第91話 北へ行くよ、らんららん⑤

(アミとはぐれた上に徐々に暗くなり始めている……。このままだとマズイかも……。どうしよう……)


 折り重なる葉の隙間から星の輝きが降り始めているのを眺めつつ、辺泥べていクルルは摩周湖周辺に生え揃う原生林の合間を縫うようにして移動する。


 摩周湖周辺は阿寒湖や屈斜路湖と共に国立公園に指定されている為、人の手による宅地開発などは行われていない。その為、自然豊かであり、原生林や野性動物の宝庫なのだが、今はその未開の大地がクルルの足を削り取っていた。


(歩きづらい……。こんなことなら、アミを見習って風のカムイの力をちゃんと借りれるようにしておくべきだった……)


 クルルとアミは双子だが、その性質には多少の違いがある。クルルに比べてアミは淑やかで、アミに比べてクルルはより積極的だ。


 その為、相手を惑わすカムイの術をアミはより重点的に修得しており、風や水、病気や幻覚などの直接攻撃には向かない力の行使を得意としている。


 一方のクルルは火のカムイや土のカムイなどから力を借りる術に精通しており、完全な攻撃特化の様相を呈していた。


 今回もリトル・イエティといきなり出会わなければクルルが一掃していただろうが、遭遇戦で先手を相手に取られてしまったのが運の尽きである。


(油断大敵……。一寸先は闇……)


 逃げ回る内にアミが風のカムイの力を行使して(アミは風のカムイの力を行使するのが一番得意だ)、リトル・イエティを誘導してくれたおかげで何とか助かったが、今度は離れ離れで心細い思いをしている。なんとも複雑な乙女心である。


(そもそも摩周湖の周辺にモンスターがいるなんて聞いてない。アズマ婆や皆は無事なの? それに、モンスターがいるってことは、どこかのダンジョンがモンスター大暴走しているってこと? 分からない。分からないことだらけ……)


 クルルは答えの出ない疑問に臍を嚙む。


 クルルの一族は、古きアイヌの血を引く一族である。一族を率いるアズマ婆を筆頭に、一族の人間は誰もがカムイの恩恵を受け、その力を行使することが出来る不思議な一族なのだ。


 そんな彼らは近代以降も森と共に生きる生活を続けており、摩周湖周辺の自然の中に居を構えていた。


 そんな自分たちの集落に戻ろうとしていたところに、不意のモンスター襲撃である。クルルでなくても混乱しようというものだろう。


(とにかく、アミとの合流を急ぐべき……。クルルとアミは二人で一人……。私だけじゃ、あまり力が出せない……。モンスターが近くをウロウロしているのなら尚更……)


 ――と、風のカムイがクルルに向かって何か嫌な気配を伝えてくれる。


(ッ! 風のカムイに深い感謝を……! アレは……?)


 ずしん、ずしん、と森の中を我が物顔で闊歩してくるのは赤銅色の肌とザンバラ髪の巨漢だ。腰布一枚しか羽織っていない大胆な意匠なのは、鋼がより集められて束ねられたかのような分厚い筋肉の鎧が全身を覆っているからだろう。その額には二本の角が生え、鋭い乱杭歯が口からはみ出るようにして並んでいる。


 当然、そのような生物との対面は、クルルにとって初めてのことではあったが、迷うことなくクルルはその存在が何なのかを理解する。


(鬼……!? 何で、鬼がこんなところに……!?)


 そう、鬼だ。


 少なくともクルルには鬼に見えた。


 そんな存在が何故此処にと思うが――、思い直す。


 モンスター大暴走が自分の知らない所で起きているのであれば、鬼が森を闊歩していても何ら不思議はないのだ。


 故に、状況には納得したクルル。


 だが、納得したところで状況が好転するかはまた別問題だ。


(クルルの攻撃で倒せる……? 火の神とは仲良しだけど……。相手が凄く強そう……。それに、アミがいないとこの辺が火の海になっちゃうかも……。どうしよう……)


 とりあえず、木の陰に隠れてやり過ごそうとするクルル。


 だが、鬼らしきモンスターはクルルの隠れている方向へと徐々に近付いてくる。心臓が早鐘のように鳴り、クルルはその音が聞こえているのではないかと内心で滂沱のように冷や汗を流す。


(まさか、クルルの位置に気が付いている? でも、なんで……?)


 その時になって、クルルは鬼の鼻が忙しなく動いていることに気が付いた。どうやら、臭いを辿っているようだ。なるほど、それで自分の位置を――と理解したところで鬼とクルルの目があった。


(見つかった……!)


『GUOOOOOOOーーーーー!』


 大気を震わす鬼気を放ち、鬼が周囲の草木を薙ぎ払いながら走り迫ってくる。


 いますぐにでも背を向けて走り出したい恐怖に駆られたクルルであったが、彼女は奥歯をぐっと噛み締めると、握り込んでいた拳の中に思念を集中させる。


 カムイを信じ、カムイを崇め、カムイに力を借りる――それを刹那の淀みもなく実行していく。


カムイを疑ってはならない。カムイを畏れてはならない。カムイは常に隣に立ち、カムイは常に自分と共にあり、世界と共にある。クルルは世界の一部であり、世界はクルルと共にある。火のカムイに感謝を。土のカムイに感謝を。全てのカムイに感謝を。そして、カムイの理とは道を違えるものにカムイの威を示し、我に恵みをもたらしたまえ……!)


 拳の中に熱く、重い塊が生じるのが感覚で分かる。クルルはそれが生成されるや否や、手の平を眼前に突き出し、狙いを鬼に定めていた。


火石星アペ・スマ・ノチウッ!」


 クルルの言葉と共に炎を纏った石の弾丸が高速で射出される。大気を揺らがせる程の炎を纏った拳大の石弾は螺旋の軌道で一直線に鬼に向かって飛んでいく。


 クルルか逃げるだけの獲物だと考えていたらしい鬼は、不意を突かれた形となって躱すことすら出来ない。


 どうっと派手な音が響き、鬼のどてっ腹に穴が開く。


 肉が焦げる香ばしい香りが辺りに漂うが、鬼はその程度の傷では止まらないとばかりに咆哮を上げて迫ってくる。


 だが、クルルが選択した力は火石だ。


 星は無数に存在し、降るように空から光を落とす。


 当然、クルルの火石星も一発では終わらない。間髪入れずに同じような炎を纏った石弾が三発連続で発射され、鬼の頭を、胸を、脚を穿ち、ようやく鬼はそのダメージに耐えられぬとばかりに派手に地面に倒れ込んだ。


 クルルはその光景を見ると、荒げた息を隠そうともせずに、その辺の木に背を凭れさせて、ようやくかといった視線を鬼の死体に向ける。


(なんてタフ……。こんなのが群れでやってきたら洒落にならない……。モンスターに気付かれる前に場所を変えよう……)


 細心の注意を払ってその場を後にしようとしたクルルであったが、こんな時に限ってカムイというのは恩恵ではなく、意地悪をしようとする。


(ッ! 風のカムイが教えてくれている……! モンスターがいる……! 何処!?)


 恐らく風のカムイと相性の良いアミであったのならば、モンスターの位置や数まで分かったのではないだろうか。


 だが、クルルでは近くにモンスターがいるという状況しか分からない。


 全方位に向けて警戒をしていると上空から突如として旋風つむじかぜが吹き付け、クルルは踏ん張り切れずに地面を転がっていた。


「鬼の気配がすると来てみれば……」


 体に付いた泥を払う事もなく、クルルは素早く立ち上がる。派手に転んだが、ダメージ自体は無いに等しい。手の平を相手に向けて――。


「!?」


 ――その存在に驚愕する。


 高鼻で赤ら顔の化け物。それは誰がどう見ても天狗と呼ばれる存在であったからであった――。


 ★


 空が夕暮れ色に染まり、日も沈み掛けた頃、大竹丸と太郎坊の勝負はようやく決着がつこうとしていた。実力差自体は明白であったのだが、やけに時間が掛かってしまったな、と大竹丸は反省する。


「参った! 降参! 降参じゃあ~~~!」


「ようやく、といったところかのう」


 ――天狗というものは、不老不死である。


 斬っても焼いてもすぐに復活してきては、まだやられていないの一点張りで、抵抗を続ける。普通なら死に続けたのであれば、心が折れて当然の状況なのだが、この太郎坊は直情系の馬鹿であった為、諦めるということを知らない厄介者であったのだ。


 結果、長い間、殺し合いの攻防が続いたのだが、流石に埒が明かないと感じた大竹丸は一計を案じる。


 天狗といえば、喧嘩好きのお祭り好き。そして何よりも宴が大好きなのだ。


 なので、大竹丸は飲み比べをしようと太郎坊に吹っ掛けたのである。


 宴もお祭りも好きなら当然のように飲むことも大好きな大天狗の太郎坊。


 何の疑いを抱くこともなく、その勝負を受けて立つ――と、そこまでは大竹丸の筋書き通り。


 だが、大竹丸もざるなので、ただの飲み比べでは決着がつかないとして、ある特殊な飲み比べを提案したのだ。


 それが、ずばり嵌まった。


「なんじゃ、この毒にも薬にもなりそうにないペースト状の飲み物はーっ!? クソ不味いではないかーっ!?」


「なんじゃ、それ以上飲まんのか? それだとお主の負けということになるのじゃが? まぁ、ここで降りても妾は別に構わぬがのう?」


「ぐぬぬぬ~~~……!」


 かくして、酒の飲み比べならぬ、の飲み比べが始まったのだが、太郎坊はあっさりと一杯で根を上げてしまったのである。そう、恐るべきは毒ぺであった!


「ふっ、まだまだじゃな……!」


「ぐぬぬぬ……、せめてもっと辛口のものであったのならば! 甘いんじゃ! 飲み口が! その割りに変な匂いもしよるし! 儂の好みに合わんし!」


「呵々! どんな勝負でも負けんと言っていたのはお主じゃぞ! それがあっさりと敗れて……今、どんな気持ちじゃ? 呵々!」


「ぐおーっ! 負けて悔しい! 穴があったら入りたいーっ!」


 意外と素直に答えるタイプの太郎坊である。駆け引きが苦手なタイプなのは云うまでもないだろう。


 そして、そんな相手にたばかりごとをしなければ勝てなかったという事実に、大竹丸の中で何かが冷めていくのを感じる。簡単に言えば、煽っている自分が恥ずかしくなったのだ。その恥ずかしさを誤魔化すかのように続ける。


「そもそも何なんじゃ、お主等は? 太郎坊もおるということは本州に住んでおった奴らじゃろう? それが何じゃ、鬼を見るなり襲い掛かってきおって。あれか? 鬼差別か?」


「なんじゃ、鬼差別っちゅうんは? 儂らは――」


『――太郎坊様!』


 その時、烏天狗の一人が大竹丸と太郎坊との会話に割って入ってくる。太郎坊は一瞬煩わしそうに片眉を跳ね上げるが、その真意を察したのか。うむ、と頷く。


「名も知らぬ鬼殿よ、水入りじゃ」


「何じゃ、逃げるのか?」


「ちゃうわい! ……うじゃら、うじゃらと気付かぬか?」


「ふむ、地上で面妖な気配が湧いておるようじゃのう」


「それが、鬼じゃ」


「なんじゃと?」


 大竹丸は地上で蠢くものの気配を辿って、そこへ視界の焦点を合わせる。すると、カメラのピントが合っていくかのように、その視線の先の姿がはっきりとしていき、鬼と呼ばれる生物が何かがはっきりと分かるようになる。


「何じゃ、鬼というから妾の同類かと思ったが……違うではないか」


「なぬ?」


「あれは、オーガじゃ。れっきとしたダンジョン産のモンスターじゃよ」


 そう言う大竹丸の表情はどこか憂いを帯びているようにも見えるのであった。

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