬間、ぎぃんっと太郎坊の目の前で黄色い火花が散る。
「仲間が阿呆じゃとなかなか難儀じゃのう!」
「ちぃ! こいつは……!」
斧を受けた大竹丸の足元が沈み込み、斧がそのまま大竹丸を圧殺せんとばかりに圧力を増していく。大竹丸も力には自信のある方ではあるが、この
「その程度の技術で――」
「――良くも私たちの前で名乗れたものね」
流された斧の刃は大地に突き刺さることなく、まるで軽い枝切れのように翻る。あまつさえ、前鬼の反対側の手にはもう一本の斧が現出しており、大竹丸の隙を窺っていた。
大竹丸がその間合いを嫌がって飛び退ろうものなら、今度はその背を刺し貫こうと弧を描いた水の槍が上空で待機している。
前鬼と後鬼の阿吽の呼吸による
退くも地獄、進むも地獄のこの状況――並の者であれば、進退窮まったに違いない。
だが、大竹丸に理詰めは通じない。
――何故なら、彼女には空間を渡る術があるのだから。
「おいおい、言うたじゃろ? 妾は女同士で
大竹丸の姿が朧と霞んだ次の瞬間には大竹丸の背を無数の水の槍が貫き、前鬼の大斧が大竹丸の姿を一瞬で十文字に切り裂いていた。普通なら血と臓腑をぶちまけて、その場に死体となって倒れるのだろうが、大竹丸の姿は刹那で陽炎のように揺らめくとその姿を消し、次の瞬間には後鬼の眼前にぬるりと実体化する。
「この者、空間を渡ります。前鬼、気を付けて」
「伊達に日本三大妖怪を語っていないか。厄介な……」
「語った覚えは無いんじゃが、言われるにはそれなりの理由があるということじゃ。さて、ではやろうかのう」
「悪いけど、お断りよ」
後鬼が小瓶の縁を撫でると、針のような氷の礫がまるで
「ちぃっ、鬼のと競い合っている内に、鬼のの動向を見る癖が付いちまったぜぇ! かーっはっはっは!」
「即席の連携にしては上等じゃ!」
大竹丸が右手に
恐らく、後鬼を救おうと動いたのだと認識するよりも早く、大竹丸はその刃を後鬼の脳天――……ではなく、背後へと振り下ろす。
ずぶり、と肉を斬る感触があった。
そこには、大竹丸が振った刀に自ら当たりにいく格好となった前鬼が、信じられない者を見るような目があった。
前鬼の右肩に深々と食い込んだ大竹丸の大通連はその肉をまるでふわふわのパンを縦に割くかのような容易さで、あっさりと斬り進んでいく。
「前鬼!」
無数の水槍が大竹丸の残像を貫くのと、前鬼の右腕が落ちるのはほぼ同時であった。
空間を渡った大竹丸が距離を離すのと同時に、地に落ちた右腕を前鬼が蹴り上げて宙に浮かせる。
「大丈夫だ」
前鬼は後鬼にそう言って微笑みを見せると、生々しい切断面を見せる血塗れた右腕を左手で掴んで、肩の傷口部分へと無理矢理に捻じ込む。それだけで、前鬼の右腕は接着したように見えたが――。
「どう、前鬼?」
「駄目だ、動かない。完全に戻るまでには一週間ぐらいは必要かもしれない……」
「あの女……!」
「そんな泥棒猫を見るような目で見られてものう?」
戦場では常に全方位に気を張っているのが当たり前だ。目の前を攻撃すると見せかけて相手を誘い込んで背後を攻撃することは、上手くはあれど批判される謂れなどはないと大竹丸は考える。
むしろ、恐るべきは大竹丸の視野の広さであろう。彼女は自分自身の分身同士で殺し合いを行うことにより、殺し合いの場での視野が極端に広がっていた。それが、
そして、そんな大竹丸の振る舞いを見て、此処にも一人、何かに気付く男がいる。
「今の妙手を見て思い出したぞ! お主、昔、愛宕山にやってきて天狗の秘奥を盗んだ野盗じゃろう! あの時、儂らの仲間を人質に取った時の動き、まんまではないか!」
「呵々ッ! 気付くのが遅いぞ、天狗の!」
「天狗の秘奥を盗んでおきながら、天狗にならずに鬼に堕ちるとは呆れたもんじゃ……」
「法起坊に負けたことが悔し過ぎてのう! 強さを求めるという欲が捨てきれなんだわ! お陰で鬼となったが――この通り、強くはなったのう!」
太郎坊が渋い顔をする中で、大竹丸は楽しそうに笑う。
だが、そんな大竹丸の言葉を聞いて表情を変えたのは、前鬼と後鬼だ。彼らはどこか探るような表情で大竹丸に声を掛ける。
「法起坊に敗れた……? ならば、君は方です起坊に恨みを持つ者か……?」
「恨み? 恨みのう……?」
頤に手を当てて、大竹丸は「うーむ」と考え込む。
遠い昔の話故にそこまで遺恨があるかというと、実はそうでもない。
むしろ、大竹丸は法起坊に対する恨みで、鬼となれたことに感謝をしているぐらいなのである。
恨んでいるとすれば、大竹丸が悪鬼であった時代に大竹丸を討った
そして、散々悩んだ挙げ句に大竹丸は結論を下す。
「妾は別に誰も恨んではおらぬ。ただ、どんな勝負事にも絶対に勝ちたい! そういう
「修羅の類ですか。厄介な……」
「前鬼……」
「分かっているさ、後鬼……」
見つめ合って二人の世界に入る前鬼と後鬼。
その二人を前にして正直やり辛いとばかりに大竹丸が頭を掻く。
「そういうお主等は
大竹丸は前鬼と後鬼の二人に昔一度会っている。その時は法起坊の命令を聞いて唯々諾々と従い、大竹丸の動きを二人掛かりで止めていたイメージであったが、その関係性が二人にとっては我慢が出来なかったのであろうか?
大竹丸の素朴な疑問に昔を思い出したか、夫婦鬼の二人はどこか懐かしそうに語る。
「私たちもあの方に仕える前までは何の疑問も感じてはいなかったさ」
「ですが、あの方の言を聞いてよくよく考えてみれば、確かに法起坊との関係がおかしいことに気が付いたのです。一方的に縛られて、相手の言う事を何でも聞かなくてはならないというのは、その関係性自体が歪んでいるでしょう?」
「それはそうかもしれぬが……。あの方?」
大竹丸がそれが何者なのかを尋ねると、前鬼と後鬼は互いに微苦笑を浮かべるのみで答えない。答える気がないのか、答えられないのかは分からないが、大竹丸に教える気は無いようだ。
「儂らを攻め立てた鬼の者のことよ」
だが、答えは太郎坊が知っていた。
大竹丸は「ほう」と唸り、太郎坊に視線を向ける。
「あの鬼は法起坊殿に決闘を挑み、その巧みな戦闘技術で法起坊殿を翻弄し、法起坊殿から使役の鬼を解放して奪い去ったのじゃ!」
(奪い去ったというと……もしかして百鬼夜行帳にあの二人を封じたか?)
大竹丸はなるほど、と内心で思う。
相手が古の鬼を得て、彼らを手駒にして何を考えているのかは分からないが、全国各地にいる天狗に喧嘩を売るというのは、相応の自信と覚悟が無ければ出来ないことだ。大竹丸は、あの方と呼ばれる鬼に対しての警戒度を数段階上げる事を心に刻む。
「そして、今度はあの方の操り人形というわけかのう? それでは、いつまで経っても自由にはなれぬと思うのじゃが?」
「それでも、法起坊の下にいた時よりはマシだ!」
「そうよ! 命令だけして高見の見物をして、成功すれば自分の手柄! 失敗すれば私たちのせい! って最悪の使役者じゃない!」
「ブラック企業の上司批判を聞いているようじゃ……」
頭の痛い思いを抱えながら、大竹丸はちらりとクレーターの縁に映る影に視線を向ける。
先程からチラチラと視線を感じてはいたのだが、どうやら気のせいではなかったようだ。
最初はあの方とやらの密偵か何かかと思ったが、前鬼後鬼が不満を言い始めてから人影が萎縮するのに気が付いて、大竹丸はようやくそれが誰であるのかに気付く。
……なので、言いたいことがあるのであれば直接言わせてやろうかと、大竹丸はその人影に向かって声を掛けていた。
「おーい、そこの。散々な言われようじゃが、何か申し開きはあるかのう? のう、法起坊よ?」
その言葉を聞いて、前鬼と後鬼の目の色が変わる。
大竹丸が、「あ、これはマズイ奴だ」と内心で反省する中、クレーターの縁に現れたのは銀髪に眼鏡を掛けた、細い目をした狐顔の青年であった。男は大竹丸が知る当時とは違って眼鏡と洋服姿であったが間違いない。法起坊その人であった。
「いやぁ、美しいお嬢さん。僕を呼び出したからには僕も語るけど……身の安全は保証してくれるかなぁ?」
「それぐらい、自分で何とかせぇ……と言いたいところじゃが、まぁえぇじゃろ……」
法起坊の声を聞くなり、前鬼と後鬼の二人が走り出す。その目は血走っており、その表情はまさに鬼と言うに相応しい、怒りの表情だ。その進行方向の先に転移した大竹丸は二人を待ち構えるべく、大通連と小通連の二刀を構える。
ここに命懸けの
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