幕間 鬼、知らぬ間に事が運ばんとす。

 さて、日本が世界に先駆けて国家公認探索者というものを擁立しようとしていた、その日――。その大きな出来事に対抗するかのようにして、ひとつの行事イベントを打ち出し、新宿ダンジョンに潜ろうとする者たちがいた。


 蒼き星ブルースフィア――。


 自他共に認める新宿ダンジョン攻略の第一人者であり、新宿で最も有名な探索者チームのひとつであった。


 そんな彼らは自分たちが公認探索者に選ばれなかったことをあてつけるかのように朝から新宿ダンジョンへと潜り、ようやく第五階層のボス前の扉へと辿り着いたところである。


 いつもなら、此処でDPは十分に稼げただろうという判断をして帰還を目指すところなのだが、今回に限りは例外であった。どことなく張り詰めた空気が流れる。


「やるんだな、青木……」


「当たり前だ。というか、前回の動画配信で次は第五階層の階層ボスと戦ってくるって言っているんだぞ。今更、引き返せるか……」


 シャギーの入った茶髪をくしゃりと掻き回しながら、青木と呼ばれた青年が苦い表情を浮かべる。その表情には、悔しさやら、無念さやら、嫉妬やら、憎しみやら、負の感情が渦巻いて見えていた。


 その顔を見ながら、青木に声を掛けた赤髪の青年、赤川は分からなくもないと思うのである。


(元々、探索者資格試験が最初に行われたのは東京や大阪、博多などの大都市圏だ。その資格試験を突破し、第一陣の探索者となって今まで第一線で活躍してきたのが蒼き星おれたちだ。それが、どこの馬の骨とも分からぬ輩がダンジョンを攻略しちまうなり、状況は一変した……。今まで世界の危機は蒼き星が救うぐらいに言っていた人々が、急に蒼き星は無能だ、屑だと罵り始めやがったからな。そりゃ、悲壮感も漂うってもんだよ)


 それは、大竹丸のような存在との比較による誹謗中傷なわけだが、彼らも少しは金儲けに傾向していた部分もあり……まぁ、とにかくその言葉は良く突き刺さったのである。


 そして、一度甘い汁を吸った者はその甘い味を知っているが故に、過去に縋りつこうとする。


 蒼き星は貯め込んでいたDPを一挙に解放し、起死回生とばかりにスキルガチャを敢行。そして、彼らはその賭けに勝つことに成功した。


 強力無比なスキルスクロールの獲得――。


 その勝利を以て、蒼き星は本日、第五階層のボスに挑戦する。そこでボスを倒すことによって、新宿ダンジョン前人未到の第六階層へと降り立つ――。


 そこまでこなせば、手の平を返していた者たちも、改めて蒼き星の偉大さが分かることだろう――と、青木はそう目論んでいた。


 そんな青木の表情を見て、赤川が不安になったのか口を開く。


「青木よう、お前はダンジョンを攻略したいんだよな?」


「当然だろ。それはパーティーを組んだ当初からの、俺の変わらない思いだ」


「けど、その理由は違ってきてねぇか? 昔は全世界の人々の為にダンジョンを駆逐してやるって言ってたけどよ……。今はなんていうか、馬鹿にされたから見返してやるっていうか……」


「それは相反するものなのか?」


「は?」


「全世界の人々の為にって気持ちは勿論あるし、見返したいって気持ちも勿論あるってことだ。別にひとつに絞らなきゃいけないって話でもないだろ?」


「それはそうかもしれないけどよ……」


 何だか戦う理由が不純な気がして、赤川は言葉を言い淀む。


 だが、それで青木が納得しているのであれば、それで良いのだろうとも思う。


 この蒼き星は、良くも悪くも青木を中心としたパーティーなのだ。青木の調子が、青木の判断が、青木の戦闘センスが、戦いの全てを決めるといって良い。ならば、そんな青木の気持ちに迷いがないのであれば、これ以上赤川が言うのは無粋というものだろう。


「青赤っち~。こっちは撮影機材の準備完了~。そっちの準備は~?」


「準備なんて必要ないさ。俺の【蒼炎】と【白雷】はいつだって全開でいける」


「こっちも問題ない」


 二人が同時に頷き、撮影機材を持った女性が近付いてくる。その背後には照明係として、大きな照明機器を背後に担ぐ熊のような大男の姿もあった。どうやら、全員の準備が整ったようだ。蒼き星のパーティーメンバーは互いに顔を見合わせて微かに頷く。


「それじゃ、やるぞ。今日から俺たちは新生蒼き星ブルースフィアになる。その第一歩だ」


「いやぁ、私たちもついに全国デビューですな~」


「半分、全国デビューしているようなもんだけどな。前に雑誌の取材受けただろ」


「あれ、関東ローカルじゃなかったっけ?」


「どうでもいい。とにかく死ぬな。俺からのオーダーはそれだけだ」


「「「OK、ボス」」」


「では、行くぞ!」


 蒼き星は第五階層のボス部屋の扉を開き――。


 ――そして、新宿ダンジョンの狂乱すべてが始まったのであった。


 ★


「おい、待て! 待てって、青木!」


 赤川が早足で歩き、前を歩く青木の肩を掴む。


 そこは第五階層の鬱蒼とした森林地帯とは違い、一面が砂で埋まった砂砂漠エルグの光景であった。ただ立っているだけでも、だらだらと汗が零れ落ちてくる灼熱の乾燥地帯――それが、新宿ダンジョン《六階層》の世界である。


「緑川ちゃんが倒れた! これ以上の強行軍は無理だ! 熊田が担いでいるが、この気候じゃいつまでもつか……」


「だから、戻ろうって……? 舐めてるのか、赤川……」


 ぞっとするような、それこそ殺意が込められているのでは思うぐらいの瞳で睨まれて赤川は思わず後退る。


「俺たちの目の前に現れた全身黒ずくめの奴は何と言っていた! 言ってみろ!」


「お、俺たちが倒した五階層のボスの埋め合わせをする為に、沢山のDPが必要だって……。だから、ダンジョン内の探索者を皆殺しにして、更にはダンジョンの外の人間まで皆殺しにするって……」


「そうだ! そうだよ! 俺たちが……、俺たちがこのダンジョンの階層ボスを倒したから……! 奴らの逆鱗に触れたんだ! 今頃、地上ではとんでもないことになっているぞ……!」


 怒りのあまり、泣きそうな表情で振り返った青木の膝が落ちそうになる。


 それを赤川は慌てて支えることで倒れるのを防ぐ。周りの砂は日光に絶えず照らされて、熱せられたフライパンのようになっているのだ。そんな場所に無防備に倒れさせるわけにはいかない。


 青木に肩を貸して立ち尽くす赤川。彼になんと言って声を掛けて良いのかが、赤川には分からない。


「戻れるわけないだろ……。どうしろって言うんだよ……」


 青木の肩が震えていた。泣いているのかとも思ったが、その顔色はこの暑さの中でありながらも真っ白であった。


「戻れない以上、やるしかない……。このダンジョンを無理矢理にでも攻略してやる……。じゃなきゃ、俺たちは終わりだ……」


「そんなことは……」


 無理と言いかけて口を噤む赤川。


 青木が物凄い目で赤川を睨んでいた。


「じゃあ、今更、のこのことダンジョンを出て行って、俺たちが悪かったです! すみません! とでも謝れというのか! そんな事で許されるものか! 俺たちは裁判に掛けられ、そして大量殺人犯の烙印を押されて、そのまま獄中死を遂げることになるんだ! そんなの嫌だろう! なぁ!?」


 嫌か、嫌でないかで言ったら、勿論、赤川だって嫌である。


 だが、パーティーメンバーがもう限界なのだ。これ以上の強行軍は無理がある。


「気持ちは分かったけどよ……。けど、このままだと次の階層に辿り着く前に全員潰れるって……。どこかしらで休憩を挟んだ方が良いぜ?」


「…………。この砂漠風景の何処に休めるところがあるって言うんだ?」


「それは……」


「ニャニャニャ、それはキミたちが気付いていないだけで、結構あるんだなー、コレが」


 蒼き星が揉めてい最中、やたらと陽気な声が響き、青木はぎょっとして声の出所を探す。それは、砂丘をのぼった先から響いているようだ。砂を掻き分けるようにして砂丘をのぼり切ると、砂丘を下った所にある窪地に派手な色のパラソルが立っているのが見えた。


「青木……」


「分かっている」


 青木の右手から白いいかずちがバチバチと音を出して漏れ始める。雷帝フェニックスも使っていた滅びの白い雷、【白雷びゃくらい】である。青木が使うと技の練度が足りないのか、雷帝フェニックス程の圧倒的な威力は出せないものの、それでも並みのモンスターなら一発で消し飛ばす威力がある。それを先制の叫びも何もなく、問答無用でパラソル目掛けて放つ。


 轟音が砂漠の砂を震わせ、白い雷がパラソルに直撃。避ける間もなく吹き飛んだパラソルは火の粉を散らしながら、バラバラとなって砂漠の砂の上へとどしゃりと転がっていた。だが、肝心の人影が見えない。


「やったのか……?」


「やってないニャー」


 近い位置から聞こえた声に驚いて振り向くと、そこにはチェシャ猫を彷彿とさせる意地の悪い顔をした猫人間が赤川の隣に立っていた。三日月型の目と口に上半身にはタキシードを身に着けた恰好。ともすれば、人間臭くも見える愛嬌のある猫人間だが、その恐ろしい程の移動速度に青木は顔色を蒼褪めさせる。


(雷よりも早く動けるとでも言うのか……! この化け物め……!)


「ふーん。さっきのがポチ丸をぬっ殺した、雷帝フェニックスの【白雷】かニャ? 本家のスキルと比べると超ショボいニャ! ニャッハッハッ! こりゃ、ポチ丸も食らい所が悪かったようニャ!」


「ぽち、まる……?」


「お前らがぬっ殺した第五階層の番人……番犬ニャ。モンスター名としてはリトルフェンリルニャったかな? まぁ、とにかくボスが凄ーく大事に可愛がってたモンスターニャ。餌も自分でやって、散歩にも連れて行って、たまに吠えられて落ち込んだりもしていたけど、基本大好きだったモンスターだニャ。それをお前たちは問答無用でぬっ殺したニャ。だから、ボスは大層お怒りなのニャ。それこそ、下手人の公開処刑を目の前で見ないと気が済まない程にお怒りニャ」


「そんなの……」


 ダンジョンはダンジョンでモンスターたちの生きる世界があるというのか。


 青木は事此処に至ってその事実に気が付く。


 だが、全ては今更だ。


「知らなかったから許して欲しい、かニャ? ダメニャー。というわけで、ニャーはお前たちをボコボコにして迅速に連れて行くニャ。そして、ボスの目の前で処刑ニャ。ニャッハッハッハ。運が無かったニャねー」


「青木!」


「だから、分かっている!」


 一瞬の判断で青木と赤川は展開し、互いの死角を補うような形で猫人間と向かい合う。だが、猫人間はキュッキュッと肉球で砂を踏み締めながら、のんびりと青木たちに近付いてくる。それに憤った青木は舐めるなとばかりに【白雷】を放つが――。


「ニャニャニャ! コイツいきなり大技ばっかり放ってるニャ! 戦いというものを全然理解してないのニャ! こんな雑魚たちにニャーが負ける理由がないのニャ! 二割ぐらいで戦ってやるニャ!」


 そして、猫人間の宣言通り、十分もした頃にはボコボコに殴られて顔を腫らして倒れる青木と赤川の姿があったのであった。

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