第52話 鬼、新宿狂乱に巻き込まれんとす。①

「大野大臣! 大変ですっ!」


 さて、大竹丸の弾劾裁判が行われようかという時分になって、宴会場の両開きの扉が荒々しく開かれる。


 一体何事かと室内にいた全員の視線が集まる中、飛び込んできた黒服の男は大野に近付くなり、小声で二言、三言と言葉を交わしていた。


 それだけで大野の顔色が目に見えて変わる。震える声で、馬鹿な、あり得ない、等と呟きながら後退る様はまるでこの世の終わりでも見たかのようだ。


 このままでは埒が明かないとでも思ったのか、大竹丸は椅子から立ち上がると、そのまま大野に近付き、彼の襟首を掴んで片手で締め上げる。


 そこで「ぐぇ」と呻いた大野はようやく正体を取り戻したのか、目を瞬せていた。


「今の報告は何じゃったんじゃ! 言わぬか!」


「さ、先程言われていた事が……」


「なぬ?」


「新宿ダンジョンが大暴走スタンピードを始めました……ッ!」


「「「「「!?」」」」」


 その場にいた者たち全てが驚きを禁じ得ない中、大竹丸は冷静に大野の襟首を離すと「S席五つじゃ」と言葉を漏らす。


 その意味が分からず、大野は思わず「は?」と聞き返す中、大竹丸は察しが悪い子供を諭すかのように言う。


「明日の東京ペンギンズの試合がデイゲームであるじゃろ? そのS席を用意しておけという事じゃ。まだ公認探索者となってはおらぬが、大暴走を押さえつけるのをチケット五枚でやってやると言っておるのじゃ。……用意するのか、せんのか! 今すぐ決めぬか!」


「よ、用意します! 用意しますからっ! だから、新宿を……、新宿に住む人々を救って下さい! お願い致します!」


「よう言うた! 小鈴、残りの面子に連絡じゃ! ――るぞ!」


 大竹丸の言葉に小鈴が無言で頷いて電話を掛け始める。


 それに続いて立ち上がったのは、長尾絶である。そして、それに付き従うようにして小島沙耶もいつの間にか立ち上がっている。


「義を見てせざるは勇無きなり! 私も行こう! 大竹丸殿、現地で会おうぞ!」


「せいぜい死なぬ程度に暴れておくのじゃな!」


「大丈夫ですよ。彼女は私が守りますから」


 今まで表立って喋ってこなかった沙耶がそう言って微笑む。


 だが、大竹丸はその口元に何故か既視感デジャブを覚えて眉根を寄せる。その既視感が何かを特定するよりも早く、長尾絶と、お付きの小島沙耶は宴会場を出て行ってしまった。


 他には現場に向かおうという人間はいないようだ。それに落胆しかけた大竹丸だが、天草優の甘い声音が耳朶を打つ。


「大丈夫だよ、一席さん。私たちもきちんと見返りが貰える事が分かれば動くからね。そんなに薄情な人間じゃないさ」


「……だと良いんじゃがな?」


 半信半疑で返事をする大竹丸。そんな彼女のジャージの裾が遠慮がちに引かれる。思わず下を向くと――、


「「ごめんなさい、一席……」」


 ――そこには二人してしゅんと落ち込む辺泥姉妹の姿があった。


「クルルは東京が初めて」


「アミも東京が初めて」


「新宿が何処にあるか分からない」


「赤坂から何処に行ったら良いのか分からない」


「足手纏いになる」


「お荷物になる」


「「ごめんなさい」」


「なら、二人を運んでいくだけじゃ」


 まるで米俵でも担ぐかのように、ひょいと少女二人を両方の肩に一人ずつ担ぎ上げる大竹丸。そんな体躯に似合わぬ膂力に、静かなどよめきが室内に広がっていく。そんな中を大竹丸は構わずに叫ぶ。


「このまま現場に連れて行く! 小鈴よ、先導は任せるぞ!」


「はいはいー」


「ちょ! ちょっと待って下さい大竹丸様!」


 それに慌てて待ったを掛けるのは大野大臣である。流石に不慣れな東京の街を道案内もなく歩かせることに危機感を覚えたようだ。慌てて手を打つ。


「それでしたら今から車を用意させますので、そちらで現地に向かって下さい!」


 歩くより早いか? 大竹丸は頭の中で瞬時に算盤を弾き――、


「三分だけ待つ!」


 ――そう答えていた。


「は、はいっ! 君! 今すぐ表に車を用意してッ!」


 黒服に慌てて命じる大野に対し、今度は柔和な笑みを浮かべた天草が言葉を投げ掛ける。


「じゃあ、大野さん。その三分の待ち時間の間に公認探索者の契約書をちゃちゃっと纏めちゃいましょう。先に契約書をまとめさえすれば、私たちもきちんと働けますので」


 この状況でも、ちゃっかりしていると思いながら大野は脇に控えていた秘書に頼んで用意していた契約書を、席に座っている各自の目の前へ配るのであった。


 そこから『甲が乙に云々~』の文言の読み上げが大野によって始まる。どうやら、彼らが戦場に立つのにはまだまだ時間が掛かりそうだ。


(悠長なことじゃ)


 大竹丸はそれを横目に見ながら、辺泥姉妹を肩に担いでさっさとホテルの入り口へと向かうのであった。


 ★


 土曜の夜――といえども新宿の街は明るい。新宿駅東口を抜けて駅前広場を抜ければ、そこにはつい一年程前に出来た新たな観光スポットである新宿ダンジョンの入り口がポッカリと口を開けている。


 見た目はその場に似合わぬ岩窟の入り口。そして、その入り口に入らず真っ直ぐ進んで行けば、夜の街、新宿歌舞伎町が御目見えするという立地。どう考えても夜になったからといって人通りの途絶える環境ではなかった。


 そんな環境に突如の金切り声が響いたのは、午後も十九時を回ったところであろうか。何が起きたかと周囲の人々が把握するよりも早く、岩窟の奥から耳の長い角の生えた兎が次々と飛来する。


 エアホーンラビット――。


 モンスター脅威度Eに属する新宿ダンジョンでも最弱のモンスターである。それが、新宿の街中に我先にと飛び出してきたのだ。


 その光景を見守っていた通行人たちの動きは鈍い。


 何が起こったのか、未だに理解していないのだろう。中には飛び立つエアホーンラビットを見て、指差して笑うカップルまでいる程である。


 そんなエアホーンラビットの群れはまるで重力を無視するかのように空中高くに飛び上がると、翼膜とされる巨大な耳を畳んで、自身の額にある一本の大きな角を下にして一気に急降下――。


 指を差して笑っていたカップルの女の頭に角が突き刺さり、派手めの化粧に覆われていた顔が一挙に血化粧に覆われる。


「うわああああぁぁ! 美咲ぃぃぃ!」


 残った男が力なく倒れ行く女の手をまるで汚物でも触ったかのように解き放つ。女の体は力を失くした状態で、糸の切れた操り人形のようにその場に力なく四肢を投げ出して倒れていった。そのあまりの光景に吐き気を覚える男だが、そんな彼の目の前には円らな瞳で彼を捉えるエアホーンラビットの姿がある。


「うっぷ! く、来るな、来るな、来――……」


 低空飛行で飛んだエアホーンラビットはその鋭い角で男の頭蓋を穿ち、その脳脊髄液を外に撒き散らす。びしゃびしゃと赤黒いものが混じった液体が地面に垂れ流され、やがて男はどうっと地面に倒れて動かなくなった。それを見てからエアホーンラビットは再び宙に舞う。


 当然のように被害を受けたのはカップルだけではない。夜の新宿を歩いていた人間は悉くその被害に遭い、ざわめきと狂乱の中で悲鳴を上げながら逃げ惑う。


 中には聡い者もいて、屋根のある屋内へと避難したようだが、それを見越してなのか、新たな影が岩窟の奥より現れる。


 白い毛並みを持った体長二メートルはあろうかという巨大な狐――ハヤテイズナのお出ましだ。


 このモンスターは名前にある通り、とにかく動きが素早く、新宿ダンジョンに通うベテラン探索者でも数人で囲んで機動力を削ぐことで何とか倒せるといった厄介なモンスターであった。


 それが、何十という数の群れとなって人々を襲う。


 先のエアホーンラビットの方はまだ良かった。


 あのモンスターについては上空から隼のように迫り、直線的に突進してくる。だから、来ると分かっていれば遮蔽物の影に隠れたり、横に飛んだりして難を逃れることが出来たのだ。


 だが、今回のハヤテイズナに関しては違う。


 このモンスターはズル賢い。


 獲物を弄ぶように追い回し、逆らう気力も逃げる気力も無くなったところで、その鋭い爪や牙で人間の首を刈り取るのである。更に嗅覚に優れ、例えば物陰に隠れていたとしても引き摺り出して人を襲ったりするのだ。そんなハヤテイズナのモンスター脅威度はD。素人が太刀打ち出来る相手ではない。


 新宿駅東口が三十分も経たずして阿鼻叫喚の地獄と化す中、そこで奮闘する者たちもいた。


 それは新宿ダンジョンを目的に来た探索者たちである。


 彼らはダンジョンの外ということもあって、多少運動能力が人よりも優れた人間に過ぎないのだが、持っている武装と知識を使って、上手くモンスターの攻勢を凌いで一人でも多くの一般市民を逃そうとしていた。


 この状況……、当然のように彼らだってさっさと逃げ出したい。


 だが、人より戦えるという自負が、ここで自分たちが逃げたらもっと大惨事になるという責任感が、彼らの気概を盛り上げてしまったのである。彼らは歯を食い縛って耐え続けた。


 やがて、彼らが奮闘する音とは違って何処からか発砲音が響くのが聞こえる。そして、誰かが警察が来たのだと告げていた。心許ないが援軍の到着である。


(無理だ……)


 何とか踏ん張っていた探索者の男の一人が、まず思ったのがその言葉である。


 素早く動く大型の狐や宙を飛び交う素早い兎を相手に拳銃がどれほどの効果をあげるというのか。そして、弾丸が尽きれば出来ることもなくなる。そんな頼りの無い援軍でこの先、どれほど持ちこたえられるというのか。そんなことを思ってしまったのだ。


(退き時だ……)


 このまま此処で粘っていても未来が見えない。逃がせるだけ人を逃がし、自分も生き残る。地形を上手く使って複数のモンスターに囲まれないように戦っていた男は、子供の手を引いて走ってくる女性を招くようにして腕を動かす。


「早く! こっちだ!」


 息急き切って当ても無く走っていた親子はその声に希望を見つけたかのように、必死の表情で男の方へと走ってくる。


 だが、どぉんという大きな音が響き、衝撃が子供の小さな体を転ばせてしまった。


 どうやらモンスターが路上に停められていた車両を攻撃し、それが切っ掛けで爆発炎上したようだ。赤い明かりが辺りを煌々と照らす中、混乱に拍車が掛かる。


 男はその様子を見て思わず親子を助けようと動き出すが、唐突にその歩みを止めざるを得なかった。


 親子の後ろに見慣れぬ巨体のモンスターが立っていたからだ。


 見た目は身長三メートル程で黒のスーツを着た白髪と白髭の筋骨隆々の英国紳士なのだが、その首元には数珠宜しく人間の生首が紐を通されてぶら下がっているのが見えていた。こんな悪趣味なことをしでかすのがモンスターでなく何だというのか。


 しかも、その数珠となった男たちの顔には見覚えがある。


「源さん……、中川……、巻……」


 それはいずれも新宿ダンジョンの四階層で鳴らす猛者として知られる探索者たちの首であった。


 ……四階層と聞くと大したことが無いように聞こえるかもしれないが、新宿ダンジョンはとにかく雑魚モンスターからして、厄介なモンスターが多いのだ。巷の評判ではA級ダンジョンなのではないかと噂をされる程にダンジョンの難易度が高い。



 そんなダンジョンの四階層を安定して狩り場に出来る探索者が弱いということはないだろう。


 だが、そんな探索者たちは今は無惨な姿を晒し、物言わぬ生首となってしまっている。


 男は背中に怖気が走るのを止められなかった。


(逃げたい――)


 逃げたいが、目の前に倒れた親子を見捨てて逃げられるのか……?


 一瞬の逡巡。


 そして、巨体の英国紳士が口を開く。


「逃げないのかね?」


(知性があるモンスターだと!? コイツはヤバいなんてもんじゃねぇ!?)


 男が知っている情報としては、知性のあるモンスターというのは別格に強いとされていた。


 脅威度B級の吸血鬼に始まり、脅威度測定不能の悪魔系のモンスター、それに荒神や知性ある竜などの目撃例もあり、まず言葉を話すモンスターは人間が太刀打ち出来るものではないとされているのだ。


 そして、この目の前の英国紳士――。


 この男は手練れの探索者の生首をまるで蒐集コレクションするかのように集め、これみよがしに身に付けている。それだけでもこのモンスターの実力と悪意が伝わってきていた。


 そして、恐らくは次の蒐集の目標は自分の首なのだろう。


 ――男は薄ら寒いものを覚えながらも前に出る。


 男としては地の利……狭い路地で囲まれずに戦える……を捨てた形だ。そして、そのまま親子を庇うようにして立つ。これは男の意地であり、人間としての誇りでもあった。


「こうなる前に逃げたかったんだがな……。良いか奥さん、とにかく俺が時間を稼いでいる間に遠くに逃げ――……」


 だが、最後まで言い終わるよりも早く、男の首が宙を舞う。


 指先から伸ばした爪でざっくりと男の首を刎ね飛ばした英国紳士は、空中に飛んだ生首を右手の人差し指から伸ばした爪で突き刺して拾いながら、御機嫌に自分の数珠に新たに蒐集生首を追加する。


「くっくっ、また新たな蒐集が手に入りましたよ。喜ばしいことです。さて、弱き者の首は要りませんからねぇ、この者たちは普通に殺すDPにするとしましょうか」


 震えて動けない母親の頭に英国紳士が自身の鋭い爪をすっと伸ばす。母親はそんな爪先から娘を守る為に、娘を抱き締めて背中をくるりと向けていた。どうやら、それで娘を守っているつもりらしい。


 滑稽だ、と英国紳士が笑みを浮かべながら、親子をバラバラにしようとしたその時――。


「むっ!」


 何処からともなく飛んできた――……いや、三百メートルは離れた位置から飛んできたマンホールの蓋が英国紳士を直撃する。


「……乱暴ですねえ」


 いや、直撃してはいない。


 寸ででバラバラにされたマンホールの蓋が路上にゴトゴトと音を立てて転がる。そして、英国紳士の興味は親子から新たに現れた探索者強者の首へと移り変わる。それは、癖のない黒髪を腰まで伸ばした漆黒のセーラー服を着た少女――。


「この外道めがっ! 謙信公軍神様の怒りよ、我が身に集え! ――長尾絶、参る!」


 ――そこには憤怒の表情を宿した長尾絶が片手にコンクリート付きの道路標識を持って立っていたのであった。

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