第89話 北へいくよ、らんららん③

 役小角えんのおづぬ――。


 修験道の開祖とも呼ばれる彼は、その強大な法力を以て様々な偉業、奇跡を為したとされる。そんな彼が死後、尸解天狗しかいてんぐとなった姿が石鎚山法起坊であり、全天狗の親玉とも呼べる存在だ。いや、天狗なる存在を生み出したと考えれば、天狗たちにとっての神か。


「――ということじゃ。分かったかのう?」


「いやいや、今の時代に天狗って……そんなものいないでしょう……ケホケホ……」


「おるじゃろ。あそこに飛んでおる」


「デカイカラスでしょう、あれは……。コホコホ……。それに天狗というのは、俺の中では赤ら顔に長い鼻で山伏衣装のアレなんですが……コホ……」


「お主の言う天狗は、鞍馬大僧正坊図の影響じゃな。基本的な天狗はあのような烏人間型と高鼻型との二種類がおる。最近は高鼻型の方が有名じゃがな。そして、どうやらあの天狗共は妾に友好的ではないようじゃ」


「今、って言いましたけど……一席、天狗かれらと何かありました? こほこほ……」


「…………。何故、そう思うんじゃ?」


「俺は何もやってないですから………ケホ……」


 バックミラー越しに大竹丸の顔を確認すると、彼女の表情はどこか強張って見えた。そんな大竹丸は無言のままに後部座席のドアに近付くと、そのドアをガチャリと躊躇なく開く。気流が車内に入り込み、道路を走る音が直接ダイレクトに伝わってくる様子に景は顔を強張らせた。


「ちょ、ちょ、ちょ、何をやっているんですか! ゴホゴホッ!」


 慌てた景が思わずハンドルを動かしてしまい、車の挙動が一瞬怪しくなるが、そんな状況でも大竹丸は顔色を変えることなく笑顔を見せる。


「うむ。実は、彼奴らはわらわに用事があるらしい。じゃから、ちと相手をしてきてやろうと思ってのう」


「結局、一席関係なんじゃないですか! ゴホゴホッ!」


「いや、知らん相手じゃ。じゃが、鬼は許さんと息巻いておるようじゃ。じゃから、ちと教えてやらんといかんのう」


(鬼……? この状況で俺をからかう意味は無いよな……? どういうことだ……?)


 景が疑問に思っているのも束の間。


 大竹丸は後部座席のドアを大きく開いて、そのまま外に出てしまう。制限速度を守って走っていたとはいえ、道路を走る車の中から飛び出したとなれば大怪我は必至だ。景は思わず目を見開いてサイドミラーを確認しようとするが――……その必要は無かった。


 バタンと後部座席のドアが閉められる。


 ぎょっとして窓ガラスを見てみれば、車と並走して走る大竹丸の姿があった。


(いやいや、待て待て。今、六十キロは出しているんだぞ……何でそれに平気で付いてこれるんだよ……やはりこの人も……)


「景よ、巻き込まれるのを避ける為にも速度を上げよ。そして、摩周湖を目指せ。妾も喧嘩を吹っ掛けてきた不届き者を成敗してから向かう」


「一席、俺は……ケホ、コホ……」


 貴女からも話を聞きたいんです、と繋げたいところだったが、大竹丸の視線は既に遥か上空を見据えていた。そのために、思わず声を掛けそびれる。


「行け、景! 妾も必ず行く! 摩周湖で落ち合おうぞ!」


「わ、分かりました! ゴホゴホ!」


 速度を上げていく車の後ろ姿を見送りながら、大竹丸は若干走る速度を落として上空を見上げる。そこには宙を羽ばたく烏天狗の集団が待ち構えていた。どうやら、景を追う気は無いらしい。


「しかし、どうしたものかのう。妾は分け身故にこれ以上の分け身は戦力を弱めるばかりで得策ではないしのう。多勢に無勢ではあるが、やるしかないかのう」


 そう。本物の大竹丸は今頃、鈴鹿山の実家で寛いでいることだろう。今、此処にいるのはそんな大竹丸の分身体の一人である。大竹丸が新宿で解決したモンスター大暴走の後も分身体を消さないでいた為、新宿では複数の大竹丸がモンスターの残党狩りに精を出していたのであった。


 そんな中の一人が景の告白大作戦(?)に乗り気となり、北海道までやってきてしまった結果がこれである。ちなみに、大竹丸の本体からの分身はほぼ自身の力をコピーしたものが作成されるのだが、分身体はそれが出来ない。それは、やはり本体の大竹丸とは同じように見えても若干造形の違いが分身に出てしまっているのだろう。それが、神の肉体との差分に繋がり、神通力の劣化に繋がっているのだと思われる。


 とはいえ、神通力の劣化はあるものの、肉体的な強度や技の精度には変わりがない。大竹丸は「ふぅ」とひとつ嘆息を吐き出すと口をへの字に結ぶ。


(とりあえず、説得じゃな。それで駄目なら暴れることも視野に入れるかのう)


 神通力で空中に足場を作って、それを蹴って宙空に身を躍らせる。


 その行動に烏天狗たちは驚くことなく、大竹丸を待ち受ける。


 大竹丸はそんな烏天狗たちとの間合いを詰める。三間5.4メートルもあれば、大竹丸の間合いであるが、その直前で烏天狗たちから鋭い殺気が飛んでくる。どうやら、これ以上詰めるなという意志表示らしい。大竹丸はその場で足を止める。


「全く……。人畜無害な鬼に向けて随分な態度じゃな。それで、お主たちはどこの者じゃ? まさか、法起坊の配下ではあるまい?」


『うぬぬ、我らが盟主の名を軽々けいけいと口に出すとは不遜な奴め! 我らは太郎坊様の一族! 頭が高いぞ、小童!』


「まぁ、今の妾は齢三百程度じゃから小童じゃがのう……。しかし、あれじゃ、妾の本質を見逃すとは天狗の質も落ちたものじゃなぁ……?」


 ぞくりと背筋すらも凍り付くような殺気を受けて、烏天狗たちの間に動揺が走る。天狗とは強大な力を持った者が死後、強い想念に導かれて冥府魔道の類に堕ちた者たちである。故に、その力には絶大な自信を持ち、その自信を裏付けるだけの協力無比な力を宿している。


 そんな者たちが一時ではあるが、死を覚悟する程の存在。


 ――ただの木っ端ではない。


 恐らくは名のある鬼であろうという事は、すぐに烏天狗たちも察する。そして、だからこそ――……戸惑う。

 

『お前は、彼奴等の仲間ではないのか……?』


「彼奴?」


『あぁ、奴らは――』


「――おいおい、いつから儂らは敵とお喋りする程の間抜けになったんだぁ?」


 その言葉は大竹丸の上空から響いたかと思うと、膨大な熱気が大竹丸の頭上から襲い掛かる。大竹丸は即座に大通連を召喚し、上空へと振るうと大竹丸を飲み込まんとしていた大火球が真っ二つに割れた。


 そして、その火球は地上へと落ちていく。


 散った火の粉が大竹丸の瞳を黄金色に輝かせ、地上では重低音を轟かせた火球が派手に爆ぜる。アスファルトが焼き付き、生草がもくもくと煙を出して燃える中、大竹丸は左手だけで印を素早く組み、地上に黒雲を作り出すと燃え盛る一帯に雨を降らせてその火を一瞬で消し去っていた。


「ふむ。いきなり、攻撃とは穏やかではないのう」


 はためく風に揺れる髪を頭の動きだけでばさりと後ろに流す大竹丸。


 そんな大竹丸に対して、上空から攻撃をしてきた高下駄の大男が翼で空を打ちながら大声で笑い声をあげる。赤い顔に長い鼻にましら顔、そして山伏衣装と、まさに景が思い描いたであろう天狗の姿がそこにあった。


「刀を抜いたなぁ? 抜いたよなぁ? ってことは敵ってことだろうがぁ!  ならぶっ殺すしかねぇよなぁ!」


『『『た、太郎坊様!』』』


「ほう、愛宕山の太郎坊か。血気盛んなのは昔も今も変わらんのう……」


 しみじみと呟く大竹丸だが、太郎坊と呼ばれた天狗はそのましら顔を顰めるのみだ。


「あぁ? テメェみてぇな仮面野郎は知らねぇぞ? ……だが、どうでもいいぜ! 儂は今、喧嘩がしたくて仕方なかったんだからよぉ! 儂が強ぇって思わせてくれや! 名も知らぬ鬼よ!」


「ふむ、話の分かる奴ではない事も相も変わらずか。ならば、少し遊んでやらねば熱も冷めまい。良かろう、ならば来い。少々遊んでやろうぞ」


 大竹丸は小通連を左手に召喚。右手の大通連との二刀流で空中にて構える。その姿を見た太郎坊は何故か既視感デジャヴのようなものを覚え、少しだけ考え込む素振りを見せる。だが、勝負事が大好きな天狗だ。そんなものは二の次だとばかりに頭を振るう。


「ちぃ、嫌な奴の記憶が蘇ったぜ……。だが、今の儂は、昔の儂とは違う! 容赦なく、そして手段を選ばずに勝って勝って勝ちまくってやる! 行くぞぉ!」


 太郎坊が急降下を開始し、その周囲に小型の竜巻が幾つも発生する。


 対する大竹丸は大通連と小通連を片手ずつに持ちながら足場を蹴って飛び上がる。その顔には自信を裏打ちするかのような楽しげな笑みが浮かんでいた。


 ★


 平安時代――。


 鈴鹿山に籠り悪行の限りを尽くす鬼――……となる前の大竹丸は、全国各地を巡って呪法と剣の道を極めんとする兵法者であった。その頃は未だ鬼とは言えず、はぐれの夜盗、偸盗の類であったと言えよう。


 大竹丸はその頃、強さに傾倒していて、古今東西の兵法や呪法を修める為に辻切りの真似事のような事をしては日銭を稼いでいた。腐れ外道とも言える行為だが、その時代は富める者が富み、貧しき者はひたすらに貧しいという地獄のような時代であった為、大竹丸のも生き残る為のひとつの手段であったのだ。


 そんな折、ひょんなことから大竹丸は天狗なるものを知る事になる。


 何でも、天狗とは強き力を持つ者が死後に往生出来ずに天魔(悪魔)となって今世に残り続けている存在らしい。その強い力故に世間では、魔王だの、神だのと崇められているのだとか。


 当然、強さに傾倒していた大竹丸は面白いじゃないかと、その話に食いつく。


 そして、天狗がいるとされる御山を荒らしまわった。


 天狗は直情的で思考が真っすぐなので、罠や不意打ち、嘘や騙し討ちが驚くほど効果的で、大竹丸はそんな天狗たちを懲らしめては、許す代わりに天狗の秘奥とも呼べる呪法の極意を回収していったのである。


 そして、調子に乗った大竹丸はある時、大天狗の中でも盟主と呼ばれる存在に挑戦する。


 ――石鎚山法起坊との対峙である。


 その頃には天狗の呪法もある程度はものにしており、向かう所敵なしだったことも彼を増長させたのだろう。正面切って戦っても何とかなるだろうと、無策で飛び込んだわけだが、彼の予想通り、石鎚山法起坊の配下の天狗たちでは相手にならず、そのまま敵の本丸まで至る。


 だが、石鎚山法起坊が強過ぎた。


 大竹丸は彼の者との勝負に敗れ、全身を炎で焼かれ、一度はその命を失う事になったのだが、気付いた時には鬼として生まれ変わっており、命からがら這う這うの体で石鎚山を逃げ出したのである。


 そんな黒歴史の際にも太郎坊とは一度戦っている。


 その時は挑発からのカウンターでの急所狙いによる勝利であったが――。


 ★


「かっはぁーッ! 風よ唸れ! 火よ走れ! 火災旋風を食らえい!」


 太郎坊が腰の後ろから取り出した羽団扇を薙ぐと、火炎を伴った小型の竜巻が幾筋も生じ、それが大蛇の如くにうねりながら大竹丸を狙って殺到する。それを神通力の足場を蹴ってすかさず躱す大竹丸は、炎の渦で出来た大蛇の群れをやり過ごして太郎坊へと一直線だ。


「どうした! 太郎坊! お主の真骨頂は肉弾戦ではなかったか!」


「なにおう! 天狗が呪法を使って何が悪い! 呪法に肉弾戦、共に備えての太郎坊よ! 儂の力に絶望しろや木っ端ぁ! かっはぁー!」


 高下駄で空を蹴って、太郎坊が動く。その速度はまさに隼の如く。


 羽団扇の上に回転運動を繰り返す風の球を作り出し、それを即座に圧縮。受ければ風の気流が解放され、即座に台風級のエネルギーを身に浴びて、ズタズタになるであろう力を作り出すと、太郎坊は大竹丸に向けて躊躇もなく、それを放とうとする。


「ガッ――!?」


 だが、放とうとした右腕に鈍い痛みが走り、その風の球は明後日の方向に飛んで行ってしまう。見やれば、大竹丸が振るった刀の峰が、太郎坊の振るった腕の軌道を邪魔しているではないか。


 ちぃ、と悔し気に呟くと太郎坊は思わず距離を取る。


「逃げるなら逃げるで、もっとしっかりと間合いを広げねば追撃を食うぞ。――こんな風にのう」


 一足飛びで太郎坊との距離を詰める大竹丸は、小通連を使って太郎坊に斬り掛かる。それを羽団扇で間一髪防いだ太郎坊はニヤリと太い笑みをみせる。


「馬鹿め! これが狙いよ!」


 太郎坊の羽団扇から力が溢れ、太郎坊の姿がぶれたかと思った瞬間には、十人以上の太郎坊が大竹丸の周りを円を描くように囲んでいた。太郎坊による分身の術である。それらが殺意を以て一斉に動き出す。


「「「「「きえぇぇぇぇい!」」」」」


 一人の太郎坊が拳を突き出し、一人の太郎坊が突き蹴りを放ち、一人の太郎坊が両手を組んで上から大竹丸を殴り付けようとし、一人の太郎坊が回し蹴りを放ち、一人の太郎坊が貫手を繰り出し、一人の太郎坊が動きを止める為に掴み掛かってくる――が、全ては大竹丸の掌の上だ。


「大嶽流中伝、細雪ささめゆき――」


 前後左右上下。全方位死角無しの斬撃は全ての太郎坊の分身を捉えて、悉く両断する。唯一斬られなかったのは羽団扇で大竹丸の斬撃を防いだ本物の太郎坊のみである。


「全方位同時攻撃に対する備えが無いとでも思ったかのう?」


「テメェ……ただの木っ端鬼じゃねぇなぁ! しかも、この儂に対して手加減してやがるところが気に入らねぇ!」


「なんじゃ、気付いたか」


 最初の風の球を防いだのも峰打ちであったし、斬り掛かるのは防御専門の小通連であったり、今も本体だけは防げる剣速にて斬り掛かっている。それもこれも太郎坊の熱しやすい性格を考慮してのことだろう。そもそも大竹丸には、太郎坊とそこまで争う理由が無いのだ。


(それに、コヤツの後ろには法起坊がおるしのう。あの爺の不興を買うのは本意ではない。加減をするのも当然じゃろうて)


「だが、油断し過ぎだ! 阿呆め!」


「なぬ?」


 大竹丸の背後から強烈な熱を伴う炎の渦が大蛇の如く鎌首をもたげて向かってくる。どうやらやり過ごしたと思った火災旋風が自動追尾機能でもあるかのように戻ってきたようだ。


「かっはぁーッ! 風よ吹き荒べぇい!」


 莫大な熱の塊が大竹丸を食らおうとその範囲を一斉に広げる。太郎坊の操る風の呪法によるものだろう。一瞬で大竹丸の目の前が熱で白く染まり――、


 ――そして、根室の青空に大きな花火が咲くのであった。

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