第54話 鬼、新宿狂乱に巻き込まれんとす。③

「それでは、レッスンワンといきましょうか」


 フレインコートが両の手の爪を長く伸ばし、不規則な脚運びでたえへと近付いてくる。その様子はまるで千鳥足で歩く酔っ払いだ。


 フレインコートの動き自体は早くない。


 だが、先程の惑わす動きを見ている以上、侮ることは出来ない。


 不壊の木刀を正眼に構え、絶はちらりと背後の母娘おやこに視線を向けると一気に前へ出る。


 本来ならば、相手の実力が分からない以上、慎重に受けに回ってその程度を確認すべきなのだが、母娘を巻き込んでしまうことを考えると強引にでも前に出る必要があった。


「変幻自在っ! 十の刃を受けきれますか!」


 フレインコートの両手の指が不規則に動く。それはまるで十人の剣士を相手にしているかのようで、四方八方から様々な斬撃が絶へと襲い掛かる。早いものがあれば遅いものもあり、曲線的に迫るものがあれば直線的に肉薄するものもあり、絶は慌ただしくその爪の攻撃を捌いていく。無駄な動作を極限にまで削り、ただひたすらに早く、流麗に――。


 爪と木刀が鈍い音をドラムロールのように響かせ、絶が受けきれなかった爪が絶の黒を基調とした制服を切り刻む。右腕と左脇腹。そこに浅い傷を作りながらも、絶は集中しているのか表情を変えることはない。


「ハッハー! どうですッ! 私の流星連斬はッ! この連撃にいつまで耐えられますか!」


「理が無い」


「な――……ッ!?」


 右腕の爪刃が木刀の切っ先によって絡め取られるようにして払われる。フレインコートの右腕がそれだけで大きく外へと流され、腕が開く。これで全部で十あった刃が一気に五へと減る。


「沢山刃があったとしても、結局、腕に繋がっている。腕を二本払えば……」


 がんっとフレインコートの左腕があり得ない程の力でねじ払われる。その力は流石に予想外だったのか、フレインコートは反応することも出来ずに両腕を開いた状態で固まる。


 そこに、絶の雷光のような突きが人中へと突き刺さる。


「ぐほっ!?」


 みしぃっと何かが軋む音と共に、フレインコートの上体が傾ぐ。だが、吹き飛ぶことはない。


 絶は自分の渾身の一撃で相手が吹き飛ばなかったことに、少しだけ顔色を変える。それは悲壮感というよりも、訳が分からないといった顔だ。


「姫ー! 足ですよ! 足ぃー!」


 ビル壁を地面として、三百六十度自在に襲い掛かってくる銀色の狼男の相手をしながら、沙耶からのアドバイスが飛ぶ。


 絶が素早く視線を下へと向けると、その足の指から伸ばされた脚指の爪十本がコンクリートを抉るようにして深々と地面に突き刺さっていた。なるほど、先の軋み音はこれかと絶が感心する中で、フレインコートの右足の親指が絶へと向く。


 刹那で伸びる足先の爪――。


 それが絶の喉元を狙い伸びてくる中、絶は木刀から手を離すとその爪を背を反らしながら避け、そのまま両手で白刃取りを行う。


「むぅ!?」


 まさか、避けられた上に取られるとは思っていなかったフレインコートから呻き声が漏れる。


 そして、絶はそのまま取った刃を、体を使って巻き込んでフレインコートの体を思い切りコンクリートから引っこ抜こうとする。


 流石にそれは無理があるだろうとフレインコートが高を括る中、めしり、とコンクリートが軋む音が響いた。


「なにっ!?」


「姫の怪力を舐めすぎですよ……」


 フレインコートの顔が驚愕に歪む中、彼の体はあっという間に周囲のコンクリートを巻き込んで易々と宙に浮く。


「馬鹿な!」


「吹き飛べ」


 まるでハンマー投げをするように遠心力を利用してぶん投げる絶。


 景色が墨絵のように流れる中、フレインコートの目の前にはガルムの驚愕の表情が見えた気がした。


 強烈な衝撃。


 フレインコートとガルムが激突し、二体はもつれあってゴロゴロとアスファルトの上を転がる。そんな状況を見逃すはずもなく、絶は転がっていた木刀を拾い上げながら一気に追い縋ろうと走り出す。


「姫! ここは私に! 姫はあの二人の避難を!」


 だが、その行動を制止する声に思わず足を止める。


 そんな言葉を証明するかのように、フレインコートとガルムがもつれ合う所へ伸びるのは剣身がバラバラでありながら、一本の鋼線で繋がる不思議な武器――蛇腹剣だ。


「ヤベェ!」


 その武器が厄介であることは、散々戦っていたガルムにとっては常識だったのだろう。コンクリートとアスファルトを削りながら螺旋のように近付いてくる生き物のような剣身。それから逃れようとガルムがもがくが、三メートル越えの巨体であるフレインコートの体が邪魔をして起き上がれない。


 ようやく、フレインコートの体を足蹴にして身軽になるが、そのガルムの体を蛇腹剣が捉える。剣先が突き刺さったかと思ったら、その軌道が跳ね上がり、分離していた刃が次々とガルムの体に突き刺さる。


「がぁぁぁっ! 痛ぇーーーっ!」


「が、ガルム!」


「近付くんじゃねぇ! オッサン! 巻き込まれるぞ!」


 剣の刃から逃れようともがけばもがく程に、深く複雑に蛇腹剣は絡まっていく。その軌道は時折、フレインコートまで巻き込もうとするほどに自由自在で凶悪である。この状態でガルムに飛び付いて、彼の体から蛇腹剣を解こうとするのは困難であろう。


 ならば、どうすべきか。


「剣の繰り手を殺す……!」

 

 フレインコートが形振り構わずに路上を走る。その巨体が急激に膨張し、黒のスーツがはち切れ、その体が四メートル、いや、五メートルと巨大化していく。


 変体はそれどころに留まらない。


 肌にはびっしりと爬虫類を思わせる鱗が生え揃い、尻からは尾が生え、背中からは翼竜を思わせる翼が広がる。そして、顔も英国紳士然としたものから蜥蜴を思わせるものへと変貌していた。


 S級モンスター、伯爵竜魔人カウントドレイク。それが、フレインコートの正体である。英国紳士然としていたのは仮の姿。凶悪にして狂暴な本性こそが彼の真実の姿なのだ。


 彼は走りながら、大きな口を開けて息を吸い込む。そして、道の先にいる、前髪で目が隠れている女性に向かって火炎の吐息ブレスを吐き出していた。


「おっと」


 だが、沙耶は軽く声を上げると燃え盛る炎の息を素早く躱し、逆にフレインコートとの間合いを詰めてくる。


 軽いステップを踏んで、相手に的を絞らせないように不規則な動きで炎の軌道を避ける姿は、奇しくもフレインコートが絶に対して行った動きに似ていた。


 だが、沙耶の恐ろしいところは、そんな動きをしながらもガルムへの攻めを途切れさせていないことだ。今もガルムは痛みに悶え、全身を血に塗れさせている。


 元来、ガルムも弱い方ではない。


 B級モンスターである銀狼シルバーファング。その力と速度と生命力は折り紙付きのモンスターである。特に生命力は特筆すべきもので、捕らわれた蛇腹剣の檻の中にいながらもまだまだ元気に喚き続けているところを見ると致命傷には程遠いのかもしれない。


 だが、そんなガルムを手玉に取る沙耶という女性――。


(この者、ただ者ではあるまい……)


 フレインコートは対峙して改めて分かる沙耶の異質さに気付いていた。


 常に余裕を崩さずに飄々と……ひとつひとつの難事を簡単なことのようにやってのけてみせる。その表情は長い前髪のせいで見えないが、フレインコートには嗤っているように見えていた。


 その沙耶がフレインコートに近付く。


 その光景はまるでTレックスに対峙する人の如く――。


 そんな状態で何が出来るのか? 何を狙っているのか? フレインコートの体が一瞬硬直する。


 だが、沙耶は……。


「周りを見ていないと致命傷になりますよ?」


 そう言ってフレインコートの脇を通り過ぎていく。慌てて振り返るフレインコートが見たのは、倒れているガルムに向けて不壊の木刀を大上段に構える絶の姿であった。


「動かないのなら全力で斬れる」


「ちょ、ちょっと待て~~~っ!」


 ぱぁんという乾いた破裂音を残して、ガルムの頭が砕け散る。如何に精強な生命力を誇ろうとも、動けないところにカウントドレイクすら捩じ伏せる剛力の一撃を食らえばひとたまりもないらしい。


「この木刀は折れない……。好きかも……」


 うっとりと木刀を眺める絶。


 その光景を目の前で見ていたフレインコートはわなわなとその全身を震わせる。


 いくら地上ではモンスターとしての力が抑えられるとはいえ、人間に八忌衆の一人が討ち取られるとは、思ってもいなかったのであろう。


 そして、その事は彼の仕えるマスターを更に怒らせる要因になるであろうことも、フレインコートは分かっていたのだ。


(そして、その怒りを収めるにはより多くのDPを得るしかない……!)


 DPを効率良く得る為には大勢の人間を殺すか、より強い人間を殺すかだ。フレインコートは後者を選んだ。鋭い眼差しを絶と沙耶に向ける。


「貴様ら、楽には死ねんぞ……ッ!」


 そう言ってフレインコートは喉の奥を灼熱色に光らせるのであった。

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