第78話 そうだ、風雲タケちゃんランドに行こう④

 授業中は静かだった教室に徐々にざわめきが浸透し、各々が席を立って次の授業に向かおうとする中で、丁寧に貼られた保護フィルムの下の携帯スマホ画面は依然として真っ黒なままであった。


「はぁ……」


 そんな画面を見つめながら、授業の終わった教室の中で緑川は一人ため息をつく。その心に去来するのは、一週間程前に喧嘩別れをしたばかりの親しい友人の顔であろうか。なんとなく着信がないかと、携帯電話のロックを解除してみるが、お望みの相手からの着信もメールも無し――。


 その様子に落胆したかのように肩を落とす緑川だが、代わりとばかりに他の友人から無料通話アプリにてメッセージが届いている事に気が付く。しかも、慌ただしいくらいに何回もメッセージが届いていているのだ。


(何かあったのかな?)


 そして、そんな複数あるメッセージの内容に目を通すよりも早く、その友人からまた新たなメッセージが届く。


 >みどっちー、今大丈夫ー?


 >うん。なんかすっごい数のメッセージが飛んでるんだけど?


 >いや、なんかヤバくてさー


 >ヤバい? 何が?


 >みどっちも知ってると思うけど、ウチの彼氏探索者なんよー


 >聞いたことあるような……無いような……


 >前に言ったって! それで元々みどっちと同じ新宿で探索者やってたんだけどさー。今、新宿ダンジョン入れないじゃん?


 >うん


 >だから、稼ぐ為に渋谷ダンジョン行ってるんだけど、そこが何か色々とヒドイらしくてさー


 >どういうこと?


 緑川は思わずそうメッセージを書き込んでいた。


 渋谷と新宿は距離的にも離れていない為、緑川も渋谷ダンジョンには潜った事がある。


 出てくるモンスターも新宿ダンジョンに比べれば、ゴブリンやオーク等の正統派オーソドックスなもので、新宿ダンジョンと比べると随分とと感じたものだ。


 そんなダンジョンがとは、一体どういうことなのか。


 緑川は友人からのメッセージを待つ。


 >新宿狩り? みたいなのが流行ってるらしくってさー


「新宿狩り……?」


 緑川も思わず首を傾げる謎ワードだ。


 だが、詳細は次のメッセージで何となく知れた。


 >元々渋谷でやってた探索者が、新宿ダンジョンから越してきた探索者をダンジョン内でイチャモン付けてボコるんだって。私の彼氏も追っかけ回されたっぽい……


 >それ、大丈夫だったの?


 >軽い怪我したけど、大丈夫だったって。けど、怖くてもう渋谷行けないって言ってた


 >そうなんだ……


 >みどっちも新宿に潜ってたって知られてるから、渋谷には近付かない方が良いよ。じゃあね~♪


「新宿狩り……」


 誰が何の為にそんな事を始めたのか全く理解出来ないが、その時の緑川はその事を気にも留めていなかった。そう、一週間後に熊田が新宿狩りにあって大怪我を負うまでは、脳裏の片隅にさえ置かれていなかったのである。


 ★


「――熊ちゃん!」


「あ――……んっ!」


「どうです? 熊田さん、美味しいですか?」


「うん、おいちぃ! ……って、あれ? 緑川じゃないか」


 熊田が新宿狩りに遭って怪我をしたという情報を得た緑川は授業を休んでまで、熊田が運ばれた病院へと駆け付け、熊田の病室を訪ねたのだが……。そこには鼻の下を伸ばしながら、年若い少女に兎さん林檎を食べさせて貰っている熊田の姿があった。緑川は思わず無言で踵を返す。


「ちょ、ちょっと待て! 緑川! 何か誤解してるぞ!」


「お幸せに」


「いや、違うんだ! 右腕に皹が入って動かせないから食べさせて貰っていただけで! やましい気持ちとかは全然無いんだ!」


 熊田の必死の説得が功を奏したというわけではないだろうが、緑川は足を止めてゆっくりと戻ってくる。


 全体的に白い病室内にはベッドが四つあり、その内の三つは使われていないようだ。一人で病室を占有しているような状態の熊田はベッドに寝転がりながら、その太い右腕と左足をゴツいギプスに固められている状態である。動画撮影用の様々な機材を軽々と運んでいた姿を知る緑川としては、その痛々しい姿に思わず息を飲んでしまう。


 だが、そんな空気はおくびにも出さずに務めて明るく振る舞う事に緑川は決めた。そもそも本人が深刻そうではないし、あまり深刻にするのも悪いかと思ったからだ。呆れた表情を作りながら近くに置いてあった丸椅子を持ってきて、彼女はベッドの近くに座る。


「新宿狩りに遭って怪我したってメールが飛んできたから、急いでやってきてみれば、女の子とイチャイチャしてるし……。急いで来たこっちの身にもなってよね……。というか、病院で携帯使ってるんじゃないわよ……」


「メールの方は僕の携帯を使って、彼女に打ってもらったんだ。だから、病院内では使ってないさ」


「はい! 私が打ちました!」


 元気よく片手を上げる少女を見て、緑川は思わず胡散臭そうな目を向ける。見覚えのない少女だ。


「で? 彼女は誰?」


「あ、申し遅れました。私、北見藍佳きたみあいかと申します。その……渋谷ダンジョンで探索者をやっていた折に、新宿狩り? というのに狙われまして、そこを熊田さんに助けて頂いたというか……」


「熊ちゃん……」


 また新宿狩りか、と思いつつも緑川は熊田に視線を向ける。すると、彼は真剣な表情で緑川を見つめてきていた。


「その感じだと、緑川も新宿狩りを知っているみたいだね」


「友達に警告を受けた程度だけどね」


「僕もつい最近知ったんだ。知り合いの探索者も結構被害を被っているから、出来る事なら注意しようと思って、渋谷ダンジョンに行ったんだけど……駄目だね。話し合いはほぼ不可能だよ。あれはほとんど暴徒だ」


 熊田の話では、元々渋谷ダンジョンに潜っていた探索者というのは、新宿ダンジョンの探索者に対して強い劣等感を抱いていたらしい。


 そして、新宿ダンジョンが一時的に閉鎖された事もあり、新宿ダンジョンの優秀な探索者が渋谷ダンジョンに数多く流れた。そこで、元々持っていた劣等感もあり、渋谷と新宿ダンジョンの探索者の間で小さな軋轢が生まれたのだという。


「要するに縄張り争いのようなものだ。渋谷ダンジョンの探索者は新宿ダンジョンの探索者が、自分たちの狩場を荒らす害虫のように思えて仕方がない。そして、新宿ダンジョンの探索者は渋谷ダンジョンの探索者を自然と下に見る傾向がある。そんな小さな軋轢の積み重ねはあったけれど、最初はどちらのダンジョンの探索者も不干渉だったようだよ。でも、ある時を境にして、その関係は狩る側と狩られる側へ変わった」


「ある時?」


「渋谷ダンジョンの探索者の中でカリスマ的人気と圧倒的な実力を誇る男――浦部圭介うらべけいすけ。彼が積極的に新宿ダンジョンの探索者たちの排除運動を始めてから、新宿狩りといった行動が活発化し始めたようだ」


 浦部圭介であれば、緑川も知っている。


 民間にダンジョンが解放されたばかりの黎明期に、蒼き星ブルースフィアと並んで探索者雑誌等で紹介されていた腕利きの探索者だ。雑誌では良く、新宿の青木と対照的に、渋谷の浦部として扱われていたのを覚えている。彼もまた青木と同じで強力なスキルを使い、ずっと第一線で活躍してきた凄腕である。


 緑川も浦部には、渋谷ダンジョンに潜る際に何度か挨拶した事もあるのだが、新宿狩りといった過激な行動をしそうにない人柄であった。


「浦部さんが、音頭を取ってやっているっていうの? そんな事ありえる?」


「別に浦部さんが音頭を取ってはいないとは思う。……ただ、噂で聞いたんだけど、馬鹿な新宿探索者が浦部さんに突っ掛かっていって返り討ちにあったって話があったんだよね。どうもそれが渋谷ダンジョンの探索者たちの鬱屈とした気持ちに火を点けたんじゃないかな。それが引き金で暴れているんだと思う」


「そんなの止めようがないじゃない……」


 熊田の話を聞いていると新宿狩りの正体は鬱屈した渋谷ダンジョンの探索者たちの暴走した集団心理となる。それを止めるとなるとどうしたら良いのか。緑川には皆目見当が付かない問題だ。


「だから、蒼き星ブルースフィアと浦部さんで話し合って仲直りする姿でも見せられれば、皆丸く収まってくれるかなぁと思って、僕は行ったんだけどね……」


 熊田は熊田なりに考えがあったようだが、結果はこの様である。面目次第もないだろう。


新宿狩りアレは、凄く危険だね。新宿とか探索者とかもう関係がないんじゃないか? タガが外れているように感じたよ」


 熊田が言うには、新宿狩りはダンジョンに入った探索者を誰彼構わず襲うらしい。そして、金品や装備を剥いだり、女性には暴行を加えたりとやりたい放題だということだ。それらは、本来警察の案件となるのだが……。


「ダンジョン内での出来事の立証は、現時点での法律では難しいからね……」


「泣き寝入りするしかないって言うの!?」


「監視カメラも無ければ、証拠品だってダンジョンに吸収させちゃえば無くなっちゃうんだよ。証人だって、ダンジョンは薄暗い所が多いから、少し脇道に入っちゃえば誰にも見られることなんて無くなるし……。立証するのが凄く難しいんだよ」


「だからって……!」


「一応、僕もそういうことがあるかもとは思って、ICレコーダーも用意していたんだけどね。気絶している内に相手に取られちゃったみたいで……」


「熊田さんは、私を襲おうとしていた連中から身を呈して庇ってくれたんです! 熊田さんに落ち度はありません!」


 北見が目の端に涙を滲ませながら言う。


 彼女としては、一生消えない心の傷を負うところだったのだ。そんな彼女からすれば、それこそ熊田は英雄ヒーローであろう。そんな熊田を責める緑川は悪者か。緑川は一度気持ちを落ち着かせるようにして、大きく息を吐く。


「警察に届けは? 顔や背格好ぐらいは見ているんでしょ?」


「覆面で顔を隠していたから顔は分からないね。体形も中肉中背ぐらいとしか……まぁ、そんな感じだから、警察には届けるだけ無駄かなぁって……」


「出しときなさいよ。泣き寝入りは良くないわよ」


「分かったよ」


 渋々頷く熊田だが、その後でその表情を厳しいものに変える。


「緑川も気を付けた方がいい。あれはもう問答無用で自分たちの欲望の捌け口を探している感じだった。もしかしたら、ダンジョンの外でだって平気で犯罪を行うかもしれない。気を付けるに越した事はないよ。特に、彼らにとっては蒼き星僕らなんて格好の獲物だろうしね」


「……本当に犯罪者予備軍という感じになっているのね。分かったわ、気を付ける」


 緑川はそう言って気を引き締めながらも、今は近くにいない男のことを思って少しだけ寂しい気持ちを募らせるのであった。

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