第63話 鬼、決戦に挑まんとす。③

 存在定義猫シュレディンガー――。


 その存在は非常に稀少だ。


 何せ、普通のモンスターガチャでは出現しないのである。


 月末と月半ばに行われるプレミアムモンスターガチャのみにラインナップされ、その排出確立は僅か0.0003%。


 鍛えられた信者であれば、何だ普通だな、ぐらいの感覚ではあるが、湯水の如くに注ぎ込める現金とは違い(湯水の如くに注ぎ込んではダメだが)、DPを貯めるという行為は非常に難しいのだ。


 そんな中での特別なモンスター、存在定義猫。


 その特徴は、という一点に尽きる。


 例えば、地面に穿たれた爪痕――。


 この爪痕という存在の定義を書き換える事で、嬢に穿たれた爪痕と変える。


 すると、地面に穿たれた爪痕は消え、嬢の体に直接爪痕が刻まれる。


 例えば、この場にはいるはずのない存在定義猫――。

 

 その存在の定義を書き換える事で、この場に存在する存在定義猫とする。


 すると、存在定義猫はあたかも最初からその場に存在していたかのように、いきなりその場に出現することになる。


 ――存在定義の改変。


 一見すると無敵の能力に見えないこともないが、そこには明確な発動条件が存在する。


 まず第一に、能力発動の場に観測者が存在すること。


 その観測者というものは、存在定義猫である必要はなく、誰でも良い。とにかく存在を定義するだけの存在が必要なのだ。我思う故に我有りではないが、存在の定義とは観測者がいて初めて成り立つものであり、観測者のいない場所での存在の定義は成り立たないのである。


 そして、第二に存在定義の改変であるからして、効果対象にを取ることは出来ないということが挙げられる。つまり、戦争に勝った負けた、時間が長い短いといったものは改変出来ないということだ。あくまで、存在するものに対しての改変であり、万能の能力ではないのである。


 とはいえ、それでも望外に強い能力である。


 攻撃を受けても、その傷の存在を他者に移し替えてしまえば、ダメージを食らうことはないし、逆に相手に防げないダメージを与えることが出来る。そして、決して逃げる事も出来なければ、逃がすこともないという鬼畜っぷり。まさに無敵の能力。それ故のモンスターランクSSS級。


 だが、そのモンスターランクSSS級の存在が、今、名も無かったはずの小さな妖怪に手玉に取られようとしていた。


「このチビ! 止めろ! 止めろニャ!」


「……クヒヒ。何で止めるのさ? 馬鹿だねぇ。あぁ、美味しい……」


 街に建てられていた石造りの家が、誰も触れていないのにも関わらず、次々と倒壊していく。そんな家々から這う這うの体で逃げ出してくる剃髪の人々。彼らはスカンダが生み出し鍛えた、神の軍の代わりとなる予定の兵であった。


 そんな彼らは嬢の姿を見つけるなり、敵対的な意思を持って攻撃を仕掛けてこようとする。


「駄目ニャ! そいつに攻撃を仕掛けるんじゃニャい!」


「……クヒヒ」


 だが、ミケの忠告も遅い。


 武器を振りかぶった剃髪の男たちは一直線に嬢に向かって行こうとして――何故か、ミケに向かって武器を振り下ろす。


「ニャギャ!?」


「え……? いや、違う! 違います、ミケ様! 俺はそんなつもりじゃ!」


「馬鹿、どけぇ!?」


「え?」


 振り下ろした武器……鉾の一撃をあえて受けたミケはそれで出来た傷を、嬢が受けた傷へと改変するが嬢はケロリとした様子だ。それどころか、ミケを狙うことになった男を狙って、刃物を持った男が迫ってきている。どんっと鈍い音が響いて、男の脾腹に開く刃物による穴。その穴の存在定義を弄って、嬢に開いた穴へと変更するが、嬢はまるで効いた風を見せない。


「す、すみません、ミケ様! あの女を狙ったんですが何故か体が言う事をきかなくて……」


「大丈夫ニャ。どういう理屈かは知らないニャが、この一帯はアイツの思い通りに動かされているように見えるニャ……。家が勝手に倒壊しているのもきっとアイツの仕業ニャ……」


「ククク、イヒヒ、クヒヒ……。ほら、どうした? 家はもう直さないの? このままだと街が無くなっちゃうよー。……クヒヒ、あー、うんめぇー。負の気がうんめぇー」


「あんニャロメ!」


 憤るミケではあったが、ここに来て自分の能力に対する欠陥が浮き彫りとなり、その扱いに歯痒さを感じていた。


(存在定義の改変は、個をどうにかする能力ニャ。複数多発的に暴れられるとそれはもう事象になっちゃって、ニャーの能力じゃ追いつけないニャ!)


 即ち、存在定義の改変は、複数の同時改変には向かないということだ。


 恐らく、一対一タイマンや限定的な戦いでは無類の強さを発揮するも、こうも立て続けに、しかも自分とは関係のない……それこそ把握できない部分にまで被害が及ぶとどうにもならないということだ。


(なら、その破壊の根源を殺っちゃえば終了のはずニャのに……)


 だが、その嬢がまるでダメージを受けていないというのは、一体どういうことなのか。まるで八方塞がりのような状況に、ミケは頭を抱えるばかりである。


(何かカラクリがあるはずニャ! そして、どこかに突破口があるはずニャ!)


 ミケは折れそうになる心を、その思いだけで支え、嬢の一挙手一投足を逃さないようにその目を皿のようにしてそのカラクリの謎を解こうとするのであった。


 ★


 ――結論から言うと、カラクリなどといったものは存在しない。


 嬢が非常に硬い体の構造をしているだけで、カラクリ等といった大それた仕掛けは存在しなかった。


 それは、直接攻撃を当ててみれば分かることなのだが、ミケの攻撃は全て存在定義の改変によるものであるからして、その簡単な事実に気が付かなかったのだ。


「……クヒヒ。今度は街全体に毒だよ~。この街にいる人間が大勢死ぬよ~」


「もう……っ! もう止めるニャ……!」


「…………」


 ミケの言葉には余裕が無くなってきているが、それでもまだ心のどこかで嬢を侮っている空気があった。それは恐らく、今の所、嬢から攻撃らしい攻撃を受けていない事に起因するのだろう。


 いや、攻撃を受けても自分には通じないと理解しているからこそ、どこか心の奥底に余裕があるのだ。


 そして、それに気付いていない嬢ではない。


「やめろ、やめろって言うけどさぁ……。本当にキミは私を止めたいのかなぁ……?」


「な、なに言ってるニャ……」


「キミさぁ、まだ負けた事がないでしょ?」


 嬢の言葉に、ミケの言葉が詰まる。


 確かにミケは今まで負けたと思ったことも無いし、実際に負けたこともなかった。


 だが、だからどうしたというのか?


 嬢は続ける。


「伝わって来ないんだよねぇ。絶対に勝つんだっていう気概がさぁ……。足りないんだよねぇ、――執念がさぁ!」


 嬢の言葉にはどこか重みがあった。


 それは、大竹丸に負けてから此処まで色々と積み重なったものがあるのだろう。


 負けたショックからの立ち直り、負けた原因の分析、勝つために必要なことは何かの考察、そして必要なものを得る為の修練。


 それぞれに時間を掛け、徹底的に分析し、全てが足りると思えるレベルにまで昇華させる。


 それも全ては次は絶対に負けない為――否、絶対に勝利を掴む為だ。


 ……その為だったら何だってやる。


 相手に不利な地形だって選ぶし、人質だって取るし、相手のメンタルを追い込む事だってする。全てを出し尽くし、死力を尽くしてこその殺し合い――。


 そして、それに何処まで執着出来るかが勝負の分かれ目になるのだと嬢は勝手に思っている。


 運否天賦などは二の次だ。


 努力をせぬ者に、戦場の女神は微笑まないということなのだろう。


 卑怯? ――卑怯で結構。


 それは、相手に対する効果的な戦法であることを示している誉め言葉だ。


 そして、それを理解しない、理解できない者は殺し合いを舐めているとしか言いようがない。


 嬢の言葉を借りるのであれば、足りぬのだろう。――執念が。


「どんな手を使っても勝つって気持ちが見えないんだよ。そんな相手には私は負けないよ? ……私はもうそういう領域は抜けた後だからね」


「ゲボボ……! み、ミケ様ぁ、息が……!」


「く、苦しい……! た、助けて……!」


「お前たち! 待ってるニャ、今――」


「――はい、そこぉ~」


 毒に侵された剃髪の男たちが口角から泡を飛ばしながら、ミケに向かって襲い掛かってくる。それを見たミケは刹那で惑う。


 ――毒に侵された男たちの攻撃を受けて、もし自分が毒に掛かったら……上手く集中して存在定義の改変が出来るだろうか?


 その迷いに付け込むようにして、ミケの足が引っ張られる。


「ニャ!?」


 それは、一体いつの間に絡みついたのか、極細の糸がミケの足首を引き千切らんと言わんばかりに食い込んでいる。それを見たミケは一瞬で自分の存在定義を嬢の後方に存在するに改変して逃れようとする。


 だが、存在意義の改変が済んだと同時に、ミケの視界は上下逆さへとひっくり返り、その衝撃が体を突き抜けるのであった。


「な、なんだニャ――……ニャア⁉」


 立ち上がろうとして、片膝を付いた瞬間、ミケの体は一瞬で宙を舞う。ミケは猫本来の身軽さで着地を試みるが、それを許さぬかのように圧倒的な強制力で頭から地面に激突する。


 ちかちかと目の前で星が輝く姿を見ながら、ミケは自分の頭にいつの間にか掛かっていた蜘蛛の糸のようなものを取り外す。それは、極細の糸であり、果たしていつの間に掛かっていたものなのか。ミケは首を傾げる。


 そして、またしても立ち上がろうとして地面に転がるミケ。今度は足を無理矢理に引っ張られた感じだ。そんなミケに向かって武器を持った剃髪の人々が群がってくる。


「グルルルル……」


「ニャ? どうしたニャ、みんな? よ、様子がおかしいニャ……」


 ――クフフ、良い毒だろう? 目の前の者が憎い敵対者に見えてしまう毒さ。それに侵された者は死ぬまで暴走を続け、その暴走が原因で死ぬんだよ。


「ニャ⁉ チビの姿がないニャ⁉ どこニャ、どこ行っ――ニャ⁉」


 周囲の様子を確認しようとしたミケの体勢が崩され、ミケは頭から地面に叩き付けられる。それに対して不気味な笑い声が風に乗って流れてきていた。


 ――無駄だよ。このダンジョン全域は既に私の領域内だ。そして、私が本気を出したらキミはもう立つことすら出来ない。


「そ、そんな馬鹿ニャ! 痛い! 痛いニャ! 皆、やめるニャ!」


「グオオオオオ!」


 ――そして、キミの能力の分析も終わった。どうやら、視認していないと発動出来ない能力みたいだね。だったら、私は姿を隠させて貰うよ。クヒヒ……。まぁ、精々守るべき存在に裏切られた絶望を味わって苦しむといい。その方が私も美味しい思いが出来るからね……。 


「ふざ……、ふざけんなニャー!」


 だが、叫び声を上げた途端にミケの体は地面へと叩き付けられて身動きが取れなくなっていた。


 その間、人々にタコ殴りにされたミケは存在定義の改変が上手く機能しなくなるまで、ずっと自身の傷の存在定義の改変をし続けて何とか意識を保っていたのだが、頭部に一撃良いのを貰ってしまい、意識を失くしてしまうのであった。


「――さて、これで任務完了かな。はぁ、結局、大竹丸のオーダー通りに動いてしまった。……死にたい」


 そう言う嬢は崩壊した裏路地の隙間に姿を隠しながら、そんな事を呟くのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る