第90話 北へいくよ、らんららん④

「? 何か、今、後ろの方で凄い音がしたような……? コホコホ……」


 気にはなったが、後ろを振り返れないペーパードライバーの景である。彼は大竹丸の指示に従い、現在順調に摩周湖へと向けて車を走らせていた。そんな彼を導くカーナビも変な気を利かせて脇道に入る事を指示することもなく、景の道程は順調そのものと言って良いだろう。


 だが、その順調な旅路とは裏腹に、景の心には暗雲が立ち込めていた。


(しかし、おかしなことになってきたな……。俺はただ辺泥姉妹に生まれつきの異常体質かどうかを聞きたかっただけなのに、何でこんな事に……)


 青天の霹靂というか――……鬼に天狗である。


 どうも悪い時期に北海道にやってきたのではないだろうかと景が思い悩むのも無理はない。


 北海道にそんな存在がいるとは、まさに寝耳に水の話である。


 そんな妖怪ランドみたいな状態になっているのであれば、来る事も躊躇したことだろう。


(というか、鬼も天狗もモンスターじゃないのか? それだと、北海道のダンジョンでモンスター大暴走が起こっているのか? 確かにこの広大な大地なら未発見のダンジョンのひとつやふたつあってもおかしくはないし、そこから天狗や鬼が出てきてもおかしくはないだろうけど……)


 だが、大竹丸は最初から景と一緒に東京にいたのだ。これだとモンスター大暴走によって鬼と天狗が現れたと説明するのは難しい。


(そもそも、鬼と天狗を一緒にするのがいけないのか? 鬼だと名乗ったのは一席だけなわけだし、鬼が例外で天狗がモンスター大暴走でどこかのダンジョンから溢れ出たとか?)


 それにしては、大竹丸が天狗たちのことを知っていた風に話すのが不可解だ。まるで、元々知っていたかのように、彼女は語っていたではないか。ダンジョンから出てきたモンスターに対して、そんな反応を見せるだろうか。


(とはいえ、一席だしな……)


 常人には計り知れないところがある人物だ。


 奇妙な反応を見せても、一席だから仕方ないと納得してしまう雰囲気がある。


 それが、冗談なのか本気なのか分かり難いところも困った点だろう。


(いや、だが、彼らがモンスター大暴走が原因で出てきたのではないとしたら、どうなるんだ……?)


 それはつまり、ダンジョン云々に関係なく、昔から日本にはそういった存在が潜んでいたという事だろうか。それは、景の知らない世界であり、未知の世界だ。


 だが、未知であるからこそ、景が求めるものがあるのかもしれない。


(まさか、ね……)


 そんな事を考えながら運転をしていたからだろうか。


 景は近くの茂みから道路へ向かって飛び出してくる影に反応出来なかった。


 どんっという鈍い衝撃が車内に響いてから、景は慌ててブレーキを踏む。


 それと同時に伝わってくるのは車が何かを轢く異物感。


 たちまちの内に景の顔から血の気が引いていく。


「だ、大丈夫ですか!? ゲホゴホッ!?」


 路肩に車を止めて慌てて外に飛び出す景。


 感覚的には絶対に大丈夫ではないと分かるが、気が焦って動転している景にはそんな言葉くらいしか思い浮かばなかったのだ。


 だが、その焦りや心配は杞憂に終わる。


「え? あれ? 人じゃ、ない……? ゴホッ! ゴホッ!」


 自然豊かな地域では、動物が車道に飛び出してきて車に轢かれるというのは良くあることだ。そして、今回、景が轢いたのもその類である。形状が人のそれではない。


「北海道だから、キタキツネ、とかかな……。それはそれで嫌なんだけど……ケホケホ……」


 根室から三時間近く走ってきたこともあり、辺りは大分暗くなってきている。そこで、景は自分がヘッドライトも点けずに走ってきたことを今更ながらに知る。


「バックして……ヘッドライトを点ければ……何を轢いたかは分かるよね……ケホケホ……」


 運転席に戻り、自分で口に出した言葉通りの行動をする景。


 やがて、不慣れな運転が終わり、ヘッドライトの明るい光の輪に照らされ、轢いたモノの正体が判明――……


「何コレ? コホッ……」


 ……――しなかった。


「毛に覆われているし、動物だとは思うんだけど……、ケホケホ……」


 全身毛むくじゃらで毛は薄汚れた灰色。脚に比べて手が長く、猿にも似ているが面相がとにかく凶悪。くしゃくしゃに丸めたちり紙のような顔をしている。そして、極めつけは下顎から天を衝くかのように立派な牙が生えていることだろう。正直、何という動物なのか、景には見当も付かない。


「何だろう……凶悪ゴリラ亜種……暴走モードとか……けほっ……」


「それは――」


 車から下りた景が首を捻っていると、上空から鈴を転がしたような澄んだ声が響く。


 景は思わず身構えるが、その声の主は何の感情も抱いていないのか、無表情のままにストンと景の前に降り立った。


 景は思わず周囲を見渡す。


 背の高い木々が生い茂っているが、よもや猿の真似事でもして木登りをしていたわけでもあるまい。


 それとも、本当にいたのか。


 ぞわりぞわりと景の背が震える。


「リトル・イエティというモンスター。北海道のダンジョンでは珍しくない奴……」


 ふわり、と髪を軽やかに翻して立つのは、一週間近く同じ仕事をして見知った顔だ。だが、それだけの間、同じ仕事をしていてもどちらがどちらなのか判別がつかないという問題がある。


「えぇっと……けほっ……」


「アミの方」


 とりあえず、ということで、あまり深く考えないことにした景は、辺泥姉妹の片割れ、辺泥アミとの邂逅を果たす。


 だが、その場には双子のもう一人、姉のクルルの姿が見えない。


 いや、それどころか――、


「辺泥さん……こほ……」


「アミでいい」


「じゃあ、アミさん。これは一体どういう状況なのかな……けほけほ……」


 道路脇の茂みからアミの言う所のリトル・イエティとやらがぞろぞろと姿を現す。その数は二十は下るまい。景は慌てて自身の冒険者カードを取り出して操作を開始する。


「知らない。アミたちが帰ってきたらコイツらがわらわら居て襲ってきた。おかげでお姉ちゃんとはぐれた」


「じゃあ、コイツらは別にアミさんの仲間ってわけじゃないんだ……そうか、よかった……けほ……」


「…………。どうして?」


 無表情にも思えた顔に若干の困惑の色を乗せて、彼女はそう尋ねる。


「いや、最初の自己紹介の時に、動物が好きだと言っていたから傷付けちゃいけないとなると大変だなって……コホコホ……」


 そう言いつつ、景はいつもの調子で上げていたフードをばさりと被り直す。そして、探るような目つきでリトル・イエティの動向を監視していた。


「…………。覚えていたんだ」


「そりゃまぁ……(公認探索者同士の)大事な出会いだし……(インパクトも強かったし)忘れないよ……こほ……」


「…………」


 景の言葉に思わず俯き、赤くなるアミ。


 大竹丸がその光景をみていたのなら、脈ありと騒ぐことだろう。


 だが、ここに大竹丸はいないし、状況的にも悠長に構えていられるような状態ではない為、景はそんなアミの様子を見ていなかった。DPを消費して、一番安い高枝切り鋏を購入すると、光が集う中からその高枝切り鋏を無造作に取り出す。凡そ武器には向かない代物のように見えるが、景は鋏の刃と刃を繋げる接続ジョイント部分に指を這わせると、なぞるようにして動かす。


 すると、すぱっと接続部分が切れ、高枝切り鋏は簡素な槍のような形状へと早変わりする。


「凄い……」


「爪を少し鋭く研いでおくと、結構何でも切れるようになるんだ……こほこほ……」


 余った鋏の片方を車の脇に立て掛け、景は残りの鋏を槍のように肩に担ぐ。その姿は棒きれを自慢げに持つ悪ガキの姿と何ら変わりはないのだが、彼の特異な性質がそれがただの格好だけポーズではないことを如実に語る。


 だが、相手は人間の機微を知らぬモンスターだ。


 彼らはそんな景の雰囲気など知ったことかとばかりに一斉に襲い掛かってくる。長い腕を使って、地面を掴むようにして走る姿は見た目に反して随分と素早い。あっという間に近付いたリトル・イエティの一体が景に向かって飛び掛かろうと飛び上がった瞬間――……その体が真っ二つに切断される。


「悪いね。もう、そこは間合いだよ――」


 真っ赤な血が辺りに撒き散らされる中、興奮した様子のリトル・イエティ二体が景の両側より、ほぼ時間差無く飛び掛かってくる――が、無駄であった。


 景は持っている片側のみの高枝切り鋏を一息で回転するように振るう。


 それだけで、軌跡の内にいたリトル・イエティの首が跳び、胴体が骨ごと切断される。まるで、力を入れていないように見える景の攻撃なのだが、その威力は桁違いだ。触れれば落とすと言わんばかりの切れ味である。


「運動は苦手なんだけどね。なんだろうね。『切る』ことだけは得意なんだ」


 景は饒舌に語りながら、ゆっくりと歩きながらリトル・イエティの群れに向かって歩いていく。


 動き自体は平凡。


 特に素早く動けているわけでない。


 むしろ、動きではリトル・イエティの方が早いだろう。


 だが、景の間合いに入った瞬間に全てが真っ二つに両断される。


 恐らくは、切るという動作だけが恐ろしく洗練されているのだ。


 力みもなく、抵抗もなく、ただただ最短距離で走った刃がするりと全てを切断する――。


 世に剣の達人、槍の達人、武術の達人、弓の達人などがいる中で、彼は恐らく切断の達人なのだ。武器の届く距離が必殺の間合いであり、一歩中に入れば死は必定――。


 気付いた時には、景たちを囲んでいたリトル・イエティは景を避けるようにして空間を開けていた。彼らも、景の殺し間キルゾーンを理解したということか。景が一歩を踏み出す度に一歩後退するリトル・イエティたち。


「援護する」


 そこへ、更にアミの無慈悲な宣言。


「あぁ――……いや、その必要はないみたいだ」


 アミの宣言と共に、自分たちの不利を悟ったのか、リトル・イエティたちは波が引いていくように、さっと自然の中へと逃げ去っていってしまう。


 景としては、追撃を行いたいところだが、この辺の地理は向こうに一日の長があることだろう。無理はせずに、ぶんっと高枝切り鋏に付いた血を振り払いながら、車の方へと戻っていく。


「良い運動になったよ」


「何だか、さっきよりも調子良さそう」


「うーん。モノを切ると調子が良くなるんだよね。咳も収まるし、気分が凄く良くなるんだ」


「変態?」


「そうなのかも……って、引かない引かない」


 思わず後退るアミに苦笑する景。


 景のこの特異な体質は昔からだ。刃を使えば何でも切れる体質に加えて、何かを切ると気分が高揚するのである。おかしな人間と思われることはいつもの事なので、特段気にすることもなく肩を竦めるのみである。 


「俺はこれから摩周湖に行く予定なんだけど、アミさんはどうする? 乗ってく?」


「摩周湖に何をしに?」


「一席と待ち合わせをしているんだけど……」


「一席が来ているの?」


「まぁね。――で、乗る?」


「一席がいるなら、この良く分からない状況も何とかしてくれそう。だから乗る」


「分かった。じゃあ、先に乗っていて」


 立て掛けてあった高枝切り鋏を回収して、使っていた物と一緒にトランクに放り込んでから、景は道に散らばっているリトル・イエティの死骸を道路脇にどかそうとするが、それよりも先に死体が勝手に宙に浮かんで道路脇へと吹っ飛んでいった。


 何事、と見やれば片手を翳した状態のアミが無表情のままに立っているではないか。


「こっちの方が早い」


「そりゃ、どうも……けほ……」


 咳が戻ってきたことを実感しながら、この人も鬼なのかな、と景はそんなことを考えるのであった。

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