第64話 鬼、決戦に挑まんとす。④

「――鋼糸式合気術こうししきあいきじゅつ。対、大竹丸用に編み出した技だけど、意外と使えるね」


 嬢は裏路地の隙間から気配を消しながら、ゆっくりとその姿を現す。


 彼女の細く美しい指先からは鋼のような糸がいくつも伸び、それが彼女の指先の所作に連動して周囲の状況を様々に変えていく。やっていることは合気道だ。指ひとつ、腕ひとつを捉えてしまえば、後はちょいと重心をずらしてやるだけで、人も物も面白いように転がる技術。それを鋼の如き蜘蛛糸を通して行っている。加減をすれば、体勢が崩れ、味方同士で斬り合わせることだって演出できる便利な技だ。


 嬢はその技術を百鬼夜行帳に封じられた百年以上の時間の中で繰り返し、繰り返し、練り上げてきた。


 それもこれも全ては打倒大竹丸の為だ。


(あの時の私は甘かった……。子供だって、食料として見ずに人質として使えば大竹丸の隙をつけただろうし……。大竹丸の転移にだって為す術が無かった……。だから、全方位をカバーする太極結界陣からの鋼糸式合気術も覚えた……。今なら五分以上に渡り合えるはず……)


 毒だってそうだ。


 種類を増やし、致死性のものだけでなく様々な用途に使える毒を開発した。


 そのおかげで、というべきか――。


 逆に薬となる成分を体内で生成出来るようになった為に、より頑丈さに拍車が掛かった気がする。


「そして、これだけ準備してきた結果が、猫に遺憾なく発揮された、と……。…………。遺憾がありまくり過ぎる……」


 悔やむようにして嬢はしょげてから、それでも気を取り直して鋼糸を操る。


 人に気付かれずに張り巡らされた鋼糸の網は、蜘蛛の巣を張るようにして街中を網羅していた。それを感覚的に感じ取る事で、景色を映さないはずの嬢の目にもはっきりと街中の地図が描かれる。それによると、この街の中央には立派な塔が建っており、どうもそこにモンスターではない存在がいるようだ。鋼糸を通して伝わってくる感覚で何となく理解する。


「この感じだと地下かな……。行ってみよう……。上手くすれば大竹丸との交渉材料に使えるかもしれない……」


 と、そこまで言ったところで、嬢は地面に横たわるミケの姿に気が付く。


「これを放置したら怒られる? まぁ、いいか。……何かヤバイ毒を色々と打っとけば良いよね。……死んだらゴメン~」


 そう言う嬢の顔は言葉とは裏腹に昏い笑みに満ち溢れていたのである。


 ★

 

 一方その頃――。


 大竹丸も、嬢もいなくなった草原……いや、もはや焼け野原か……の上で、葛葉はけぶる黒煙を嫌ったのか、その身に風の衣を纏うとその衣を竜巻のように回転させて黒煙を一気に吹き払っていた。竜巻のような突風が吹き荒れ、鎮火しようとしていた小火が勢いを取り戻して燃え上がる。


 そんな光景を歯牙にも掛けず、彼女はあろうことか、身に纏う風の衣で上昇気流を生み出すと、それに乗るようにしてふわりと上空へと浮かび上がっていくではないか。


 それには、流石に天舞竜であるアスカも黙っていられない。


「私が空戦最強の天舞竜だと知っていて、尚、空中戦を挑むというのか……」


「…………」


 その言葉を受けても、葛葉はニコニコと微笑むのみ。


 恐らく、アスカが天舞竜であることなど全く考えていないのだろう。ただ、煙の臭いが嫌だったから空中に飛び上がった――その程度の考えであるはずだ。


 だが、アスカはそうは捉えない。


 これは空中戦が得意な天舞竜に対する明確な挑戦であると捉える。


「良いだろう。ならば、私も本気を見せてやる……」


 アスカの体の筋肉が大きく隆起し、着ているチャイナドレスが一瞬で弾け飛ぶ。そこに現れたのは鍛え抜かれた肉体ではない。鋭いデザインをした鱗に、ふわふわとした羽毛、そして巨大な翼。それはどちらかというと、竜というよりも鳥の造形に近かった。厳つさよりも可愛さが目立つ不思議なデザインだ。


 だが、その大きさは可愛いで済むレベルではない。五階建ての建物がそのまま動くかのような巨大さで、見ている者の肝を冷やす。そして、その巨体が翼を打って宙を飛ぶ。


 ぶわりと生じた風が、草原の至るところで起きていた小火を今度は完全に消し飛ばす。


 その巨体には似合わぬ、重さを感じさせぬ機動で浮かび上がったアスカは、先に飛んでいた葛葉を追跡し、彼女の周りを威嚇するかのように旋回する。


 爬虫類特有のギョロリとした瞳で葛葉の姿を捉える続ける様子はぞっとしないものがあるだろう。


 だが、葛葉は動じない。


「…………」


 そんなアスカの様子に応えたわけではないだろうが、葛葉はまるで楽団オーケストラの指揮者になったかのように大きく腕を振るう。その振るった腕の軌跡を追いかけるようにして生じるのは拳大の光弾。それが、何十もの数となって一斉にアスカに向けて射出される。


「そんなもので――……」


 言いかけたアスカの言葉が止まる。


 光弾は真っすぐに飛ばずにジグザグに、不規則な軌道を取って飛んできたからだ。それを旋回速度を上げて、アスカは置き去りにしようとするが――。


「追尾してくるのか!」


 不規則な軌道で飛ぶ光弾が、今度は一直線にアスカの後背から迫る。それを空中で反転しながら、アスカは光弾が直線上になったのを見逃さずに竜の息吹で焼き払う。


 だが、既に葛葉は次の光弾を放っており、それらは今度は一直線にアスカに向けて飛来する。その速度は先程の光弾よりも早く、光弾の球としての形が押し潰され扁平しているかのように見える程だ。


「速度重視ということか? いや……!」


 高速で迫る光弾を螺旋運動バレルロールをしながら、ギリギリで回避するアスカ。その際に、光弾が掠った鱗が真っ二つに切断されて宙を舞う。あっという間に後方に流れていく光弾の一群を見ながら、アスカの背にぞくりとしたものが走る。


「強烈な回転スピンを掛けることで、切断力を高めたのか! だが……」


 前に出て躱したことによって、アスカの目の前に葛葉の姿が見える。


 アスカはそれを好機と判断。息つく暇もなく竜の息吹を吐き出すが、葛葉は上体を逸らしてそれを躱す。いや、それどころか捻りを入れて横に回転すると、その勢いを利用して周囲に拳大の光弾をばら撒く。それらが間髪を開けずに迫り来るのを見ながら、アスカは航空機には不可能な急激な垂直上昇を敢行。光弾が不規則な動きでアスカの後をついてくるのを確認しながら、一瞬の隙間を見つけるなり急降下して光弾を置き去りにする。


「これでどうだっ!」


 重力加速度さえも乗せたアスカの鋭い爪が葛葉の体を捉えたと思った瞬間、硬い感触がアスカの爪を弾く。


 見やれば、葛葉の体を覆うようにして球体状の力場フィールドが展開しており、それが葛葉にダメージを通していないようだ。


「しゃらくさい!」


 だが、アスカはそんなものは関係ないとばかりに、力場ごと掴むと地面に向かって思い切り投げつける。抵抗する暇もあればこそ、葛葉を包んだ力場は土砂の津波を巻き上げながら地表へとめり込む。


「まだまだぁ! この程度では終わらないだろう!」


 アスカの全身の鱗が逆立ち、まるでミサイルのように一斉に射出される。それらが地表に雨霰と降り注ぎ、大地に深い穴を次々と開けていく。そして、射出したアスカの鱗は五秒もしない内に生え変わり、元通りに戻っていた。


(もう一撃いくか……?)


 地表が穴だらけになること数秒。アスカがそんな事を考えた時、地面を割って幾筋もの光の帯が上空に向けて立ち上る。硬い地殻をまるでスポンジケーキを切るかのように易々と引き裂いていく光の帯。その帯が生き物のように蠢き、上空のアスカすら引き裂こうと迫ってくるのを見て、アスカは縦飛行へと移行。被弾面積を減らして避けながら、彼女は口元から炎の舌をちろちろと出して喜びを露にしていた。


「ははは! そうこなくてはな!」


 そのご機嫌さを表すかのように、アスカは喉の奥をちかり、ちかりと光らせる。どうやらタイミングを計っているようだ。やがて、鱗ミサイルの第二次一斉掃射を行い、地表を滅茶苦茶に耕すと、まるで活火山が噴火したかのような勢いで、力場を形成した葛葉が地中から飛び出す。


「――貰ったぁ!」


 そして、そのタイミングを待っていたとぱかりに、アスカが全力で竜の息吹ドラゴンブレスを葛葉目掛けてぶち当てる。


 流石に待ち構えられていては避けられなかったのか、葛葉は両手を前に突き出すと力場を強化。光の奔流に対して真っ向から受ける姿勢を明確に打ち出していた。


 次の瞬間には、光の洪水が無色透明な力場を一気に覆い尽くし、耳障りな不協和音が葛葉の鼓膜を震わせる。


 アスカはここが勝負所とばかりに息吹の勢いを強め、葛葉は耐えろ耐えろとばかりに力場に自身の力を慎重に籠めていく。


 力と力の拮抗。


 だが、その拮抗は五秒も続かなかった。


 葛葉が展開する力場がピキピキと嫌な音を立てて皹割れ始めたのだ。それに気付いたアスカは更に自身の息吹ブレスの勢いを増す。一気に決めるつもりだ。


「覇ああぁぁぁぁぁぁ――――ッ!」


「…………!」


 葛葉の目の前が真っ白に染まり、圧倒的な熱量が力場を削り取る。


 ぱきぃんという乾いた音が響いた次の瞬間、葛葉の体は嵐の中を舞う木の葉の如くに空中を吹き飛んでいった。圧倒的な熱量に皮膚が爛れ、肉が炭化し、骨が灰となっていく中で葛葉の体は爆裂四散――。肉片が四方に弾け飛び、それが次第に淡い光に包まれていく。


「なるほど、それが貴女の正体か」


 光に包まれた肉片は、やがて複数の白狐となって「ケェーン」と泣きながら宙を駆ける。跳ねるように、踊るように、その大きくふさふさな尻尾を揺らしながら、百を越える白狐は仲間の死を悲しむかのように遠吠えを繰り返す。


 否――。


「何だ……。光が……?」


 葛葉の体が爆散すると同時に周囲に広がった黒煙から淡い光が漏れているのを見て、アスカは警戒を強める。


 やがて、その黒煙を割って淡緑色に輝く白狐が姿を現す。


 その姿は全身に火傷を負い、毛も所々が剥げ落ち、痛々しい姿であったが、周囲の白狐たちが遠吠えを繰り返す度にその傷が瞬く間に癒えていく。


「……!? まさか、回復しているのか! ――おのれ!」


 アスカがそれに気付いて、空を駆けるが――……遅い。


 散っていた白狐たちが、傷が癒えた白狐の元に一斉に駆け寄り合身――。


 そこには一糸纏わぬ姿でありながら、前尻尾とおさげで大事な部位はきっちりと隠す葛葉の姿があった。彼女はどこか鼻息も荒く、指先をアスカへと向けると――。


 ――宙を蹴って、一気にアスカとの間合いを詰めてくる。


「なぁっ⁉」


 先程からの遠距離攻撃の残像が残っていたアスカはその突飛な行動に全く反応が出来ない。


 気付いた時には葛葉はアスカの鼻先におり、その小さな体躯を極限まで捻った姿勢で拳を握り込んでいた。そして、アスカが牙で噛みつこうとするよりも早く、その鼻先に葛葉のが多量に込められた拳が炸裂する。


「がはぁっ!?」


 鼻先の骨が砕け、前歯が弾け飛び、アスカの体が地表と平行に吹き飛んでいく。あまりの衝撃に吐き出した血の塊は、葛葉の全身を真っ赤に染め、葛葉はそれを嫌って局地的な雨を降らせて自分の体に掛かった血を洗い流す。


 そして、その追撃が無いことに感謝しながら、アスカは折れた鼻骨と前歯を再生しつつ、自身の体を巨大な竜サイズから人間のサイズにまで戻していく。


 とはいえ、それは最初のチャイナドレス姿ではない。全身が鱗に覆われ、大事な部位のみを羽毛で覆ったような姿だ。言うなれば、蜥蜴人間というのが一番イメージに近いだろうか。真っ黒に染まった眼球をぎょろりと動かして、アスカは蜥蜴をベースにした感情の分かり難い顔に笑みを浮かべる。


「接近戦をやるっていうのなら、私もそれ相応の姿にならないとね!」


「…………」


 ぱしぃんと掌と拳を打ち鳴らすアスカの顔の傷は既に治ってしまったようだ。この辺は生命力の強い竜種ならではの回復力であろう。そんな彼女は空中で半身の構えを取る。明らかに武を修めたことのある者の動作であった。


 それに対して葛葉は構えない。


 前尻尾おさげ状態で、でーんと腕を組んで相手に相対する。ちょこちょこと謎の光さんのナイスプレーが無ければ色々と危険な状態であろう。


「そんな構えで私とろうと? 舐められたものです――……ね!」


 アスカが空中を蹴って、葛葉との間合いを一気に潰す。


 アスカ対葛葉の第二ラウンドのゴングが、今まさに打ち鳴らされようとしていた――。

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