第41話 鬼、飛び込まんとす。

 ★


「柴田さん、ちょっと良いですか?」


「何だよ、筒井。もう夜も遅いだろ。早く寝ろよ」


 吸血鬼襲撃事件より一時間。日付も変わったというのに柴田のテントには先程から客がひっきりなしでやってくる。それもこれも全てが自衛官だというのだから暑苦しい事この上なかった。


「こっちは何も言うことは無いんだがな」


「俺はあります」


 柴田は後輩の筒井に対してぞんざいに片手を振って追い払おうとするが、筒井はその程度では帰らないとばかりに決意の籠った目で柴田を睨んでいた。仕方が無いので柴田は「はぁ」と嘆息を吐く。


「どうせ、お前も大竹の事だろう?」


「そうです」


 筒井は隠す事なく頷く。そして、その理由についても柴田は察しがついていた。


「俺が大竹を不合格にするんじゃないかと思っているんだろ? それは木之下と松永のオッサンにも言われたよ。そんなに俺って信用ないのかねぇ?」


 そう。柴田を訪ねてきた他の二人の自衛官も同じ理由で柴田を訪問していたからである。柴田の心がちょびっとだけ傷付く。


「柴田さんは、探索者資格試験に表立って反対していた人ですからね。皆、不安なんですよ」


「いくら俺でも、大竹アレを不合格にはしないってぇの! 大竹アレが合格出来なかったら誰が探索者になれるって言うんだよ!」


 当然である。あれほどダンジョン攻略に適した人間はいないと思われる戦闘能力。そして何よりも恐ろしいのは、その戦闘能力を落とす事なく数多あまたに分身出来る事であった。あんな反則的な存在が探索者資格試験に落ちたとあれば、果たして誰がこの資格試験に合格出来るというのか。そんなもの柴田の方が聞きたいぐらいである。


「いやぁ、良かったですよ。柴田さんが頑固親父みたいな存在じゃなくて」


 その答えが知りたかったのか、筒井はほっとして息を吐き出す。もし、不合格だと言われていてのなら殴り掛かってでも意見を翻させようとしていたのかもしれない。柴田は思わず半眼で筒井の顔を睨む。


「そもそもアイツは俺たちの基準では測れないだろ。何だよ、脅威度A級を一人で圧倒するって。人間じゃねぇよ」


「あ、吸血鬼の王ヴァンパイアロードの脅威度決まったんですか?」


「仮だがな。数々の能力を踏まえて単体でA級。今回のように群れを作っていた場合はAAダブルエーが妥当だろうって松永のオッサンが言ってた。オッサンのことだからそのまま報告するだろ」


「AA級って初めて聞くんですけど、討伐基準はどうなるんですかね?」


 討伐基準は日本探索者協会が定める一般におけるモンスターの対処方針である。現状、一般における最大の脅威とされているのがB級であり、そこから先は未知の世界だと言われている。一部ではA級以上は人間が対抗出来るレベルではないとも言われており、存在は確認されてはいるものの、戦闘記録が無いモンスターがほとんどとされていた。


 そんなモンスター脅威度のAA級。柴田にとっても理解の埒外である。


「俺が知るか。だがまぁ定めるとなったら国内のダンジョンに潜っているエリート自衛官ばかりを集めて討伐隊を組むとかそういう話になるんじゃないか?」


「それか、大竹さんに頼むとかですか?」


「それが一番確実だろうな……。アイツ、分身も出来るから普通に金さえ払えば、サクッと引き受けそうな気がするんだよな……」


 フットワークの軽い人外である。


「大竹さんの分身でも良いんで自衛隊に入ってくれませんかねー」


「そりゃあ駄目だろ」


「何故です?」


「あれだけ美人だと、周りの自衛官が見惚れて大怪我が頻発する。アイツと組めるのは、あの美しさに慣れている田村と今の班のメンバーくらいだろう。アイツらは、大竹の駄目さ加減が分かっているから多分普通に振る舞えるはずだ」


 残念な評価の大竹丸であるが、柴田の意見は的確であった。特に大竹丸の美しさは敵も味方も魅了するので厄介なのだ。


「文字通り、ワンマンアーミーとして運用するのが正解ってことですか」


「後はジャージの芋女を装い続けるか。それはそれでカリスマ性が無いからな。他人とパーティーを組むのに向いて無さそうだ」


「はぁ、何か惜しいなぁ……。俺、大竹ちゃんに応援されたらすっごくやる気出すのに……」


「そりゃ普段は抜いてるってことか? 今、俺の殺る気が上がったぞ……なぁ?」


 何とも惚けた意見に柴田が剣呑な気配を発する。すると、筒井は慌てて頭を下げて……。


「ははは、それじゃあ、俺はこの辺で。失礼致しましたー」


 ……ささっと辞する。


 思わず舌を巻く程の要領の良さ。


 逃げの筒井とは良く言ったものだと、小さく舌打ちをしながら柴田はその体をゴロリとテントの中で横にしていた。


「……いや、それにしても眠い。今日は流石に色々ありすぎたか。疲れが溜まっているのかもしれないな。まぁ、後はダンジョンから脱出するだけだ。そんなに大変な事にはならんだろう」


 これが壮大な前振りになろうとは、今の柴田が知るよしも無かったのである。


 ★


「――では、このダンジョンをこれから攻略するぞ!」


「「「「「はい?」」」」」


 翌朝。起きて早々の大竹丸の言葉がこれである。


 時刻は午前八時。


 もしや寝惚けているのかと各々が腕時計の時間を確認してしまった程だ。それだけ大竹丸の言葉が突拍子もなかったのであろう。事前の打ち合わせも何もなく、いきなりそれだけを言われたら、誰だって混乱する。


「ルールとしては、日が暮れるまでにダンジョンの外に脱出出来れば良いわけじゃろ? つまり、最下層まで潜ってダンジョンを攻略してからダンジョンの入り口にワープしても問題ないわけじゃ」


「え? あれ? 柴田さん、それって良いんですか……?」


 黒岩が戸惑ったように柴田を見る。受験要綱には目を通した黒岩だったが、その手の記載を見た覚えが無かったからだ。


 柴田も思わず難しい顔で答えを返す。


「残念ながら要綱にはその手の話は記載されていない。というか、更に下に潜って攻略しようとするアホがいるとは、日本探索者協会も想定していなかったんだろう。だから記載はない」


 然もありなん。


 そもそも、この資格試験はダンジョンでの適正を見る試験であって、ダンジョン攻略について測っていない。より深部に潜っていく受験者など想定していないのだ。


「ちなみに大竹よ。現在、世界で攻略されたダンジョンの数を知っているか?」


「知らぬ。百ぐらいか?」


「ゼロだ! ゼロ! 誰も攻略出来ていないんだよ! ……って何か言いたそうな顔だな、田村?」


 あからさまに視線を逸らした小鈴を見咎める柴田。そして、小鈴は小鈴で隠し事が苦手な性分であった。ハキハキと答える。


「いえ、場合によっては最下層まで行ってダンジョンマスターを脅迫し、そのダンジョンを配下に収めちゃう剛の者もいるんじゃないかと思いまして! はい、全部妄想です!」


「…………。聞かなかった事にしてやる」


 視線が思いっきり大竹丸に向かうが、大竹丸はどこ吹く風だ。聞かれても知らぬ存ぜぬで通す腹積もりだろう。


「というか、試験官殿に尋ねたいんじゃが?」


「何だ?」


「人を食い物にする外道の親玉をぶっ飛ばしたいのか、ぶっ飛ばしたくないのか、どっちなんじゃ?」


「それは……」


 柴田は言葉を詰まらせる。


 それは出来る事なら、自衛官みんなの人生を滅茶苦茶にした諸悪の根源を成敗したいという気持ちはある。


 だが柴田は試験官だ。班員の安全を考えるのが第一で、諸悪の根源を討つ為に班員全員を危険に晒していては本末転倒なのである。


 だが、大竹丸はどこか不機嫌そうな表情を隠しもせずにキッパリと言い切る。


「妾は許せん。じゃから下に潜る。妾は何かおかしな事を言っておるか?」


 間違ってはいないのだと思う。その感情は尊いし、これからの事を考えるならやれるならやっておいた方が良いだろう。だが、そんなものは現実的でなく――。


 ――違う。やるのは自分ではなく、理不尽の塊大竹丸であった。彼女ならやってしまうのではないかという思いが、柴田の中におもむろに生まれる。


「……本当にやれるんだな?」


「妾を誰じゃと思っておる。余裕じゃ」


「「「「「その通りじゃ!」」」」」


 何故か五人の分身大竹丸も揃って声を上げている。いつ作り出したのかは分からないが、大竹丸がこれだけいれば何とかなってしまうのではないかと思える。何せ彼女たちは一人で一軍並みの力を発揮してしまう存在なのだ。むしろ、戦力過多とも言える。


 そんな彼女たちを見て、柴田は覚悟を決めた。


「…………。俺は何も言わん。やるならパーティーメンバーと相談しろ」


 大竹丸は満面の笑みで応える。


 その笑みでつい数時間前の大竹丸を思い出して、柴田は視線をついと逸らした。現在の格好はいつも通りのジャージ昭和女学生スタイルなのだが、絶世の美少女に微笑まれたと意識してしまうと、照れてしまうのは男のさがか。なるべく態度に出さないように柴田は視線を逸らし続ける。


「ふむ、話の分かる男じゃな! さて、この中で世界初のダンジョン攻略パーティーになりたくない者はおるか~?」


「そんな言い方されたら断れないからね、タケちゃん?」


「そうか?」


 小鈴が指摘するがその通りである。そして、大竹丸はわざとそんな風に言っていたりする。それが彼女なりの意地悪やさしさなのかもしれない。


「私は行っても良いかなー。このまま土のダンジョンだけ見て帰るってのも味気なかったし。他の階層も見てみたいんだよねー」


「見えても多分一瞬じゃぞ?」


「そうなんですか、タケさん?」


「直通で行くつもりじゃからな」


「「「「「…………」」」」」


 嫌な予感を覚え、皆が押し黙る。


「……私はペペぺポップ様の御意向に逆らう気はない」


 そんな中、揺らがぬ信仰心を見せたのはあざみであった。少し言葉が出るまで間があった気がするが気のせいだろう。


「では、決まりじゃな!」


「えぇっ!? ぼ、僕の意見を聞いていないんですけど……!?」


 無視されたように感じたのか、黒岩が慌てて手を挙げる。だが、大竹丸はまず小鈴の方を見て――。


「じゃが、小鈴は反対せんじゃろ?」


「まぁ、タケちゃんがやる気マックスなら安全は保証されるし、特に反対する理由もないかなー?」


「ならば多数決で決まりではないか」


 ――と黒岩に視線を向ける。


 うぐっと言葉に詰まる黒岩だが、「それでも聞いて貰いたいものなんです……!」と魂の叫びを発していた。仲間外れが嫌なのかもしれない。


 まぁ、黒岩がそこまで言うのならと大竹丸は改めて黒岩に水を向ける。


「では、聞こうか?」


「えーっと、反対じゃあ無いです」


「「「…………」」」


「な、なんですか……。その目は……。言いたかったんてすから言わせて下さいよ……」


 世の中にはタイミングというものがあるという事を、まだ学ばない黒岩である。


「もう仕方ないなー、クロさんはー」


「クロさんだしなー」


「クロ、世渡り下手そう」


「言いたい放題言われてる……!?」


 だが、残念ながら事実なので、黙って受け取るべきだろう。頑張れ、黒岩。


「ふむ、試験官殿。纏まったぞ」


「纏まったと言って良いのか、それは……」


 茶化しているようにしか見えないと柴田の目が語っているので、大竹丸は言い直す。


「意見は纏まったぞ」


「そうか」


 それについては二言は無いようであった。


 さて、それでは三階層に移動するのかと足を動かそうとしたところで、柴田は己の目を疑った。


「では行こうかの。妾よ」


「応よ、妾よ!」


 大竹丸たちが円状に並び、皆が皆、その手に大通連び出して握り締める。嫌な予感は一際強くなった。


「おい、階段を下りるんじゃないのか?」


「いや、相手の工夫ギミックに付き合うのは面倒じゃろ? ……では頼むぞ、妾たちよ」


 五人の彼女たちは無言で頷き、刀を大上段に構えると精神を集中させていく。すると刀を中心にして光の帯が噴き出し、それが螺旋を描くようにして刃へと絡まり合い、やがてそれは光の奔流から光の刃へと、そして光の刃から光の柱へと姿を変えていく。


 あまりの光量に目を開けることすら辛い中、他の班の面々がそそくさと退避するのが微かに見えて、柴田は心の中で毒づく。


「本当に大丈夫なのかぁー! 大竹っ!」


 あまりの不安に叫んでしまう柴田である。


 だが、大竹丸は自信満々の表情で頷いていた。


「うむ、任せるが良い! では、妾たちよ、良いな!」


 タイミングは一致しなかったものの、五人の大竹丸はそれぞれに勝手に合図を返す。サムズアップだったり、ウインクだったり、頷いたり、ウインクしようとして失敗して両目を瞑っていたり――とにかく準備は万全のようだ。


「では行くぞッ!」


「「「「「――真鬼神斬ッ!」」」」」


 光の柱がダンジョンの床を穿つ。それは長く、深く、光の奔流をただただ流し込むように続き、ダンジョンの床に消えぬ巨大な剣閃の傷痕を刻み込んでいく。それはかつて、悪魔の軍団を消し飛ばした滅魔の刃――そんな刃には、如何なダンジョンであろうとも耐えられぬとばかりに、やがてダンジョンは底の見えぬ大穴を開けて屈していた。時間にして三十秒。即席の最下層直通通路の完成である。


「よし、穴が開いたな! では行くぞ!」


「いや、待て! ツッコミ所しかな……ぬぉっ! 何だ!? 浮いている!?」


 一歩を踏み出そうとした柴田の体が宙に浮かび上がってぐるりと回る。その光景はまるで宇宙ステーションにいるかのようであった。慌てて体のバランスを取る。


「あ、タケちゃんの神通力なので逆らわない方が良いですよー。暴れると宇宙酔いしますからー」


「本当に何なんだ!? お前は!?」


「タケちゃんだが?」


「そういう事を言っているんじゃない!」


 憤る柴田に対して、小鈴は慣れているのか至ってマイペースだ。むしろ、無重力状態を楽しんでいる節さえある。くるくるーっと回っては自在にポーズを決める。


「そういう生物だと理解してもらえればー」


「つまりペペぺポップ様ということ」


「それは違うと思うなぁ……」


 他の女子高生二人も案外と適応している。あざみはのんびりと寝転んでいるし、ルーシーに至っては天地逆転しようとも平気で胡座をかいていた。 


「皆、良く平気だね!? 足元がフワフワして危なっかしくて怖いんだけど!?」


 だが、慣れない者も当然いる。


 黒岩はフワフワとした足元の中、バランスを崩さないようにと必死で両腕を動かして、空中姿勢を保とうとする。それが女子高生三人にウケたのか彼女たちはゲラゲラと笑っていた。「あんなリアクション、漫画でもなかなか無い!」という感想が印象的だ。


 さて、一通り空中浮遊に慣れた所で、大竹丸は皆に合図を送る。


「では行くかのう!」


 その掛け声に答えるようにして大竹丸たちの姿は底の見えない穴の中に飛び込んでいったのであった。

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