第40話 鬼、舞わんとす。

 ★


「そろそろ上は終わった頃か……」


 カツカツと硬い靴音を響かせながら、男はゆっくりと階段を上がっていく。


 男が苦労して作り上げた吸血鬼集団の人数は全部でニ十一人。中でも一体は劣化吸血鬼レッサーヴァンパイアとならずに吸血鬼ヴァンパイアとなった本物だ。如何に相手の人数が上回っていようとも、本物の不死性と常人離れした怪力があれば、簡単に人間の集団など捻り殺せるだろうと結論を下す。


「ククク、最後にこの俺……ナバル様の姿が拝めるとは幸運な奴らだ。それとも、もう誰も残っていないかなしれんな」


 男の名はナバル。


 吸血鬼の王ヴァンパイアロードであり、この松阪ダンジョンの守護モンスターとして君臨する男である。そんな彼は、自分の主ダンジョンマスターが血の匂いをあまり好いていないことを知っていた。その為、虐殺の現場に参加をしなかった自称紳士である。


 そんな彼は自分の部下だけを送り込み、自身は悠然とした歩みで、遅れて階段を上っていた。だが、上っている途中で上階層の様子がおかしい事に彼は早々に気付く。


「何だ? 眩しいな? 気付かれたのか? それとも気付かせたのか? どちらにせよ前田は遊びが過ぎるようだ。夜の眷属は闇夜に紛れてこそ本領を発揮出来るだろうに……」


 ナバルは階段を上る。階上は随分と盛り上がっているようだ。多くのざわめきが聞こえる。


 恐らくは祝勝会でもやっているのだろうと考えてナバルは何も考えずにニ階層へと辿り着いた。


 ……辿り着いてしまった。


「おい、大竹!? 今のは一体……!? というか、どいつが本物の大竹だ!?」


「それよりも試験官殿よ、新手のようじゃぞ?」


「何ッ!」


 ナバルが見たものは彼の仲間が饗宴をしているような姿ではなく、普通の人間たちが驚いたような、戸惑ったような、そんな表情を見せてざわめいている光景であった。


 彼の従順な部下である前田たちの姿は何処にもない。


「……何だ、貴様らは? 前田はどうした? 他の奴らは? それにお前たちは何故死んでいない?」


「何か偉そうな奴じゃぞ? これが、あやつの言っていた神ではないのか?」


 目の前の少女には見覚えがある。彼女ダンジョンマスターが嫌な予感がするといった得体の知れない少女だ。それがやけに鷹揚な態度であることに腹が立った。彼は恐怖の象徴、吸血鬼の王ヴァンパイアロードなのだ。舐められていると思ったナバルは声を荒らげる。


「俺が聞いているんだぞ! 答えろ、下等種!」


「喧しいぞ! 上等愚民!」


「は……?」


 上等な愚民――つまるところの物凄い愚か者だと言われた事に気付いたナバルは青白い顔に凄絶な笑みを浮かべ、額に青筋を浮かび上がらせていた。


「そうか、そこのジャージ女は死にたいようだな? この俺、この吸血鬼の王ヴァンパイアロードナバル様をコケにして……五体満足で済むと思うなよ、小娘ェ!」


「ふむ」


 強烈な殺気を全身に受けて腰砕けになる者が多発する中で、大竹丸だけは涼しげにその殺気を受け流し、少し考えた後でポツリと呟く。


「まぁ、イキるのは勝手じゃが……あとで後悔するでないぞ? 昔、『我こそは最強! とか言っていたなぁ、痛たたた……』となるのは御主なんじゃからな? 今、ちょっと現在進行形で黒歴史作っとるからな、御主?」


 吸血鬼の王を自称する男に対する憐憫のやさしい言葉に、柴田たちはナバルの血管がぶちんと切れた音を聞いた気がした……。


 ★


「とんでもない事になったぞ……!」


 ナバルの意識が完全に大竹丸に向かっている間に、柴田たちは荷物をまとめて戦闘現場より退避していた。そして、その戦闘現場に入らないように野次馬整理をするのもまた大竹丸の分身であった。というか、いつの間にか大竹丸が増殖し過ぎていて良く分からない。一体いつの間に増えたというのか。だが、問題はそれだけではない。


吸血鬼の王ヴァンパイアロード……。恐らくはモンスター脅威度A級のモンスターだろう。未だに世界で発見例がない未知のモンスターだ。いくら大竹が強いからといって、流石にモンスター脅威度A級を何とかするなんて事は……」


 大竹丸は高速で放たれたナバルの拳をパンッと掴み取り、拳をぐちゃぐちゃに握り潰したかと思うと、その腕をナバルの胴体から引っこ抜いていた。骨やら筋やらが付属品として付いてきたそれを、大竹丸は関係ないと言わんばかりに思い切り壁に叩き付けて灰と化してしまう。その衝撃に思わずダンジョンが鳴動する中、大竹丸はポツリと零す。


「なんじゃ、脆いのう」


「こ、この糞餓鬼……ッ!」


 一方のナバルは引っこ抜かれた腕を瞬時に再生し、不意を突くようにして引っこ抜かれた腕で大竹丸に殴り掛かっていた。それも大竹丸の長い脚によるカウンターの上段回し蹴りによって顔面をぐちゃぐちゃに潰されて、たたらを踏んで止まってしまうのだが……。


「なんだか余裕そうだな」


「まぁ、タケちゃんですから」


 一緒に逃げていた小鈴が大竹丸の戦いぶりを見ながらそんな事を語る。彼女は大竹丸について深く知っていそうだと思った柴田は、自然と小鈴に声を掛けていた。


大竹かのじょは一体何なんだ? 普通じゃないだろ?」


 自衛隊が苦戦して何とか撤退させたモンスターを一瞬で殲滅し、今は報告にもない未知のモンスターを相手取って一歩も引かないどころか、押しているようにさえ見える。その想像を越えた強さに柴田は希望を抱くと共に戦慄を覚えていた。分からないという事は恐怖でもあるのだ。


「うーん、タケちゃんはタケちゃんだけど、あえて言うなら神様に最も近い人間かな?」


「神様? ……何だろう。何故か納得してしまった」


 小鈴の突拍子もない言葉を素直に受け入れてしまう。それだけ隔絶した世界を見せられたということだ。追随するように各人も頷く。


「やはり、ペペぺポップ様が御降臨なされた……!」


「それは違うと思う」


「そりゃ、僕の病気視線恐怖症も無理矢理治せるわけだよ……」


 一部、何やら納得している人たちがいる中で、野次馬整理をしていた大竹丸が柴田にすたすたと近付いてくる。柴田は思わず身構えてしまうが……。


「試験官殿、一応、吸血鬼の王ヴァンパイアロードとやらを追い詰めてみて、その技の数々を出させるつもりじゃからメモを頼むぞ。今後、相手モンスターのやることが分かっておれば、攻略方法も考えやすいじゃろう?」


 ……とんでもない提案をしてくる。


「ちょ、ちょっと待ってくれ! それなら試験官全員に声を掛けてくる!」


「あぁ、それとじゃな」


「ま、まだ何かあるのか?」


 真剣な面持ちの大竹丸を前にして、柴田も思わずごくりと喉を鳴らす。


「実力を全て測る前に勢いあまって倒してしまったらスマン」


「…………」


 強過ぎる者には強過ぎる者なりの悩みがあるのだな、と柴田はそんな事を思っていた。現実逃避とも言う。


 そんな柴田たちの後ろでは小鈴が少しスペースを作って、激しく身体を動かし始める。その動きは若干大竹丸の動きと同期シンクロしているように見えた。


「次、右ストレートが来て――……早いなぁ、躱し切れないよー」


「小鈴、何やってるんだー?」


 そんな不思議な動きを見かねたのかルーシーは思わず声を掛けていた。


吸血鬼の王ヴァンパイアロードと戦う時のイメージトレーニングだよ! 丁度お手本があるから良いかと思って!」


「へー、面白そう。私もやってみるかなー」


「ちょ、ちょっと!? 御二人は今度あれが出た時に戦う気なんですか!?」


 黒岩が驚いたような声を上げるが小鈴は至極真面目な顔で頷いていた。


「いつでもどこでもタケちゃんに守って貰えるとは限らないからね! それに戦う戦わないはともかく、見取り稽古だけでも十分勉強になるから!」


 そう言って身体を動かし始める小鈴。そんな小鈴の姿を見守っていた黒岩は、何か思う所でもあったのか一緒に身体を動かし始めるのであった。


 ★


 やがて、戦いは一時間も続いただろうか。ナバル側が最早打つ手無しとなり始めたのを察して、大竹丸は一気に攻勢に出始めた。そしてそれにより、ナバルは今まで弄ばれていた事に激怒するが、実力の差は如何ともし難く、最後はナバル自身の身体を無数の蝙蝠に変えて戦場を離脱しようとするが、そこを百人に増えた大竹丸により大通連で斬られてその存在を滅する事となった。


 その際にきらりと光るものが散らばろうとしていたので、大竹丸はそれを素早く空中で掴み取ることに成功する。


「これは……」


 ステンレススチール製のそれはあまりに、大竹丸はそれを取り落とさなくて良かったと心底ホッとする。


「試験官殿、終わったぞ。それとこれを」


「これは……」


 首尾良くナバルを滅した所で大竹丸は自身の分身と大通連を消しながら柴田たちへと近付き、その手に持っていたステンレススチール制の認識票ドッグタグを柴田の手へと預ける。それを受け取った柴田の手が動揺の為か、激しく震える。


「もしかしたら、撃墜マーク代わりにアヤツが集めていたのやもしれぬな」


「前田……、皆……、畜生……」


 柴田は泣いていた。人目も憚らずに泣いていた。それは他の自衛官たちも同様であった。倒すべきはずのモンスターとなってしまい、家族とも最後の別れを告げられず、あまつさえ同僚に襲い掛かり、その血肉を喰らおうとする怪物になってしまった彼らの無念を考えると、柴田たちは涙が止まらなかった。


 ダンジョンとは、げに恐ろしく、げに無慈悲なものである。それを痛感した自衛官たちを見て、受験者たちは此処まで来ながらも、怖じ気づく者が多かった。


 だが、全員ではない。


 大竹丸の戦いぶりを見て、見惚れていた者もいたし、いつかはあの境地まで達してやるぞと発奮する者もいた。それこそ、これが探索者としてやっていく為の資質であるとばかりに、人々は今この場で試されたのだろう。当然、資質があるからといって、今すぐどうこうなるというわけではない。だが、きっとこれからの探索者人生でこの経験が糧となる時がきっと来る事だろう。それを予感させた。


「すまない。皆の無念を考えたら……」


 柴田の声は震えていた。大の大人が情けないと思っているのだろう。だが、人生経験を積んだ大人だからこそ、より辛いということもあるだろう。


 大竹丸はその気持ちを慮るように言葉を紡ぐ。


「ふむ。なれば少し舞おう」


「舞う……? 何を言って……」


 柴田が戸惑うよりも早く、大竹丸は野暮ったい眼鏡を小鈴に向かって放り投げ、三つ編みに縛っていた髪紐をぷつりと切る。髪紐が切られた反動から癖の無い黒髪が肩の上でさらりと踊り、昭和の女学生然とした格好から一転。そこには切れ長の瞳を持つ、すこぶるつきの美少女が存在していた。


「ちょ! ちょ、ちょ、ちょーっと! タケちゃんストップ! ストップ! ルーシーちゃんも手伝って!」


「えぇっ! 私もかよ!?」


 様々な者たちが見惚れて動きを止める中、唯一見慣れていた小鈴だけが、次に起こるであろう大惨事を想定して動き出す。


 大竹丸はそのままの勢いでジャージまで脱ぐ直前であった。それを何とか小鈴が止めて、毛布によるカーテンを作ることでどうにか事なきを得る。


 一部、男性陣がガッカリしていたりするが、そんな男性陣には、もれなく女性陣の冷たい視線がプレゼントされていた。悪いのは常識のない大竹丸なのだが、何とも理不尽な話である。


 そして、毛布のカーテンが上がった時、そこには片手に扇子を持った巫女服姿の大竹丸の姿があった。どこか神々しさすら秘めた絶世の美少女はゆるりとした動作で袖口より横笛を取り出し、それを小鈴に渡す。小鈴も仕方ないなぁとばかりにその横笛を受け取って、それに口を付けていた。


「では、舞おうか」


 やがて涼やかでありながら伸びやかな音色が辺りに響き始め、大竹丸が舞い始める。最初はゆっくりと、だが時に力強く、緩急を織り交ぜた舞いは扇子をアクセントにしながら、見る者の心を穏やかにしていく。柴田だけではない。その場にいた者たちの、ささくれだった気持ちが消えていく。舞いに、曲に、心が集中していく――。


「これは……?」


「神楽舞。恐らくは鎮魂の意味が込められていると思う」


 柴田の独り言めいた呟きに答えたのはあざみであった。彼女も何かに引き寄せられるかのように、大竹丸の舞いを食い入るようにして見ている。


 やがて曲調が激しいものに変わると同時に壁や床から光る何かがポツリポツリと現れ、まるで蛍のようにその辺をさまよっては集い、大きくなって中空へと昇っていく。まるで奇跡を見ているようだと柴田が呆ける中、彼の耳に小さいながらもはっきりとした声が届く。


(柴田……)


「!」


(悪いな……、最後に迷惑掛けちまって……)


「ぁ……、ぁあ……っ!?」


 それは前田の声であった。先程までの攻撃的な気配はない。心底穏やかな口調で、柴田はそれが吸血鬼ではない、本来の前田であるということに気付いていた。集った光が柴田の前に来て、一瞬だが光の中に前田の顔が映る。


(それと……、ありがとう……)


「お前、それだけで! 何か! 何か他に言いたい事は無いのかよ!?」


 柴田はその光に触れようとして手を引っ込めていた。触れればすぐにでもその場から消えてしまいそうで、彼はそれを恐れたのだ。だが、光の中の前田は柔和に微笑むと、そのままゆっくりとダンジョンの天井に向かって昇っていく。そして、そのまま天井をすり抜けるようにしてその姿を消していた。


 あれほど集っていた蛍のような光は、いつの間にか消えていた。曲も、舞いも既に終わっていたようだ。


 柴田は伸ばしきれなかった手で拳を作ると、それを押さえ込むようにして自分の懐に抱く。その目にはまた新たな涙が浮かんでいた。


「言うだけ言って消えちまいやがって……。馬鹿野郎……、成仏しやがれ……」


 それが柴田なりの手向けの言葉であったのであろう。彼はどこかすっきりした表情を見せ、その手で乱暴に涙を拭うのであった。

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