第42話 鬼、頬を張らんとす。

 ★


 それは大竹丸たちが大穴に飛び込むよりも数時間前の出来事――。


「嘘……、嘘よ……! ナバルが死んでしまうなんて……!」


 ダンジョンマスターとしての特殊能力【遠見】のスキルでナバルの戦いぶりを確認していた女は腰が抜けたように椅子の背にずるずると体を預ける。だが、すぐに気を抜いている場合ではないと気付いて姿勢を正す。


「駄目よ! しっかりしなきゃ! ナバルが死んでしまった以上、私のダンジョンには守護神とも言うべきモンスターが居なくなる! こんな時にダンジョンデュエルを仕掛けられたら、簡単に本丸まで攻め込まれてしまうわ!」


 質よりも量を取っているダンジョン事情を思い出し、とにかく考え抜く女。彼女の結論としては、例えダンジョンデュエルを仕掛けられたとしても物量作戦で、ダンジョンコアの破壊だけは免れると踏んだようだ。ほっと一息を吐く。


 だが、それとは別に強烈な一つの個があれば安心出来るのも事実……。


「ナバル以降、全く手を出していなかったのだけど……。今が引き時なのかしら……」


 女は虚空に向かって「メニューオープン」と唱えると、宙空に半透明のウインドウデバイスが出現する。これこそがダンジョンマスターにのみ操作が許されたダンジョンデバイスであり、この端末装置からダンジョンに関する様々な機能を利用する事が出来るのだ。


 そして、ダンジョンマスターとなった初日に触って以降、一度も触れて来なかった禁断の機能を女は呼び出す。


 そこには、やけに派手な字体で『プレミアムモンスターガチャ! 今なら十連プラス一回! 一回:十五万DP』と記載されていた。


「当たるまで引けば百パーセント……、当たるまで引けば百パーセント……」


 女は謎の言葉を呟き続けながら、ダンジョンデバイスのボタンをタッチし続けるのであった――。


 ★


「よし、着いたぞ」


 松阪ダンジョンの奥底にまで開けた穴を伝って一直線。途中で何人もの分身大竹丸たちが別の階層に飛んで行ったりもしたせいか、現在の大竹丸は本体一人だけである。その本体が華麗に足から着地する。


「ととっ……、途中でお前さんの分身が何処かに行ったがありゃ何だ?」


 バランスを崩しながらも何とか着地をした柴田は、素早く周囲に視線を巡らす。最下層というからには、モンスターの集団がうじゃうじゃといるかと思ったが、どうもそうでもないようだ。周囲には大理石で出来た石の柱が立ち、床も大理石で出来た石床がびっしりと敷かれている。天井は高く、薄闇の中では見通すのが難しい程に距離があるようだ。まるで神殿のような荘厳な雰囲気が漂うのを感じながら、柴田は気合いを入れて周囲を警戒する。


「巫女服をDPで買ったからのう。DPの補充の為に各階層で暴れて貰っているだけじゃ。吸血鬼のDPは御主らにもある程度配られたからあんまり儲からなかったからのう」


「何……」


 思わず冒険者カードを取り出してDPの欄を確認する柴田。そこには何もしていないにも関わらず一万DPに届こうかというDPが加算されていた。ゴブリンにして一万匹分。ランキングも恐ろしく上がっている。しかも、末恐ろしい事にその数値は今現在もノンストップで上がり続けている。どうやら分身が暴れている分のDPが柴田の方にも流れてきているようだ。色々申し訳ないと思う柴田である。


「とーぅ! 着地成功ッ!」


 遅れて小鈴が綺麗に着地すれば、床の一メートル手前でルーシーとあざみが何故かもつれ合っていた。


「ちょ、あざみ! 引っ付くなって! コントロール効かなくなるだろ!? あわわ!」


「私が運動苦手なの、ルーシーも知っているはず。ちゃんと着地させて欲しい」


「そんな他人任せな!」


 どうやらあざみがルーシーに引っ付いて着地をルーシー任せにしているらしい。そして、ルーシーはどうやら空中で二人の重心位置を調整出来るほど器用ではないようだ。あーだこーだとやっている内に、何やら死んだ目をした黒岩がすくっと最下層の石床に着地する。


「あ、何か無心でやっていたらちゃんと着地出来――ぐほぉっ!?」


「ご、ごめん! クロさん! あざみが捕まってくるから! だ、大丈夫!?」


 そして、着地を決めたと思った瞬間、ルーシーたちのクッションとなるように、激突された黒岩である。まるで信号待ちをしていたら後ろから追突されたかのような不運さだ。だが、流石は盾役。意外と体は頑丈らしい。すぐに立ち上がる。


「だ、大丈夫です……。こういう扱いも慣れてきましたので……」


 そんな班員たちの顔を見回しながら、柴田は渋い顔だ。


「コイツら、少しは緊張感というものが持てんのか?」


「妾は良いと思うがのう。四六時中緊張しているよりは余程良い。精神には適度な息抜きが必要じゃ」


「はぁ。つまり、ダンジョンに慣れるにはこういう雰囲気にも慣れろって事か。やれやれだ。……っと、誰か居るな」


 乱立する柱の間を通って一人の人影が近付いてくる。


 ――それは女であった。


 美しいとは言えないが、それでも、とうが立つ前の妙齢の女性である。女は微笑を以て大竹丸たちを出迎える。


「――ようこそ、私のダンジョン『永久機関工房』へ。そしてその工房の核とも言えるナバルをぶっ殺してくれた誰かさん……。ぶっ殺したくなるほどに会いたかったわぁ……!」


 ぞっとする程の深い笑みを浮かべる女を見て、大竹丸がチラリと柴田を確認する。


「試験官殿、言われておるぞ」


「どう聞いても大竹の事だろう」


「妾は小鈴一筋なのじゃが……」


「そこはそういう趣味は無いって否定しておかないと駄目な所だろう」


「――私を無視してんじゃないわよ!」


 ボソボソと愚にも付かないことを相談していたら、女に怒られてしまう。これも全て柴田のせいだと勝手な事を考えながら、大竹丸は女に向き直る。


「ふむ、悪かったなヒス女よ。それで何か用かのう、ヒス女よ?」


「生意気な女。でも、その減らず口もすぐに叩けなくなるわ。……出なさい! 動く創世鎧リビングアーマージェネシス!」


 女が得意げな表情で腕を振るうと空間に星の如き煌めきが舞った。そして煙がもうもうと立ち上り大竹丸たちの視界を隠す。やがて、その煙を割って出るようにして巨大な白銀の腕が、脚が、頭が、胴がぐわりと飛び出してくる。


「何じゃあ? ……デカッ!」


 大竹丸たちの前に飛び出したのは全長で五メートルはあろうかという巨大な全身鎧だ。それが塔盾タワーシールドを構え、巨大な幅広剣バスタードソードを握っている。まさに見上げる威容。その光景に大竹丸以外の面々が一歩二歩と後退する。


「アハハ! 驚いたようねぇ! 動く創世鎧リビングアーマージェネシスは出現率0.03パーセントのS級モンスター! 高い物理耐性と高い魔法耐性を持ち合わせ、体力もクソ高い上に自動回復オートリジェネ持ち! その上、全ての物を一撃で砕く創世記級武器ジェネシスクラスウェポンを装備している、攻防において隙なしの超大当たりモンスターよ! こんなバケモノどうやって倒すのか、私が教えて欲しいぐらいだわ! アハハ! さぁ、ジェネシス! ナバルの仇よ! コイツらを跡形も残らないようにぶっ殺して頂戴!」


『ーーーー!』


 女の言葉に従い、ジェネシスと呼ばれた動く創世鎧リビングアーマージェネシスは甲高い駆動音を響かせる。それはまるで金属同士が噛み合って上げる悲鳴にも聞こえたし、女の金切り声が複数絡み合ったかのようにも聞こえた。何にせよジェネシスは一歩を踏み出す。その動きは巨大な図体に似合わぬ程に軽快であり、早い。


 大竹丸はそれに合わせるようにして素早く前に出る。後ろで柴田がS級がどうたらと警告している気がするか構うものかと突撃する。見えない鬼の手すら使って瞬時に三明の剣を呼び出すと、まずは挨拶代わりとばかりにジェネシスの幅広剣と大通連で打ち合う。体格も膂力も完全に大竹丸の方が劣っているように見えるのだが、それでも打ち勝ったのは大竹丸であった。


 ジェネシスの剣が大きく跳ね上げられ、その剣身を僅かながら凹ませる。更に、がら空きの胴に向け、大竹丸は雷光の如き速さの横凪ぎをずしりと叩き付ける。みしみしっと鎧が軋む音が聞こえ、ジェネシスは吹き飛び掛けるが、すかさず脚部からアンカー付きワイヤーを複数射出して地面に自分の身体を縫い止めていた。


「ギャー! 私のジェネシスがーッ!」


 女の悲鳴が聞こえるようにジェネシスの胴には無視できない程に深い凹みが出来ていたが、それも即座に修復していく。どうやら、自動回復の効果らしい。


「ふ、ふふふ、そうよ! 私のジェネシスは無敵よ! 殺っちゃいなさいジェネシス!」


 ジェネシスは女の声に応えるように金切り声めいた駆動音を響かせると、大竹丸に向かって無数のアンカー付きワイヤーを射出しながら突貫。普通であれば、アンカーの一つや二つが大竹丸の体を捉え、その体に大きな穴を開けていた事だろう。だが、大竹丸が意識せずとも小通連が全てを最適解で弾き返す。一呼吸の間に三百斬。弾き返されたアンカー付きワイヤーはアンカーが砕け、まるで無数の鞭のように展開。逃げ場の無い金属性の鞭の壁が大竹丸の体をバラバラにしようと躍り掛かってくるが、これを顕明連ワープを使用することで易々回避。そのままジェネシスに接近し、激しく打ち合う。


「ほう、ほうほう! 出力も強い! それに硬い! なるほどのう! 良いぞ、御主!」 


 瞬く間に数十合を斬り結ぶ。上段下段、切り返しに払い、それにフェイントに、とジェネシスは大竹丸の激しい動きについてきていた。火花が何度も連続して散り、大竹丸の顔を派手に彩る。だが、少々派手にやり過ぎたか。火花が大竹丸の三つ編みを束ねる髪紐に着火。ぶつりと三つ編みのひとつがバラけて広がり、大竹丸の視界が長い髪によって遮られる。


「む!?」


「タケちゃん!」


 ここが好機とばかりに迫ってくるジェネシスだが、大竹丸の小通連は自動防御オートだ。緩急織り交ぜた縦横無尽の斬撃を悉く弾き返す。


「最初から三明の剣を出しておいて正解じゃったな! ベリアル戦の経験が生きたか!」


 大竹丸は呵呵と笑って後退。間合いを離すと急いで残った髪紐を解き、乱雑に後頭部にて長い髪を纏める。


「よし! なれば、ここからは気概も変えよう! 『慢心してこそ王』の気概は捨てる! 妾は王では無く挑戦者――神も悪魔も化け物も須く斬り捨てる鬼神の者よ!」


 大竹丸のギアが上がる。ジェネシスの剣撃を弾き、いなし、掻き分け、一気に前に出る。剣撃の暴風が吹き荒れる中に身を晒し、尚、一撃も受けずに百撃を当てる。ガンガンガンガン、ジェネシスの装甲がベコボコに凹んでいくが、凹んだ部分から回復していく為、目立ったダメージにはなっていないようだ。このままだと体力勝負、気力勝負へと移行し、大竹丸が不利になるかもしれない。


「当たるし、当たらぬが時間が掛かるのう! そして五月蝿いのが耳障りじゃ! ならば、ちと試すか!」


 大竹丸は一端、顕明連ワープで距離を取り、霞の構えに移行する。構え自体には意味はないが、集中するのにこの構えが好きだったりする大竹丸だ。気息を整え、目で見ず、耳で聞かず、そしてただ心で捉える。それが必要な技であった。


「大嶽流奥伝、絶冥ぜつめい――」


 言葉だけが残り、誰もが大竹丸の姿を見失った次の瞬間、強烈な風が最下層を吹き抜けていた。


 大竹丸は風となりながら、踏み出しの一歩でジェネシスに並び、大通連を逆手に持ち替え、胴を一閃――。


 二歩目の踏み込みが石床を踏み砕き、大竹丸の震脚が周囲を揺らす中、ジェネシスは何事も無かったかのように横手の大竹丸に盾をぶち当てようと腰を回して――。


 ――そのまま上半身があらぬ方向へと飛んでいく。


『ーーーー!?』


 一閃による胴部の完全な切断。


 だが、それはあくまで副産物に過ぎない。ジェネシスの上半身は慌てた様子で下半身に近付こうとするが、その下半身が音を立てて崩れ落ち、光の粒子となって天に帰る。呆然とその姿を見送るジェネシスと女。ジェネシスの下半身はそこから一向に回復する気配はなかった。


「しもうたのう。久し振りじゃから、じゃったか」


「な、な、な、何!? 何をしたァーッ!?」


 女が絶叫を上げる中、大竹丸は今一度構えに入る。先程一度やっただけに、より構えが堂に入っていた。


「何、絶冥は精神アストラル体を斬る技じゃ。分かりやすく言えば別次元にある魂を斬る事が出来る技じゃな。物質世界で如何に硬かろうとも、魂までは鍛えておらんかったようじゃ。らっきーじゃったの」


「た、魂を斬る……? ま、まさか、アンデッド特攻……? ――あ」


 今度こそ技を成功させた大竹丸は、ジェネシスを光の粒子へと帰す。女はその様子を見て、そのままペタンと石床に腰を下ろしていた。


 そして、それを見るとも無しに眺めながら、大竹丸は刀を消す。ノワールの件でも分かるが、基本的にダンジョンマスターに戦う力はない。ボスモンスターとも言うべき存在が滅んでしまえばほぼ無力なのだ。そこを責めるわけでは無いが、大竹丸は気持ちを切り替えるようにして言う。


「さて、では戦いも終わったことじゃし、このダンジョンのダンジョンコアを探し出して破壊するとしようかのう!」


 その言葉にバネ仕掛けの人形のように反応したのは他でもないダンジョンマスターの女である。


「ま、待って! 待って、止めて! そんな事されたら私死んじゃう! もう悪い事はしないから! 人も襲わない! だからお願い! 見逃して! ね! ね! 見逃してくれたら、私を好きにしても良いから!」


「じゃそうじゃが……。どう思うかのう? 試験官殿?」


 大竹丸はわざと柴田に尋ねる。大体、殺意満々で状況が悪くなってから泣き落としとか、悪女が使う常套手段ではないか。まず大竹丸を説得するのであれば、最初に敵対せずにノワールのように命乞いをし続けるのが正解だったのだ。


 当然、柴田もそれは分かっているとばかりに怒りの表情を向ける。


「お前は……そう言って命乞いをしてきた人間を何人地獄に突き落として来たんだ?」


「わ、私じゃない! 殺したり、吸血鬼にしたりしたのはナバルだし! 私がやったわけじゃない!」


「その台詞を亡くなった人の家族の前でも言えるのか? なぁ? 今でも帰ってくるのを信じて待っている人の前で言えるのか?」


「そ、それは……」


「お前は報いを受けなきゃいけない。それだけの事をやってきたんだ。やったからやり返されるそれを理解しろ……!」


 にべもなく告げられた言葉に女は顔を真っ赤にして逆上する。実に分かりやすい反応だ。


「……クソがぁ! 下手に出ていれば付け上がりやがって! こうなったら――ぐぼべぶぎゅぅ!?」


 懐から何かを取り出そうとした女の横っ面を張る大竹丸。女は石床の上を五転ほどしてから動きを止めていた。ピクピクしているので死んではいないらしい。


「喧しい! 無駄口を叩いている暇があれば、さっさとダンジョンコアの場所まで案内せぬか!」


「それ、死ねって言っているのと同義じゃないかなー?」


 小鈴の呆れたような呟きは実に的を射ていたのであった。

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