第48話 鬼、泣かそうとせんとす。
風雲タケちゃんランドに併設された高級ホテルの地下に設置された広い湯船の大浴場。そんな大浴場の湯に肩まで浸かりながら、ルーシーはバシャバシャと顔を洗う。
「あ゛ー……。生き返るわー……」
「ルーシー、年寄りくさい……」
そんなルーシーの様子を咎めるように、少し離れたところで湯船に浸かっていたあざみがボソリと呟く。
その声が聞こえなかったのか、ルーシーがお湯を掻き分けて、あざみに近付いてくる。その度にルーシーの立派な二つの双丘がぶるんぶるんと揺れて、あざみは表情を苦々しげに歪めていた。
「ごめん、聞こえなかった! 何だって!」
「近付くな! 持たざる者の敵め!」
「持たざる者って……私だって好きで大きくなったわけじゃないんだから仕方ないだろ!?」
顔を赤くして胸元を隠しながら、ルーシーはざぶんと湯に肩まで浸かる。その様子を見ながら、それでもあざみは不機嫌そうな顔を崩そうとはしなかった。
「私の気持ちが分かるのは小鈴のみ……」
「…………」
だが、小鈴は答えない。その様子に不穏なものを感じ取ったあざみは恐る恐ると小鈴に声を掛ける。
「小鈴?」
「ご……、ごめん! あざみちゃん! この前、測ったらBになってた!」
「なん……、だと……」
湯船で寛いでいた小鈴の気まずげな言葉に、ブクブクと泡を吹きながらあざみが湯船に沈んでいく。それを慌てて救い出すルーシー。その豊満な胸に抱かれ、少し幸せそうなのは気のせいだろうか。
「キミたちは本当に元気ですね……」
湿らせた髪を頬に張り付かせ、肌を上気させた甲斐が大人の女の艶っぽさを醸し出すかのように上品に笑う。
というよりは、大竹丸に鍛えられたせいで元気にはしゃぐだけの体力が残っていないのだろう。その辺はやはり若さが関係している……のかもしれない。
「甲斐さんも十日間の特訓お疲れ様です。実際、タケちゃんの特訓を受けてみてどうでしたか?」
小鈴の質問に、甲斐は言葉を選びながら答える。
「そうですね……。最初はたった十日で何が変わるのかと思っていました。ですが、今は分かります。感覚が特訓を受ける前と明らかに違いますよ」
「一応、タケちゃんは柴田さんと甲斐さんには生き残ることを重視して特訓すると言っていました」
「そうですね。この感覚があればモンスターの居所を捉えるのも早くなりますし、罠にも掛からなくなりそうです。それに、接近戦にも効果があるのかもしれません……」
と、そこまで言ってから甲斐は落ち込むように湯船に視線を移す。
「むしろ、有給をガッツリ使っておいて何も得られなかったとあったら、上司に色々と言われそうですので、掴んだということにしておきます……」
「えぇっと、それは何というか、頑張って下さいとしか……」
だが、その言葉を聞いて顔を上げたのはルーシーだ。彼女には何か言いたいことがあるらしい。
「いやいや、小鈴! 私たちも他人事じゃないって! 夏休みもあと三日で終わりじゃん! それなのにずっと探索者としての訓練ばかりしててさ! 夏休みの宿題ひとつもやってないんだけど!?」
「「え?」」
だが、戸惑った声を出したのは小鈴とあざみの方だ。その言葉に何故かルーシーは寒気を覚える。
「えっ、て何? どういうこと?」
「ルーシーは宿題を夏休みの最後まで取っておくタイプ……」
「ごめん、ルーシーちゃん。探索者一次試験の結果待ちの一週間の間にほとんど終わらせちゃった……」
「え? え? まさか、あざみも……」
「資格試験の勉強の合間に気分転換に解いていた。だからもう終わってる」
「うわーん! この裏切り者たちー!」
何故か泣きながら甲斐に抱き付き、よしよしと頭を撫でられて慰められるルーシー。どうやら、裏切った二人を信じられなくなったようである。
「ルーシーちゃん、特訓も今日で終わりだし、私たちも手伝うから……。三日で何とかしよ?」
「うわーん! 小鈴! 心の友よー!」
甲斐から離れ、今度は小鈴に抱きつくルーシー。どうやら包容力よりも実利を取ったようだ。現金な女である。
「いつの間にか、私も巻き込まれている……」
ショックを隠し切れない様子であざみが告げると、小鈴は意味深な笑みを浮かべて見せていた。何か嫌な予感がする、とあざみは思う。
「ふふふー♪ あざみちゃんはタケちゃんから神通力習っていたんだよねー? 少しぐらいなら私が上達するコツを教えちゃうよー?」
「……! ルーシーの勉強を面倒見るのが条件と……?」
「分かっているなら断らないよねー?」
「ぐぐぐ……。背に腹は変えられない……」
ガックリとあざみは肩を落とす。
甲斐はその神通力とやらが何なのかは分からなかったものの、彼女たちは彼女たちで自分とはまた違う分野を訓練によって伸ばされたのだと理解するのであった。
しかし、それにしても……。
「タケちゃん、入ってこないねー」
「またノワールさんとゲームやってるんじゃないか? この間もそれでお風呂入るの忘れてたし」
ルーシーが宿題の目処が立ったからか、あっけらかんと言う。彼女はあまり心配していないようだ。
「パワスピの最新作でこてんぱんにされたから、暫くやらないって言ってたんだけどなー」
一方の小鈴は若干心配そうだ。こういう事はあまり無いだけに不安なのだろう。
「ペペペポップ様の叡知の深淵を我々人間が推し量ることなど不可能! 今頃世界征服への第一歩を進めているに違いない!」
そして、あざみは一切ブレていなかった。
「毒ぺとジャージとゲームの世界になるなら、随分と平和な世界になるかなー」
「そうだなー」
「大鬼様に対する女子高生たちの印象が酷い件について!?」
お喋りをのんびりと楽しみながら、少女たちは十日間で溜まった疲れを抜くかのように、ゆったりとお湯に浸かるのであった。
★
風雲タケちゃんランド九十九階層――。
そこは最初にベリアルと戦った風景をしっかりと残していた。地面にら赤い砂が広がり、宇宙のような真っ暗な空が延々と続く空間。そんな空間の赤い砂をぎゅっぎゅっと鳴かせながら、大竹丸は手に持っていた大通連を素早く振るい始める。
「大嶽流中伝、
戦場では最低でも、ひと呼吸の内に四太刀を振るえねば生き残れないとされていた。それは前後左右を囲まれても対応出来るかどうかを示した言葉であり、大竹丸の細雪はそれをより大袈裟にしたものであると言えよう。
前後左右上下。全方位に向けた斬擊は剣閃に微塵の乱れを見せることもなく、ただただ愚直に同じ軌跡を何度も何度もなぞって通る。その速度は徐々に早くなっていき、ひと振りひと振りが線となり、円となり、全てが繋がった瞬間に、大竹丸は剣の軌道を徐々にずらしていく――そして、次の瞬間に出来たのは斬擊による球状の壁だ。触れればまず
「
シャンと鈴が鳴るような音を残し、大竹丸が刀を止める。すると、大竹丸の足元の砂地が大竹丸を中心として球状に削れているのが見えた。大通連が不壊であるが故に砂地ですら削り斬った荒業。だが、大竹丸は……。
「浅い……」
と一言漏らした。
「やはり絶冥の時にカス当たりしたのは偶然ではなかったようじゃな」
大竹丸が一人で九十九階層に入った理由がそこにある。大嶽流剣術は全部で百八の技があり、それは大竹丸が一人で編み出してきたものだ。そして、編み出したが最後、身に付ける為に反復練習をするわけでもなく、そのまま放置するというダメっぷりだったのが祟った。
結論として、大竹丸は大嶽流剣術のほとんどの技を完璧から程遠い状態でしか振るえない状態になっていたのである。先の
「技術を要さぬ力技の鬼神斬や、三明の剣の補助を受けて成り立つ幽玄のような技なら問題はなさそうじゃが、技術を要する技に関しては全て磨き直しが必要じゃな……」
はぁ、と嘆息をひとつ吐き出して、大竹丸は気分を切り替えるようにしてニカリと微笑む。それは少しやけくその笑みにも見えた。
「いや、これも全て、妾の怠慢故の結果。より強くなれることを喜んで鍛練に勤しむとしよう。……しかし、何じゃな。ダンジョンというのは妾の駄目な部分を次々と指摘しておるが、妾の成長装置か何かなのかのう?」
ベリアル戦ではナメプの危険さを、ジェネシス戦では技の練度の低さを指摘された気がする。
このままダンジョンに潜り続けていれば、いずれ完璧な人間になってしまうのではないか、とそんな夢想を繰り広げながら大竹丸は刀を振るう。だが、途中で飽いたのか刀を振るう手を止めていた。
「ふむ。効率的では無いのう。ならば……」
★
「タケ姐さん、いい加減に出てきたらー? 今日で十日目だよー。皆の訓練も終わっちゃった――って、うわぁ!?」
九十九階層の扉を開けたノワールは驚いて思わず腰を抜かす。そこには赤い砂の上に血だらけの姿で立つ大竹丸の姿があったからだ。荒い息を吐き出しながら、ぎょろりと目だけを動かしノワールの姿を確認する。
「なんじゃ、もうそんな時間じゃったか……」
「というか、タケ姐さんは一人で何やってたのさ! 他の人の特訓を全部分身に任せて、十日間も飲まず食わずで九十九階層に籠るなんて、ちょっと尋常じゃないよ!?」
だぼだぼのTシャツに短パン姿のノワールは転んだ拍子に乱れた自身の髪をささっと直しながら慌てて立ち上がる。この辺の女子力が女の子にしか見えない要因なのだが、本人は気付いていないようであった。
「ん? 殺し合いじゃな」
「はぁ……?」
心底信じられないと言った顔をノワールはするが、大竹丸は大真面目だ。DPで買ったペットボトルのキャップを外し、そのまま頭から水を被る。それだけで彼女の肌に付着していた血が洗い流される。ただ、所々大破したジャージに染み付いたものまでは取れそうになかったが……。
「最初の七日までは六千人に分身して、各種の修行を続けていたんじゃが……」
「は? 分身する意味あるの、それ?」
「分身が消えるとその分身が経験した出来事が妾にキャッシュバックとして戻ってくるからのう。効率で考えたら同じ時間に六千人で同じ事をしたら六千倍の経験が入ってくる事になるぞ」
「何そのチート……」
ノワールは呆れて声も出ないようだ。この人に逆らわなくて良かったとでも思っているのかもしれない。
「で、残り三日になったところで全員でバトルロイヤルの開始じゃ。まぁ、最初から結果は分かっとったがな」
分身が一人でも死ねば、本体の大竹丸が強くなる。人数が減れば減るほど大竹丸が強くなる中で分身に勝ち目などなく、順当に大竹丸の本体が勝ち残ったようである。
「無茶するなぁ……」
「まぁ、仕方あるまい。無茶をせねばならぬ要因も出来ていたようじゃしな」
そんな返しが来るとは思っていなかったのか、ノワールは思わず虚を突かれたような表情を見せる。大竹丸といえば唯我独尊にして傲岸不遜の塊だと思っていただけに彼としては意外な答えだったのだろう。
「分身を取り込む度にのう……。其奴らが何を考えて刀を振っていたのか、その思いが妾の胸に去来したのじゃよ。小鈴のため、隠れ里の皆の為、ルーシー、あざみ、クロ、試験官殿……。それにノワール、御主を守る為にも刀を振っておったようじゃ」
「タケ姐さん……」
「いつの間にか、妾は妾の手の内にある者を守りたいという思いを持っていたようじゃ。それが故に、より強くなりたいという思いが高じて無茶をしてしまったようじゃのう。心配かけたようですまぬ」
白い歯を見せて笑う大竹丸だが、ノワールは見ていられないとばかりに顔を片手で覆い、首を振る。
「あのねぇ、タケ姐さん……。何の為に皆を鍛えたのさ?」
「何の為? それは皆を強くする為じゃろ?」
「それだけじゃないよ! 皆が強くなろうとしたから、十日間も辛い特訓に耐えたんじゃないか!」
何が言いたいのかと大竹丸が訝しむ中で、ノワールは言葉を続ける。
「皆は別にタケ姐さんに守ってもらおうなんて思っていないんだよ! それぞれがそれぞれの早さで成長してる! ちょっと遅く見えるかもしれないけど……だから、タケ姐さんは皆を守らなくちゃだとか、自分が全部やらなくちゃだとか、そういうの抱え込む必要は全然無いんだよっ!」
ちょっとハードボイルドな雰囲気を出していた大竹丸の周りの空気が一気に霧散する。あれ? 何かちょっと方向性間違っちゃった? とばかりに大竹丸の周りの空気が軽くなる。
「あー、もうっ! なんて言ったら良いかなぁ! タケ姐さんは傍若無人なんだから、他人の為とかで戦わなくていいよ! 調子狂うし! 気に食わないからボコボコにするのがタケ姐さんのスタイルだろ! それでいいんだよ!」
「なるほどのう」
その時には大竹丸の雰囲気は緩いものに戻り、その瞳が悪戯を思い付いた猫のように細まっていた。あ、言い過ぎたかもとノワールが後悔するぐらいには細まっていた。
「では、言いたい放題言ってくれたノの字をボコボコにするとしようかのう……!」
「暴力反対! ゲームでの対戦を希望します!」
すっ、と挙げられた右手と提案。そして、それはゲーマーであれば必ず受けなければならない提案でもある。
「そうは言うても、御主のダンジョンマスターのスキルは【ゲームマスター】じゃろ? 妾に勝てる要素がないんじゃが?」
そう。ダンジョンマスターには戦闘には全く役に立たないが、特異な特殊能力が備わっていた。それがノワールの場合には古今東西のゲームを召喚出来る【ゲームマスター】というスキルなのだ。当然、そんなスキルを持っているだけあってノワール自身も熟練のゲーマーなのである。
「目隠しでやりますよ」
ノワールの発言にごくりと大竹丸の喉が動く。流石に画面が見えねばノワールと言えども勝てないのではないか? 流石にそろそろノワールから初勝利を奪えても良いのではないか? 刹那の間に色々な打算が働いた結果――。
「言ったのう! 泣いて頼んでもやめんぐらいパワスピで点取ったるからのう! 覚悟しておくんじゃぞ!」
「ちなみに分身さんは、この前泣きながら、もう勘弁して下さいーって言ってましたけどねー」
「おうおうおう! 飯食って風呂入ったら勝負じゃ、コノヤロー! 絶対泣かしちゃるからのう!」
かくして、九十九階層の扉は閉められる事となったのだが……。
三時間後――。
「もう勘弁して下さいー!」
という声を、廊下を通ったベリアルが聞いたとか聞かなかったとか……。そんな噂がまことしやかに流れるのであった。
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