第五章 全国平定編 -北海道-

第87話 北へ行くよ、らんららん①

 さて、東京で新宿狩りが起こるより前に話を戻そう。


 その日起こった未曾有の大災害とも言える、新宿ダンジョンモンスター大暴走――。


 事前に何の通達も無かったそれは、圧倒的な破壊と殺戮の力で平時と変わらぬ新宿の街を飲み込んだ。人々は泣き叫び、足掻き苦しみ、救いを求めたが至らず、ほとんどの者が血の海に沈んだ。その痕跡は、モンスター大暴走が収まった今でも濃い爪痕として残っている。路面は荒れ、ビルの多くは安全基準を満たさない状態となり、多くの遺体やモンスターの死体が転がり、街全体が異臭を醸し出す悪夢のような光景が今の新宿だ。


 つい、この間まで人に溢れていた街の姿がこれかと思うと、そこに住んでいた人々は恐ろしさに気が触れそうになることであろう。まさに、世紀末。もしくは終末の世界である。


 だが、その未曾有の大災害に対して、一般的な世論としてはかなり好意的な意見が多かった。そのほとんどは、『良くぞ、この規模のモンスター大暴走で、この程度の被害に収めた』というものだったのだ。


 何故そのような評価になるのか。


 原因としては、何の準備も無い中、安全と思われていた施設から突如として怪物が退去して押し寄せてきたことにある。本来であれば、自衛隊の初動が間に合わず、あっという間に被害が広がって都全体が死の街になっていてもおかしくはない状況であった。


 だが、実際にはその被害は新宿を中心とした極限られた範囲に収まっており、その未曾有の大災害に対する政府の迅速な対応には、海外メディアを筆頭にして称賛の嵐が贈られたのである。


 そんな迅速であり、適切な対処に多大な貢献を果たした者たちは特に注目クローズアップして扱われた。


 言わずもがな、日本公認探索者オフィシャルたちだ。


 彼らの一部は災害後も政府の要請に応えて新宿に留まり、新宿ダンジョンから出てきたモンスターたちの残党駆除に務めた事により、その存在感だけでなく名声も高めたと言えよう。特に有名なのは――、


 僅か三時間でS級ダンジョンを攻略してしまった無敵の第一席、大竹丸。

 

 五メートルもの巨大竜と戦う姿が大勢の人々に目撃されている第六席、長尾絶。


 巨大怪獣と見紛うばかりの巨鳥を倒したとされる第七席、辺泥べてい姉妹。


 ――その辺りは逸話も相まって特に有名だ。


 そして、それ以外の公認探索者も残党狩りで活躍した影響か、それなりに新宿の街の人たちに顔を覚えられるようになっていた。


 そんな公認探索者の中で、一人不審な動き――というか、不審者然とした格好の者がいる。


「とりあえず、新宿の当面の安全は確保出来たということで、政府からの依頼は完了コンプリートということになります。これは、日当に付いて記載された明細書です。金額についてはあらかじめ聞いていた口座の方に振り込んでおりますので、後で必ず確認をして下さい」


「分かりました……ゲホゲホ……」


 赤坂の高級ホテルのラウンジの片隅にて、スーツ姿にサングラスを掛けた男と面相が割れないようになのかフードを目深に被った男がひっそりと出会っていた。フードを目深に被った男は人目を憚るかのように辺りをキョロキョロと見回すと明細表を受け取って中身を確認するなり、その明細表の表面を軽く撫でるようにして指を素早く走らせる。それだけで明細表は裁断機シュレッダーで切断したよりも細かくなり、男はその『明細表であった物ゴミ』を近くのごみ箱へと丸めて捨てていた。


「南斗水鳥――いえ、凄いですね……」


「? 何がです? ゴホ……」


 スーツ姿のサングラスの男――政府関係者の感嘆にも似た感想を聞き、フードを目深に被った不審な男――如月景はちらりとフードの下から片目を覗かせる。その顔色は死人のような土色をしており、その目付きは世の中にスレてしまったかのように鋭い。公認探索者第二席の天草優は公認探索者一の二枚目として知られているが、この男はその真逆。不健康さと不気味さの極みのような男だ。


「いえ、刃物も使わずに紙を切られてしまわれたので……」


「慣れれば誰にでも出来るようになりますよ……ゴホゴホ……」


 景の返しに政府関係者は何とも味わい深い表情だ。内心、それはどうだろうと思っているのかもしれない。そんな感情が読めてしまったからなのか、景は「それでは、俺はこれで」とそそくさと退散する。


 高級なカーペットを土足で踏む感覚。その感覚に最初は戸惑っていたものであったが、赤坂の高級ホテルで何日も寝起きをする内にその感覚にも慣れてしまった。そして、最初は景の姿を見て驚いていた赤坂のホテルのスタッフも景の姿に慣れたのか、軽く礼をしてラウンジを歩く景に道を譲ってくれる。そんな彼らに軽く会釈をしながら、景はラウンジの中央部に取り付けられたエレベーターへとそそくさと向かう。ボタンを押して、エレベーターが下りてくるのを待つが、その間に同じように待つ人間が集ってくる。


 だが、景の姿を見るに、人々は一様に間隔を取るのだ。


 失礼だな、という感情はない。


 景は自分の見た目がどういうものであるのかを理解しているのだ。陰気で不気味な青年と積極的に関わろうという者などいないだろうと、ある種、諦観していたりもする。そして、今回も諦観して放っておいたのだが……、それにしては周囲のざわめきが収まらない。


 流石に何かがおかしいぞと思い、景が振り返ると、何と目の前に鈍色に輝く仮面を付けた怪しげな人物が立っているではないか。


 一瞬、目を見張る景だが、すぐに何事も無かったかのように前を向くと、エレベーターが下りてくるのを待つ。


「――おい」


 だが、その態度が気に喰わなかったのか、鉄仮面の方から積極的に話しかけてきた。


 景は面倒臭いなぁと思いながらも、もう一度背後を振り返る。


「何ですか、一席……、ごほごほっ……」


 それは怪しげな鉄仮面を付けながらも、あまりに存在感があり過ぎた。


 癖の無い絹のような黒髪を肩まで伸ばし、手足は細く、肌は白くきめ細かい。その鉄仮面があろうとなかろうと何処となく完成された美を匂わせる雰囲気が彼女にはある。


 だが、彼女が愛用する黒のジャージの上下が全てを台無しにする――公認探索者第一席である大竹丸とはそんな存在だ。


「妾に気付いたんじゃったら、ツッコむなり、尋ねるなりせぬか」


「俺、喉弱いんで……。そういう面倒臭いのは……。ごほごほ……。――あ、来た」


 エレベーターが止まったので景はすたすたと乗り込む。


 すると、鉄仮面大竹丸も次いで乗り込んでくる。


 たが、待っていた人々は誰も乗り込んでこない。そして、笑顔のままで、どうぞどうぞと先に行く事を勧めてくる。景は戸惑うが、やがて扉が勝手に閉まってしまったので目的の階のボタンを押してエレベーターを作動させる。


「一席が変な仮面しているせいで、皆乗るのを躊躇したみたいなんですが……ごほごほ……」


「DP産の装備じゃからな、コレ。人避けの仮面とかいう奴じゃ。しつこいナンパなんぞにも効果は抜群じゃぞ」


「一席を誘うとか……。勇気のある人もいたもんですね……ゴホゴホ……」


 軽く咳き込みながらも、景は内心では違うことを考えていた。そして意を決して、を大竹丸に確認する。


「ところで、一席は人間離れした強さらしいですね……ごほ……」


「そうじゃな。鬼じゃからな」


「…………」


 まともに答える気が無いのか、はぐらかされているのか。とてもまともではない答えが返ってきた為、景は暫しの逡巡。そして、この人からまともな回答は返って来ないと結論付けたようだ。それ以上、その話題を引っ張る事もなく、無言のままエレベーターで過ごす。


(一席が無茶苦茶強いというのは良く聞くから、彼女も俺と同じ生まれつきのナチュラルボーン異常体質なのか聞こうと思ったけど、鬼って何だ? 取り合う気がないってことか? それとも、これが西の方のノリなのか? 理解出来ない……)


「――着いたぞ。降りぬのか?」


 どうやら、景が考え事をしている間にエレベーターは目的の階に着いていたらしい。景もそれに気付いて慌てて降りる。ちなみにこの階には、公認探索者たちがひと纏めに集められている。政府関係者が連絡の通達を楽にする為の措置であろう。その為か、普段はあまり人の名前と顔を覚えない大竹丸と景も、互いの顔を覚えられるくらいには仲良くなっているようだ。


 そして、それだけの付き合いになると、互いの部屋も凡その位置は把握している。大竹丸は、景が自分の部屋とは別方向に歩き出すのを見て、思わず声を掛ける。


「仕事は終わったんじゃろ? チェックアウトの準備はせぬのか?」


 だが、景は軽く足を止めると――、


「やることがあるんで……ごほっ……」


 ――と言って、赤坂のホテルの廊下を歩いて行ってしまう。


 そんな景の後ろ姿をぼんやりと眺める大竹丸は、おもむろにぴんっと来たらしく景の後ろを、にししと笑いながら追跡する。


(あれじゃな。数日間の共同作業が小さな恋心を抱かせたかのう? これは、アレじゃろ? 別れる前の告白タイムじゃろうて!)


 そうして出歯亀をすることに決めた大竹丸。


 景はそんな大竹丸に気付いているのか、いないのか。割と早歩きにも近い速度で廊下を進むとひとつの扉の前で足を止める。そこは、大竹丸も知っている辺泥べてい姉妹の宿泊している部屋の入り口であった。その扉の前で若干呼吸を整えながら、景はその扉をノックする。


 やがて、その扉から出てきたのは辺泥姉妹――ではなく、制服姿のホテルマンであった。ホテルマンは急に現れた景の顔にビクッとしながらも、引き攣った笑顔で何とか取り繕うと、「何でしょうか?」と用向きを尋ねる。


「すみません、辺泥さんはおられますか……ゴホゴホ……」


「辺泥様でしたら、今朝早くにチェックアウトされましたが……」


「…………」


 その可能性は考えていなかったのか、景の動きが少しだけ固まる。そして、硬直すること暫しして――景は「そうですか、有り難うございます」とだけ言い残して、その場を立ち去っていく。


(彼女たちも俺と同じ生まれつきの異常体質なのか確認して相談しようと思っていたんだけど、結局話し掛けられないまま終わってしまった……)


 自分の引っ込み思案な性格に多少鬱になりつつも、景はとぼとぼと廊下を歩く。そして、そんな姿を見せるものだから、勘違いする者が出てくる。


「それで良いのかー! 若人よー! とぅっ!」


「一席? 何してるんです、こんな所で……荷物はもう纏めたんですか……ゴホゴホ……」


「それは、他の妾がやっておるから良い!」


「はぁ、そうなんですね……こほっ……」


 景はその言葉の意味を深く考えずに曖昧に頷く。そして、大竹丸はそれを同意の意味で履き違える。


「彼女たちに言いたい事があってきたんじゃろ!」


「えぇ、まぁ……けほっ……。(異常体質について聞きたかったけど、いないなら仕方がない……)」


「なら、ちゃんと伝えねばなるまい! (告白は出来る時にやっておかねばな! 遠距離恋愛もまた燃えるものよ!)」


「いや、今じゃなくても良いかな、と……。(異常体質についてなんて聞いたら)相手も戸惑うでしょうし……ごほっ……」


「そうやって先伸ばしにすると、結局勇気が出なくなるんじゃ! (成功するにせよ、失敗するにせよ、)とにかく結果は確認しておくべきじゃ!」


「(異常体質かどうか、)結果を確認ですか……。確かに一理ありますね……こほっ……」


「うむ、分かったようじゃな! では、行くぞ!」


「行く……? 行くって何処へ……? ゴホ……」


「決まっておる!」


 そこで大竹丸は渾身のどや顔を決めると明後日の方向へ向けて、びしっと指を指し示す。


「北海道じゃ!」


「そっち、西ですけど……ごほ……」


 景の冷静なツッコミが冴える中、大竹丸はその恥ずかしさを隠すように、ホテルマンに政府関係者への連絡を頼むのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る