第94話 北へ行くよ、らんららん⑧

 大量の土砂が巻き上げられ、まるで大蛇のように太い木の根が地中から飛び出してくる。その根は大地に上がり、巨大な樹木の足となって動き始める。硬い樹皮に包まれた幹ごと体当たりしてくる樹木の姿はまるで巨人が迫ってくるかのようだ。


「水槍よ、貫け!」


 後鬼がそう叫んで、自身の持つ小瓶の縁をきゅっと撫でると、その音に応じるようにして幾筋もの水の触手群が生まれ出る。それらが木の巨人の間を縫って、アズマの元に殺到するが、そうはさせじと巨木の枝葉が水槍の行く手を遮って、水槍はその巨木の枝葉を四散すると同時に散った。


「前鬼、これはちょっと私には相性が悪そうよ」


「なら、私に任せてもらいましょう。そもそも古来より斧は――」


 前鬼が自身の肩に担ぐ斧に力を込めると、斧の大きさがそれに比例するかのように巨大になっていく。それを見たアズマの表情が僅かばかり歪む。


「――樹木を伐採する為に使われてきたものだ!」


 前鬼がそう言って、まるでハンマー投げのように豪快なフォームで斧を放り投げると、その巨大な斧は空中で分裂し、周囲一帯の巨木を回転しながら斬り倒していく。メキメキ、バキバキと木々が砕ける音が響き、斧は戦闘機による絨毯爆撃のように周囲を更地へと変えていこうとする。


 このままではアズマが操る植物がひとつも残らないであろう事態に、アズマも黙って見ているばかりではない。


風の神レラ・カムイぇ!」


 途端、アズマの力ある言葉に応えて、強風が吹き抜け、飛んでいた斧が無理矢理地面に叩き落される。


 ずしんっと重々しい音を響かせて地面に突き刺さるの斧が。自身の神通力が無理矢理止められたせいか、前鬼はぴくりと眉を動かして不快感を示す。


 だが、その一連の攻防で場所が開けたのも事実だ。


「前鬼、ここは任せて」


 そう言って後鬼が小さな瓶から噴出するのは水による巨大な鞭だ。それが、アズマに向かって一直線に迫り来る。だが、アズマは片目を大きく見開くと、むんっと気合を入れる。


霧の神ペヘ・カムイぇ!」


 次の瞬間、巨大な水の鞭がアズマを激しく打つが――、


「手応えがない……?」


 直後、アズマの姿がまるで幻のように掻き消え、辺り一帯に濃い霧が漂い始める。そこで、鬼二体は初めてアズマが何の術を使ったのか勘付く。そう、彼らはアイヌ語に対する知識がないので、言葉だけではどのような技を使われたのかさっぱり分からないのである。


「どうやら、身隠しの幻術のようですね」


「どうします、前鬼?」


「決まっています。彼女たち、アイヌの民は自然が大好きなようですからね……」


 前鬼が正面に手を翳すと、ひゅんひゅんという鋭い音が響いて、彼の手の中に投擲したはずの斧が戻ってくる。それをがしっと握り、前鬼はにこやかな表情を浮かべると冷淡に言い放つ。


「ぶっ壊しちゃいましょう。この辺の大地が千年は元に戻らないぐらいに」


「暴れるのですね。……それこそが鬼の本分。良いですね」


 ニコリと屈託のない笑みを見せる後鬼に向かって頷き、前鬼は自身の持つ斧を神通力によって巨大化すると、その斧を思い切り上段に振りかぶって大地に叩き付ける。


 瞬間、広がるのは大地を割るかのようにひた走る蜘蛛の巣状の皹。


そして、次の瞬間には大地が爆ぜ割れるかのような巨大なエネルギーの奔流が大地を粉々に打ち砕き、辺り一帯を大穴に変えるかのように噴き上がる。木々は根こそぎ宙を舞い、大地は土砂となって黒い雨を降らせ、それを防ぐかのように後鬼が水による障壁を張って、その力の奔流の収まりを待つ。


 その凶行が収まった後には、前鬼を中心に巨大なカルデラにも似た椀型の大穴がその場に開き、神の子池の水が流入しているのか、ちろちろと細い水の線がその大穴目掛けて流れ込んでいるのが見えた。一連の爆発により、辺りに漂っていた霧は霧散し、視界は既に開けている。周囲一帯――恐らくは五十メートル四方だろうか――を吹き飛ばした前鬼は止まることなく、その斧を横手に振るう。


「ふんっ!」


 その斧の軌道に沿って台風のような凶悪な風が一方向に収束して放たれ、大地をめくり上げ、樹木の群れを次々と巻き上げていく。気付いた時には神の子池近くの大地には痛々しい一直線の爪痕が刻まれていた。そして、前鬼の凶行はそれだけに止まらない。もう一度、斧を振り上げると――、


「――やめぇ!」


「ようやく、出てきましたか。死にぞこない」


 大穴の縁に足を掛け、アズマが鋭い視線で睨んでいるのを見て、前鬼は大魚が釣れたとばかりにほくそ笑む。


「お主らの考えなしの行動には神様カムイも呆れておるわ! それ以上の狼藉を働けば、バチが当たるでよぉ!」


「罰? 罰というのは――」


 アズマが斧を構えたまま、一足飛びで跳ぶ。


「こういうものですか?」


 凡そ、人間の目に追えぬ速度で跳んだ前鬼は刹那でアズマとの距離をゼロとすると、驚くアズマのその胴を――一撃で泣き別れにしたのであった。


 ★


 回って飛ぶ上半身と、大地にくず折れる下半身。それを回転する視界で捉えながら、アズマは自分が死んだラヤムペしたのだと知る。口腔から熱い血潮がせり上がって喉を焼き、叫ぼうにも叫べない。苦しい状況ではあるが、アズマはその状況を受け入れていた。


「おや? 死んで鬼となって、私たちに再度挑んでくると思っていたのですが」


 舐めるなよ、とアズマは思う。


 ここで死ぬのはカムイの意志であって、お前たちにやられたからではないとアズマは考える。


 恐らくは、この自分の死にも何らかの意味があり、そしてそれが次の世代や次の次の世代に何かしらの変化や意味を齎すものとして、アズマは疑っていないのだ。だから、彼女は生き汚くない。それが、天の命運であると受け入れているからであろう。


「ふむ、つまらない」


 斧の刃に着いた血を斧を振ることによって乱暴に落とした前鬼は、どしゃりと落ちたアズマの上半身を片手で軽々と持ち上げると、その光の消え失せようとしている双眸を強く睨み付けていた。


「私たちも使役者に良いように操られていたクチですが、貴女もそれと同じだ。神だ、なんだと、都合の良い存在に縋って、頼って生きていく、そこには一切の自由意思がない。そんな人生の何が楽しいんです? 何の意味があるんです? 私は許さない……。私と後鬼を使役し、好き勝手に命令してふんぞり返っていた法起坊を……。アイツを殺さない限り、この屈辱に満ちた気持ちは終わらないんですよ……!」


「…………」


 だが、アズマは何も言わないし、語らない。


 最早、生命の限界なのだろうと、前鬼は詰まらなさそうにアズマの上半身を地面へと投げ捨てようとする。だが――、


「御高説、どうもじゃ。じゃが、いかんのう。ご老体をこんな風に扱うというのは……前の主人に教えてもらわなんだか?」


 その上半身が地面に落ちる事はなかった。


 その上半身を労わるように優しく受け止めたのは、長い黒髪に鈍色の鉄仮面を付けた黒ジャージ姿の少女。その少女がちらりと顔を向ける方向に、前鬼が意識を逸らすとそこには赤ら顔の鼻鷹天狗が二体と顔を強張らせて今にも泣き出しそうな表情の少女が一人、上空からアズマの下半身に向けて降りてくるではないか。


「アズマ婆!」


 悲痛な叫びを出す少女が泣き別れた老婆の下半身を抱きしめるのを見て、鉄仮面の少女は上半身を抱いたままに下半身の元へと向かう。


「何のつもりだ? その婆は死んだぞ?」


「さて、どうじゃろな?」


 含むように言う鉄仮面の少女は老婆を抱く少女にその上半身を渡すと、小さなカードを操作し、そこから小さな小瓶を取り出す。小瓶の中身は赤い液体でなみなみと満たさており、そこから底知れぬ力を感じて前鬼はホゥと呟いていた。


「秘薬の類か」


「まぁ、そんなもんじゃ。クルルよ、霊薬エリクサーじゃ。ダンジョン外であるから、そこまでの即効性は無いかもしれぬが掛けておけ。少しは生き延びられるじゃろ」


「分かった……!」


 目に涙を溜めた少女が鉄仮面少女から受け取った赤い薬を掛けると、上下に分断された老婆の体がゆっくりとだがくっ付いていく。


 だが、それだけだ。


 老婆の意識は戻らない。


「アズマ婆……! アズマ婆……! しっかりして! 死んじゃ嫌だ! アズマ婆……!」


「……次郎坊よ、クルルを頼むぞ」


「分かった」


 太い腕をした赤ら顔の天狗が軽く頷きを返すと、クルルと呼ばれた少女と老婆を伴って退いていく。そして、後に残ったのは鉄仮面少女と偉そうに腕を組んで踏ん反り返る高鼻の天狗だけであった。


「太郎坊よ」


「何じゃい。儂は次郎坊とは違って小娘の同情なんぞで動かんぞ」


「そんなケチなことは言わぬよ」


 鉄仮面の少女は軽く肩を竦めると、射抜くような視線で前鬼たちを見据える。


 その視線に思わず総毛立ったのは前鬼だけでは無さそうだ。後鬼が思わず身構えるのを前鬼は感じる。


「最終勝負じゃ。どちらが早く相手を倒せるかで競おうではないか」


「そりゃあえぇのう! 勝った方が最終的な勝ちでえぇかのう?」


「えぇじゃろ。ま、妾が負ける余地はないしのう」


「いいおるわ! かっはーははは!」


 腕まくりをする高鼻天狗と余裕の態度を崩さない鉄仮面ジャージ少女を前にして、前鬼は鼻白むどころか不敵な笑みを浮かべて対抗する。


 見てはいないが、後方に控える後鬼も似たような表情を浮かべていることだろう。


「分かっていないようだから、言っておこう。私たちは前鬼と後鬼。法起坊の時代より生きてきた古の大鬼である。言わば、現存する鬼の太祖! その私たちに矛を向けるだけでなく、勝つ気でいるとはおめでたい頭を通り越して……無謀に過ぎる! 君たちには少々灸を据えねばなるまい!」


「鬼の太祖、のう……」


 こめかみを人差し指でぽりぽりと掻きながら、鉄仮面少女は心底困った声音で呟く。


「言うて、ずっと法起坊に付き従っておっただけじゃろ? 飼い慣らされた牧羊が、妾に剥ける牙があるなら向けてみて欲しいものじゃ」


 その言葉に前鬼の表情が怒りに満たされる――……ことはなかった。相も変わらずの余裕の表情だ。だが、忠告だけは行う。


「小娘、言葉には気を付けることだ。早死にするぞ?」


 笑みを崩すことなく、前鬼はそう伝える。


 自分の実力を微塵も疑っていないのだろう。その態度からは自信が溢れ出ている。


 そして、鉄仮面少女はここに来て重大なことに気が付いた。


「なんかのう。色々と舐められるのう、と思っておったのじゃが、そうかそうか。妾が何者かをこちらに来て、誰にも伝えておらんかったわい」


 そう言って、鉄仮面少女は自身が身に付けていた鈍色の鉄仮面を脱ぎ捨てる。そこから現れたのは、誰しもが息を飲む程の絶世の美少女の顔だ。そして、その少女は美しい顔に満面の笑みを浮かべると、途端に凶悪な表情を貼りつけて嗤う。


「時の朝廷さえ畏れさせた鈴鹿山に潜む悪鬼が一人、鈴鹿山の大竹丸とは妾のことじゃ。……牧羊ごときが大層な口を利くでないわッ!」


 叫び声が夜気を震わせて、北海道の大地を駆け抜ける。


 前鬼と後鬼の二人はその言葉に全身がビリビリと震えるのを感じ取っていたが、相手に不足無しとばかりにニヤリと笑みを深めるのであった。

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