第53話 鬼、新宿狂乱に巻き込まれんとす。②

 ★


「すまないねぇ、お客さん。こっち方面はいつもはここまで混まないんだけどねぇ。何かあったのかなぁ?」


 甲高いクラクションの音が抜弁天通りを満たす中、多くの車が原因の知れない渋滞に徐行と停車を繰り返す。客を乗せたジャンボタクシーの運転手はその埒の明かぬ移動に苛立ちを募らせたかのようにクラクションを鳴らすが、状況は一向に改善されることはなかった。


「すまぬが、急いでいるんじゃ。進まぬようなら此処までで良い。それと、新宿ダンジョンというのは近いのかのう?」


「近いよー。車なら五分も掛からないぐらいかな。だから、ちょっとだけ待ってな。もしかしたら、この渋滞もすぐに解消されるかもしれないからね」


 ガス管の破裂事故でもあったのだろうかと勝手な想像をしながら、ジャンボタクシーの運転手はのんびりとした動作でラジオの電源を点ける。普段はお客とのコミュニケーションぐらいでしか点ける事のないラジオだが、交通情報等を得たい場合には便利な道具に早変わりだ。AM放送を忙しなく切り替えていくと、やがてニュース原稿を読み上げるような厳粛な声が聞こえてきた。恐らくは目当ての周波数チャンネルだろうと運転手はその手を止めて耳を澄ます。


『――の発表によりますと、本日、午後七時頃、新宿駅東口にある新宿ダンジョンよりモンスターと呼ばれる存在が街中に向かって突如侵攻を開始致しました。現在、自衛隊が出動要請を受けて向かっており、混乱は間も無く収まると思いますが、付近の住人の方はなるべく落ち着いて、そして迅速に現場から避難して頂くようお願い致します。繰り返します――』


「は? 新宿ダンジョンからモンスターが出てきただって? この渋滞はそれが原因……?」


 そして、このタクシーの行き先はそんな新宿ダンジョンを告げられている。タクシー運転手は非常に気まずい思いを抱きながらも後部座席を振り返る。そこにはやたらと美しい黒ジャージの少女を中心に、決意を固めた表情の少年少女たちが七人も乗っていた。……何となく嫌な予感がすると、ジャンボタクシーの運転手は思う。


「あのー、お客さん……? この先、モンスターが外に出ているらしくって凄い危ないそうなんですけど……。引き返します?」


「いんや。行ってくれ――と言えども、この状態では走った方が早いかのう。分かった。これより先は徒歩で向かうとするか。運ちゃんよ、此処までの道程助かったぞ」


「え? あ、いや――……え?」


 少女の言葉に戸惑う運転手であったが、その視界の端が急に明るくなったのに気付き、思わず顔をフロントガラスの方へと向ける。


 最初は何処の馬鹿がライトをトップにしているのかと思ったが、そうではない。


 ジャンボタクシーの運転手や、他の車の運転手たちが上空を見上げる中、白銀色の雷光を纏った巨大な鳥が大きな翼を広げて羽ばたいていたのだ。ピカピカ、ピカピカと巨鳥は光を放ち、それがサブリミナル効果の如く、見る者たちの網膜を焼いたのである。


「なんつー綺麗な鳥だ……」


 まるで浮かぶ電飾……いや、宝石で出来た巨鳥か。誰もがその美しい姿に心を奪われる中、巨鳥は全身に纏う白銀色の稲妻の先を突如として四方八方へと伸ばしゆく。それは雲丹ウニのように、またはイガのように巨鳥を中心とし、空間を埋め尽くすような勢いで辺りを融解させながら、こぞって地上へと向かってきていた。それはまさしく稲妻で出来た篠突く雨が如くだ。


(あ、死んだな……)


 タクシー運転手の目の前が真っ白に染まり、前に停まっていた車の姿すらも見えなくなった時、運転手は自分の人生を嘆くことも省みることもなく、自身の死を直感した。怪獣映画で怪獣に成す術もなく踏み潰される人物の気持ちというのはこんなものか。そんな事を心の片隅で思いながら、目を瞑ることもなく目の前の光景をぼんやりと眺め続ける。


 だが、タクシー運転手の体にはいつまで経っても体が焼け焦げ、皮膚がくっついてしまうような強烈な痛みはやってこない。


「…………?」


 それどころか、視界は一面の白から元へと戻り、破砕されたビルの壁こそあれども、前を塞ぐ車両たちが吹き飛んでいる光景も、全身に火傷を負って呻く人々がいるといった光景も、融解して鉄屑になっている信号機があるといった光景も、ひとつも確認することは出来なかった。


(白昼夢……?)


 今のは果たして夢だったのか、とジャンボタクシーの運転手が訝しむ中、上空を羽ばたく巨鳥がけたたましい鳴き声を放つ。被害に関しては夢幻ゆめまぼろしであったのかもしれないが、巨鳥の存在は本物であった。


 怒りを滲ませるような声音で鳴く巨鳥の姿を見て、ジャンボタクシーの運転手は思わずお腹が痛くなる。ともすれば、漏らしてしまいそうになるほどの圧力プレッシャーを覚える。


(は、はは……、なんだこれ? これが? こんなのがモンスター?)


 こんなもの、人間が敵う存在じゃない――。


 一瞬で自身の生存を諦めてしまうジャンボタクシーの運転手だが、巨鳥のおぞましい鳴き声を聞いてなお、何ら変わらぬ様子の声が車中に響く。


「なんじゃ、ヌルい技の制御をしておるから奪い取ってやったというに、それに怒りを覚えて喚き散らすとは笑止千万じゃのう」


 その言葉に運転手が振り返った時、ジャージの少女の掌の上には、小さな荒れ狂う白雷を無理矢理丸め込んだような球があった。それが徐々に圧縮され、見ている間に高弾性ゴムスーパーボールのようになってしまう。


 思わぬ光景に、運転手も思わず呆然とするばかりで、何が起こったのかを理解することが出来ない。


 ただ、車外で巨鳥が全てを薙ぎ払おうと振るおうとしていたものが、今は少女の手の中で玩具のように扱われているような気がして――そんな恐ろしい考えが思い浮かんでしまい、ジャンボタクシーの運転手はブンブンと首を横に振る。


 そんな事が出来るとしたら、それは人間じゃない。……というか、あの巨鳥以上に恐ろしい存在ではないか。


 そんな存在を自分の領域に乗せてしまったとは考えたくなかったジャンボタクシーの運転手は、努めてそれ以上を考えないようにした。もし、それ以上を考えてしまったら緊張で吐いてしまっただろう。だから、それが正解なのである。


「ふむ。狭量な奴じゃ。そんなに怒るのであれば返してやるかのう。ほれっ」


 白雷を凝縮した球が少女の掌から消えたと思った次の瞬間、怪鳥が突如姿勢を崩してビルの壁に頭から突っ込む。コンクリートの破片が飛び散り、明らかに肉体の操作コントロールを失った巨体が三十メートル以上もの高さからビルの壁を支えに地上へと落ちてくる。街路樹の枝をへし折り、ビル壁を削り、瓦礫と共に歩道の上へ――。


 歩道を歩いている者がいなかったのは不幸中の幸いか。歩道のアスファルトが割れて砂埃が舞い、近くに停めてあった車両は巨鳥落下の衝撃に小さく跳ね浮かんだ程だ。そして、衝撃を受けた車内搭載の防犯装置が狂ったようにけたたましく鳴る中で、ジャンボタクシーの運転手はようやく思い出す。


(最初から、どこかで見た顔だと思っていたんだ……)


 だが、あまりに美しい顔であった為、ジャンボタクシーの運転手は彼女が芸能人であると勝手に判断してしまっていた。そんな相手に素性を根掘り葉掘り聞くのも憚られてしまったが故に、彼女の正体を知るのを逸してしまったのである。


 だが、今なら分かる。


 凡そ、人間技とは思えぬ偉業を達成した人類の英雄……。だからこそ、あんな巨大な化け物モンスターを相手にしても一歩も退く事なく対処出来るのだと分かってしまった。


 そう、そんな事が出来る英雄は現在の日本ではただ一人。確か、その名は――。


「大竹、タケさん……?」


「大竹丸じゃ! ……まぁ、えぇ。此処からは徒歩で行くとする。世話になったのう、運ちゃん」


 もうもうと立ち上る砂塵がビル風に吹かれて一瞬で消し飛んでいく中、黒ジャージを着た少女……大竹丸はジャンボタクシーの扉を開いて外へと飛び出す。


 目の前には光の粒子とならずに無惨な死骸を晒す巨鳥の姿があり、それに何も思わないわけではなかったが、感傷に浸る暇もない。


(脳味噌に直接白雷を転移させた者としては、思うところが無いわけでもないのじゃが、今はひたすらに時間が惜しいからのう……)


 大竹丸はその場で凝り固まっていた体を解すかのように、軽いストレッチを行ってからジャンボタクシーの運転手に道を尋ねる。


「運ちゃんよ、新宿ダンジョンとやらはどちらの方じゃ? あっちに進めばえぇのか?」


「えぇっと……。大体そちらの方ですね。ですけど今は危険ですよ?」


「危険は承知の上じゃ、そもそも――……む?」


 何かを言い掛けた大竹丸の言葉が止まり、その均整の取れた顔が楽しげに歪められる。それを見たジャンボタクシーの運転手の表情が泣きそうになるのだが、つまりはなのだろう。


「……ほう、脳を焼き切られても死なぬか」


 大竹丸がそう言うのとほぼ同時――。


『クケェェェェーーーーッ!』


 ――怒りの鳴き声をあげて、巨鳥がその場で起き上がる。


 モンスター脅威度SS、雷帝フェニックス。


 S級ダンジョン『塞建陀窟スカンダクツ』が誇る最高戦力……八忌衆はっきしゅうの一体が全身に雷を纏い、大竹丸に襲い掛かるのであった。


 ★


「自己紹介を受けた以上は、自己紹介を返そうかね?」


「――問答無用!」


 絶はコンクリートを踏み割りながら、一気に英国紳士との間合いを詰めていく。その英国紳士は両手にある爪を伸ばし、絶の突進を受ける構えだ。十の指をまるで曼珠沙華のように構え、絶が間合いに踏み込む一歩前という時分になって、英国紳士は素早く一歩だけを踏み出す。


「…………ッ!」


 英国紳士にとってはたったそれだけの事ではあったのだが、絶にとっては恐ろしく早い踏み込みに見えた事だろう。


 何せ、自分の突進の力を交差法カウンターのように利用されている。ぎょ、とする間もなく間合いを潰されたと錯覚する程に早く見えたに違いない。


「我が名はフレインコート! S級ダンジョン『塞建陀窟』の八忌衆が一人ッ!」


 まるで竜の顎が閉じるかのように、絶の目の前で十本の長い爪が閉じられる。絶がもし彼……フレインコートと打ち合おうとでも考えていたのであれば、その姿は細切れの肉となって路上に転がっていたことだろう。


 だが、絶は自分の体を路上に投げ出すようにして、フレインコートの脇を転がってその横を通り抜ける。そして、そのままフレインコートの背後に回ると未だ逃げられずにいた母娘おやこを守る為に立つ。人命優先の考えが逆に絶のダメージを浅くしていた。これこそが謙信公軍神様の加護であろうか。


 絶は困惑した顔を見せて、フレインコートが語った内容を反芻する。


「八きしゅう……? S級ダンジョン……?」


「くっくっ、八忌衆は半数以上がS級以上のモンスターで構成されるダンジョンマスター様の親衛隊。そして、全員が曲者揃い……。一人一人が街ひとつを壊滅させられる豪の者たちの集まり――」


「――つまり、俺らみたいのがあと六人はいるってことさぁ!」


 フレインコートに程近いビルの屋上。


 その屋上の端に腰掛ける人影が叫びを上げる。細身ながら筋肉質の体にだぼついたズボンのみを履き、体の至る所を露出させた姿――。だが、その体のほとんどは銀色の体毛に覆われており、その頭部は狼のような厳つい獣の顔となっている。……銀色の狼男。まさしくそう呼ぶに相応しい容姿の者がそこには居た。


「なかなか楽しそうな獲物を見つけたじゃねぇの、フレインコートのオッサンよぉ!」


 ぶらぶらとさせていた両脚を勢い良く放り出すことで、狼男は自身の身を空中に投げ出す。だが、狼男はそのまますると壁面を走って一気に絶の元までやってくる。その勢いはまさに疾風の如し。


「俺も混ぜてくれよぉ! 八忌衆最速の男、このガルム様もよぉ!」


「馬鹿め。最速は私に決まっておろうに」


 フレインコートがそう漏らす中、狼男ガルムは更に壁面を加速する。ビルの壁を壊しながらも、壁を地面として捉えて爆走する姿は確かに図抜けた速度を誇っていると言えよう。だが、その速度を越えて、一筋の銀光が迫っているのに気が付いたのか、ガルムはビル壁を蹴って身を翻しつつ地面に四肢を使って軽々と着地する。


「ふぅ。姫、遅くなりました」


「師匠……。本当に遅い。死ぬかもしれないところだった」


 絶の非難を一身に浴びるのは前髪で目元を隠した女性、小島沙耶である。彼女はひと振りで射程の伸びた剣――蛇腹剣を元に戻し、つかつかと絶へと近付いていく。


「死ぬって、その母娘がってことですよね?」


「それ以外に何が?」


「いえ、何でも。あ、これ渡しておきます。DP産の武器【不壊の木刀】だそうです。雑に扱っても壊れませんよ。多分」


 高速で放り投げられた木刀がコンクリートで固められた歩道の上へと深々と突き刺さる。それを片手で引き抜きながら、武器代わりに使っていた道路標識をその場に投げ捨てる絶。その視線は沙耶が持つ特殊な武器……蛇腹剣に付きっきりだ。


「木刀よりもそっちの方が良い。そっちの方が格好いい」


「駄目ですよ。この武器、私のDPで買ったんですからね。姫に渡したら絶対壊されるじゃないですか。欲しいなら自分のDPで買って下さいよ」


「仕方ない。後で吟味する」


 絶が木刀を構え、沙耶が自然体で立つ中で狼頭のガルムが喜色を滲ませた唸り声を上げる。前門の絶、後門の沙耶といった状況にどうやら興奮している様だ。


「おいおいおい! 楽しそうな獲物が増えちまったぜ! オッサン、一匹くれよ! 良いだろ!?」


「仕方ありませんね。では、後から来た方を差し上げます。最初から居るのは私の獲物ですので」


「いいねぇ! 太っ腹だ! さぁて……じゃあ楽しむとするかい!」


 ガルムが吠え、フレインコートが両手の爪を更に薄く長く伸ばす。


 その悪夢のような光景の中、母娘はただただ震えて脅えることしか出来ないのであった。

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