第35話 鬼、一計を案ず。

「危ない!」


 黒岩の声と共に引き絞られたのは、ゴブリンアーチャーの弓だ。その矢は確実に小鈴に狙いを付けられている。だが、小鈴は「何だそんなことか」とばかりに弛緩した表情を戻すことはなかった。


「……グギャ?」


 引き絞っていた弓の弦が何の前触れもなくプツリと切れ、矢がポトリと落ちる。ゴブリンアーチャーは経年劣化でも起きたのかと思った……かどうかは知らないが、そのまま矢を拾おうとして、背後から心臓をナイフにずぶりと貫かれて光の粒子となって散っていた。


「ルーシーちゃん遅い~!」


「悪い悪い! 何回かゴブリンアーチャーの気を引いていたから遅くなったんだよ! おかげで矢は飛んで来なかっただろ?」


「流石エロ忍者。エロいプレイ」


「そこは普通に偉いって誉めてくれないかなぁ?」


「ルーシー偉い。日本一」


「ごめん、あざみに素直に誉められたら、何か気持ち悪いわー」


「…………」


「ちょっと!? なに二人で取っ組み合いの喧嘩を始めてるんですか!? 田村さんもタケちゃんさんも止めて下さいよ!?」


 急に取っ組み合い始めた二人を前に黒岩が焦ったような声を上げるが、小鈴も大竹丸も涼しい顔だ。


「だいじょーぶ、だいじょーぶ。あれは、あの二人のハイタッチみたいなものだから!」


「まぁじゃれてるだけじゃろ、放っておけば良い」


 二人とも取り合わない考えのようだ。黒岩は困って柴田を見やるが柴田も首を横に振るだけ――……いや、指を黒岩の後方へと向けている。黒岩は慌てて振り向く。


「「でゅ~わ~♪」」


 ルーシーとあざみの二人は肩を組んで仲良くハモっていた。「どういうことなの……」と黒岩は頭を抱える。


「悩むだけ無駄じゃろ」


「ルーシーちゃんとあざみちゃんは幼なじみだからねー。何か通じたんだと思うよ。それよりも隊列を整えて先を急ごう!」


 後ろを気にしてソワソワしながらも、小鈴はさっさと先に進もうと提言する。そうした中、すっと手を上げるのはあざみだ。


「一計を案じたい」


 薄闇の中、先程から動こうとしない他班を睨むようにしてあざみは言った。


 ★


「お、ようやく動き始めたぞ」


 前を行く大竹丸たちを見張っていたアフロ頭の男がそう言う事により、ようやく班員たちは思い思いの待機姿勢を解いていた。地べたの上に座り続けるのは尻が冷えていけないとばかりに大半が立ち上がる。


「ってか、戦闘が終わったんならよー、さっさと動けよなー」


 体力自慢そうな角刈りの男がそんなことをぼやく。それを宥めるようにして班員の中でも一番背の高い男が、黒縁眼鏡のブリッジをくいと持ち上げていた。


「まぁまぁ、誰か僕らの代わりに怪我をしたかもしれないんだ。そこは広い心を持って見守ってあげようじゃないか」


「さっすがリーダー。悪いぜー。うきゃきゃ!」


 猿顔の小柄な男がにししと笑い、意地の悪そうな笑みを浮かべる。それにリーダーと呼ばれた男が「ありがとう」と酷薄そうな笑みを浮かべて返していた。


「っていうか、やっぱあの年齢で二次の二階層にまで辿り着いただけあって強ぇわー。俺らだったら結構危なかったんじゃねぇのー?」


 角刈りの男がそう言うと、どこか馬鹿にしたようにバンダナを巻いたウェーブヘアの男が肩を竦める。


「アホか。女子高生JKだか女子中学生JCだかが勝てる相手に俺ら大人が負けるわけねーだろ」


「ま、いくら強かろうと所詮は人生経験の少ない子供たちだ。重要なのはココだよ、ココ」


 そう言って、リーダーである長身眼鏡は自分のこめかみを指でつついて見せる。結局は頭の良さがものを言うと言いたいのだろう。


「流石、リーダー。わざわざ大学のある東京じゃなくて地元に帰ってきて探索者試験を受けるだけあるわー。うきゃきゃきゃ♪」


 何が面白いのか、猿顔の男は手を叩いている。それに満更でもない笑みを見せたリーダーはくいっと眼鏡のブリッジを直す。


「準備期間は長く取りたかったからね。まぁ、その辺の調整は誰でもやるでしょ」


 どや顔を見せるリーダーに、あまり考えていなさそうな角刈りの男が素直に感心する。すっげぇとか思っていそうだ。


「…………」


 そんな彼らと付き添うのは陸上自衛隊久居駐屯地所属のベテラン自衛官だ。彼は柴田の先輩であり、柴田同様に何度もダンジョンに潜っている凄腕でもあった。彼はそんな班員たちの様子をつぶさに観察しながら、端的にその評価を走り書きしていく。


(最初は戦闘をなるべく回避して、消耗を抑えるなかなか切れ者なパーティーだと思っていたが……。ここまで行くと逆にズル賢いというか、マイナスなイメージが付くな)


 それもそのはず、彼らは一階層でも同じような行動を繰り返していたのである。


(そもそも彼らは一階層でほとんど戦っていない。避けられる戦闘はほとんど避け、運良く二階層の入り口に向かうパーティーを見つけて、彼らを尾行していた。今回も二匹目のドジョウを狙ったのだろうが……、戦闘経験の無さが甚だ不安だな。もし仮に、これで試験クリアしたとして、私は『合格だ』と彼らに言い渡して良いものなのかどうか……。危険なダンジョンに哀れな生け贄の子羊を放り込む事にはなるまいか……)


 ベテラン自衛官の悩みは深い。


 そんな懊悩を知る由もなく、班員たちはお気楽な調子で動き始めた大竹丸たちの班の後を付いていく。露払いも道案内も前の班任せなので簡単な行軍である。やがて別れ道が多発する地帯となって変化が起きる。大竹丸たちの班が急に速度を上げ始めたのだ。


「お、連中走り出したぜ」


「こっちに気付いたのかもな」


 アフロの男が冷静にそう分析する。リーダーもそれはありそうだとばかりに無言で頷いていた。


「あんなにバタバタ音を立てて逃げてさー、自分たちは此処にいるって宣言してるようなもんじゃん! うきゃきゃ!」


「とはいえ、見逃すのもまずい。周囲が暗くなると辺りの様子が……」


 追おうとリーダーが言うよりも早く、猿顔の男が慌てて飛び退く。


「うわぁ!」


「なんだ!?」


「ゴキャギャギャワーーー!」


「ひぃっ! 横道からゴブリンがぁ!」


 数多くの別れ道がある地帯。そのひとつの横道からゴブリンの群れが誘い出されたように、彼らと接敵する。そこまで来て、ようやく自分たちが嵌められたのだとリーダーは気付く。せわしげに眼鏡の弦を弄って声を荒らげる。


「アイツら、こいつらに気付いてわざと呼び寄せるようにして音を立てて逃げたなっ!」


「っていうか、現状分析は良いから体勢を……ってかデカイぞ、このゴブリン! しかも剣まで持って……痛ってぇぇぇぇっ!?」


 角刈りが慌てて飛び退くが、ゴブリンファイターによって浅く腕を斬り裂かれてしまう。それを見てバンダナが一階層のゴブリンと違うと判断したのか、全員に指示を出そうと声を張り上げる。


「離れろ! 距離取って――痛ぇなぁぁっ!」


 だが、指示を出している最中に左肩に矢が突き刺さる。厚めのジャンパーを防具代わりに着ていたおかげで深くは刺さっていないが、無傷とはいかない。


「弓を持っている奴もいるのか!? クソ! というか、どうする! 彼女たちが先に行ってしまうぞ!」


「応戦するしかないだろう! 二人も手負いの状態で追い付けるわけがない! 凌ぐんだ!」


 アフロの言葉にリーダーが叫び返す。そして、肩口から矢を引き抜いたバンダナが恨み骨髄とばかりに怨嗟の籠った声を上げる。


「アイツら、よくもやりやがったなぁぁぁ……!」


 そんな班員たちを眺めながら、ベテラン自衛官は一人深く頷いていた。


(まぁ、彼らにとっては良い薬か。それにしても上手い作戦だった。自分が引率者なら確実に加点している事だろうな。さて、戦闘経験の浅さがここで浮き彫りになったが、どこまで粘れるか見てみようじゃないか)


 ようやく頭の良さ以外に光る所も見れるだろうかとベテラン自衛官は期待して見守るのであった。

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