第82話 そうだ、風雲タケちゃんランドに行こう⑧
深夜、自宅のマンションでテレビを見ていた緑川は、玄関のインターフォンが鳴るのを聞いて「おや?」と顔を上げる。
「何か通販で物でも頼んだっけ……?」
だが、おかしな事もあるものだ。時刻は既に夜の九時も近い。こんな時間帯に荷物の宅配などするだろうか?
緑川は疑問に思いながらもカメラ付きのインターフォンで外を確認する。そこには、宅配会社の制服を着込んだ男が荷物を抱えて立っているのが見えた。
『夜分、遅くにすみません。お届け物です』
「あ、はい。少々お待ち下さい」
若干乱れていた身嗜みを直しつつ、緑川は慌てて玄関先へと向かう。だが、慌てていたせいかドアチェーンを外すのを忘れてしまっていた。そして、そのまま扉を押し開ける。
……その行動が緑川の危機を救う。
がんっと勢いよく捻じ込まれた靴の足先が、緑川の家の扉が閉じるのを強引に妨げる。
一瞬、何が起きたのか分からなくなる緑川。
そして、その扉の先にいたのは配達員の格好をした男だけでなく、覆面で顔を隠した男たちが四人も立っていたのだ。
何が――と思う間もなく、ドアの隙間に足を捻じ込んだ男が覆面の奥からぎらつく瞳を見せて緑川の顔を嘗めるようにして見つめてくる。
「どうも~、出張、新宿狩りでぇ~す♪」
それを聞いた瞬間、鈍っていた緑川の脳味噌は急速に再稼働。慌てて扉を閉めようとするが、男の靴先が邪魔で閉まらない。それでも、力を入れて何度も閉めようとしている内に男の声が怒気を含み始める。
「痛ぇな、コラ! これからお楽しみタイムだってのに暴れてんじゃねぇよ!」
「ギヒヒ! お前が乱れる所を、俺らが動画に撮って全世界に配信してやろうってんだ! 優しいだろ! 俺ら!」
「ヤラシイの間違いだけどなぁ!」
「ぎゃははは! 違ぇねぇ!」
「っていうか、コイツ、ドアチェーン付けてんぞ! チェーンカッターあっただろ、持ってこいや!」
「ひぃ――っ!?」
襲われそうになっている緑川の恐怖は如何ほどのものか。必死の表情で何度もドアを閉めようと繰り返し引っ張るが、その隙間はまるで固定でもされてしまったかのように動かない。そして、そんな必死の表情の緑川を嘲笑うかのように、新宿狩りの男の指がドアの隙間から、緑川の手に触れようと伸びてくる。
「ヒヒヒ! 配信の時もずっと思っていたが、お前って好い体してるよなぁ……! 今から抱くのが楽しみだぜ……!」
「うぅぅ、ぅぅ、あぁぁぁぁ――っ!」
半狂乱になりながらもドアを閉めようとするが、状況は一向に変わる気配を見せなかった。やがて、扉の隙間からチェーンカッターの武骨な金属の輝きが姿を現す。それを見て、緑川は頭の中が真っ白になる思いであった。いや、色々な思いが一斉に
緑川の腰が玄関先でペタンと落ちる中で、下卑た男たちの視線が緑川に絡み付く。あぁ、これで私も終わりか――と緑川が思う中で、変化は唐突に現れる。
「んだ、テメェは? 見世物じゃねぇぞ、散れや――ぐはっ!」
「何しやがる!」
「コイツ、例の奴だ! 畜生! 良い所で! ――退け退け!」
差し込まれていたチェーンカッターが引き抜かれ、扉の間に差し込まれていた靴先がいきなり引き抜かれる。それを見た緑川は大慌てでドアを閉め、すかさず鍵を閉めていた。その後は、ドアの向こうで暫くの間、騒動が続いたかと思うと、やがて奇妙な程に静かになる。
「…………」
緑川はバクバクと鳴る心臓を両手で押さえながら、じっと外の様子に耳を傾けていた。何が起きたのか、それともこれから何かが起きるのか。気が気でないといった様子だ。
すると、突如として再度インターフォンが鳴り、緑川は腰を抜かす程に驚く。彼女はそのままギクシャクとした動きで室内にまで戻ると、インターフォンのカメラ越しに外の様子をおっかなびっくりと窺う。
『あー……、そのー……』
そこには、顔に傷を作りながらも佇む男の姿が映っていた。そして、その男の顔に緑川は見覚えがあったのだ。
「か……、
『あぁ、そうだ。久し振りだな……』
そこには、渋谷ダンジョンナンバーツーの探索者、
★
翌日の昼――。
昨日の夜にあんな事があったばかりだというのに、事情を説明したいという風間の言葉を信じて、緑川は外へと出ていた。
とはいえ、流石に昨日の事件の心の傷は深く、一人で外を出歩くのは怖すぎた為、退院明けの熊田を呼んで、二人で歩いている。
目的地は
そんな風間に片手を振りながら、緑川は近付いていく。
「お待たせしました」
「…………。今日は来られないと思っていました。――強いですね」
「凄い勇気が要りましたけどね……。でも、あんな目にあった以上、色々知る必要があると思って今日は来ました」
その瞳には、コチラがここまで無理をしてやって来たのだから、洗いざらい全部吐いて貰おうじゃないの、という情念が宿っているかのようだ。
風間は諦めたかのように、ため息を吐き出す。
「こっちにも色々と言い分があるんだ。まずはそれを聞いてくれると嬉しいんだが……」
風間の先制攻撃に、とりあえず聞くだけ聞くという態度で応える緑川。そんな彼女を見て、胸を撫で下ろす風間はポツリポツリと語り始めた。
「元々、渋谷ダンジョンの探索者は、別に新宿ダンジョンの探索者を嫌ってなんかいなかったんだ。一応、距離的に近い事もあって一方的にライバル視はしていたが……。それでも新宿狩りなんて始める感じじゃなかったんだよ」
「新宿狩りは、渋谷ダンジョンの探索者の総意では無いと言いたいの?」
「当然だ。あんなのは一部が暴走して犯罪者集団になっているに過ぎない。まともな渋谷ダンジョンの探索者はいくらでもいる。そうして、まともな渋谷ダンジョンの探索者が集まって、この状況を何とかしようとして出来たのが新宿狩り狩りだ」
「新宿狩り狩り……」
「何がなんだか、だねぇ……」
ネーミングセンスはさておき、新宿狩り狩りは犯罪者集団へと堕ちた渋谷ダンジョンの探索者たちを説得、あるいは暴力に訴え、鎮圧するのが目的なのだそうだ。何処の世紀末だと突っ込む所だろうが、昨日あんな目にあった緑川としてはまともに笑えそうにない。
「渋谷ダンジョンの探索者たちは、今、必死で新宿狩りを何とかしようと動いている――」
「動いているのは分かったけど……。元々渋谷の探索者が敵対的ではなかったって言ってたわよね?」
「あぁ」
「じゃあ、新宿狩りが始まったのは何故なの? その原因は? それは何?」
「それは……」
暫しの逡巡。
風間はそれを話すべきかどうか迷っているらしい。だが、緑川の鋭い視線に気が付くと、ゆっくりと重い口を開く。
「恐らくだが、浦部がおかしくなってしまってからだと思う……」
「浦部さんが……?」
「おかしく……?」
緑川と熊田は、それは初耳だとばかりに顔を見合わせるのであった。
★
又聞きなので正確じゃないかもしれないが、と前置きをして風間は語る。
そもそもの発端は見知らぬ探索者が、渋谷ナンバーワンの探索者、浦部に声を掛けてきたことから始まる。
「挑発して喧嘩を吹っ掛けたんですよね? それは、僕も聞きました」
「でも、待って。熊ちゃんは新宿ダンジョンの探索者が喧嘩を吹っ掛けたって言ってなかったっけ? ……見知らぬ探索者?」
「いや、僕は新宿ダンジョンの探索者だって聞いたよ。違うんですか?」
「……浦部ファンがスマホで写真を隠し撮りしていたのが幸いした。その男の顔の引き延ばし写真を使って、色んな奴に確認して回ったんだ。色々と事情を聞きたかったからな。……当然、新宿ダンジョンの探索者にも聞いてみた。コイツを知っているか、とな。だが、結論としては渋谷ダンジョンの探索者じゃ無かったし、新宿ダンジョンの探索者でも無かった。……正体不明の探索者さ」
「胡散臭いですね……。その人って今も渋谷ダンジョンに潜っているんですか?」
「いや……生死不明だ」
「「!?」」
より正確に言うと、浦部との
「浦部はゴツい見た目に反して優しい奴だからな。衆人環視の中で、その跳ねっ返りを
「喧嘩を売ってきた相手が全然姿を現さなかったと?」
「バツか悪いだろうから、違うルートでダンジョンを脱したんだろうと浦部は語っていたらしいが……。それらしき姿を見た者がいない」
「それって……」
勢い余って――といった考えを持った緑川であったが、慌てて頭を振る。
もし、そんな事態になったとしても、緑川の知る浦部であれば、傷付いた相手を背負って階層を上るなり周囲に助けを求めるはずなのだ。それが無いという事は、相手も軽症で済んだといったところか。
風間は続ける。
「その時期を境にして、浦部は新宿ダンジョンの探索者たちの行動が目に余ると公言し始めたんだ。事実、新宿ダンジョンの探索者の中にはマナーの悪い奴も多かった。特に、渋谷ダンジョンはモンスターが弱いから、人数が増えることによってモンスターの取り合いが色んな場所で起きて、その言葉が刺さる奴が多かったんだ。それが、新宿狩りなんてふざけた存在を生み出す切っ掛けになったんだと思う」
「浦部さんが、そんな事を言い始めるなんて……」
「にわかには信じ難いな……」
「だから、おかしくなったと言っている」
珈琲に口を付けながら、風間は苦々しげに言う。それは、珈琲が苦過ぎたというのもあるのだろうが、彼自身も信じられないという部分もあるのだろう。むしろ、浦部を良く知る者であればあるほど、その豹変ぶりに納得が出来ないのではないだろうか。
「俺も何度か浦部に会って、新宿狩りを止めるように言ったんだが、浦部は自分は思った事を言っただけで、新宿狩りには加担していないから関係ないの一点張りで、とにかく話を聞いてくれなくてな……。かといって、新宿狩りをダンジョン内で相手にして止めようとなると危険過ぎるし……」
風間は筋骨隆々の偉丈夫である。緑川の記憶では、彼は確か総合格闘技の興行でも前座として活躍しているプロの格闘家であったはずだ。そんな彼であるからこそ、ダンジョンの外では新宿狩りを狩る事が出来るのだろう。だが、
「アイツらは色んな人間を脅してDP産の武器や防具やスキルを出させると、接収しているみたいでな……。正直、渋谷ナンバーツーと呼ばれている俺を擁していても、渋谷狩り狩りで対抗するのは厳しい状況になりつつあるんだ……」
「そんな状態なのに、浦部さんは動かないんですか?」
「アイツはむしろ、そんな新宿狩りを裏で操っているんじゃないかというぐらい新宿狩りたちとは仲が良い。むしろ、新宿狩りと敵対している俺たちに対して、浦部の当りがキツくなっているくらいだよ」
「それだと、浦部さんに発言の撤回を求めるというのは難しそうですね」
熊田も、うーんと唸りながら悩み始める。
一番良い手としては熊田の言う通り、浦部の意見を翻させる事なのだろう。だが、それは難しそうである。では、新宿狩りをどうしたら良いのか。
「こういう時こそカリスマの出番だと思って、今日は蒼き星のリーダーである青木君に相談したかったんだが……。緑川さんに熊田くんが連れ添っている所を見ると喧嘩でもしたかな?」
「ぶっ――」
思わずミルクティーを吹いてしまう緑川である。そんな緑川におしぼりを手渡しながら、熊田が「えぇまぁ、そんなものです」と愛想笑いを浮かべる。そんな熊田の脇腹に緑川の肘が入ったのは言うまでもない。
「痛っ! ……いや、でも、この件を青木たちが知らない可能性は十分あるよね。まだ、一部のネットくらいでしか話題になってないし……。折角だし、この件を教えるついでに仲直りしてみたら?」
そう言う熊田の手は親指と小指を立てた状態となっていた。どうやら、青木に電話を掛けろという事らしい。
緑川も青木と仲直り出来る機会は窺っていたのだ。だから素直に飛びつけば良いのだが、何処か
仕方ないわね、緊急事態だしね、と何度も自分に言い聞かせるようにして呟いて、青木の番号に掛けたのは十五分後のことであった。
若干、熊田と風間の目が面倒臭そうになっているのは気のせいだと思いたい。
やがて、数度のコール音が鳴り、ガチャリと通話先に繋がる音がする。それを待ちきれなかったとばかりに緑川は「もしもし、青木?」と弾んだ声で話をし始めるのだが……。
『おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか、または電源が入っていないため――』
……さくっと通話終了ボタンを押す緑川の顔はすこぶる笑顔であった。
「あんな馬鹿に頼っていたら駄目よ! 新宿狩りの件は私たちで何とかしましょ!」
笑顔なのに何故か怒気を感じた熊田と風間は、素直にその場でコクコクと頷くことしか出来ないのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます