第65話 鬼、決戦に挑まんとす。⑤

 竜に武など必要ないと言ったのは魔竜皇ヴェルネーテであっただろうか。


 彼曰く、武とは弱者の為の技術であり、存在する時点で最強である竜種には必要のない技術だ、と切って捨てたのである。


 だが、アスカはそうは思わなかった。


 竜種の力が凄いことは知っている。この世に存在するモンスターも人も竜には敵わない。竜の息吹ひとつで全てが消し飛んでしまう。


 だが、それでも世の中には人に負けてしまう竜がいる。


 竜殺しの英雄、竜滅の騎士、殺戮魔剣士、等々……。彼らは生物的に貧弱であるにも関わらず、竜を狩ることに成功していたのだ。


 それは何故か? ……彼らが強いからであろうか?


 それは違う、とアスカは思う。


 全ては竜種の力が強大過ぎるのが原因ではないのか、とアスカは考えるのだ。


 少し動いただけで、ねぐらも環境も著しく破壊してしまう類稀な力。そんな強大な力を常日頃から揮うわけにもいかず、竜種は力を抑えて生活することを余儀なくされている。その結果、全力の出し方を……全力時の立ち回りというものを理解せずに過ごしている者が多いのではないか。


 アスカはそう考えたのである。


 それが仇となって、人に倒される竜も存在してしまうのであろう。


 そこで、アスカは己の全力をどうやったら制御することが出来るかに注目して、研鑽を重ねていった。そして、その過程で出たひとつの結論が武の修得だ。


 武とは体の動かし方を理で解いたものである。そして、その理を理解することによって、自分の体の動かし方をより深く理解することに結び付く。アスカは自分の力が余すことなく利用出来るようにと、懸命になって武を修めた。


 とはいえ、竜種が武を修めるのは困難を極める。


 彼女が幸運だったのは、人に変化出来る竜魔法をあらかじめ覚えていたことだろう。彼女はその竜魔法によって人の姿を真似て、高名な武術家を何人も訪ねては道場破りのような荒々しい真似をして技術を修得していったのである。


 そんな事を繰り返す内に、気付いた時にはアスカは空戦最強でありながら、地上戦でも最強の存在と言われるまでになっていた。


 あの傍若無人で知られる魔竜王の一族でさえも彼女の領域には絶対に近寄らないという不文律を打ち立ててしまう程に、彼女の武勇は轟いていたのだ。


 そんなアスカが、目の前の白一色にしか見えない狐耳の少女に敬意を表しながら空を駆ける。


 空中を地面のように蹴り、翼で空を打って更に加速――。


 大気を切り裂きながら迫った彼女は目にも止まらぬ勢いで左拳を連打。一発一発が岩を割る勢いを持つ拳が迫る中、葛葉は笑顔のままに頭を振って、それを素早く回避。


(コイツ、心得があるのか……!)


 内心で驚愕するアスカだが、正確に言うと葛葉に武術の心得はない。


 ……ただ彼女は見た事があるだけだ。


 葛葉を討伐しに来た陰陽師、侍、腕自慢の若者、日本軍、とにかく葛葉は様々な者に追われ、その身柄を確保されんとする日々を送っていた。そんな中で見様見真似で覚えたのがだ。決して武術ではない。


「疾ッ!」


 左の速拳ジャブで目を慣らさせておいて、目が覚めるような鋭い右の直突きストレート。それを後方へ移動して躱す葛葉。僅かながら葛葉との間に空間が出来た所でアスカはすかさず胴回し回転蹴り。それを更に後方に移動して躱す葛葉だが、それに追い縋るようにして、アスカの前掃腿からの後掃腿の二連蹴りが葛葉の足を刈り取る。


 空中で大きく転倒する葛葉。


 そんな葛葉に追随して身を起こすアスカは葛葉の視界から身を隠すように、宙を蹴って葛葉の後背に回り込むと、身を捻って両の手を竜の顎のように組み合わせる。そして、そこから一気に振り抜くようにして、組み合わせた両手を葛葉の無防備な背中にぶち抜くようにして放つ。


昇天竜顎砕しょうてんりゅうがくさい!」


「――――ッ!」

 

 みしり、と葛葉の背から背骨が軋む音が聞こえ、その背中の肉が竜の顎を象られたアスカの両手によってこそぎ取られる。


 小雨のように葛葉の血と肉が降る中で、痛みにより敵の位置を把握した葛葉は振り向きながら、蹴りを繰り出す。


 だが、その苦し紛れの動きが読まれていたのか、葛葉の足がアスカの両手にがっしりと取られると、凄まじい力で引き込まれる。


「…………!」


「覇ぁぁぁーーーッ!」


 迫る葛葉の体に、アスカの肩口からの体当たり鉄山靠がカウンター気味に叩き込まれ、力場を突き抜けた衝撃が葛葉の臓器をズタズタに傷付けていく。


 先程の昇天竜顎砕もそうだが、力場がまるで防御の役割を果たしていない。衝撃が力場を貫通していると言えば良いのか。


 衝撃に吹き飛ぶ葛葉は空中で回転しながら、急制動。ぺっ、と口内に溜まっていた血の塊を吐き出してからアスカの姿を探す。


 すると、彼女は鉄山靠を放った後の姿勢のまま、半身の構えへとゆっくりと戻り――。


 くいくいっと掌で自分の方に来るように挑発してみせるではないか。


「…………」


 そこでようやく葛葉の笑顔が崩れる。その表情は無限の虚無を内包したかのような無であった。


 余裕であったからこそ、笑顔であったわけではない。


 痛いとか、辛いとか、苦しいとか、そういった負の感情をあまり抱え込みたくなかったからこそ、葛葉はいつでも笑顔でいたのだ。


 何せ、負の感情というものは、己の内に陰気を貯め込んでしまう。そうなってしまうと、言ってしまう可能性が高かった。


 そう。


 ぽろっと可能性が高かったのだ。


 だから、彼女はいつも笑顔となり喋る事を拒否した。


 笑顔でいれば、大抵の辛く苦しい事は乗り切れる。自分の気持ちが楽になる。それに、何よりも周りも笑顔になってくれるので嫌な事が起こりにくくなるのだ。


 だから、笑顔でいたのだが……。


 その仮面を、葛葉は今脱ごうとしていた。


「表情が変わったようですね。本気になったという事ですか?」


「――うん」


 葛葉が言葉を話すのを聞いて、分かりにくい表情ながらもアスカが驚きを表す。


「ほう。喋れないものだと思っていましたが、喋れるのですか」


「――危険だから」


「危険?」


「こういうこと。――飛ぶを禁ず」


「……は?」


 次の瞬間には、アスカの体が地面へと真っ逆さまに落ちていく。翼を動かすも空気を掴めないのか、まるで無力だ。


「ならば、竜魔法で――……はっ!?」


 そういえば、竜魔法は人化の術と、後もうひとつしか覚えていなかったと思い出すアスカ。勿論、空を飛ぶ術など覚えていない。元々飛べる生物なのに、空を飛ぶ術を覚える意味がないというのも理由のひとつだろう。


「このままでは少なからずダメージを受けそうですね。使いますか……!」


 彼女はそのまま無抵抗に地面に墜落するかと思われたが、そのもうひとつの竜魔法を発動する。


「――竜闘覇装りゅうとうはそうッ!」


 その言葉を紡いだ瞬間、アスカの全身が竜の鱗を思わせる浅黒い鎧に覆われていた。


 そして、彼女の体はそのまま地表へと着地。


 衝撃が地面を揺らし、大地に蜘蛛の巣状の皹が走ったが、アスカはまるでダメージを受けていないかのように、きっ、と上空を見据えて構えを取る。


「まさか、最終決戦魔装【竜闘覇装】を使わされるようになるとは驚きです……。ですが、これで勝負はつきましたね。竜闘覇装は竜の魔力と闘気を混ぜ込んで極限まで圧縮した鎧。その頑丈さは、例え、【絶対切断】のスキルであろうと斬れず、【賢王】の古代魔法であっても傷ひとつ付くことがありません。故に、この状態となった私は無敵。こうなってしまえば、後は私が攻撃を当てるだけの勝負となります。それで、決着です」


 だが問題は、宙に浮いている葛葉にどうやって攻撃を当てるかなのだが……。どうやら、その心配はする必要がなさそうだ。


 葛葉は五体無事であったアスカを見て、ゆっくりと地上まで降りてきたからである。


(舐められている? いや……)


 どちらかというと、確実にりにきたといったところか。アスカは葛葉の謎の力を警戒すると共に、地面の上で軽いステップを踏み始める。彼女は当然のように地面の上でも戦えるのだ。


「…………」


 葛葉が見つめる中、アスカの姿が土煙と共に消える。それと同時に葛葉の顔面が殴られて吹き飛ぶが――。


「――痛くすることを禁ず」


 鼻血を流しながら紡いだ葛葉の言葉に続いての右フックが空間に縫い止められたかのように動かなくなる。


「くそ! 何だこれは!」


 悪態をつきながら一気に離れようとするアスカだが……。


「――動くを禁ず」


「ば、馬鹿な……、足が……」


 アスカの両足が彼女の意志に反逆するかのように、その動きを止める。それを見て、葛葉はようやくとばかりにホッとした表情を見せていた。


「――私のコレは呪禁術じゅごんじゅつ。言った事を禁止する、ただそれだけの技。言霊も使えるけど、迂闊に使うと酷いことになるからこっちの方が使いやすくていい」


 呪禁とは、元々道教にて行われていた気勢操作のまじないである。


 昔の人々は邪気や病気などが気の流れによって齎されると考えており、その気勢の動きを封じ、制する技として呪禁なる技術が生まれたのだ。分かりやすく言ってしまえば、それは一種の精神操作マインドコントロールに近く、「痛いの痛いの飛んでけ~」をより体系化し、呪法として成立させたものが呪禁なのだ。


 それと同じ名を持つ、呪禁


 基本は言葉による、気勢の流れを止める事は同じ。ただ葛葉の莫大な神通力を以て、その言葉を放つと世界に対する強制力が働く。


 つまり、この世の理の一部を禁じるのである。


 それは、葛葉の声を聞いた者限定といった制限はあったものの、明らかに度を越した力であり、確かに神に通じる力だと頷かざるを得ないものであった。


 そんな荒業を使った葛葉が、徐々にアスカに向けて近付いてくる。


「――後は、鼻と口を塞げば死んじゃうよ? 降参する?」


「誰が……マスターを裏切るものか! 覇ぁッ!」


 喉の奥を光らせて竜の息吹を吐き出すアスカ。それに対して葛葉は冷静に呟く。


「――真っ直ぐ進むを禁ず」


 すると、真っ直ぐに進んで葛葉に当たろうとしていた灼熱の火線が急に葛葉の眼前で曲がり、上空へと昇っていくではないか。


 そのまま、葛葉が歩く度にアスカの竜の息吹が真っ直ぐ進む距離が減っていく。その光景はまるで竜の息吹が葛葉に当たるを由としないかのようであった。


 やがて、アスカの横に辿り着いた葛葉は抵抗するように息吹を吐き続けるアスカに向かって言葉を紡ぐ。


「――口を開くを禁ず」


「んごっ!?」


 息吹を吐き続けていたところを急に口が閉じられて、竜の息吹が口内で暴発する。もうもうと黒煙を上げる口先を歪めながら、アスカは文句を言おうとして、自分が喋れないことに気付き、目だけで葛葉を睨む。


「…………」


 だが、葛葉はそんなアスカの視線を意にも介さずに、すっとアスカの鼻を摘まむ。


「――どれだけ堪えられるかな?」


「!」


「――降参したくなったら言ってね。気付かないかもしれないけど」


 かくして、アスカの我慢大会が開催された。その後、何度も酸欠になったアスカは気絶して起きてを繰り返すこととなる。


 その間に何度も目で降参することを訴えたのだが、葛葉はニコニコと機嫌良さそうに微笑むだけで、アスカの鼻を摘まむのを止めようとはしない。それは、まるで悪魔の所業だと言わんばかりに、徐々にアスカの心は折れていくのであった。

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