第58話 鬼、新宿ダンジョンに潜入せんとす。②
「えぇい! 散れ、散れ! 謝辞は代表だけで良いわ! というか、どさくさ紛れに妾の匂いを嗅ぐでない! なんじゃ、御主、変態か!?」
群がる人々をちょっと涙目になりながら追い払う大竹丸。
群衆心理でも働いたのか、一部、狼藉者がいたようだが、追い付いてきた小鈴のOHANASHIで事なきを得たようだ。今はある程度のスペースを空けて、その場の代表として担ぎ上げられた男と大竹丸は相対する。
「新宿ダンジョンの探索者で
「礼など要らぬ。妾は当然のことをしたまでじゃからな。無事であったのであれば重畳じゃ」
「ははは、それを当然と言えてしまう者が何人いることか」
新村は参ったとばかりに苦笑を零す。
彼も新宿ダンジョンで長く活躍している方だが、此処まで気っ風の良い相手に出会ったことはない。
手柄を誇らず、威張らず、更には致命傷を治してしまうような高価な薬を戦闘中にパッと買って周囲にばら撒く――。自分が女であれば、思わず惚れてしまう程の剛毅さである。
(そういえば、大竹タケさんの匂いを嗅いでいたのも女の人だったな……。闇が深い……)
何となくそこは深く考えないようにする。
新村の様子が落ち着いたのが分かったのだろう。大竹丸が状況をかいつまんで説明し始めていた。
「まぁ、御主らも薄々気付いてはおるじゃろうが、つい一時間程前かのう? この新宿ダンジョンのモンスターたちがモンスター
「そう……、だったのですか。ダンジョン内のモンスターたちが、いつもと違って急に出口方面に走って行ったので、何かがあったのだと思ってはいましたが……。モンスターが新宿の街に……」
大竹丸の言葉に思わず泣き崩れてしまう探索者たちが複数。彼らは新宿駅前で大事な人との待ち合わせでもしていたのだろう。今は騒ぎに巻き込まれずに、無事でいてくれることを祈る事しか出来ない。
「それで? 新宿ダンジョンじゃったかな? このダンジョンに潜っておる探索者は此処におるので全員かのう?」
「いえ、一部の探索者は、此処から出られないと見切りを付けると、他の出口を探すと言ってダンジョンの奥へと行ってしまいました。恐らくは今も出口を探して内部を彷徨っていることでしょう」
「それは、ちと厄介じゃのう」
ともすれば、松阪ダンジョンのように階層をぶち抜いて進もうと考えていた大竹丸だが、現状でそれを行うと探索している無辜の探索者まで巻き込んでしまいかねない。
(ならば、一層ずつ下っていくしかないかのう)
そう考えつつも、他に何か良い手がないか模索する大竹丸。
そんな折に新村から更に情報がもたらされる。
「先程のモンスターはこのダンジョンのことをS級ダンジョン、スカンダクツであると言っていたので、実際には新宿ダンジョンという名前では無いらしいのですが……」
「スカンダ……、じゃと?」
大竹丸の頭にSkandaという文字が思い浮かぶ。
古くはヒンドゥー教の神であり、神の軍隊の最高司令官を勤める軍神とも呼ぶべき存在だ。だが、その存在は仏教において、我々日本人にもっと馴染みのある神の名で伝えられている。
即ち、
(黒ずくめの男に遅いと指摘したら、やたらとキレておったが、もしかしてそういうことかのう……)
韋駄天の名前を冠し、スピード自慢の敵が出てくるダンジョン。
良く考えれば、最初の巨鳥もいつの間にか出現していたように思える。
まさかという思いを抱きつつも、大竹丸はどこか確信に似た思いを抱いていた。それは――。
(速度特化型のダンジョン……)
改めて厄介な、と大竹丸は思う。
別に大竹丸一人だけで攻略するというのなら問題はない。
だが、スピード特化型のダンジョンで小鈴やその仲間たちを守りながら最奥に向かうというのなら、それ相応の覚悟がいるだろう。特に、新村の話ではこのダンジョンはS級――。ベリアルクラスの強敵がダンジョン内を徘徊していたとしてもおかしくはないのだ。
「タケちゃん」
そんな大竹丸の気持ちが伝わったわけではないだろう。
だが、小鈴は真剣な目で大竹丸を見ていた。
多分、彼女も分かっているのだ。自分たちが大竹丸の足手纏いになってしまうであろうことを。「それでもついていく」――そう言える程、小鈴たちの面の皮は厚くはなかった。
「私たちが一緒だと、タケちゃんの足を引っ張っちゃう。それに今は多くの人が困ってるし、救いを求めてるし、多分、現在それに応えられるのはタケちゃんだけだと思う……」
「小鈴」
「だから行って! 日本中に……。うぅん。世界中に、私たちのタケちゃんがこんなに凄いんだぞってことを見せつけてあげて!」
そういう小鈴の眦には隠し切れない涙の粒が浮かぶ。
悲しいわけではない。
悔しいのだ。
如何に辛い訓練をしようとも、未だに大竹丸との間には埋めることのできない大きな
それは、他の面々も多かれ少なかれ思っていたことらしい。
ルーシーは「いや、仕方ないよ」と笑いつつも、その笑顔はどこか強張っていたし、あざみは「ペペペポップ様伝説の始まり」と言いつつもその表情はどこか寂しそうであった。そして、黒岩に至っては取り繕うことも出来ないのか、自身の拳を爪が食い込むまで力一杯に握りしめている。
そんな彼らを見て、大竹丸は心の中で「待っているぞ」と声を掛ける。
彼女も分かっているのだ。
如何に大竹丸が突出して強かろうと、全世界を救うのは難しい。
だから、周りを、才能のある者たちを伸ばし鍛え、ダンジョンと戦えるように環境を変えていく必要がある。
(またダンジョンに、妾は教えてもらっておるようじゃな……)
一体このダンジョンというものは、どこまで大竹丸を鍛える気なのだろうか。薄ら寒さを覚えながらも、どこか期待感をも抱く大竹丸なのであった。
★
「済まぬな、皆よ。時は一刻を争う故、妾のみで行く。お主らにはダンジョン外のモンスターの掃討を頼んでも良いか?」
「任せてよ、タケちゃん! でも、本当に一人で大丈夫? ダンジョンの道とかちゃんと覚えられる?」
「む……」
「あ、一応、五階層までの地図でしたら、自分のを持って行って下さい。それ以降は未踏の地なので地図はありませんが……」
新村から善意で地図を譲ってもらい、大竹丸はそれを縦にしたり、横にしたり、ひっくり返したりと忙しい。どうやら読み方が良く分からないようだ。
「なんでタケちゃんは地図の読み方が分からないの!?」
「妾がやったゲームでは大体歩けば地図が埋まったのじゃ!」
「それゲームじゃん!」
「仕方ないのう……。妾一人では無理そうじゃから助っ人を呼ぶ」
そう言って大竹丸が取り出したのは、古ぼけた草子だ。
百鬼夜行帳――。
大竹丸のとっておきの秘密兵器である。
「あ、ベリアルさんを呼ぶんだ」
「ベリアルにはノワールの手伝いを命じておるからのう。横槍をする気はないぞ。今回呼ぶのは別の二人じゃ」
大竹丸はそう言って、草子を開くと初めの頁と次の頁を開き、ささっと片手で印を結びながら空中に九字を切る。だが、その九字の切り方は通常のものとは逆だ。
そもそも、九字印とは神の力を借りて邪悪なものを退ける意味合いがあり、臨兵闘者皆陣列在前の言葉は、『闘える兵が臨戦態勢で陣を組んで邪悪なものの前にいるから諦めてさっさと去れ』の意味がある。それが変じて、自身の煩悩や迷いを振り払う効果にも通じるのだが、大竹丸がやっているのはその逆――逆九字である。
つまり、神の力で邪悪を払うのではなく、邪悪を呼び込んでいるのだ。
やがて、百鬼夜行帳より紫色の……どう見ても毒のような……煙が噴き上がり始める。
「来い!
どうっと一際強い突風が吹き荒れ、煙が一瞬で四散する。
そして、そこに佇んでいたのは長い黒髪をポニーテールとして結び、どこを見ているのか分からない薄弱とした視線をした背の低い少女だ。彼女は首元で紐が交差する前掛けのような黒いキャミソールを着て背中を大胆に晒し、その上でグレーのミニスカートと黒のニーソックスを身に着けていた。
「何? 大竹丸? またくだらない用事?」
露出が多い服を着ている割にははっちゃけた性格ではないらしい。気だるそうなダウナー系の雰囲気を漂わせながら、全然違う方向を見つつ大竹丸に文句を言っている。
「嬢よ、妾はこっちじゃ」
「どっちでもいい。聞こえているなら問題ないから」
「それと、葛葉よ。お主は
大竹丸の言葉にコクリと頷くのは真っ白い紬を着崩して羽織る何もかもが白い少女だ。長い髪も白ければ、肌も白い、狐耳も白く、二尾の尻尾も白い。そんな彼女は白い紬を肩から掛けているだけで、他に何も身に着けていなかった。長い狐尻尾とおさげが前に回っていなかったら、色々と大事な部分が丸見えであったことだろう。
「…………」
葛葉と呼ばれた少女は紬の前を合わせて……、離して……、そしてそのまま諦めて肩に羽織るに留めた。どうやら帯を忘れてきたらしい。これでは前を合わせてもすぐに前が開いてしまい、色々丸出しになってしまうことだろう。
そして、それを悟った葛葉はジタバタすることはやめたらしい。
堂々と肩に紬を羽織り、前尻尾おさげスタイルで通すことにしたようだ。
その堂々とし過ぎっぷりに、大竹丸も思わず拍手をしそうになるが、そうではない。
「仕方ないのう」
DPで帯を買って葛葉の恰好を整えてやる。
五分もしない内に葛葉の恰好は落ち着いたのだが、彼女は前尻尾が気に入ったらしく、股間部分から尻尾が出たり入ったりしている。どうやら楽しいらしい。
「えーと、タケちゃん。この子たちは……?」
「ん? 妾が集めた一騎当千の仲間じゃぞ」
「「「「えぇ……」」」」
大竹丸は胸を張ってそう言ったが、周囲の視線はすこぶる残念なものが込められていたのであった。
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