第44話 鬼、松阪ダンジョンより帰還す。

 その日、日本中を――いや、世界中を震撼させた現象は昼も近くになって起こった。


「なぁ、あれ何か光ってねぇ?」


「えー? なになにー?」


 最初にそれに気付いたのはJR松阪駅を利用しようとしていたカップルだ。彼らは松阪駅の一部が発光している事に気が付いた。そして、程なくして周囲の人々も何が起きたのかを推し量るようにしてざわめき出す。


「あれ? あの位置ってさぁ――」


「確か、入場制限されてたダンジョンが――」


「でも、今は確かダンジョンの資格試験で――」


 乗客待ちのタクシーの運転手が、これから出掛けようとしていた近所の主婦が、夏休みで暇を持て余していた学生が、何の光なのかとぞろぞろと集まってくる。そんな松阪駅の一角ではダンジョン探索者資格試験を受験すべく集まった受験者の第二陣と、深くまで潜れなかった第一陣の面々が光を放つダンジョンの入り口を、何が起きたのかと不安そうに見守っていた。


 ある者は携帯で動画を撮り、またある者はモンスター大暴走スタンピードの前兆では、と背を震わせる。やがて目を開けていられない程に目映い光が輝き、ダンジョンの入り口手前に次々と光の柱が出現する。


「うわ! なんだっ!?」


「爆発する!? 下がれ下がれ!」


「ちょっと押さないでよ! もうっ!」


 つどってきた人たちから悲鳴が上がる中、そこに現れたのはフル装備の上に武器を構えて、周囲を威嚇するように睥睨する探索者パーティーの姿があった。


「な、なんだ……? さっきの光はダンジョンのトラップか何かじゃなかったのか……?」


 戸惑ったように剣先を下ろし、周囲を見回している間にも、次々と同じような柱が出現する。そして、いずれもが殺気立った表情から戸惑った表情へと変わっていく。まるで訳が分からないと言いたげだ。いや、中には無事に地上に出られた事を喜ぶ、長身眼鏡やらアフロやらバンダナやらのパーティーもいたりするのだが、それにしても戸惑う表情を見せるパーティーが多い。


 そして、ようやく事情の一端を知るパーティーが地上に現れる。


「これはまさか……?」


 大竹丸たちと同じく三階層入り口手前で吸血鬼たちに絡まれていたパーティーである。彼らは暫し呆然とした表情を見せた後で、喜びを爆発させたかのように力強いハイタッチを交わしていた。その様子はお前ら本当に日本人か? と思うほどに荒々しい。


「うおー! スゲー! マジか、アイツら!」


「人間技じゃないと思っていたけど、マジで人間やめてんなぁ、おい!」


「大竹ちゃん、マジ神!」


「いんや、マジ巫女だわ!」


 テンション高く語り合う彼らを周囲の人々はどういうことだろうと不思議そうな顔をして首を傾げている。やがて、吸血鬼事件に巻き込まれた残りの二パーティーも光の柱が消え去ると同時に姿を現しては……はしゃぎ始める。


「え? あれ、此処は……。これってつまりそういう事……?」


「やりやがったな! 畜生! 俺が最初にやりたかったのに!」


「無理無理! あの戦いぶり見ただろ! 今の俺らじゃ良いとこハナクソひと弾きで殺されるって!」


「というかやれるんだよな……。人類はまだダンジョンに抗えるって事で良いんだよな、これ……。やべぇ、涙が出てきた……」


「馬鹿野郎! こんなめでたい日に泣く奴があるかよ!」


「いやぁ、嬉しいなぁ! タケちゃんファンクラブ会員ナンバー1号としてこれほど嬉しいことはない!」


「はぁ? 会員ナンバー1は俺の方ですけどー? あの巫女姿に惚れたのは俺が最初だからっ!」


「はぁ!? ふざけんな! 会員ナンバー1は俺のもんだ! あのダサジャージの時から抱き締めたいって思ってたんだからな!」


「なにをー!」


「なんだこの野郎ー!」


「おい! なんでお前ら取っ組み合いの喧嘩始めてるんだよ! ってか、そろそろ大本命が来るぞ!」


 争いを仲裁しようとしていた男の言葉に、男たちの醜い争いがピタリと止む。彼らも分かっているのだ。これから現れる彼女たちこそが偉業を成し遂げた英雄だということに……。


「ふわぁ……。何か戻った」


 最初の光の柱から現れたのは涅槃仏のポーズで現れた悪魔の着ぐるみだ。尊いのか、冒涜的なのか、良く分からない存在である。そんな少女……柊あざみは若干船を漕ぎながらも欠伸を噛み殺す。


 彼女は本能的に今回の件がもう終わったと理解しているのだろう。だからこそのリラックスモードといえる。


 まぁ、見ていた人々は若干肩透かしを食らった気分で肩をコケさせていたが……。


 そして、続いての登場は――。


「うわぁー! 目がー! 私の目がぁー……あれ?」


 次に現れた加藤ルーシーは誰もが知っているネタをやりながら現れた。尚、人が集まっている駅舎のど真ん中で披露することになるとは思っていなかったらしく、その顔は瞬く間に羞恥心で真っ赤となる。やらなきゃ良かったと今更心の中で後悔しているに違いない。


「ドンマイ」


「うるさいよ!」


 顔を真っ赤にしてあざみの慰めに当たるルーシーから更に遅れて、今度は少し背の高いひょろりとしたシルエットが姿を現す。


「うわっととと~! 同時押しの結果はチケットか~!」


 宙をひらひらと舞うチケットを何とか掴んで、黒岩は隠しきれないニヤニヤ笑いを浮かべる。そして大勢の視線が自分たちに向いている事に気が付くと、その顔色をさっと青褪めさせていた。相変わらず、他人の視線に敏感なところがあるらしい。


 そんな黒岩に続いて、今度は二人分の光の柱が出現。光の粒子が収まる中で、桐たんすのような巨大な荷物を背負っていた小鈴と、頭を掻いてどう報告したものかとぼやく柴田が現れる。その姿を見て、真っ先に動き出した者がいた。


「柴田二尉」


「平手一佐!」


 それは、柴田の上司であった。柴田が資格試験の試験官を務めない事を直談判した直接の相手だ。彼は白いものが混じり始めた頭をオールバックにし、その鋭い眼差しを柴田に……いや、柴田の腰のベルトに繋がれた多くの認識票ドッグタグに向けていた。その目はどこか潤んでいるようにも見える。


「報告書は後で読もう。だから今はひとつだけ聞かせてくれ」


「はい」


「やったのだな……?」


「はい。素晴らしい探索者が仇を討ってくれました……!」


「そうか。……そうかっ!」


 平手は上を向く。その鋭い目付きから何とか涙が零れないようにと堪えているようだ。見掛けは迫力のある顔をしているが、本当に部下思いの優しい男なのである。


 そして、小鈴がどしんっと背嚢を地面に下ろすが、もうひとつの光の柱が出現しない。


「タケちゃん……?」


「まさか、生き埋めに……?」


 人外の動きを見せていた大竹丸だけが、人と判定されずにダンジョンの崩壊に巻き込まれたのか。そんな憶測が脳裏を過る中、何事も無かったかのように最後の柱が出現する。


 その少女が姿を現した瞬間、松阪駅の駅舎内がうっとりとした溜め息に満ち溢れた。


 きらきらと艶めく黒髪を大輪の華のように咲かし、風に弄ばれる髪を押さえる様子もまた美しい。更には羞月閉花しゅうげつへいかの容姿を惜し気もなく衆目に曝し、尚且つ不敵に微笑む様は男ならずとも女までをも魅了することだろう。まさに女神の如き美貌――。


 だが、惜しむらくは、彼女は上下黒のジャージだったということだ。


「うむ、到着じゃ。さて――」


 何故か彼女……大竹丸の登場と同時に複数のシャッター音が聞こえる。どうやらあまりの美しさに思わず押してしまったらしい。そんな周囲の喧騒に怯むことなく、大竹丸は上空に向かって指先を掲げる。なんだなんだと皆が注目する中で大竹丸は声を張り上げる。


「――首魁ダンジョンコアは、この大竹――……タケちゃんが討ち取ったぞぉ! 皆の者、勝鬨を上げよ! えいえいおー!」


「「「えいえいおー!」」」


「「「「「「……え?」」」」」」


 こうなるだろうことは予測していたらしい小鈴と、何故かタケちゃんファンクラブを名乗る二人が勝鬨を上げる。そして、それ以外の人々は突然の展開に何の反応も出来ない。


 いや、僅かずつではあるが、ざわめきが波のように伝播していく。


「え? 何? 大竹タケちゃん?」


 そこは大竹丸が言い間違えただけなのであげつらねて欲しくないところだ。


「どういうこと? 今、彼女何て言ってた?」


「何かダンジョンがどうとか……」


「あれ……?」


 衆目の耳目がある一点に集まり、そしてざわめきが大きくなる。


「ダンジョンの入り口が無くね!?」


「えっ!? じゃあ、さっき言ってたダンジョンのコアを取ったとか言うのは……」


「ダンジョンを……、ダンジョンを攻略しやがったのか!?」


 民衆が徐々にに理解を示し始める中、その場にいた人々の耳に聞き慣れない機械音声のような声が届いていた。それはダンジョンに潜ったことの無い者の耳にも等しく届く。そして、それが決定的であった。


<B級ダンジョン撃破の特別報酬にB級装備品の一部のロックが解除されました!>


「うわぁあああ! 本当にダンジョンクリアした奴が現れたぁぁぁっ!」


「マジかよ! コレ、世紀の瞬間って奴じゃね! スゲー! スゲーよ!」


「しゃ、写真写真! いや動画撮影の方がいいのか!? とにかく録っとけ! 絶対記念になるから!」


「パパ、おしっこー」


「パパも嬉しくておしっこ漏らしそうだよ……」


 老いも若いも世界初の偉業達成の瞬間に大興奮。現場は一瞬で興奮の坩堝と化す。そんな中を人混みを割って進む二人の影がある。


「はいはい~。ごめんなさいね~。ちょっと通りますよ~」


「すまん、通してくれ。仕事なんだ」


 人を割って近付いてきたのは茶髪ボブカットの女性と色黒巨漢の二人組だ。彼らはきっちりと黒の制服を着用し、興奮する民衆の群れを割って進んでいく。その行動に驚いた一部の自衛官がその道を塞ごうとするが、平手一佐が前に出ることでその行動を阻害する。何せ、彼らの制服には徽章があったからだ。


「これはこれは東部方面隊ダンジョン対策部攻略一課の太田一佐とそちらはエースの甲斐二尉でしたかな? 本日は何の御用でしょう?」


 一佐が相手なら同じ階級一佐でなければ話にならない。


 太田の進行を妨げようとしていた自衛官は大竹丸たちの為とはいえ、自分の大それた行動に思わず身震いをする。それと同時に平手の機転に感謝をしていた。


「今回の英雄様と会いたい方がおられまして連れ出しに参りました。これが命令書です」


 太田は平手に命令書を渡し、それを確認させる。平手はすぐに命令書に目を通し、これが正規の命令であることをすぐに確認する。そしてこの二人をわざわざ動かすほどの人物について考えを巡らしていた。その結果、命令書の確認印に統合幕僚長と並んで内閣総理大臣の名前が押印されているのを見て事態を察する。


(英雄様は政府の肝入りか。そりゃ動きも早いわけだ……)


「分かりました。通って下さい」


「有り難う」


 そして、太田は何故か『えいえいおー』をやり直している大竹丸へと近付く。


「大鬼様ですね?」


「いんや、タケちゃんじゃが?」


「えぇっと……」


「あー、一部ではタケちゃんのことをそう呼ぶ人たちもいるみたいです」


 言葉に詰まる太田たちを見かねて、すかさず小鈴が助け船を出す。助かったとばかりにあからさまにホッとする太田たちは続けての言葉を大竹丸に告げていた。


「総理がお会いしたいそうなので、是非御足労頂けないでしょうか?」

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