第62話 鬼、決戦に挑まんとす。②

「まぁ、そうなるよね。……知ってた」


 草原をスライド移動で逃げていた嬢は、後方で起きた爆発を遠い目で見つめながらそう呟く。


 葛葉の力を知っていれば、こうなることは簡単に予想出来る事であった。


 事実、大竹丸もスカンダと斬り結ぶフリをして、いち早く戦場を変えていたのだからタチが悪い。


 そして、嬢もそれを予期していたからこそ、ミケを挑発してさっさとその場を離れたのだ。


「葛葉の相手はなんか竜とか言ってたね。派手で羨ましい……。それに比べ、こっちは猫って。……死にたい」


「猫は猫でも、ニャーはただの猫じゃないニャ」


 スライド移動を続ける嬢の目の前に突如として出現するミケ。


 だが、嬢はそれを華麗にスルーし、そのままミケを躱してスルスルと前に進んで行く。


「…………」


 それを見ていたミケは頭の後ろをポリポリと掻きながら何を思うのか。


 無視された悔しさだろうか、それとも素っ気ない態度に対する怒りだろうか。


 いや、ミケはそのどちらの感情も思い浮かべていなかった。


「逃げても無駄ニャんだけどニャー」


 それは呆れであった。その証拠にミケの姿は次の瞬間には、また先回りするように嬢の目の前に現れている。


「瞬間移動系の能力? ……ムカつく奴を思い出すから丁度良いかも」


 一瞬で移動してきたミケを見て、嬢はやたら自信満々な自分の主を思い出し、クククと不気味な笑いを零す。


 そんな嬢の移動を阻止するかのように、ミケが鋭い爪を伸ばして嬢へと斬りかかる。その速度は猫科の猛獣もかくやと思わせる鋭いものだ。


殺爪閃さっそうせん!」


 薙いだ爪が地面を抉り、地面に深い傷跡が出来上がるが直前で素早く方向を変えた嬢には掠りもしていない。嬢はそんなミケの様子を嘲笑うかのように酷薄な笑みを刻んでいた。


「ククク、そんな腕では私は殺せないよ……」


「まぁ、ここからだニャ」


 そうミケが言い終わった時には、ミケが地面に付けた傷痕は跡形もなく消えている。それこそ、最初からそんな傷痕など無かったかのように、綺麗さっぱりである。その光景を見ている者がいれば、自分の見間違いだったのかと目を擦っていたことだろう。


 そして、その異常事態を目の見えない嬢は感じ取ることが出来たのか。


 次の瞬間には、嬢の体は車に撥ねられたかのように吹き飛び、短い草の上へとてんてんと転がっていた。


「ニャー、やっぱりニャー。何か当たってた気がしたんだニャー」


 そう言ってミケが見つめる先は、嬢が丁度衝撃に撥ね飛ばされた位置である。


 そこには、深々とミケの爪で抉られた傷痕がいつの間にか存在し、嬢はそんなミケの攻撃を受けたということなのだろう。恐らく、その光景を見ていた者がいれば、そういえばミケの攻撃が当たっていたような? と疑問に思いながらもそんな認識を持ってしまうことであろう。


 それが存在定義猫シュレディンガーの特性だとも知らずに。


「ニャハハハ、もう終わりかニャ? まぁ、ニャーに勝てることなんて出来ないんだからもう終わりでも全然構わないけどニャー」


「うーん、やーらーれーたー」


 仰向けのままで、そう声を上げる嬢の体は先程までとまるで変わらない速度で地面をスライドしていく。その様子を見て、ミケは「またか」と言わんばかりに呆れた表情を見せていた。


「また追い掛けっこニャ? それは意味ないって言ったニャー」


 そして、再度始まる嬢とミケの逃走劇と追走劇――。


 といっても、その内容は一方的だ。


 ミケが一瞬で嬢に追いつき、嬲るようにして嬢に攻撃を当てる。


 それは猫が鼠をいたぶる様子にも似ていたが、嬢は鼠でないばかりか、ミケの攻撃を何度食らってもピンピンしている。流石にこれはおかしいぞとミケも思い始めた辺りで、ミケは嬢がどこに向かっているのかに気付く。


「ニャ? 街の方に向かっているニャ?」


「ククク、早く殺してよ~……」


 そう言ってミケを煽る嬢の顔は今までに無い程に悪い顔をしていた。


 ★


 明治六年、奈良葛城山山中――。


 夏の暑い盛りの時期に、その山中で事件は起きていた。


 林業を主産業にする人里離れた小さな村。そこでは、いつもであれば斧が樹を斬る音であったり、枝を落とす音であったり、威勢の良い掛け声であったり、子供たちのはしゃぐ声であったり、とそういった声が聞こえてきて然るべきであったのだ。


 だが、今はただ村の様子を見守るようにして、警官隊が囲むことしか出来ていない。


 まるで堅固な要塞を攻めあぐねているかのような光景ではあるが、特に高い塀が立っているわけでもなく、村は長閑そのものである。


 いや、逆に静謐に過ぎるか。


 その不気味さを前にして怖気づいたわけではないが、警官隊は慎重を期していた。何せ、この村の様子を確認に出た先遣隊の警官六人が一人も帰って来ないのである。及び腰になるのも無理はない。


 そして、この村の異常を伝えてくれた男の証言によれば、この村には時代錯誤の存在が現れたのだというのだから驚きだ。その存在は――。


「――此処かのう? 人喰いの鬼が出たというのは?」


「お、大鬼様!」


 警戒を続ける警官隊の背後の藪を掻き分け、のっそりと姿を現したのは着物姿の少女であった。それは、今の姿よりももっと年若い姿の大竹丸だ。現代の大竹丸が高校生くらいだとすれば、この時代の大竹丸は中学生くらいであろうか。着物姿も美しいというよりは、背伸びしている感じがあって可愛いといった感じだろう。


 そんな大竹丸は警官隊の隊長らしき人物に近寄って、確認を求める。


「はい! 本官は――」


「自己紹介は良い。――で、此処であってるかのう?」


「は、はい! 此処で間違いありません! 犯人は土蜘蛛を名乗っておりますが、その正体は人喰いの鬼に間違いありません!」


「鬼と土蜘蛛は違うのじゃが……。まぁよい」


 大竹丸がようやく出番かとばかりに軽く柔軟ストレッチを繰り返す中、警官隊の隊長は申し訳なさそうに話し出す。


「犯人は子供を人質に取り、村の中へと立て籠もっております。我々も隠密裏に子供を助けようとしたのですが……」


 隊長が黙ってしまうのを見て、その状況を察したのか。


 大竹丸はもう良いとばかりに片手を上げる。


「土蜘蛛ならば人質の子供は殺さぬじゃろ。彼奴きゃつ等は人の陰気を啜りよるからのう。目の前で親でも殺して泣き喚いて欲しいのじゃろうて……。まぁ、その対象は助けに来た警官でも変わらぬのだがのう」


「人の陰気ですか……?」


 戸惑った顔を見せる隊長に向けて、大竹丸は肩を竦めてみせる。


「怒り、悲しみ、絶望、妬み、苦しみ……とにかく暗い感情じゃ。彼奴等はそれを糧として生きておる。暗い連中じゃよ、全く」


 そうして、大竹丸は確認したい事は確認し終えたとばかりに後ろ手を振ると、では行ってくるとばかりに村の方に向けて歩きだす。


「お、大鬼様、もう行かれるのですか!?」


「善は急げじゃ。それに、が言うておったぞ。化け物の相手は化け物に任せよ――じゃそうじゃ。彼奴あやつらしいのう。呵々」


 大竹丸はそう言って飄々と去っていく。


 その頼もし過ぎる背中を見つめながら、確かにこれは大竹丸に一任するのが正解なのかもしれないと警官隊の隊長は思うのであった。


 ★


「なるほど。日陰者は日陰者らしい場所に棲み処を選ぶものじゃな」


「何だ、お前?」


 村の家々を一軒一軒回った大竹丸であったが、結局その化け物がいたのは村の最奥にある物置小屋のような狭い小屋の中であった。そこには、逃げられないように手足を縛られた子供たちが転がっており、その子供たちに見せつけたのだろう、切断された人体がごろごろと地面に転がっていた。噎せ返るような汗と血と汚物の臭いに大竹丸は一瞬だけ顔を顰める。


「あぁ、そうか。やっと来てくれたんだ……」


 だが、少女はそんな大竹丸の表情には気付かなかったのか、どこかあらぬ方向を向いて恍惚とした表情で語る。


「私はずっと思っていたんだ……。他人の陰鬱な気持ちを食べなきゃ生きていけないなんて、土蜘蛛ってなんて最低な妖怪なんだろうって……。土蜘蛛なんて、この世に生きていちゃ駄目な生物だろうって……。だから、ずっと死にたいと思っていた、の……。に……。ねぇ……?」


 クヒヒ、と土蜘蛛の少女は息を漏らすように不気味な笑いを漏らす。


 それは、昔からの正しい化け物としての妖怪の在り方だ。


 恐ろしく、卑しく、そして強い。


 少女は突如として大竹丸の方を向くと、その焦点の合わない瞳を向ける。


「なのに、なぁんで! こんなに人の苦しむ気ってのは美味しいんだろうねぇ~! ククク、フフフ、ファーーーーハッハハッハ! ――ブハッ!」


 高笑いを上げる少女の顔がぶん殴られ、その小さな体躯が物置小屋の壁をぶち破って外へ飛び出していく。それを行った大竹丸は殴ったままの姿勢で、痛みを訴える自分の拳へと視線を落としていた。


「ちぃ、なんちゅー硬さじゃ。確か、土蜘蛛は土中の鉱物を喰って体を作り、人の陰気を吸って寿命を伸ばすじゃったか……。あの体は鉱物の凝縮体も一緒ということかのう? まだ未熟な妾の大通連では荷が勝ちすぎるやもしれぬな……。仕方あるまい。調伏も視野に入れて戦うとするかのう。……おい、お主ら。動けるようなら動いて逃げよ。この村はすぐに戦場となるぞ」


 子供たちの手足を縛っていた細い蜘蛛糸のようなものを大通連を呼び出して斬ってやりながら、大竹丸は子供らに逃げるように伝える。彼らはコクコクと激しく頷くと、まさに蜘蛛の子を散らすように走って行ってしまった。


「あーぁ、私の食糧が……」


 そんな声に壁の穴の先を見やれば、ゆっくりと立ち上がる少女の姿が見える。その動作を見る限りでは、まるでダメージがないようだ。大竹丸はそんな少女を見て、百鬼夜行帳に封じる事を即座に決めた。泥仕合をいつまでも行う趣味はないからだ。その為にも少女に名を問う。


「お主、名は何という?」


「名? 葛城山の女郎蜘蛛だよ。名前なんてないさ」


「ならば、今日より葛城嬢かつらぎのじょうを名乗ると良い」


「なんだい、それ? 嫌だよ。それにキミは逃げた子供の代わりに私の御飯となるんだから、精々絶望を覚えるといいと思うよ。……クヒヒ」


「やれやれ。どうして、こう妖怪という奴は自分本位で考えたがるんじゃろうかのう? もう少し世間を知るように折檻しつけが必要か……」


 かくして、村ひとつを消滅させる戦いの火蓋が切られる事となるわけだが、その勝敗は言うまでもないだろう。


 ★


 そして、現在――。


「何、街に行こうとしているニャ! 止まるニャ!」


「……クヒヒ、止めてみてよ。早くしないと、大変なことになるよ?」


 口内から溢れ出る涎を嚥下しながら嬢はぬちゃりとした笑みを浮かべる。その笑みはあまりに昏く深く、ミケは背筋にぞっとしたものを覚えるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る