第68話 鬼、語り合うとす。

 東京都内某所――。


 数多くの高層ビル群が織り成すオフィス街の一角にあるその高層ビルの中では、てんやわんやの事態が起きていた。警告アラートを示す赤色灯が回り、目に優しくない色彩が周囲を染める中、白髪の美人主任……伊吹麗華いぶきれいかはその端正な顔を歪ませる。


警告アラートが出ているのに、脱落者ゲームオーバーじゃないのね?」


 何度も報告を受けている事項を繰り返し確認するように副主任に尋ねると、副主任は一角だけがガラスの壁で出来た遮断部屋シールドルームを見ながらコクリと頷きを返す。


「えぇ。試験遊戯者テストプレイヤー体調バイタルにはひとつも変化がありません。それなのに、警告アラートが収まる気配がなく……。現在は全試験遊戯者の遊戯情報プレイデータの過去記録ログを吸い上げて、警告アラート開始時間から当たりを付けて何が起こったのかを解析する方向で動いています」


「そう。大変なのは分かっているけど、急いで頂戴。このプロジェクトを落とすわけにはいかないのよ」


「それは、我々も重々承知しています。ですが、抽出する情報データが何分膨大なもので……。我が社が独自に開発したスーパーコンピューターを以てしても、原因の解明には一日以上の時間を要するかと……」


「歯痒いわね……」


 ギリ、と伊吹は自身の下唇を噛み締める。


 その表情を見て、副主任は伊吹がどれだけこのプロジェクトに情熱を注いでいるのか分かった気がして、思わず慰めの言葉を掛けてしまう。


「仕方ありませんよ。全世界初の本格的なVRMMORPGの開発ですから、予期せぬ緊急事態トラブルというものは得てして起こるものです。むしろ、ここまでが順調過ぎましたし……」


「そうね……。そうよね……」


「とりあえず、私も記録確認班ログかくにんはんの方に合流して少しでも時短出来る方法がないか探すようにハッパを掛けてきます。では、伊吹主任……」


「えぇ、お願いするわ」


 そうして、遮断部屋を臨む操作室コントロールルームから副主任が出ていき、室内には伊吹ひとりだけとなる。彼女は白い髪をがりっと掻き毟りながら、鬼気迫る表情で警告文が出力するモニターを睨み付けていた。


「あぁ、くそっ……! ようやくアレが出てきたかもしれないというのに……! 現場に行けないというのは本当に歯痒いものね……っ!」


 彼女は唾棄でもするかのように、そう口惜し気に呟くのであった。


 ★


「…………」


「? どうかしたかい? 天草君?」


 不意に立ち止まって地面を眺める天草優の姿を見て、橘茂風が声を掛ける。思わず茂風も地面を眺めるが、そこには割れたアスファルトしか存在せず、特に何があるわけでもない。あえて言うなら、少し皹割れている所が戦いの後を感じさせるぐらいだ。


「……いえ。酷い有り様だな、と思いまして」


「あぁ……。そうだね……」


 優の言葉に茂風は心の底から同意する。


 アスファルトで舗装された路面は所々が皹割れ、コンクリートで出来たビル群は何かに衝突されたかのように大きく砕けた場所が目立つ。街路樹は強風に煽られたかのように、そこかしこで折れ曲がり、信号機などは途中で断ち切られたような跡を残して火花を散らしている始末だ。


 一体此処はどこの終末の世界なのだろう。


 そう茂風も疑った程である。


 だが、ここは紛れもなく新宿であり、そこに集う人々がいたはずなのだ。


 それを思うと、周囲一帯に転々と血の跡が付いていたりして、生々しい想像が思考を満たす。茂風はそんな想像を追い払うように首を振ると、改めて生存者がいないかを探して歩く。


 新宿ダンジョンの突如の大暴走スタンピード


 それは、茂風が到着した時にはある程度収まっていた。


 まだ街に放たれたモンスターは居ることには居るが、それもダンジョン内から無事に生還出来た新宿ダンジョンの探索者や、現場に到着した自衛隊の手によってあっという間に数を減らしている。


 そして、ある程度の安全が確保出来た中を、こうして要救助者がいないかを彼ら公認探索者たちは探して歩いているのであった。逆に言えば、それぐらいしか仕事がないというのが正しいか。完全に出遅れていると言って良いだろう。


(しかし、第一席が到着して三十分もしない内に混乱の大半は収まったというのだから、とんでもない話だな。その第一席は新宿ダンジョンの奥深くに潜っていって三時間も音沙汰がないわけだが……。流石にまだダンジョンの迷宮を彷徨っているといったところか……)


 新宿ダンジョンから無事逃げ出すことが出来た探索者たちの話によると、この新宿ダンジョンはスカンダクツと呼ばれるS級ダンジョンであるらしい。


 普通ならS級ダンジョンと聞いて中に突入した探索者の心配をするところなのだが、中に突入したのは、公認探索者第一席を予定されている大竹丸だ。


 そして、彼女は公認探索者の顔合わせの際に、S級ダンジョンを単独で攻略した事を宣言していた。


 それが、本当なら慌てる必要はないという公認探索者たちの判断である。


 何より、一番慌てるべきであろう大竹丸の探索者パーティーのメンバーが一番落ち着いてモンスター対処の仕事をしているのだ。


 彼らが、あぁだこうだと口を挟む事ではないと判断するのも当然なのかもしれない。


「……あ。……ゴホゴホ」

 

 やがて、如月景が何かを発見したのか、小さく呟いて足を止める。


「……あそこ」


 そこには、降ってきたらしい巨大な瓦礫を背凭れにして座り込む辺泥べてい姉妹の姿があった。彼女たちは薄汚れた姿のまま、どこか虚ろにも見える表情を浮かべて座り込んでいる。


「おいおい、無茶して死んだかぁ?」


 島津が心無い言葉を掛けるが、辺泥姉妹は答えるのも億劫そうに上空を指さす。


「あ? 何だぁ? 上に何かあるっていうのかよ? ――うっ⁉」


 そこにはビルの屋上のフェンスに引っ掛かった形で、でろりと首を垂れて白目を剥いている巨大な怪鳥の姿があった。どうやら、辺泥姉妹はあの巨鳥を仕留めたらしいと知って、島津の軽口も止まる。


「私たちは頑張った……」


「私たちは全力で迎え撃った……」


「それでも足りなかった……」


「それでも助けられた……」


「アズマ婆よりも、一席は凄いかも……」


「アズマ婆よりも、一席はとんでもないかも……」


「世の中は広い……」


「世の中は凄い……」


「私たちは限界だから、先に行って……」


「私たちは限界だから、放っておいて……」


「いやいや、そういうわけにはいかないでしょ!」


 茂風がそう叫ぶと要救助者発見と叫んで、自衛隊員を探して道路を走って行ってしまう。


 そんな茂風の後ろ姿を眺めながら、優はビル風によって流される自分の髪の毛を押さえつつ、ふぅんと感心したような声を出す。


「一席ってそんな凄いんだ。へぇ……」


「…………」


 独り言にも近いその言葉を近くにいたばかりに聞いてしまった景は気まずい思いをしながらも、座ったまま動かない双子とビルの屋上の巨鳥へと交互に視線を移して、何となくだが親近感を覚えていた。


(あんな大きな鳥を、ダンジョン外で倒すなんて……。もしかして、俺みたいな特殊な人なのかな……。この娘たち……)


 あと、缶ジュースが飲みたいなと益体もなく思いながら、ぼぅっと景は自衛隊員が近付いてくるのを待つのであった。


 ★


 一方の塞建陀窟第十五階層では、小通連を足の指で掴まれた大竹丸が、片脚を上げた状態で完璧なバランスを保つスカンダと相対していた。


 大竹丸は小通連をいつ消すかのタイミングを窺い、スカンダはそんな大竹丸をつぶさに観察し続ける。


 その結果、先程までの激しい追い掛けっこは一時的にではあるが、停滞の様相を呈していた。


 そして、その停滞した空気を打ち破るかのようにスカンダが口を開く。


「तुम कौन हो?」


「なぬ……?」


「你是谁?」


「……何を言っておる?」


 緊迫した場面であるにも関わらず、思わず眉根を寄せる大竹丸。


 だが、スカンダはようやく分かったとばかりに軽く頷くと、


「君は何者だ?」


 そう流暢な日本語で語りかけてきたのである。


 それを胡散臭そうな目で見つめる大竹丸。


「先程まで殺し合いをしておいて、今更それを尋ねるとはおかしな話じゃ」


「ははっ、目の前を小蝿が飛んでいたら何も考えずに潰そうとするだろう? そういうことだよ」


 何だコイツは、いけ好かぬ奴じゃ、と大竹丸の中で不満が募る。


「妾は小蝿か」


「だが、先程は私の攻撃を止めた。だから、興味が湧いたんだ。少し話をしてみようと思ってね」


 顔に自信を滲ませ、スカンダはそう話す。


 先程からの余裕のない態度とはまるで違った立ち居振る舞い。そして、動き自体も先程からとは目を見張る程に良くなっている。そこから、大竹丸はある結論を導きだす。


「その口ぶりじゃと、先程のスカンダとやらではないのか? まるで、別人のようじゃが?」


 そう尋ねると、スカンダは実におかしそうに表情を歪めて笑う。


 やはり、先程のスカンダとは同一人物とは思えない。


「ふふ、どうだろうね? 今、君は非常に素晴らしい奇跡に出会っているのかもしれないよ?」


「殺し合いを望む奇跡とは物騒なことじゃ」


「殺し合い? 何故殺し合うんだい?」


 ニヤニヤと笑みを消さないスカンダを前にして、不意をつかれたように大竹丸の声色が一オクターブ上がる。


「はぁ? 何を言うておる?」


「殺す、殺さないは、私の意志ひとつだからだよ。殺しにはならない」


 きょとんとした顔を見せた後で、大竹丸の表情が獰猛な獣のように変化していく。彼女の中で何かスイッチが入ったのだろう。なまじ美しい顔をしているだけに、その笑みには凄絶さが目立つ。


「呵々! 言いよる! なら試してみるかのう!」


「本気かい? 少しは会話が出来るかと思ったんだけど、やはり小蝿は小蝿か。こんな世の中だったら、かな」


「――ごちゃごちゃと喧しいんじゃ! やるならやる、やらぬならやらぬと腹を括らぬか!」


 大竹丸が掴まれていた小通連を掻き消し、スカンダがすかさず動く。


 槍のような前蹴りが大竹丸に向かって繰り出され、大竹丸はそれを足を使ってすかさず回避。


 だが、スカンダはすかさず腰を入れて、蹴りの軌道を変える。前蹴りからの変形のブラジリアンキック。足の甲が大竹丸の腿を砕こうと奇妙な音を立てて襲い掛かる。


 それを、大竹丸は小通連で迎撃しようとするが、迫っていた脚がぴたりと止まり、その斬撃は見事に透かされる。


 してやったりの顔のスカンダだが、行き過ぎた剣閃が突如としてスカンダの脚の前に戻ってワープしてきて、その刃を翻す。


「ほう……」


 戻ってきた刃を脚を垂直に上げることで回避したスカンダは、新体操選手も真っ青な運動神経で片足後方宙返りを行うと華麗に退いて着地を決める。


 若干、得意気な顔になるスカンダだが――、


「どや顔の所、悪いんじゃが――」


 ――大竹丸は小通連の切っ先をスカンダの足元へと向ける。


 そこからは僅かではあるが、細い血の糸が滴り落ちていた。


「――当たっとるぞ」


「……ふふっ。これは失礼。いや、本当に失礼。ふふっ……」


 そこからスカンダは火が点いたように笑い出すと、何が可笑しいのか膝まで叩いて呵呵大笑。そして、ひとしきり笑った後で目尻に浮かんだ涙を拭うと、改めて大竹丸に向き直る。


「お見事。私に掠り傷とはいえ、傷を付けるとは……。私に僅かながらでも届いた功績を称えて、君の名を聞こうか?」


女性れでぃに名を聞く態度ではないのう」


「まぁ、そう言わずにさ」


「ふん……。大竹丸じゃ」


 投げやり気味にそう告げるとスカンダは素晴らしいとばかりに、激しく手を叩く。そして、古拙の微笑アルカイックスマイルを浮かべると――。


「君という可能性が生まれ出ていた事に敬意を表して、少しだけ猶予を上げるよ」


「猶予? 何を言っておるのじゃ? 先程から会話が噛み合わんのう……」


「君は自分が作った家の中を、小蝿がぶんぶんと我が物顔で飛んでいたらどうするかね? あぁ、今日も小蝿が飛んでいるなぁと呑気に見守るかい?」


「それは、アレじゃろ……。駆除、するじゃろ? 多分」


「そういうことだよ」


「さっぱり分からぬわ!」


 全く噛み合わない会話に焦れた大竹丸が憤慨する中で、スカンダは優しく微笑んでみせる。


「まぁ、少しだけ時間を上げるということさ。だからそれまでに――」


 だが、スカンダが全てを言い終えるよりも早く、大竹丸の視界が急に暗転する。そして、気付いた時には、大竹丸の姿は新宿ダンジョンの入り口にまで戻されていたのであった。


「はぁっ⁉ なんじゃこれは!?」


 素っ頓狂な声を上げながら、もう一度岩窟の入り口にしか見えない新宿ダンジョンの中へと飛び込もうとする大竹丸だが、その額に見えない壁がぶち当たって、その行動を阻害される。ヒリヒリとする額を大竹丸が撫でていると――。


「無駄だよ。大竹丸。何か強制転移? させられたっぽいから……はぁ、死にたい」


 何処かで聞いたような声が聞こえてきて、大竹丸は慌てて振り向く。


 すると、そこにはとても気だるそうな様子の嬢と、何も羽織っていないながらも、何故かふんすと前尻尾状態で胸を張る葛葉の姿があった。


「なんで脱いでおるんじゃ!」


 その光景に思わずDPで白のつむぎを買って葛葉に掛けてしまう大竹丸である。


 そして、そんな二人とは別にボロボロの状態となった四人組の姿が見える。


「おい、あれって……」


「本当だ。蒼き星ブルースフィアのメンバーじゃね?」


「生きてたんだ……」


 大きなダメージを負った新宿の街で活動していたらしい探索者たちが、ちらりちらりと横目で見ては、ボロボロになった探索者たちの事を噂し合う。


「ボロボロになっているが、ずっとダンジョンに潜って戦い続けていたのか? 凄まじいな……」


「やっべーな。流石、蒼き星だわ。俺たち新宿ダンジョン探索者の鑑じゃねーか」


「誰だよ、オワスフィとか言っていた奴は……。あいつ等こそ英雄だろ……」


 周囲の声を聞いて、中でも一番ボロボロになっていた茶髪の男……蒼き星のエースである青木が嬢の方へと視線を向ける。


 彼女は軽く肩を竦めると首を横に振っていた。


「……私は何も言わない。言っても特にならないし」


 なにやら嬢と蒼き星のメンバーとの間に何かしらの出会いがあったようだ。


 だが、大竹丸は地上に転移される前に聞いたスカンダの最後の言葉が気になっていた為に、その光景を目には留めなかった。そして、その言葉を脳内で反芻する。


(――悔いのないように生きるが良い、とはのう)


 どういう事だと考えるよりも早く、今度は息せき切って駆けてくる人影がある。大竹丸の気配でも嗅ぎ付けたのか、ちゃんと寄ってくるのはお世話係の小鈴である。


「タケちゃん! 大変! 大変だよー!」


「小鈴! 無事じゃったか!」


 だが、再会を喜ぶ暇もなく――。


「今、タケちゃん家の衛星電話から通信が入って! ノワールさんから『風雲タケちゃんランドにダンジョンデュエルが申し込まれた!』って! しかも、相手はS級ダンジョン、塞建陀窟スカンダクツって言ってた!」


「ほう、なるほどな。そう来たか……」


 そこで、ようやく大竹丸は状況を理解した。


 ダンジョンデュエルはダンジョン同士の争い。それが開始されると中にいる探索者は強制的に外に排出されるのだと、大竹丸はノワールに聞いたことがあったからだ。


「追い詰められ過ぎてダンジョンデュエルに逃げたか、新宿ダンジョンのダンジョンマスターよ……。じゃが――」


 それは果たして妙手であったかな、と大竹丸は密かに笑うのであった。

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