第57話 鬼、新宿ダンジョンに潜入せんとす。①

「やはり、新宿ダンジョンに近付くにつれて状況が酷くなってくるのう。せめて無縁仏とならぬように祈るか」


「暫く、お肉食べられなくなりそうだよぅ……」


 新宿ダンジョンに近付くにつれて、逃げ遅れた人々の無惨な死体が増えてくる。特に、身体の部位を欠損しているものが殆んどで、直視に耐えないのが現状だ。


 黒岩やルーシーなどはそんな様子の死体を見ないように視線を下げて歩き、逆にあざみはその様子を具に観察している。


 山で獣を狩って解体をこなす小鈴でさえも「肉が食べられない」というだけの状況の中、大竹丸は身元の割り出しが難しそうな遺体に祈りを捧げる。


 果たして、それがどれだけの効果をもたらすのか。気休めだとは分かっていても祈らずにはいられないだけの惨状であった。


「お、あれじゃのう」


 やがて、ひび割れた巨大なテレビ画面スクリーンが見えてくる。かつてはお昼の人気番組「笑っていいと思う……」を収録していたスタジオウルタビルが見えてきた。


 その巨大スクリーンの下にひっそりと開く岩窟の入り口。


 そこからは、何やら切羽詰まった叫び声のようなものが聞こえてくる。


「まさか、ダンジョンの中に生存者がおるのか!」


 大竹丸たちは顔を見合わせると、急いで新宿ダンジョンの入り口へと突入するのであった。


 ★


し! それはしであるぞ! ――不許可ぁ!」


 抜く手も見せず、戻り手も見せず、ただ鍔鳴りの澄んだ音だけが響く中、探索者である男は荒い動悸を何とか静めながら、目だけで目の前の男を睨む。


 全身黒ずくめで、どことなく和のテイストを感じさせる上下。だが、露出している部分は目だけであり、怪しさに関してはひとかどの者だ。そんな男は、いきなり一歩も動かなくなってしまった探索者に賛辞の為か、軽く拍手を行う。


「良し! それは良し! ――許可ぁ!」


「こ、この野郎……!」


 探索者も分かっている。


 自分はつい先程、このふざけた黒ずくめに細切れにされたのだと――。


 だが、まだ死んではいない。


 あまりに斬撃が鋭く、早かった為に、動かなければ切り口がズレないのだ。だからこそ、臓物をぶち撒けずに済んでいる。


 そして、そんな生きる彫像と化してしまったのはこの男だけではない。此処彼処で何人もの生きる彫像がすすり泣く声が聞こえてきていた。彼らもまたダンジョンから外に出ようと黒ずくめの男に挑み、破れ去った者たちであった。


 腕に自信のない者たちなどは、黒ずくめの男に挑戦することもなく、ダンジョンの出口近くで崩れ落ちるようにして座り込んでいる。その目には既に生きる力が見受けられない。


「フフッ、このS級ダンジョン『塞建陀窟スカンダクツ』は入るに許可は要らぬが、出るには拙者……八忌衆が一人、ニンジャマスターのシュビヌ様の許可が必要……! さぁ、拙者に挑戦する者はおらぬか……! 拙者にその強さを認めさせたのならば、ダンジョンを出る許可ぁを与えようぞ……!」


 だが、シュビヌの声に応える者はいない。


 いや、応えた者こそが生きる彫像となってしまったのだ。だからこそ、この場にシュビヌに挑戦する勇気のある者は存在しなかった。


 だが、この場にいない者にはそんな絶望感など知ったことではない。


「邪魔するぞー」


 味方同士の同士討ちを避ける為か、声を掛けながら誰かが岩窟の入り口から降りてくる。岩窟の入り口はカーブしつつ下っているので付近の状況が見えないのだろう。


 生きる彫像と化した人々は口を動かさずに、舌だけを使って声を上げる。


「く、来るんじゃあない……! 入り口近くには化け物がいるんだ……! 早く引き返せ……!」


 肺を震動させた為か、探索者の男の胸あたりにゆっくりと斜めに何度も交差する赤い線が入ってくる。その事に、周囲の彫像の視線で気付いたのか、探索者の男はそれ以上の言葉を連ねる事が出来なかった。


(来るな! 来ないでくれ! 来ては駄目だっ!)


 探索者の男は心の中で祈るようにして願うが、彼の願いも虚しく、ダンジョンの入り口から黒のジャージの上下を着た黒髪の少女が降りてくる。


 その少女は殺風景な岩窟には似つかわしくないほどの美人であり、そしてその異様な光景を前にしてもひとつも怯むことなく、堂々とした態度で歩んでいた。


 注意を喚起しようとした人々も、あまりに場違いな存在に思わず見惚れてしまい、気がついた時には少女を止める機会を失していた。


 シュビヌがニヤリと笑いながら誘い込む。


「良し。中に入るのは良し。――許可ぁ!」


「ふむ。では、一歩だけ戻るのはどうじゃ?」


「悪し! それは悪し! ――不許可ぁ!」


 次の瞬間、少女を中心として幾重にも激しい火花が何度も散る。そして、遅れてやってくるのは強烈な音の連打だ。鼓膜を破らんとするかのように、一瞬に圧縮された音は生きる彫像と化す人々にも衝撃を与え、その身に赤い線を幾つも浮かび上がらせていく。


 彼らは死にたくないと叫ぶよりも早く、次の言葉を発する為にその肺に大きく息を吸い込む。


 そう。彼らは見たのだ。


 少女がシュビヌの斬撃を受けても五体無事で普通に動けているということを――。


「「「「「お願い! そいつを殺してーーー!」」」」」


「憎まれておるなぁ。御主……」


 左手に握っていた小通連をふらふらと振りながら、少女……大竹丸は手早く右手で冒険者カードを操作する。


 そして、操作する大竹丸の目の前で、叫びを上げた冒険者たちの身体に見る間に無数の赤い線が走っていくのが見えた。制限越えリミットオーバーであろう。


 彼らの身体が見る間に細切れへと変貌していこうとするのを見て、シュビヌは嗤う。


「良し。それで良し。――これでトドメをさす手間が省けた……!」


「何を言うておる? まだ死んでおらんじゃろ?」


 大竹丸がそう言ってDPで買ったのは万能霊薬エリクサー(劣化)だ。お値段は実に五十万DP。それをポンと支払った大竹丸はその万能霊薬の中身をドボドボと小通連の刃に掛けるなり、周囲を切り払うようにして素早く横薙ぎに振り回す。


「くっ!」


 その鋭い攻撃に思わず避けてしまったシュビヌであったが、その顔に小さな飛沫が当たると同時に自分の内から力が湧いてくるのを感じていた。


「これは……?」


「あ、あれ……、俺生きてる……?」


「――――ッ!」


「バラバラになってない!」


「助かった? 助かったのか!?」


 わぁっと生きる彫像となっていた人々から歓声が上がる。それを見ていたシュビヌの瞼が思わずひくつく。


「水滴の一粒でも掛かれば、即死以外は何でも治すとは恐れ入る効能じゃのう。……のう? 真っ黒黒助よ?」


「万能霊薬の飛沫を周囲に飛ばす為だけに、刀に掛けたのか……! だが、それによって拙者の疲労も抜けたぞ……! フフッ、間抜けめ!」


「なぁに、あまりに遅い剣じゃったからのう。疲れているのかと思って掛けてやったのじゃ。これで全力で戦えるじゃろ?」


「お、遅い? 拙者が遅い……? ――悪し。悪しだ、貴様ァ……! ――不許可ァ!」


 誰もが動きを止めたように見える時間の中で、シュビヌは一瞬で刀を抜き放ち、大竹丸を斬り付けようとして、大竹丸が既にその場に居ない事に気付く。


「ど、何処に……?」


 まだ誰もシュビヌが動き出した事に気付いていない空間の中でシュビヌは辺りを見回す。実際、周りの人々の視線もシュビヌが動き出した事に気付いていないのか、シュビヌには向いていない。


 では、果たして大竹丸は何処にいったというのか。


「なんじゃ、御主。まさか、自分より早い奴と戦うのは初めてか?」


 背後からがしっと肩を組まれて、シュビヌは心臓が飛び出るかと思う程に驚く。一体いつの間に、とは思わない。恐らくは彼女の言う通りの事態になっているのだ。


 シュビヌは普通の人間が動く時間軸とは違った高速の時間軸内で自由に動くことが出来る。それは、普通の人間からしたら、目にも留まらぬ速さで動いているように見えることだろう。


 だが、大竹丸はそんなシュビヌの動く高速の時間軸ですら、スローに見える世界で生きているのだろう。だから、シュビヌは大竹丸の姿が捉えられない――。


(――などと思っているんじゃろなぁ)


 そんな事を考えながら、大竹丸は心の中でせせら笑う。


 種明かしをするのであれば、顕明連で転移ワープをしただけである。大竹丸とシュビヌの速度に、そこまで圧倒的な差はない。


 だが、大竹丸には無敵の三明の剣がある。それだけだが、それが圧倒的な差を生む。


「何やら面白そうなゲームをやっておったじゃろう?」


 大竹丸の言葉に合わせて、ちんっと鍔鳴りの音が聞こえた気がしてシュビヌはそこから一歩も動けなくなってしまった。顔色が一気に青褪めていくのが分か。


「ゲーム好きなら乗ってやらねばと思うて、やってみたぞ?」


「そ、それは悪し……、ふ、不許可ぁ~」


 声を出しただけで身体のあちらこちらから崩壊の音が聞こえてくる。シュビヌはそれでも、自分を殺す者を道連れにしようと動き出そうとし――。


「なんじゃ気が短いのう。……まぁ、妾もじゃがな」


 大竹丸にその場で足を踏み鳴らされ、あっという間にシュビヌの身体が崩れていく。これは堪らんとばかりに自分の身体をかき集めようとするシュビヌ。


「き、貴様! 何を――……あっ」


 だが、かき集めようと動いたが最後、彼の身体はサイコロステーキのように成り果てて、地面にゴロリと転がっていた。彼の体が光の粒子となって空に帰っていく。


良し良い悪し悪いで妾を測るからいかんのじゃ。妾は、あかよろしとても素晴らしいじゃよ」


 鍔鳴りの音が響いた後、人々の目の前にはバラバラに崩れ落ちるシュビヌの姿があったことだろう。まさに、一瞬の決着に見えたはずだ。


 その後、当然の如く、大竹丸は人々の盛大な歓声に晒されて顔をしかめるのであった。

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