第93話 北へ行くよ、らんららん⑦
「ちょっと待って。頭が混乱してきた。だから最初から話を纏める……」
「構いませんよ」
夜風がクルルの頬を優しく撫でる中、クルルは真っ暗な北海道の大地を背景に空を飛んでいた。
足元にあるのは大人三人が寝転んでも余裕がありそうな巨大なヤツデの葉。それが、天狗の起こした
そもそもどうしてこんな事になっているのか。
それを理解するために、クルルは先程聞かされた天狗……天狗は次郎坊と名乗った……からの言葉を整理していく。
「まず、次郎坊さんたちは元々本州に住んでいた」
「そうです」
「そこで、年に一度の大天狗会議を開いていたところを鬼に攻め込まれた」
「そうです。鬼の奴らが卑怯にも年に一度の大天狗会議の時を狙って攻めてきたんです。昔に比べ、我らの力が弱まっていたこともあり、抵抗したのですが敗れました……。その際に、法起坊殿の使役する二匹の鬼が奪われたのが痛い……。あの鬼たちがいれば、鬼共に逆襲することも出来たのですが……」
「そして、鬼に追われて本州から逃げて、北海道まで逃げてきた」
「はい。そこで貴女たちアイヌの民と出会いました。貴女方の長であるアズマ殿は北の大地は誰のものでもない。
「私たちが東京に呼ばれている間にそんなことが」
「我々はそんなアイヌの民の姿勢に甚く感激し、我々で出来ることであればと協力を申し出たのですが、アイヌの民は自然に生き、自然に暮らすと言われ、特別なことは何も必要ないと言われたのですが……」
「何故か、北海道でモンスターがウロウロし始めた?」
「もんすたぁというのが、我々には良くは分かりません。ですが、アズマ殿が言うには神の意志に反する者だそうで。そやつらが何処からともなく来ては暴れ回るので、我々とアイヌの民で協力して掃討に当たっていたところです」
「つまり、天狗は味方」
「はい。アイヌの民にとっては味方です」
「分からないのは、鬼……?」
ふぅむと考え込む素振りを見せるクルルではあるが、本当に素振りだけである。彼女はそんなに頭の良いタイプではない。まだアミの方が考える事は得意なはずだ。そんな彼女が此処にいないことが悔やまれる。
「はい。最初は鬼などは存在しなかったのですが、急に現れたかと思うと、あれよあれよと増えていき、対応に苦慮しております」
「誰かが意図的に増やしている?」
「鬼は尋常ならざる人間が往生を蹴って今世にしがみついた欲深き者の総称。そう簡単に増えるような存在ではないと思いますが……」
「私はあまり考える事が得意じゃない」
「それは失礼。では、私の知る知恵者に知恵を借りに行きましょうか」
「知恵者?」
「飯綱三郎。軍神、戦勝の神とも知られる烏天狗ですよ」
★
果たして、飯綱三郎は中空に浮かんで胡坐をかいていた。
位置的には摩周湖の上空だろうか。観光客には人気のスポットではあるが、流石に日が落ちてしまってはその存在は少ない。今頃は和琴半島のキャンプ場辺りでキャンプでもしているのではないだろうか。地上を走る一筋の光……恐らくはヘッドライトだろう……をちらりと眺めながら、クルルはそんなことを思う。
「三郎殿」
次郎坊が近付いて、そう声を掛けると烏天狗という名の風貌通りの真っ黒な烏人間が片目を開く。
「今日は、千客万来だな……」
カラス頭のくせに妙に渋い声だ。
だが、千客万来とは?
クルルが疑問に思うよりも早く、物凄い速度でクルルたちに向かって迫ってくる存在があった。一人は次郎坊と似た顔立ちの高鼻天狗で、もう一人は――。
「一席……!?」
「――ッ! 鬼が……!」
「待って! あの人は敵じゃない!」
「!?」
「アズマ婆と神に誓う」
「……信じるぞ」
まるで、苦渋を飲まされたようにそう言う次郎坊に頷きを返し、クルルは夜空をまるで何事もないように駆けてくる大竹丸を見つめる。そんな姿を見ていると人間は空を歩けるものだと錯覚してしまいそうだ。勿論、そんなことはないのだが……。変な事を考えるクルルの存在には大竹丸も気付いたのか、一気に駆ける速度を跳ね上げると高鼻天狗を抜いて、いち早くクルルの目の前へと辿り着いていた。
「呵々。妾の勝ちじゃな。これで、五本勝負の三本を連取してしまったわけじゃが、まだやるかのう、太郎坊よ? ……そして、昨日ぶりじゃな、クルルよ」
「吃驚した。一席は何故北海道に?」
「――当たり前じゃろう! 十本勝負じゃ! 十本勝負! まだ、儂、全然負けてないからのう! というか、次郎坊もおるではないか! なんじゃ、ここは大天狗会議の会議場か!?」
「ちと野暮用でのう。ん? 妹はおらぬのか?」
「おい、鬼! 無視するでないわ!」
「妹とははぐれた」
「何と、難儀なことじゃ……。そして、太郎坊は妾の
てんやわんやと騒ぐ中で、次郎坊が冷めた態度で鋭く太郎坊を睨みつける。どうやら、鬼と一緒になって騒いでいるのが気に入らないらしい。
「やはり、鬼なのか……。それを知りながら太郎坊よ、お前は何をやっている? まさか、法起坊殿が飲まされた煮え湯を忘れたわけではあるまい?」
「法起坊殿がどうかは知らぬが、儂が飲んだ煮え湯は忘れてはおらぬ! じゃが、鬼にも言い分がある! で、儂のオツムでは色々と考えるのが難しくてのう! こうして、三郎に知恵を借りに来たというわけじゃ!」
かっはーっはっはと豪快に笑う太郎坊ではあるが、あまり褒められた事ではないことに本人は気付いていないのだろう。次郎坊はひっそりと額を片手で覆う。
「そんなわけでッ! 三郎! なんか知恵をくれ!」
「――無から有は生まれん。知恵が欲しくば、各々の事情を説明せよ」
三郎はそう言って、話を聞く体勢に入ったのか、ゆっくりと瞼を閉じて胡坐を継続する。一瞬、寝たのか? と思った太郎坊が近付くと両目を開いてギロリと睨まれたので太郎坊は大袈裟に飛び退く。
「――遊んでいる場合か! 急ぐのか、そうでないのか、どっちだ!」
「わ、分かった! 悪かったのう! それじゃ、俺から話すとするぜ!」
そう言って、太郎坊は大声であまり纏まりの無い内容の話を始めるのであった。
★
「――ふむ。陽動だな」
全ての話を聞き終わった三郎は烏の顔をニヒルに歪ませると、そう結論付けた。
「陽動? ならば、本命の目的があるということじゃな? それは何じゃあ~?」
太郎坊が急かすようにその先を聞こうとするが、
「――それは分からん」
三郎はあっさりとそう結論を下す。
その言葉に肩をコケさせたのは大竹丸だけであった。ちょっと恥ずかしい。
「思わせぶりに言っておいて何じゃそれは!」
太郎坊が三郎に掴み掛かるが、三郎はその手をやんわりと抑える。優雅に見えて力強い三郎の
「――まぁ、待て。完全に絞れていないだけで、目星は付いている」
「それを先に言わんかい!」
「目星、というと?」
次郎坊が興味深そうに尋ねると三郎は腕を組んで鷹揚に頷く。
「――まず、この作戦を仕掛けた者だが、我らを強襲した鬼でまず間違いない」
「どうしてそう言い切れる?」
「――我らが鬼に過剰に反応することを利用して陽動を行っている。元々、アイヌの民を守る為に戦っていた我らは集って戦っていた。だが、鬼の投入と同時に目の色を変えて散開して戦うようになってしまっている。敵の作戦とは、我らの目を欺き、本当の狙いを達成することに他ならないだろう」
「その本当の目的というのは何じゃ?」
大竹丸が横柄な態度でそう尋ねると、三郎は片眉を上げ……少し大竹丸に思う事がないわけではないらしい……鋭い嘴を開閉する。
「――法起坊殿、もしくはアズマ殿の暗殺だろう」
「アズマ婆を!?」
クルルが悲鳴に似た声を上げるが、他の者は落ち着いた様子だ。その事についてはある程度予測していたのか、もしくはアズマを知らなかったかのどちらかだ。反応はまちまちである。
「それらを暗殺するとして……敵の狙いは何じゃ?」
「それらって……!」
クルルは静かに憤慨するが、大竹丸はただ予測出来る範囲で敵の狙いを確認しているだけだ。それを思い直してクルルも怒りを収める。
「――恐らくは北の大地の占領だろう」
「北の大地には国防の為に自衛隊の人間もわんさとおるぞ。北の民と天狗の親玉を倒せば占拠出来ると考えるは浅慮に過ぎんかのう?」
「――それをなせる自信があるのだろう。逆に言うと、法起坊殿やアズマ殿こそが最大の脅威と捉えたのか。まぁ、これは敵の行動から我が逆算した結果だ。真実は違うのかもしれん」
「まぁ、何も指針がねぇよりはマシかのう、かっはーっはっは!」
「相変わらず太郎坊は適当ですね……」
「いんてりまっちょ? とやらには言われたくはないのう」
「インテリとマッチョが組み合わさって何が悪いのです? 緻密な思考に健全な肉体――最高ではないですか!」
「コイツとの問答はいつも噛み合わぬから苦手じゃ……」
太郎坊が次郎坊に手を焼く間に、クルルは空の上から摩周湖周辺を見渡す。その姿はアズマの痕跡を必死になって探しているようにも見える。だが、暗い大地と暗い森はその発見を容易にはしない。こんな風に探して、アズマが見つかるかは分からない。だが、何かをしていなくては彼女は落ち着かなかったのだ。
「あ……」
それが功を奏したのか、クルルは小さく声を上げる。
ここから北の森……神の子池の方角で森がざわりざわりと蠢いている。
何かがある――そう、クルルは確信した。
「一席」
「なんじゃ?」
「頼みたいことがある」
「ふむ? 妾は高いぞ?」
「現金はあまりない」
「なら、美味い食い物でも良いぞ」
「それなら――」
そうして、クルルは日本探索者協会最強の戦力の投入に成功するのであった。
★
「あれ? 一席まだ来ていないのかな?」
摩周湖が見渡せる展望台に上りながら、如月景は呑気にそう呟く。
尚、その肩に担いだ枝切り鋏は血に赤々と濡れていた。ここまで来るのに、リトル・イエティだけでなく、
「強いね、三席」
その人影はアミだ。彼女の方はまるで血の汚れがない綺麗な姿のまま、景の後を歩いている。
景が全て先頭に立って敵を切り刻んできたというのもあるが、彼女の周りにはまるで風が祝福を授けるかのように、常に渦巻いていたのである。それがアミの元に届く全ての汚れを弾いているのだろう。
景がちょっと羨ましそうにアミを見る。
「そんなに強くないよ……。押しが弱くて此処まで一席に引っ張って来られちゃったし……」
「
「それもそんなでもないと思うよ。俺は俺の刃物が届く範囲しか切れない。遠距離からちまちまやられたら……まぁ、全部斬って落とすけど……反撃の手段がないから困ることになると思う」
「そうなんだ」
「公認探索者たちって大体そんなものじゃないかな。皆一芸に秀でているような印象だよ。隙が無いのは一席と二席ぐらいでしょ」
「一席は分かるけど、二席?」
「天草って人。あの人、かなり強いよ。新宿でのモンスター残党狩りをしている時に戦っている姿を見かけたけど、かなり誤魔化していた」
「誤魔化す?」
摩周湖の展望台から暗い湖面を見るともなしに眺めながら、アミは聞き返す。摩周湖周辺は思っている以上に鳥や虫の声が少ない。北海道の気候がそうさせるのか、それとも何かを畏れて声を出すのを躊躇っているのか、何にせよ環境の違いを楽しみながら、景は口を開く。
「分かるんだよ。相手を斬ることに特化しているからね。体の動きを簡単に分析出来るんだ。対象の肉の動きを見ていれば、その人が全力なのか、加減しているのかはすぐに分かる。……二席は加減していたよ。それが実力を隠すためのものなのか、体に負荷を掛け過ぎない為のものなのかは分からないけど……。味方だからといって信用を得られたというわけじゃなさそうだってのは分かった」
天草優の甘い
「嫉妬で二席を下げてる?」
「まぁ、そう取られるだろうと思って誰にも言わなかったんだけど……」
景はローブの奥で苦笑する。
やはり、イケメンは正義なのだなぁと心の中でそんなことを呟いていた。悲しい自虐である。
「そういえば」
何かを思い出したかのように、アミは中空を見つめてポツリと呟く。
「摩周湖には他にも展望台があった」
「え?」
「此処は、第一展望台。もしかしたら、第三展望台の方かも」
「第三展望台っていうのがあるのか……。それってどっちの方?」
「此処より北。神の子池の方向」
「一席のことだから、迷ってそっちに行っている可能性もあるかも……。仕方ないな。行ってみよう」
「うん」
そう言って、景はアミに片手を差し出す。
アミは小首を傾げると、景をじっと見つめていた。
「いや、転ぶと危ないかと思って……ケホケホ……。あ、(咳が)戻ってきたか……」
景としては、アミを子供扱いしたつもりだったのだが、アミの捉え方は違ったらしい。良く見なければ分からないような笑みを浮かべると、景の手をしっかりと握る。
「そんな調子じゃ危ない。アミが引っ張ってあげる」
「え? あ、あぁ? ありがとう……?」
戸惑いながらもアミに引かれて歩き出す景。
その微笑ましい光景はオーガと遭遇するまで続いたのであった。
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