第37話 鬼、鼻を押さえんとす。

「グギャギャギャー!」


「そんな雑な動きでっ!」


 ゴブリンファイターが慣れない動作で剣を突き入れてくるが、小鈴は素早く躱しながらピック部分で剣の柄を引っ掻けて引っ張る。その動作にゴブリンファイターは思わず剣を取られまいと力を込めて踏ん張ろうとするが、それよりも早く小鈴のもう一方の手がじゃじゃーんと掲げられていた。


「二本目のピッケル(予備)~♪」


「ギャギャギャー!?」


 そんなのズルい! とゴブリンが言ったかどうかは分からないが小鈴が持つ二本目のピッケルのピックが額に思い切り突き刺さり、ゴブリンファイターは一瞬で光の粒子と化していた。何とか勝てたものの、小鈴は肩で息をしており何とも苦しそうだ。


「はぁ、はぁ、やったよ! タケちゃん! ぶいっ!」


「まさか二本目のピッケルを持っておるとはのう……」


 げに恐ろしきは小鈴の背嚢か。中を改めれば、予備のピッケルだけでなく、C4爆弾くらいなら入っているのではないかと疑ってしまう。それほど大竹丸にとっては摩訶不思議であった。


「ふぅ、こっちもゴブリン二体終わりましたー……」


「私とあざみの方もゴブリン合わせて三体終わりだー! 疲れた! そろそろ休みたいぞ!」


 歩きに歩き、進みに進んだり計四時間。


 大竹丸のチートを解禁したこともあり、進捗は頗る順調。柴田班の面々は疲れこそ見えるものの充実した気概のままに視線をあざみへと向ける。目的地まであとどれくらいだろうかとその視線が訴えかけていた。


 そのあざみは【白紙の地図】を食い入るように見た後で、うんとひとつ頷く。


「あと十分も歩けば目的地に辿り着く。それでも休憩する?」


「うわー、マジかー」


「ルーシーちゃん、着いてから休憩しよ!」


「仕方ないなー。あ、クロさんもそれで良いですよね?」


「そうだね。十分程度だし、急ぐわけじゃないけど、油断せずに行こう……」


 黒岩は柔和な笑みを見せるが、そんなに精神的な余裕があるわけではない。この四時間の継続戦闘の中で、一番負担が掛かっていたのは小鈴であるが、二番目に負担が掛かっていたのは黒岩であったからだ。


 彼は、時に時間稼ぎの盾として、時に相手と斬り結び、時にルーシーから気を逸らさせる為の囮となって、八面六臂の大活躍であった。


 そんな黒岩を先頭にして柴田班は隊列を組み直す。先頭に黒岩。並んで小鈴。一歩下がった所にあざみがおり、ルーシーはあざみの後方か隣の位置にいる。そして、最後尾には大竹丸が陣取る。そんな隊列の並びは何度も繰り返された事もあって、実にスムーズ。最初の頃のちんたらした集合の時の動きとはまさに雲泥の差だ。


 そんな柴田班の面々を見渡しながら、柴田はどこか感動すら覚えていた。


(最初は戦闘すら大丈夫かと思っていたものだが、人間とは成長するものだな……)


 最初の頃の印象から比べれば、彼女たちは大きく成長している。


 おっかなびっくりとダンジョン内を歩いていた黒岩は、今や自信を持って堂々たる佇まいで先頭を歩き、冬山登山にでも行くのかと呆れた小鈴は柴田班には無くてはならない前衛職アタッカーとして確固たる地位を築き、その小さなナイフでどう戦うのか? やはり戦えないのかと危ぶんだルーシーはいつの間にか暗殺者アサシンスタイルを確立しているし、理解の出来ない着ぐるみ姿のあざみは柴田班の欠かせない後衛として、また班の頭脳である作戦参謀として大きな存在感を見せつけていた。まさかここまで伸びるとは、と柴田は舌を巻く。


(中でも田村と柊だ。この二人の働きは凄まじい……。彼女たちはと言われても納得してしまう程、ダンジョンに入って生き生きとしている。それこそ、下手な新人の自衛官よりも動けているんじゃないのか?)


 彼女たちなら確かに探索者になっても活躍出来るだろうと思える。実際、柴田の合格基準の中でも文句なしの合格であった。


 だが……。


「あっ! あそこじゃないかな! 第三階層の入り口って!」


 小鈴が指を差し、その先に開けた空間が広がっている。


 かくして、午後十九時十三分――。


 柴田班は三階層の入り口前の大広間へと辿り着いたのであった。


 ★


 三階層入り口前の大広間には柴田班よりも先に進んでいたはずの班が全部で三班しかいなかった。確か、二階層への入り口の大広間では八班が先行していたはずなのだが、消えた五班は果たしてどうなったのか。それを知る術は今の柴田班にはなかった。


「とりあえずテントとかを設置しよー!」


「え? 私、何も持ってきてないけど……」


「大丈夫! ルーシーちゃんには貸し出します! じゃないとクロさんがムラムラしちゃうから!」


「し、しないよ!?」


 いきなりの風評被害に黒岩は焦ったように声を荒らげる。尚、黒岩は小型の寝袋を用意していたようだ。いそいそと小鈴が取り出したワンタッチテントの近くに設置している。そして設置されたテントの中へは何故かあざみがするりと潜り込んでいた。


「小鈴、泊めて」


「いいよー! じゃあ、今日は三人で一緒に寝よー!」


「狭いと思うけどなぁ……。まぁ、床に寝るよりはマシなのかな……ってあれ、タケさんはいいの? 小鈴?」


 ルーシーが尋ねると小鈴は「まぁねー!」と笑顔を見せていた。


「タケちゃんは大体どこでも寝れるから! 毛布さえ渡しておけば良いかなー?」


「うむ、毛布一枚で十分だぞ!」


 その元気の良い様子に不満は無さそうだ。本当に毛布一枚で大竹丸は満足しているらしい。


 姦しい彼女たちの準備はやがて夕飯の準備へと移る。どうやら、小鈴がキャンプ用品まで準備していたらしく、本日はなにやら温かいキャンプ飯にありつけそうだ。同じ空間にいる他の班の人々の視線が若干痛い気もするが、そこは柴田班の面々は無視する事に決めたらしい。順調に準備を進める。


 そんな風に班員たちが楽しく過ごす中で、柴田だけはずっと彼女たちの今後の事を考えていた。


(彼女たちの実力は十分だと思うし、ダンジョンに入った事で急速に実力が磨かれていった事も分かる。若いからこそ飲み込みが早く、成長も早く感じる。今後、ダンジョンを攻略する人間がいるとしたら、こうして若い頃から才能を発揮していた人間が経験を積むことで攻略出来るのかもしれないとは思ってしまう……。だが、それは彼女たちのような未来ある若者に世界の命運を託すという事にならないか? それは良識ある大人として、自衛官としてどうなんだ?)


 柴田だって一年間ダンジョンに潜り続けて一端には成長したと思える。だが、それでもダンジョンの深部にはまるで辿り着けない。辿り着くイメージが湧かない。


 だが、彼女たちの成長速度を見ていると、『もしかして』と思ってしまうのだ。


 ……それだけに悔しい。


 彼女たちを守る立場の者が、彼女たちに希望を託すしかないのかと考えると、何ともやるせなさが募るのである。


(彼女たちは合格の基準には達している。そして、プロスポーツの世界でも超一流と呼ばれる存在は若い頃から頭角を現す事が多い。彼女たちはまさにそれだろう。ダンジョンという異質な要素の中でこそ頭角を現した異質な存在。だからこそ調子に乗って命を落とさないか、命の危険と隣り合わせの職業に導いてしまって良いのか、他の未来の選択肢はないのかと考えてしまう)


 柴田は小鈴が作った鯖カレーの御相伴に預かりながらもずっと悩んでいた。


 彼女たちには才能がある。


 だからといって、その才能を伸ばす道は危険と隣り合わせだ。そんな修羅の道に年端もいかぬ子供たちを追いやっても良いものかと悩む。


 ただこれは柴田の利己主義エゴイズムでもある。恐らく彼女たちは探索者になりたいから試験を受けにきているのであって、とっくの昔に危険と隣り合わせの職業に就く覚悟は出来ているのかもしれない。


 いや、そもそも資格だけ得て、ダンジョンに常時入り浸るような事にはならないのか? だが、あの才能の輝きは本人たちも自覚していることだろう。そんな彼女たちが資格だけを取って終わるとも思えない。


 ……鯖カレーは美味かった。


 小腹を満たしつつも、柴田がこう考えるのは彼自身の経験故だろうと考える。思い起こされるのは三ヶ月前。柴田の同僚が松阪ダンジョンでとなり、その報告を上官と共に同僚の家族に向けて行った時のことだ。その同僚には奥さんと子供がひとりおり、柴田も面識がある人物であった。


 訃報を聞いた奥さんはその場で腰砕けになるように倒れ込み、「なんで、なんでよ……。返してよ……、あの人を返してよ……!」と悲痛な叫び声を上げ、まだ小さな息子は何も分かっていなかったものの、母親が悲しんでいる事には気付いたのだろう。一緒になってぐずり始めた。


(あれは堪えた……)


 恐らくあの時の経験が心的外傷トラウマとなっているのだと柴田自身も分かっている。そして、そんな経験があるからこそ、彼女小鈴たちの家族に、友達に、同じ思いを抱かせたくないという強い気持ちもあった。


(探索者資格が取れなければ、彼女たちはダンジョンに潜ることを諦めるだろうか……?)


 考えておきながら、それは無いだろうと心のどこかで否定する。恐らく、落ちたところで次の試験を受験し、普通に合格をもぎ取る事だろう。それこそ、前の試験官は何を見ていたのかと疑われるレベルで、だ。


 ダンジョン内では夜の帳も何も関係ないため、時刻を知る為には腕時計等の時計機能を持つものに頼らざるを得ない。柴田班の面々は今日一日の疲れを早目に抜く為か、午後九時半には早々に寝に入ってしまったようだ。柴田は少し試験官としてやるべきことがあると嘯いて、彼女たちが寝静まるのを待った。


 そして、午後も二十三時を回ってから、ひとり煙草の紫煙を燻らせる。別に柴田は普段から煙草を吸う人間ではない。ただこれは同僚が昔から好きだった煙草だ。それを線香代わりに火を点けて洞窟の壁に立て掛け、両手を合わせて拝む。


(お前の奥さんも息子も元気だぞ……。それに他の同僚も元気にやっている。俺たちは元気だ。元気なんだ……。なのに、何でお前だけ……)


 思わず目元に涙が浮かびそうになるが……。


「試験官殿、臭いぞ……」


 薄闇の中、鼻を押さえながら現れた大竹丸を見て、彼の中の感傷は消し飛んでいたのであった。

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