第38話 鬼、邂逅するを見守らんとす。
「何をやっとるんじゃ? 煙草をそんな風に壁に立て掛けて? 新しい
洞窟の中は薄ぼんやりと光る苔が至る所に生えているので、ほんのりと明るい。とはいえ、光が溢れる生活に慣れ親しんだ現代人の目には恐ろしく暗く見えるはずなのだが……。
(煙草の状態までピタリと言い当てるなんて、どんな目をしていやがる……)
そういえばダンジョン探索中も大竹丸の索敵範囲の広さに驚いた記憶がある。柴田はなるべく湿っぽくならないようにと割りきって、努めて冷静な態度で対応していた。
「線香の代わりだよ。同期が
「そうじゃったか。悪いことを聞いたな」
「いや、このままだとうじうじと悩んじまうところだったし、丁度良かったのかもしれん」
「そうか。まぁ、試験官殿の悩みの解決の一助となったのであれば、妾としても様子を確認しにきた甲斐があったというものじゃな。うむうむ」
「…………」
まさか彼女は、柴田班の全員が安全に休めるように、こうして見張りを買って出てくれたのだろうか?
何となくそんな気がしたが、首を振って柴田はその考えを振り払う。恐らく、本日は大して活躍していないのであまり眠くないのだろう。そう思うことにする。そうでないと彼女の評価が跳ね上がりそうで怖い。そう、
「大竹、まだ眠くないのなら少し話さないか?」
柴田は軽い気持ちでそんな風に大竹丸に声を掛けていた。
★
「――俺の同期はヘビースモーカーでな。奥さんも子供もいるから止めろって俺は言っていたんだが全く聞きやしねぇんだ。ならせめて電子煙草にしろって言ってもタールを吸ってる気がしないとか言って怒り出す馬鹿でよ……。何というか底抜けに明るい奴だった」
ムードメーカーという奴だろうか。彼がいるだけで雰囲気が幾分か軽くなる……そんな気にさせる男だった。勿論、自衛官としても各種知識に明るく優秀な男ではあったが、柴田はムードメーカーとしての彼を買っていた。
「それが、煙草で身体を壊すよりも早く、ダンジョンで行方知れずになるっていうんだから、世の中は分からないもんだ。一寸先は闇というが、まさにそれだな」
小鈴たちのテントや黒岩の寝袋から少し離れた所で柴田は胡座をかいて地べたに座り込んでいた。大竹丸はそんな彼の隣で毛布にくるまって座りながら、滔々と語られる彼の話を聞いている。
「そうなんだ……。ダンジョンは危険な場所なんだ……。昨日には笑っていた奴が翌日には死体すらなく消滅する……そんなとんでもない空間なんだよ……。なのに、大竹たちは何故探索者資格を取ろうとする? プロの探索者になる為か?」
柴田はずっと気になっていたその疑問を大竹丸にぶつける。ダンジョンは命がいくつあっても足りないような危険な場所だ。そこにわざわざ挑む理由。それは重いものなのか、軽いものなのか、それとも……。それを柴田は知りたかったのだ。
「金じゃな」
「金……」
思っていたよりも単純な答えに柴田は肩透かしを食らったような気分であった。だが金は重要である。食うのにも生活を維持するのにも何事にも必要になってくる要素だ。多くの人が働いているのもその為である。思想だけでは飯は食えないのだ。
「なんじゃ。意外そうな顔じゃな。案外俗っぽくてガッカリしたか?」
「いや……。――あぁ、いや、そうだな。だが、それならますます分からない。何故ダンジョンなんだ? 別にバイトでも良いだろうに」
金を得る方法などそれこそ無数にある。だというのにわざわざ危険なダンジョン探索を選ぶ理由が柴田には理解出来なかった。
だが、その質問を理解出来なかったのは大竹丸も同じである。
「何を寝惚けた事を言っておる。現在進行形でダンジョンは宝の山じゃろう? アメリカのゴールドラッシュのようなものじゃ。その波に乗らんでどうする? 時代から取り残されるぞ」
大竹丸としてはこのダンジョンブームは金のなる木にしか見えていないらしい。そもそもそれに乗じて、風雲タケちゃんランドなんてものまで作っている。時代の流れに乗る気満々であった。
だが、柴田は渋い表情だ。
「分かっているのか? ダンジョンは危険な所でお前さんたちはそんな危険な場所を職場にしようとしているんだ。お前さんたちに才能があることは分かってはいるが、それはあまりに軽率な行動じゃあないのか?」
ダンジョンの危険性を説き、柴田は大竹丸を説得しようと試みたが大竹丸はどこ吹く風であった。あまり響いていないような表情を見せていた。
「世の中には危険と隣り合わせの職業ぐらい、いくらでもあるじゃろう? 試験官殿は事故が怖いからF1ドライバーにアクセルを踏むなと言い、死ぬ可能性があるからボクサーに殴り合うなと言うのか? 違うじゃろ。御主が忌避しているのはダンジョンで友人を亡くしたからじゃ。じゃからダンジョンを目の敵として捉え、探索者を特に危ないものと認識しておる。違うかのう?」
「…………」
そんな事はないと思ったが、ダンジョンを目の敵にしている自覚はあったので、柴田は一瞬そうなのかもと考えてしまっていた。それが反論の機会を失わせる。
「大体、ダンジョンは危険がいっぱいじゃから探索者になるな、軽率じゃとは一体なんじゃ? そこに御主についてが全くないではないか。他人に要求だけ突きつけて御主は何とする? そんなにダンジョンが危険じゃと分かっておるのに手をこまねいて見ているだけか? それでダンジョンに入るなと? ちゃんちゃら可笑しくて臍で茶が沸いてしまうぞ?」
せせら笑うように言われ、柴田はついカッとなって言葉を返す。
「違う! 俺たちだってダンジョンを排除しようと、国民を危険から守ろうとして努力してきた! だが、駄目なんだ! ダンジョンというのは深層になればなるほど、装備だけでは対抗出来なくなってくる! 人としての技術力が問われてくるんだ! そこを安定して攻略するのは非常に難しいんだよ!」
「それは安定して攻略しようとするからじゃろ? 挑戦する気概が無ければ急激な成長は望めぬよ。安穏とした世界では向上心は育たぬ。人は堕落する一方じゃ。それでは力は育たず、結論が『安定して攻略出来ない』に落ち着くことじゃろ」
呆れたような嘆息を吐き出す大竹丸を見て、柴田はその双眸に戸惑いの色を浮かべる。彼女の言いたい事が分からなかったからだ。
「お前さんは……何が言いたい?」
「実力不足じゃから安定して攻略出来んのじゃ。要するにヌルイ」
バッサリである。
だが、柴田はその意見は聞き捨てならないと思ったのか、すかさず口を開く。
「だが、俺たちはこの一年間、何度も繰り返しダンジョンへと潜ったんだぞ? そこで毎回のように命のやり取りをしてきたんだ。それを……」
ヌルイとは何事だと繋げようとしたが、大竹丸は「なんじゃ、その程度か」と一蹴する。
「御主が才能あると言った若者たちの中で、妾が知る限り、小鈴に関しては週に二、三回、多い時には毎日、山の中で修験道を修め続けてきたぞ。餓えに耐えたり、獣や虫と戦ったり、山にあるものを食って自然と一体化したり……、そんな修行を十年以上も前から細々と続けてきた。それを見ずして御主は小鈴の力を才能と言ったか」
「…………」
何という凄まじい経歴だ。小鈴はダンジョンが出来る前から、それこそ探索者がやるような事を自分に課し、やってきていた。しかも、十年以上に渡って……。道理で素早くダンジョンに適応するわけだと柴田は納得する。
「あざみについても同じようなもんじゃろ。何かに傾倒し、前のめりに人生を突き進んできたからこそ今がある。それを御主、一年間安全マージンを取りながらのんべんだらりと戦ってきておいて激戦苦戦熱戦だったと宣うなよ? ゆるりと戦ってきたからこそ、成長せずに今更ダンジョン攻略が安定しないと嘆いておるだけなのじゃからな。もっと必死になってやっておればもっと成長は見込めたはずなのじゃ。それは御主たちの怠慢じゃぞ?」
彼女たちの十年の苦労に比べたら、確かに柴田たちの戦い方はヌルイかもしれない。最初は銃器を使ってモンスターを倒し、DPが貯まった所でショップ機能から安い武器を買う。後はノルマで決められているだけの日数をダンジョンに潜り、モンスターを狩りながら過ごすといったものが自衛隊の活動方針であった。それを一年間、
「そも、御主。他人を危ぶむばかりで足りぬのではないか?」
「足りない? 何が……?」
思わず柴田が尋ねると大竹丸はニヤリと笑い、自分の胸に手を当てる。
「怒り、執念、ダンジョンをぶっ潰してやろうという殺意じゃ。それがあれば命令違反をしてでも御主は成長出来ただろうに」
絶句する。
確かに柴田はその手の感情をダンジョンに対して抱いていなかった。だが、それはダンジョンを超自然的なものと捉えていたが故だ。台風や地震に殺意を持って立ち向かうかと聞かれたら、答えはノーなのだから当然である。
呆気に取られる柴田を前にして、大竹丸は続ける。
「他人に才能があると羨むのは勝手じゃが、その才能が努力の末に得られたものであることを理解すべきじゃぞ。そして理解したのなら、その努力に追い付くように、より質の高い努力を重ねなければならぬ。それを意識してやっておれば数年の後には御主にも道は開かれることじゃろう。日々を漫然と過ごすでない。高い志、深い興味、負けぬという執念、何でも良い。御主に合うものを心の支えとして日々励むが良い。うむうむ」
まるで、どこぞの教祖様のようだ。いや、大竹丸はあざみにペペペポップ様認定を既に受けているので教祖というよりは御神体か。威厳の無い御神体もあったものである。
「参ったな。親に説教でも受けている気分になってくる……」
そんな御神体を前にして、どこかバツが悪そうに柴田は頭を掻く。口調は冗談半分ではあったものの、心に何かが引っ掛かったようだ。その証拠に目は真剣そのものである。
「呵呵! 妾は御主よりも年上じゃからのう! 当然じゃ!」
「そりゃ、どういう――……ん?」
柴田が大竹丸の言葉の真意を聞き返そうとした所で三階層の入り口から何やら声のようなものが聞こえてきたような気がして、柴田はそちらを振り返る。
「何か聞こえてきたのう」
それは大竹丸も同じであったようだ。その視線が三階層の入り口を睨んで離さない。
やがて物音の主は徐々にその姿を三階層入り口前広間へと現す。その頃には、聡い別の班などは全員が起きて戦闘体勢になっていた。大竹丸も急いで黒岩を蹴飛ばして起こし、他の面子を起こすように伝える。
ぱぁっと三階層の入り口前の広間に光が溢れる。誰かが灯りを点けたらしい。
……そして、彼は邂逅を果たす。
「……柴田……」
「前田! 前田じゃないか! それに皆も!」
そこに立っていたのは、行方不明となっていた久居駐屯地の自衛官たちの姿であった。
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