第84話 そうだ、風雲タケちゃんランドに行こう⑩

 断崖絶壁を跳ねるカモシカの如く、華麗に脚を使ってステップを踏む巨漢。その巨漢が見据える先は、これまたスキンヘッドをした筋骨隆々とした巨漢である。スキンヘッドの巨漢は両腕をダラリと下げ、まるでガードなど必要ないとばかりに舌を出して「来いよ」と挑発を行う。


 だが、それに応じる事はなく、跳ねる巨漢――風間小次郎かざまこじろうは、スキンヘッドの巨漢――浦部圭介うらべけいすけの隙を窺うようにして、彼の周囲を衛星のように回り続ける。


 浦部がその様子を興味深げに繁々と眺めていたのは僅かの間であった。すぐにその状態に飽きて一歩を踏み出そうとしたところを――風間の速射砲のようなジャブが浦部の顔面を捉える。


 左の二連打。


 だが、風間は即座に距離を取る。その風間を追うようにして、大ぶりな浦部の右フックが空を切ったからだ。


 身の毛もよだつような風切り音――。


 普通なら、その音に足が竦もうものだが、風間は浦部の打ち終わりに合わせるようにして前進。拳に握り混んだ得物メリケンサックを強く握り込んで、一息に左のボディブローを浦部の右脇腹へと深々と突き刺す。


「がっ――」


 得物により倍加された打撃の衝撃が浦部を貫く。だが、浦部の体がくの字に折れることはない。


「――痛ぇじゃねぇか!」


 怒声を響かせながらも、裏拳が轟音を上げて空を薙ぐ。それを紙一重でバックステップして躱しながら、風間は浦部が突進してくるのを防ぐように、速射砲のような左を連打、連打、連打――。


 汗のような、血のような、赤い飛沫が細かに飛び散り、そこでようやく正面突破は難しいと考えたのか、浦部の上体が後方へと流れる。そんな浦部を追うようにして、風間が走る。体の重心が不安定なところへ高速のワンツー。その黄金のコンビネーションが浦部の体を捕らえ、浦部の体をダンジョンの床へと転げさせていた。


「つ、強い……! 風間さんってこんなに強かったの……⁉」


「元々、総合に行く前にも色んな道場で習っていたっていうのは聞いてたけど……」


 リングで戦う際には、汎用戦士オールラウンダーの二つ名を名乗って戦っている風間。その二つ名が示す通り、興行試合の通算戦績はそこまで圧倒的ではない。勝ったり負けたりとトントンだ。だが、風間の試合は冷めるような試合が一試合もない。全てがセミファイナルや、ファイナルを盛り上げようという


 そう、風間は試合が盛り上がるように、わざと対戦相手と同じ土俵戦い方に立って戦っているのだ。言わば、ハンデ戦である。


 だが、ダンジョンはそんな配慮の必要が無い。


 相手にとって最も噛み合わないスタイルで一方的にぶちのめす事を探索者の風間は信条としている。自分の命が懸かっているのだ。むしろ、当然である。そして、そんな風間が対浦部に合わせて選んだ戦い方はアウトボクサースタイル。足を使っての殴っては逃げヒットアンドアウェイで、浦部を一方的に痛め付けるつもりのようだ。


 だが――。


「くっくっく、コケちまったぜ……」


 浦部の表情から笑みが消える事が無い。それどころか、むしろ風間の顔色が悪いくらいである。やはり、と熊田もまた顔色を蒼褪めさせる。


「緑川、風間さんが時間を稼いでくれている間に、何とかこの窮地を抜け出す方法を考えよう……」


「え? 何でよ? 風間さんが浦部をボコボコにしてるじゃない。このままいけば……」


「浦部を見るんだ。まるでダメージを負っていないだろう? 奴のスキル【金剛力こんごうりき】の力だ。このままじゃ、風間さんの方が先にバテて一瞬で終わるぞ」


「【金剛力】……」


 浦部のスキル【金剛力】は青木の使う【蒼炎】と並んで、探索者の間では有名なスキルである。そのスキルの特徴は、端的に言うなら肉体の頑健化だ。皮膚や筋肉や骨が鉄のように硬くなり、体重が増す。そして、凡そ人間とは思えない怪力を扱えるようになるというのが【金剛力】の力だ。


 今は、風間が浦部をボコボコに殴ってはいるものの、【金剛力】の効果によって、そのダメージはほぼ無いに等しいだろう。それどころか、風間が一撃を食らったら簡単に状況がひっくりかねない危険な状態である。この状況を風間の楽勝と評することは、熊田には出来なかった。


 今も掴みかかってきた浦部の手を、風間は余裕の無い表情で避けて、距離を取ってのアウトボクシングスタイルに徹している。逆に言えば、それだけ接近戦を嫌がっているのだろう。無双の力を発揮する【金剛力】と正面切って殴り合いなど、ぞっとしないのだから当然である。


「でも、この状況を脱出しようと言われても……」


 三倍以上の人数で囲まれ、人数差は明白。今は浦部が風間と一対一タイマンをしている為か、手を出してこない新宿狩りたちだが、乱戦となったらどうなることやら……。そんな状況から活路を見出だすとなれば、やれる事は一点突破ぐらいだろう。だが、その一点突破も相手は想定しているのか、二階層に戻る為の階段前には一番多くの人数が配置されている。


 後は、三階層の奥へと逃げる方法ではあるが、そちらはほぼ探索者用の装備を用意してきていないので自殺行為だ。それでも、ダンジョンの奥深くに身を潜めて、何とか追跡の手を逃れられれば一縷の望みがあるだろうが、それは希望的観測であって、現実的ではないだろう。


 ならば、どうするのか。


「誰かを犠牲にして……無理矢理にでも一点突破……」


「それは、決死の覚悟がある者だけにしか出来ない手だよ、緑川。ここまでの事態を想定していなかった時点で、誰がその生贄になるのか、それで揉めて失敗する」


「……じゃあ、手はひとつしかないじゃない」


「あぁ、ひとつだ」


 緑川と熊田の目が風間と戦う浦部へと向けられる。風間は一対一タイマンだと言っていたが、不意打ちだろうと何だろうと二人の戦いに介入して浦部を倒す――。


 それが出来れば、烏合の衆である新宿狩りも雪崩のように瓦解して、緑川たちにも勝ち目が見えてくるのではないだろうか。緑川と熊田はそう考えたのである。


「緑川は浦部さん対策は?」


「あれだけメディアにも露出していて、能力もオープンにしているんだから、


 当然、考えてきているということだろう。自信ありげに緑川は頷く。


「まぁ、この秘策を使えば囲みの一角ぐらいは破れると思うのよね。だから、そっちに使っても良かったんだけど……」


 それだと、風間が人身御供になりかねない。ここまで命を張って、仲間を守る為に戦っている風間に、その仕打ちは流石に頂けないと緑川は考える。そんな緑川の思考とは別に、熊田は興味津々な様子で緑川に尋ねていた。


「何、用意してきたの?」


 すると、緑川はとても良い笑顔を作って――。


モンスターが逃げる奴こやし玉


「それ、こっちも戦闘不能になる奴じゃない? 大丈夫?」


 ――あまりにもニッコリとするものだから、熊田の不安さえも煽ってしまったようだ。どこか脅えたような視線を向けられる。


「大丈夫、大丈夫。息止めて目を瞑って走れば何とかなるから。ミリでも吸い込んだら死に掛けるけど。でも、これなら【金剛力】でも防げなさそうじゃない?」


 【金剛力】は外皮を鋼のように変えるスキルなだけに、内側は意外と脆いのではないかというのが、緑川の予想である。


 それには熊田も頷く。


「確かに……粘膜までもが頑丈になるんじゃないのなら通じそう……」


「そう言う熊ちゃんは何を用意してきたのよ」


「王水」


「熊ちゃんの方が拙いでしょ……! そもそもそんなもの何処から持ってきたのよ……!」


研究室ゼミで保管してあった奴を持ってきた。僕だってこんな事態にならなければ、使う気なんて無かったんだよ……」


 熊田の目は本気だ。それは、時と場合によっては人を殺す事も厭わないといった程に追い詰められていた。そんな目をした熊田の肩に、緑川はそっと手を乗せる。その手の温もりに熊田はハッとして緑川を見つめる。


「私たちは人殺しになる為に、探索者になったわけじゃないわよ……」


「……知ってる。元々は異世界転生ものとか、ダンジョンものとかのラノベが好きで、サークル内で意気投合したんだからね。それで、実際にダンジョンが出来て、皆で探索者になろうって盛り上がったんだ」


 そこには、今のような人同士の争い新宿狩り抗争の未来は描かれてはいなかった。熊田たちはもっと純粋な気持ちで探索者として活動してきたかったのだ。それが、いつの間にか動画配信者として有名になり、新宿ダンジョンのモンスター大暴走では英雄と呼ばれるまでになり、そして、今度は探索者同士の争いに巻き込まれている。


「あの頃の僕たちが思い描いた未来とはかけ離れた未来に、今はなってしまっているけど……」


「その現実に付き合って、私たちまでが道を踏み外す必要はないでしょう?」


 緑川の言葉に熊田は熟考した後で、深く頷く。


 そこで緑川も納得したのか、彼の肩から手を離していた。


「オーケー。じゃあ、次の話ね」


「あぁ」


「私たちを囲う包囲網の一角を破るには、風間さんの力が絶対に必要だと思うのよ」


「それは同感」


 今もなお、激しく浦部と打ち合う風間は、脚を止めることなく徹底的にロングレンジで浦部とやり合っていた。だが、一、二発軽いのが入ったのか、風間の動きはどこかぎこちない。その空気を感じ取ってか、浦部の顔には益々余裕の笑みが浮かんでいる。一方の風間は厳しい表情だ。


「だから、隙を突いて浦部さんにシュールストレ……こやし玉をぶん投げてぶつける」


「今、シュールストレミングって言おうとしなかった?」


「気のせいよ。とにかく、それをぶつけて噎せているところを風間さんを回収して、風間さんを先頭に一気に囲いをぶち破る、というのが私の作戦」


「出たとこ勝負感が強いけど……」


「じゃあ、他に何か良いアイデアでもあるの?」


「無いです……」


「なら、熊ちゃんは仲間にひっそりと伝言を回して頂戴。私は風間さんにどうにか伝わらないか試してみるから」


「了解」


 素知らぬ風を装いながら、二人はひっそりと離れる。緑川は風間を応援している体で風間へと近付き、熊田は影の薄さを利用して味方の主要な人物へとそれとなく話を通していく。


 熊田の方はそれほどの時間は掛からずに作戦を伝え終える事が出来たのだが、緑川の方はそうもいかない。追い詰められた風間の視野が狭くなっているのか、それとも浦部に集中しているのか、緑川と全然視線が合わないのだ。


 とはいえ、ここで過度に緑川がアピールすると浦部に気付かれてしまう。何気なさを装って、軽快に動く風間の視界の端に、浦部が緑川に背を向ける瞬間を待ち続ける。


 そして、その時が来た。


 緑川は風間に分かるように素早く手を振って、何かをするというアピール。


 だが、風間はそれが分かっているのか、分かっていないのか、何の反応も示さない。だが、その行動は逆に緑川に、のだと確信させていた。むしろ、気付いたからこそ、浦部に悟られないように何の反応も示さなかったのであろう。


 緑川がちらりと背後を確認すると、熊田はコクリと頷いていた。どうやら通達は全員に済んだらしい。後は、緑川がこやし玉を浦部に当てるだけなのだが……。


 緑川はおもむろに四角い小箱を背嚢から取り出すと、そこから野球ボール大の水風船を取り出す。その水風船の中身は黒く、赤く濁り、とてもではないが尋常な物が入っていないだろうと思わせるだけの迫力があった。それに気付いた者は思わず一歩を退いてしまう程に毒々しい。それをきちんと握り、緑川はキッと浦部を見据える。


 浦部の動き自体は遅い。


 だから、躱される事はないだろうと緑川は予想する。


 そして、緑川自体も運動神経には自信があった。小学校時代はリトルリーグの四番でエースだった事もある。だから、この距離で水風船を外す事はあり得ないと彼女は思っていた。


(だけど、ただ当てるだけじゃ駄目だ……)


 緑川謹製の劇物こやし玉は、激臭の物を色々とミックスしただけでなく、超強力な激辛の粉やら、痴漢撃退用の刺激スプレーなども混ぜられて作られている特別製なのである。なので、最大限に効果を発揮しようと思うのであれば、一番は顔にぶち当てるのが得策なのだが……。


(顔にぶち当てる。顔にぶち当てる。顔にぶち当てる。顔にぶち当てる。顔にぶち当てる。顔にぶち当てる。顔にぶち当てる……)


 緑川はまるで、自分を洗脳するかのように、ただそれだけを強く思い描く。それはまるで殺意にも似た感覚で、浦部がぞくりと背を震わせる程であった。


 その瞬間を見逃さない風間の上段蹴りが浦部の頭部に直撃――、浦部がたたらを踏んでよろめく中を、緑川はゆっくりと投球モーションに入る。――隙ありだ。


「浦部ぇぇぇーーーーっ!」


「ぁん?」


 動かない……いや、動けない中で浦部は首だけを回して緑川を見ようとして、その眼前に赤黒い球状のものが飛んできたことに気付いたことだろう。それを思わず頭を振って避けようとするが、赤黒い球……勿論、水風船だ……は浦部の顔の側面に当たって見事に破裂する。


 その速度、威力、共にお見事。


 そして、その後の惨事も緑川の想定通り――いや、想定よりも酷かった。


「ギャアアアアァァァァーーーーッ!」


 浦部が片手で顔を押さえ、絶叫を上げる。だが、顔を押さえれば、その手に強烈な悪臭と痛みが移り、彼を悪夢の彼方へと誘っていく。一瞬で地面を転げ回り、戦闘不能となる浦部。そんな浦部の近くで呆然とする風間に対し、緑川は吸い込んでいた息を思い切り吐いて叫ぶ。


「風間さん! 息を止めて! こっちへ走ってきて! それで皆の活路を開いて頂戴!」


「!」


 浦部には、それだけで緑川が言わんとした事が分かったようだ。


 少しだけ悔しそうな表情を浮かべて――それはプロ格闘家としての矜持だろうか――息を止めて浦部の側を走り抜ける。


「すまん、緑川く――……ゲホッ! ゴホッ! うげぇぇぇ、何だこの臭いは……っ!?」


「その臭いがあれば、活路も開きやすくなるでしょ! 風間さん頑張って!」


 鼻を摘まみながら、適当な切り返しをする緑川。その緑川の目にも涙が浮かんでいる。それだけ強烈な臭いだということだろう。風間はなんて事をしてくれるんだ、という思いを抱きながらも、既に戦闘が起き始めている二階層への階段方面へと向かって駆け出す。そんな風間に対しては、敵も味方も避けるようにして道を開けていた。どうやら、悪臭効果で活路は開けそうである。


「案ずるより産むが易し、か……」


 緑川は胸を撫で下ろしながら、ふと何気なく背後を振り返る。そこには顔を両手で押さえて転げ回る浦部の姿が――……。


 ――否。


 浦部の顔に皹が入っていた。


 その罅割れた皮膚がポロポロと崩れて、瘴気のような……何やら黒い煙が細く棚引いている。その煙の奥から丸い目玉が現れ、緑川をぎろりと睨む。


「見ぃたぁ……なぁ……」


「ひぃっ……!」


 人間の顔が割れ、中から別の生物の面相が現れるというのは、根源的な恐怖を抱かせる。緑川は背筋が硬直してしまったかのように棒立ちとなり、あまりの恐怖に視野が狭くなっていくのを感じた。今すぐにこの場を動かねばならないというのは分かっているのに、足が竦んで言う事を聞かない。


 そんな緑川を見て、せせら笑うようにして浦部が……いや、浦部だったものが立ち上がり、近付いてくる。


「何も見ずに逃げ帰るのであれば……、逃してやるつもりだったが……、これを見られたからには、生かしちゃあ帰せないなぁ……」


「――――ッ」


 緑川の脳裏に、今までの情報がフラッシュバックする。


 ――結論としては渋谷ダンジョンの探索者じゃ無かったし、新宿ダンジョンの探索者でも無かった。……正体不明の探索者さ。


 ――浦部はその探索者と共に渋谷ダンジョンの階層を一階層降りて、人目に付かないところで一対一タイマンを行ったようだ。そして、帰ってきた時には、その探索者はおらず、浦部だけが帰ってきたので、事態を見守っていた人たちは浦部が勝ったとして喜んだんだが……。


 ――その時期を境にして、浦部は新宿ダンジョンの探索者たちの行動が目に余ると公言し始めたんだ。


 浦部は正体不明の探索者と邂逅してから性格がおかしくなり、謎の探索者はそれと同時期に姿を消した。そして、今、浦部の顔をしていたモノが、浦部ではない何かとなって浦部の中に棲みついているのだとしたら……。


「アナタは、一体何なの……? 浦部さんは……、浦部さんは何処に行ったのよ……?」


「…………。お前は何も知る必要がない。何故ならぁ、お前も今日から俺たちの仲間だからだぁ……!」


「いや……っ」


 浦部だったモノの手がゆっくりと伸びてくる。その手からは強烈な臭気が漂っており、それが緑川の意識を僅かばかりではあるが覚醒させる。そんな緑川の様子に殿を務めようとしていた熊田や一部の探索者が気付く。そして、緑川が相対しているモノを見て誰かが叫んだ。


「浦部が――、浦部がモンスターになっているぞぉーーーっ!?」


 その叫びが波紋として広がるよりも早く、新宿狩りのメンバーの一部の顔に罅割れのようなものが走っていく。そして、彼らはと中から肉と骨だけの人体模型染みた姿を晒すとそのぎょろりとした瞳で誰彼構わずに周囲の人間を攻撃し始めていた。


 それは新宿狩りの仲間とて同じだ。


 正体不明の化け物に組み伏せられ、首筋に噛みつかれた途端、その傷口から何かが流し込まれ、その人間は苦しみ悶えて皮膚を掻き毟る。その結果、皮膚がボロボロと乾いた土壁のように剥がれ落ち、世にも悍ましい肉と骨だけの姿へと変貌する。そんな光景が周囲で繰り広げられていく。


 そんな中、風間は孤軍奮闘するかのように筋肉と骨の化け物を得物で殴り倒していくのだが、殴っても殴っても起き上がってくる姿はまるでゾンビのようでキリが無い。荒い息を隠そうともしないで、風間は悪態をつく。


「くそ、何だこれは……! 新宿狩りというのは化け物の集団だったのか! だとすれば、浦部も化け物に操られて……!」


 風間が周囲のモンスターを殴り倒して、一瞬だけ後方を振り返る。だが、その視線の先には、緑川を組み伏せようとしている浦部だったモノの姿が映った。まさに絶体絶命のピンチに風間の咆哮が轟く。


「緑川君ッ! 逃げろぉぉぉぉっ!」


 その風間の必死の呼びに意識がはっきりと覚醒したのだろう。緑川は顔面を蒼白にして、拒絶の意志を示すようにゆっくりと首を振る。だが、そんな行動で浦部が止まるはずもない――。


「さぁ、お前もお仲間入りだぁ……」


「いや……、いやぁ……、死にたくない……、助けて……、助けてよ……」


 眼前に伸びてくる巨大な手。その皮膚はボロボロと崩れ去り、その筋肉と骨だけになった体を、浦部だったモノは見せつけてくる。恐らく、もう彼らはその正体を隠すのを止めたのだろう。それだけ、確実に緑川たちを殺す自信があるのだ。それを動きが鈍っていく思考の中で考えた時、緑川の頭の中に人生の記憶走馬灯が駆け巡っていく。


 楽しいこと、悲しいこと、悔しいこと、嬉しいこと、憤ったことや辛かったこと、それを乗り越えた達成感や満足感、そしてどうにもならない絶望感……。


 色々な感情が渦巻く中で、とりわけ大きな心残りがあった事に緑川は気付く。意地を張らずにもっと素直になって、ちゃんと謝っておけば良かったと、今更になって後悔する。その思いが、現在の感情とごちゃ混ぜになってしまったからだろう。緑川の口から自然と声が漏れていた。


「助けてよ……、助けてよ、青木ぃ……っ!」


 ――次の瞬間、光が走った。


 蒼く、白いその光は文字通り閃光となって、緑川に迫っていた浦部だったモノの手を激しく弾く。周囲に火花が散り、その手の平が赤熱化したようにオレンジ色に輝く。浦部だったモノが何事かと自分の手の平を見つめるよりも早く、蒼白い光の火線が浦部の体に続け様にぶち当り、浦部はその威力に押されたのか転げながら、後ろに後退する。


 それが、一体何なのか……緑川がその答えに辿り着くよりも早く、二階層に続く階段の先より声が響いてくる。


「だから言っただろ? 電話通じないんだから、ダンジョンだって」


「いや、着拒着信拒否されてる可能性もあっただろ……」


「いや、どこまで鈍いんだよ……。ねぇよ、ねぇねぇ。緑川ちゃんが青木を着拒するわけねぇだろ。っていうか、案の定、無茶やってピンチになってるじゃん」


「いや、無い事もないと思うが……。いや、それ以前にやることがあるな」


 二階層へと続く階段から下りてきたのは長大な剣を肩に担ぐようにして持ってきた青木と、オーソドックスな長剣を腰に差した状態で軽く肩を竦めている赤川の二人であった。


 その二人の姿を見て、新宿狩りたちが、新宿の探索者たちが、渋谷の探索者たちが大きくどよめく。そんな周囲の様子に構わず、青木たちは堂々と歩を進め、やがて緑川と視線が合ったところで青木は――。


「――緑川の意見をあまり聞かずに色々決めたりしてスマン!」


 ――と謝っていた。


「このタイミングで言う事じゃないでしょおぉぉぉ!?」


 そして、緑川は涙で顔をぐちゃぐちゃにしながらも、青木にそうツッコむのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る