第39話 鬼、ガッカリす。

「お、お前たち生きていたのか……!」


「よく……、よく無事で……!」


 驚きの声を上げたのは柴田だけではない。他の班の試験官として付き添っていた自衛官たちも感極まって言葉を詰まらせているではないか。


(嬉しい、嬉しいんだが……。なんだこの胸のモヤモヤは……)


 柴田も他の自衛官と同じ気持ちではあったのだが、どこか冷静な部分が随分と奇妙だと警鐘を鳴らしてきていた。そして、柴田は自分の第六感を信じる傾向にあった。


(行方不明になった自衛官たちは早い者で半年以上も前に行方を眩ましていた。ダンジョン内に敷いたベースキャンプも彼らの捜索を打ち切ると同時に撤収していたし、その間、彼らは食料も武器も無しでダンジョンで過ごしていたことになる……)


 DPで食料や武器を得ることは可能だが、それでもDP産の食料は驚く程高い。ただのペットボトルの飲み物が180DPもするのだ。これはゴブリン換算にして百八十体分。そんな環境で、彼らは痩せ細りもせずに、むしろ行方不明前よりも精強な姿を柴田たちに見せている。どうにも違和感が拭えない。


 おかしな点はそれだけではない。


(それに何だ? 彼らの風貌は? 目はまるで充血したかのように赤く、そして肌が雪のように青白い。まるで人ではないかのようだ……)


 それはまるで人間のようでいて、人間ではないものに見えて、柴田は仲間の帰還を喜びつつも何か恐ろしいものを前にした恐怖をひしひしと感じていた。それは他の自衛官たちも同じであったのだろう。帰還した者たちに声を掛けながらも何か様子がおかしい事に気付いて、掛ける声の声量が徐々に小さくなっていく。


 その様子に気付いたのか、柴田に前田と呼ばれた男はゆっくりと歩みを進めながら大仰に肩を竦めていた。


「どうしたんだ、みんな? 俺たちはこうして帰ってきたんだから、もっと讃えてくれよ! 俺たちはあの地獄から命懸けで戻ってきたんだぞ!」


 泣きそうな表情でそう訴えると、不審がっていた自衛官たちも、「そ、そうだよな」と幾分か雰囲気を和らげる。例え、見た目が普通の人間でなくなっていたとしても、そこにいるのは過去に一緒に仕事をしてきた同僚なのだ。そんな彼らを恐れることは、彼らを傷付けることに繋がる。


(そうだよな。見た目は変わってもコイツらは仲間なんだ……)


 柴田はいざという時には抜けるようにと、腰の後ろに差していた大型のナイフの柄から手を離す。どうやら恐怖を感じたことで、いつの間にか身体が戦闘体勢を取っていたようだ。緊張を弛緩させて柴田は対応する。


「ふぅ、悪いな。何か見た目の感じが変わっていたんで、異様に見えちまったんだ」


「ひでぇ奴だ! はっきりと同僚に言う言葉かよ!」


 そう言って前田は笑う。


 大丈夫だ。彼の笑顔も態度も全然変わっていない。ただ笑顔を見せた時に少々犬歯が伸びていたことが気になったがそれだけだ。


「奥さんも子供さんもお前のことを心配していたんだぞ? 今までどうやって生き延びていたんだ? それに行方不明になった時のことも詳しく聞かせて欲しい」


 柴田がそう尋ねると前田は「そうだな」と頷く。


「行方不明になったのは強力なモンスターに追い立てられたからだ。結果として、俺は下の階層に潜るしか無かった。そこでモンスターを倒しながら、自生する木の実だとかを食って飢えを凌いでいたのさ。他の奴らも似たようなもんだ。なぁ?」


 他の帰還した自衛官たちもこくりと頷く。その瞳は何故か周囲の様子を窺うようにギョロギョロと動き、そして何かに縫い止められたかのように一ヶ所に集まっていた。思わず柴田もその視線の先を辿る。


「痛たた……、酷いよ、皆……」


「いや、さっきのはクロさんが悪いから!」


「そうだよ! 寝ている女の子に覆い被さってくるなんてさ!」


「ルーシーなんて胸まで揉まれた」


「揉んでないよ!?」


「揉まれてないから!?」


「というか、僕もタケちゃんさんに蹴り起こされたから、正直足元が覚束無かったというか……。ごめんなさい……」


「良く生きていたね、クロさん……」


「そういうレベル!?」


 何やら騒がしい柴田班。その少女たちのあどけない姿……というよりは細いうなじに、彼らは目を奪われているようだ。彼らは荒い息を隠そうともせずに「あぁっ」だの「うぅっ」だのと声を漏らす。それはまるで好物を目の前にした獣の唸り声のように柴田には聞こえた。


「試験官殿、何やら連中の様子がおかしいぞ。元からこういう連中なのかのう?」


「こういう連中?」


「ロリコンじゃ」


 にべもない大竹丸の言葉に柴田はかくんと肩を落とす。


「そういう連中も中にはいるかもしれないが、全員が全員そうじゃないと思うぞ」


「では、今の彼らは何なのじゃ?」


 血走った目で少女たちを見ては、息を荒らげる姿は犯罪者そのものではないか。そんな彼らの視線は大竹丸にも向けられている。そんな状況に普通なら恐怖を感じようものなのだが、大竹丸は普段通りに平然とした姿をみせていた。


「うぅっ、駄目だぁ……」


「リーダー、もう抑えが効かねぇ……!」


「食いたい、食いたい、食いたい……!」


「ちぃ、これだから劣等種と一緒なのは嫌なんだ……」


「……前田?」


 何やら不穏な雰囲気を纏わせる前田と帰還した自衛官たち。彼らは柴田たちが見ている目の前で細かく身体を震わせているようだ。一見して脅えているようにも見えたが、歓喜にうち震えているようにも見える。もしくは、内に棲む獣の衝動を押さえ付けているようにも……。


 そして、それを見た前田はやれやれと嘆息すると、赤い瞳をぎろりと柴田へと向ける。


「もっと、こう、感動の再会を楽しんでからぶち壊して、絶望の味付けをしっかりしてから食いたかったのによォ。結局こうなっちまうのか……?」


 前田の言葉が終わるか終わらないかの内に彼の犬歯がずずっと伸び、その服装が自衛隊の装備から黒スーツとマント姿へと変貌する。その突然の変化に戸惑うようにして、柴田は視線をさまよわせた。


「前田、何を言っているんだ……?」


「鈍い奴だなァ、柴田。――というか家畜が俺様と対等に話すんじゃねぇ。――『跪け』」


 その瞬間、柴田の中に抗い難い気持ちが噴出し、彼はその場に片膝を立てて座り込む姿勢を取り始める。それは他の者たちも同様だったようで、探索者希望の者たちが、またはその付き添いであった自衛官たちが、一斉に膝を床につく。


 何が起きたのかと混乱する頭で、柴田は顔を上げようとするが……。


「――『頭が高い』」


 まるで両肩を見えない巨人にでも捕まれたかのように押さえ付けられ、柴田は強制的に頭を下げる。


「な、なんだこれは……。前田、お前……、お前の仕業なのか……?」


「まだ分からないのかよ。どれだけお人好しなんだ、柴田よォ……。それに、俺の強制力に耐える奴がいるとは……なかなか面白いじゃねぇの?」


 そう、この空間の中で平気な顔で腕を組んで突っ立っていた大竹丸はゆったりとした動作で周りを見回してから、ようやくぽんっと掌を打つ。


「あぁ、言霊の類いじゃな。仕方ないのう。――『あやつの言葉に付き従うな』」


 その瞬間、跪いていた人間たちの間に電流のようなものが走ったかと思うと、全員が全員一斉に体勢を崩して倒れ込む。どうやら強制力が消えた事によりバランスを崩したようだ。それを見て、前田がほぅと感心したような声音を漏らす。


「なるほど。目標のジャージ女はただ者じゃないと聞いていたが、お前がそれか」


「前田、答えろォーーーッ! お前は……、お前は……どうなったって言うんだァッ!」


 憤怒の表情でありながらも、どこか泣きそうな顔で柴田は立ち上がり、腰後ろのナイフを抜く。その顔を冷ややかな目でちらりと見てから、前田はその長い犬歯を誇示するかのように嗤ってみせていた。


「あぁ、そうだな。先程の話で言っていなかった部分があったな。探索を打ち切られた俺たちはダンジョンの中をさまよい、モンスターを倒したり、自生する木の実を食いながら命を繋いだが……そんなものじゃ、当然、満足するまで食えないし、怪我も負ったりしてすぐに満身創痍になった。こりゃあ、すぐに死ぬなと思った時に俺たちは神と出会ったのさァ。神は俺たちを救い、俺たちは神に付き従った。神は俺たちを使徒とし、そして俺たちは人間を辞めたって話だ」


「人間を辞めた……?」


「そう。俺たちは神の使徒。またの名を――」


 前田は全てを屈服させるかのように赤い目を光らせて、周囲を睥睨する。


「――吸血鬼ヴァンパイアという!」


「吸血鬼だと!?」


 吸血鬼といえば、モンスター脅威度Bの化け物だ。その膂力は軽く腕を振るっただけで人体を切断し、その不死性は専用の装備を持たねば倒せないとされる程の強力なモンスターだ。


 そんな吸血鬼と自衛隊の交戦経験は過去に二度。いずれも多大な犠牲者を出しながらも、に逃げられたとされている。


 そんな存在が全部で二十人近くも柴田たちの目の前で犬歯を……いや、牙を剥き、獰猛な笑みを見せていた。


(マニュアルでは銀製の武器、ヴァンパイア特攻の武器でないとダメージが入らないと書いてあったか? くそっ、ゴブリンを相手にすると思っていたから、持ってきてないぞ、そんな武器!)


 ちなみに過去に松阪ダンジョンで吸血鬼の目撃報告例はない。それもまた柴田たちの油断を招いた原因だろう。


 せめて探索者資格試験の受験者たちだけでも逃がそうと柴田は一歩前に出る。


 それは、他の自衛官たちも同様であったようだ。皆、覚悟を決めた表情で武器を手に取って前に出る。彼らは視線だけで互いの覚悟と決意を交わす。


「受験者諸君!」


 そして、柴田は脂汗が流れるのを止めることもなく、ゆったりとナイフを構えた。


 かつての同僚に武器を向ける事になるが、不思議と躊躇いは浮かばなかった。そもそも、自分の武器が相手に通じるとは思っていないのもあるだろう。だが、柴田はそれ以上に守るべき者を見失う程に愚かではなかったのだ。


「俺たちが時間を稼ぐ! だから……。だから、逃げてくれ! 逃げて、この事を自衛隊久居駐屯地の皆に伝えてくれ! そして願わくば……俺たちの仇を取ってくれ!」


「……馬鹿な奴らだ」


 前田が叫ぶ柴田を目障りだと思ったのか、ふらりと歩みを進める。


「お前たちなんぞ十秒で殲滅出来る。時間稼ぎにもならん。此処で起こった事の全ては隠蔽され、松阪ダンジョンでは何も起こらなかったという事実だけが残り、そしてお前たちは俺たちの餌になるか、仲間として取り込まれるかするだけだ。お前たちのその行為は、ただ俺たちに手間を掛けさせるだけなんだよ。……要するに無駄さァ」


「それでも……。それでも、俺たちは自衛官だ! 国民を守るのが仕事なんだよ!」


「そうかい。お前さんなら優秀な吸血鬼になれると思ったんだがな。……残念だ」


 前田が動く。


 その動きは常人の目には捉えきれない程の動きだ。柴田の目には何か残像のようなものが映っただけであったことだろう。刹那の間に柴田の懐に入り込み、その心臓を抜き手で一突き――それで、浴びるようにして血が飲めれば御機嫌だ。更に心臓の肉が食えればさぞかし美味だろう。


 人が新鮮な魚を刺身で食いたがるように、吸血鬼もまた新鮮な人間を生で味わいたいのだ。


 柴田はまるで反応が出来ていない。前田の爪が鋭利な輝きを発し、柴田の心臓を抉ろうとした直前――。


「ぐごはわぁっーーーッ!?」


 頬に隕石でも激突したような衝撃を受け、前田は頭が粉々になりながらダンジョンの壁まで吹き飛び、そのままダンジョンの壁に衝突して全身がバラバラの肉片となってしまう。その際にダンジョンの壁が撓むように震え、激震がダンジョン全体を揺らし、肉片は余りの運動エネルギーに耐えられなかったように発火し、そのまま灰となって消失してしまった。


「駄目じゃろ!」


 そして、前田よりも早く動き、前田よりも強烈な力で、前田を破壊する力を込めて横手からぶん殴った大竹丸は吼えていた。


「「「「「「駄目じゃろ!」」」」」」


 あまつさえ七人に分身してまで吼えていた。


「なんだこいつはぁーーーッ!?」


「お母ちゃーーーんッ!?」


「肉欲の宴がぁーーーッ!?」


「ほめほめほーーーんッ!?」


 柴田たちが目を白黒とさせる中、此処彼処で吸血鬼たちが吹き飛び、ダンジョンの壁が激震し、吸血鬼たちは灰となって消失していく。それは三秒程の出来事であった。そして、三階層前の大広間は静かになる。


 それは、前田が人間を皆殺しにすると宣言した時間よりも七秒も短い時間であった。


「一年前よりもパワーダウンした敵が出てきちゃ駄目じゃろ!?」


 大竹丸はそう吼えたが、ノワールのダンジョンはあれでもS級ダンジョンだったのである。敵も世間的には超強い部類だったのだ。それを考慮していな大竹丸は、「御主たちにはガッカリじゃ!」とばかりに頭を抱えるのであった。

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