第59話 鬼、新宿ダンジョンに潜入せんとす。③
「ふーん。外はそんな事になってたんだ。良い気味。私より幸せそうな奴は全員死んじゃえ。……クヒヒ」
「不気味に笑っているところすまぬが、そっち壁じゃからな」
壁に向かって昏い笑みを見せる
「何するの」
「いや、それはこっちの台詞じゃが……」
「私の目はほとんど見えない。そんな相手に地図を渡すなんて……。そういうこと? 私の痴態を見て笑い転げるつもりだった? あぁ、この屑、死んでくれないかな……」
むしろ、自分が死にそうな顔で嬢はそう告げる。
実力に関しては問題の無い少女なのだが、性格がいささか面倒臭い。
大竹丸は失敗したなぁという表情をおくびにも出さず、丁寧に謝る。
「久し振り過ぎて忘れておったわ。すまぬのう。では、地図は
「…………」
わーい、と両腕を上げて地図を受け取る葛葉。彼女はふんふんと地図を嘗めるようにして確認すると、嬢と同じようにぺいっと捨ててしまう。
「気に入らなんだか?」
「…………」
だが、葛葉はそれに言葉を返すこともなく、前尻尾を出し入れしながらさっさと進んで行ってしまう。その動きがどことなくウキウキとしているのは気のせいだろうか。
その気配を察したのか、嬢はだらりと両腕を下げると――。
「太極結界陣――」
呟き、両の指先から視認も困難な極細の鋼糸を何本も伸ばしていく。その伸びる速度は恐ろしく早く、大竹丸の見ている目の前で岩窟の床という床、壁という壁に張り巡らされていくのが見えた。
(相も変わらずの腕前のようじゃの)
嬢の恐ろしいところは、それを大竹丸以外に気付かせないで行った事だろう。周囲の探索者たちは、未だ嬢の両手から極細の鋼糸が伸びて、この岩窟全体を支配しつつあることに気付いていない。そら恐ろしい技術である。
「葛葉が動き出したってことは、もうその内容を覚えたってこと」
先程までは見当違いの方向を向いていた嬢が、きちんと大竹丸の位置を把握して声を掛けてくる。
「私にもそんな冴えた頭脳があれば、世の中の糞共をせせら笑ってやれるのに……。とにかく置いて行かれるのは気分が悪いから、後を追う」
「ふむ、なるほどのう」
どうやら葛葉にとっては地図を覚えることなどは朝飯前の出来事であったらしい。
だが、地図を投げ捨てたのはどうしたものか。
それに関しては、絶対に嬢が関係していると大竹丸は睨みを利かす。
「……何よ、大竹丸」
「葛葉に変な事を教えるんじゃないぞ」
「大竹丸だけには言われたくない台詞なんだけど。……死にたい」
どうやら、嬢は反抗期のようだ――そう思う事にした大竹丸である。自分の非は認めたくないお年頃なのであった。
大竹丸は気を取り直して、小鈴に向けて声を掛ける。
「では、小鈴よ、行ってくる。地上は任せたぞ」
「うん、タケちゃんも……全然心配していないけど、もしかしたら天文学的な数字で危険かもしれないから……気を付けて」
「その注釈必要じゃったかのう……?」
少しだけ腑に落ちない顔をしながらも、大竹丸は葛葉を追って走りだす。
「よく分かってる。良い理解者がいるね、大竹丸。……クヒヒ」
そして、立ったまま、まるで動く歩道に乗っているかのようにすーっと地面を滑って移動する嬢。それを見ていた探索者たちがどよめきを発するが、その反応も一瞬の後には遥か後方だ。大竹丸はその奇怪極まりない移動方法を見て、感心したような声を漏らす。
「足元の鋼糸で自分の体を運んでおるのか。考えたのう」
「鈍足は過去の話。私は常に進化している」
「体付きは以前見たまんまの通りの平坦スタイルじゃがなぁ……」
「それは私の種族、土蜘蛛の特徴。私が悪いわけじゃない……」
そう、嬢は見た目通りに容姿が幼い少女というわけではない。
――妖怪、土蜘蛛。
それが葛城嬢の正体だ。かつては平安の世に妖怪バスターとして活躍した源頼光とも殺り合ったことのある年季の入った妖怪である。そんな彼女はしゅるしゅると指先から伸びる鋼糸を操って、その返ってくる反応から全ての事象を把握していく。
「そして、土蜘蛛は種として優秀。この階層の支配権は既に得た」
「張り巡らせ終えよったか」
「……繰り糸が見えてた? ……死にたい」
一瞬で物凄く鬱になる嬢。どうやら、大竹丸に鋼糸を看破されていたことが酷くショックだったようだ。その場で膝を抱え込んで蹲ってしまう。だが、そんな状態でも本人はすーっと滑るように移動していくのだから奇妙な光景である。
「お。葛葉も見つけたぞ。では、回収していくかのう」
前をたったったーっと走っている葛葉の襟首を掴んで引き寄せ、さっと頭の上に掲げて、そのまま肩の上へとドッキング。
肩車の完成である。
そんな葛葉は少しだけ状況を理解出来なかったのか、ぼーっとした顔を見せた後で、指先から青白い炎を発するとそれを矢印の形に加工して、大竹丸に行先を告げてくる。
そんな大竹丸と葛葉の姿をちらりと確認した嬢は――。
「二人共楽しそう。私だけ除け者にして……。死にたい……」
「どうせいっちゅうんじゃ!」
いい加減堪え切れなくなった大竹丸は、笑いながら嬢にそうツッコムのであった。
★
塞建陀窟、第五階層――。
「何じゃ、割と簡単についてしまったのう。拍子抜けじゃ」
塞建陀窟の五階層は鬱蒼と茂る緑の濃い森林地帯であった。普通であれば、このジャングルのような光景の中、迷ったりするのが定石なのだろうが、葛葉の頭脳はそんじょそこらのものではないとばかりに、進むべき道を明確に指し示し、大竹丸たちはほぼ迷うことなく、階層ボスがいるであろう扉の前に辿り着いていた。
「
「なんじゃ、ため息なんぞついて」
「私よりも見た目も実力も劣るモンスターを見て悦に浸ろうとしていたのに、それすら許されないなんて……。死にたい……」
「考え方が暗いんじゃ!」
「それが土蜘蛛の習性だから仕方ない……」
「それは、お主の性格であって、絶対に習性などではないわ!」
口喧嘩を始める大竹丸の頭を撫でるようにして、葛葉のふわふわとした尻尾が当たる。そのあまりの心地良さにしばらくモフモフ感を楽しんだ後、大竹丸はハタと気付く。何をもめていたのか忘れてしまっていたのだ。
「うぅむ、恐るべきはモフモフの魔力!」
「うん。葛葉の尻尾は一家に一台欲しい……」
「♡」
ニコニコと愛想の良い笑みを振り撒く葛葉。どうやら仲違いする大竹丸と嬢の間を取り持ってくれたようだ。見た目は大分幼いのだが、しっかりしていると言えよう。
そして、気を取り直した三人は、五階層の最奥――階層ボスの部屋の扉の前で突っ立っていた。そして、三人共がおもむろに腕まくりをし出す。
「じゃあ、恨みっこなしじゃからな」
「久し振りの八つ当たり先。渡せない」
「…………!」
そして、最初はグーから始まる大一番。この三人が何かを決める時は大体これで決めるのが通例だ。そして、今回の決め事は『誰が階層ボスを倒すか』である。そこには協力しようだのといった気持ちや、一緒に頑張ろうだのといった気持ちは微塵もない。我こそが美味しい思いをしたいという下心が満載なのである。
そして、その大一番を制したのは――。
「まさか、妾が負けるじゃと……?」
「死にたい……。本当、死にたい……」
「♡」
――他二人がグーを出す中、一人だけパーを出した葛葉であった。
★
五階層最奥の扉が開かれ、そこから中に入ってくるのは背丈の低い狐耳と二尾の狐尻尾を持つ真っ白な少女であった。彼女は手を使うこともなく、視線だけで観音開きの大扉を押し開けると、中に足を踏み入れる。その際に彼女の足元を通って鋼糸が中に張り巡らされていったのだが、そうしないと嬢が動けないので仕方ないだろう。嬢も葛葉に嫌がらせをするつもりはなかったので、そんなつもりはないとばかりに首を横に振って否定してみせた。
「おんやぁ? まさか、こんな状況でお客様――……」
その時、部屋の中央で葛葉を出迎えたのは首なしの鎧騎士であった。
恐らくはデュラハンと呼ばれるモンスターであろう。
だが、それがどのようなモンスターで、どんな攻撃をしてくるのかを知るよりも早く、そのモンスターの周りを青紫色に光る稲妻の檻が囲い込む。細かな紫電を散らすそれは格子状になっており、文字通り鎧が抜け出る隙間すらない。
「ま、待て! 私は八忌衆の――」
紫電が撫でただけで地面が融解する。その青紫色の檻が尋常な威力ではないのは誰の目にも明らかだ。大竹丸も嬢も「あーぁ……」といった視線で成り行きを見守っている。その顔からは既に勝負が決した事が分かるだろう。
「そ、そんな馬鹿な! この私が名前すら名乗れ――」
バシュン――。
空間が消滅するような音を残し、檻の中心に向かって一気に収束した青紫色の稲妻が全てを溶かし、この世から消滅させる。気付いた時には光の粒子が空へと昇り、全ては終わった後であった。
そんな様子を見ることもなく、葛葉が尻尾をゆらゆらと揺らしながら、撫でて撫でてとばかりに大竹丸に頭を差し出してくる。大竹丸は一度右手を宙に彷徨わせた後で――。
「う、うむ。よくやったのう……」
――多少ぎこちなくなりながらも、彼女が満足するまで葛葉の頭を撫でてあげるのであった。
「大竹丸を裏切ったらアレだもん……。死にたい……」
尚、味方の身も蓋もない勝利に一人鬱になる者が発生したのは余談である。
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