第31話 鬼、柔和に微笑む。

「うわぁぁぁぁーーーっ!?」


 ダンジョンに潜入したことのない博愛主義者たちは、『モンスターも生き物なのですから愛を以て話し合えばきっと心を開いてくれるはずです!』などと戯けたことを抜かすが、それはやはり現状を見たことがないから、そんなことが言えるのだろうと柴田は思う。


 頭髪の生えていない頭に尖った耳、黄色く濁った乱杭歯に血走った目。背は低く、肌は緑色で手足は細い。身に付けている物は腰簑ひとつのみという原始的なスタイル。近付けば体臭がきつく、言葉とは思えない叫びを上げながら狂ったように襲い掛かってくる。こんな存在を見て、じかに愛が説けるというのなら説いて欲しいものである。


 そして、これだけの異常性を持っていながら、ダンジョンでのモンスター脅威度は最低ランクのF。それがゴブリンという名のモンスターであった。


「ひぃっ!?」


「ギャギャー! ギャギュギャー!」


 突進してきたゴブリンに合わせるようにして、黒岩はポリカーボネイト製の盾を突き出して対抗する。ゴブリンは視界確保用に透明であるに全く気付かず、ぶつかったところで何かがあると判断。持っていた棍棒をやたらめったらに振り回し、攻撃を始めた。ガン、ガン、ガンと持ち手に直接振動が伝わる様は恐怖以外の何物でもなく黒岩の腰が徐々に引けていく。


(顔は怖いがそこまで強いモンスターじゃないんだがな……)


 緊急時には助けに入れるようにと場所を移動しながら、柴田は黒岩の戦闘の様子を見守っていた。そしてゴブリンの特徴を思い浮かべる。

 

(力は小学校の高学年程度だし、集団で袋叩きにあうようなら怖いが、そもそもゴブリンは酷く脆くてすぐに腕や足の骨が折れるからなぁ)


 あの細い手足だ。全力で殴ればすぐに折ることが出来るのだが黒岩は動転しているのかそこに気付かない。


(大体、田村の力でも押し切れているんだ。そこに気付かないものかね)


 柴田はそう分析するが小鈴の力は元の力に加えて、神通力で風の力を纏っている為、普通の成人男性よりも力が強いのだ。そこばかりは流石に解析が出来なかったようである。


(というか、柊も言っていたようにゴブリンは『アホ』なんだ。今も盾の存在が分かっていないから、ただ棒を叩き付けてばかりいる。少し冷静になって対処すれば簡単に倒せる相手だぞ、黒岩……。いや、それだけテンパっているということか……)


 ゴブリンの勢いに押され、黒岩がじりじりと後退する。それが気になるのか、小鈴も思い切って前に出れないようだ。黒岩をフォローすべきかどうか迷いつつ、ゴブリン三体を忙しなくあしらっている。


(逆に俺が驚いたのは田村小鈴の方だ。普通の一般人なら生き物の命を奪う事に忌避感を覚えるものなのに、彼女は全力でピッケルをゴブリンに向かって振り下ろした。あんなこと、頭のネジが飛んでるか、生き物を殺す事に慣れているかしていないと無理だろ……。そう、今の加藤みたいになるのがオチだ)


 ルーシーは小鈴と黒岩の丁度中間の位置にまでやってきて脇下に挿していたナイフを抜いていた。だが人型の生物を傷付けることに躊躇があるのか、なかなか攻撃出来ないのでいるようだ。


 ちなみに、小鈴が全力で攻撃することが出来るのは、勿論、生き物を殺した経験をそれなりに積んでいるからである。修験者の隠れ里の長の娘である小鈴は、代々の修験者たちに倣って一通りの修行を積んでいた。その中に刃物ひとつで一週間ほど山に籠る『山籠りの業』というものがあり、修行の最中、小鈴は動物性タンパク質を補う為に罠や投擲武器を作って山の動物を狩っていたのだ。その経験が活きて、小鈴は命を奪うことに対する忌避感が非常に薄いのであった。まさしく狩人ハンターである。いや、修験者か。


 そして、命を刈り取る事に忌避感を覚えない者がもう一人いた。


「ルーシー、小鈴、どいて」


 あざみの一言に反応して、小鈴とルーシーが素早く射線を開ける。それは普段からの集団生活による賜物か。ゴブリンまで一直線に開いた道をなぞるようにして拳大の石が高速で飛来する。


「グギャッ!」


 メジャーリーガーのピッチングもかくやと思わせる速度で飛んだ石はゴブリンの頭をぶち抜いて一体を光の粒子へと帰す。その光が収まった場所には黒いカードのような物が落ちていた。


(見事な連携だったな。この辺は普段からの集団生活が功を奏したのだろう。……プラス三点と)


「む。胴体を狙ったのに外れた? 案外ムズイかも」


「ちょっとそれ、今度はこっちに飛んでくるんじゃないよな!?」


 あざみがぼそりと呟いた声に反応し、背筋にぞっとしたものが走るルーシーである。そして、それに脅威を覚えたのは敵も一緒であったらしい。一体が倒れて動きが鈍ったところを小鈴は見逃さない。


「はーい! 隙ありってねー!」


 ピッケルを水平に振って呆けていたゴブリンの肋骨に突き刺すと、そのまま力任せにぶん回してダンジョンの壁面へと叩き付ける。その際にゴブリンは打ち所が悪かったのか、あっという間に光の粒子となって消えてしまった。


 その力の強さに思わず柴田も唸る。


(うぅむ、女子にしては凄い力だな……。しかし、相手の動きが鈍ったところを見逃さなかったのは見事だ。……プラス三点と)


 柴田は皆の行動を観察しながら、評価を加えていく。今のところ高評価なのがあざみと小鈴で、可もなく不可もなくがルーシー、黒岩は若干の減点といった感じだ。大竹丸は論外である。


 さて、その論外。皆が戦っている最中に何をしているのかと思えば……居た。戦場を散歩するが如く、涼しい顔で黒岩のすぐ隣に立つ。


(まさか、黒岩を助けるつもりか?)


 だとしたら自分の出番はないかと思った柴田であったが――違った。大竹丸は黒岩の隣に立つと世間話をするような気楽さで会話を始める。


「のう、クロさんや? お前、アレじゃぞ? 盾役のくせに妾の小鈴を守れずに傷ひとつでも付けてみい……どうなるか分かっとるんじゃろな? あぁん?」


 大竹丸から理解不能な程の殺気が迸る。


 その瞬間、確かにダンジョン内の全員がはっと息を飲み、全員の時が凍りついていた。柴田でさえも思わずペンを取り落としてしまったほどだ。


 そんな生命の危機を感じさせるほどの殺気を放った大竹丸は、まるで何事もなかったかのように柔和な笑みを浮かべるとポンポンと黒岩の肩を叩く。


「期待しとるからな♪」


「う……、うわぁぁぁぁーーーっ!」


 次の瞬間――。


 黒岩は弾かれたように動き出し、圧倒的な手数と膂力で以てゴブリンを攻め立てる。ゴブリンもそんな黒岩を射殺すような視線で睨み返すが、そんなものは先程経験してしまった濃密な殺気に比べれば児戯にも等しいことだろう。黒岩は一切怯みを見せずにゴブリンを盾で押し込み、刃の潰れた剣で叩いて叩いて叩き続けた。


「グギャァ……」


 やがて悲鳴にも似た哀れな声を出してゴブリンが光の粒子になると黒岩は地面に落ちる冒険者カードを一瞥することもなく小鈴を狙っているゴブリンの目の前に立ち塞がる。


「え? クロさん? 私なら大丈夫なんだけど?」


「大丈夫でも何でも良いから守らせて下さい! 頼みますから! お願いしますから!」


「そ、そこまでへりくだらなくても……」


 まさに命乞いとばかりに涙ながらに語る黒岩。彼は何かが吹っ切れたのかゴブリンに怯むことなく、その勢いのままに切れない剣でタコ殴り。ゴブリンはあっという間に光の粒子へと変わっていた。


(へぇ。なんだかんだと追い込まれた時の爆発力は目を見張るものがあるな。プラス十と……)


 柴田はそんな採点を下す。


 そして残るはルーシーが相手取るゴブリンだけなのだが……。


「えいや!」


「ギャギャ!?」


「そりゃ!」


「ギャギャギャ!?」


 ゴブリンの懐に跳び込まずに、腕や脚といった身体に遠い部位をしつこく斬り続けている為、安全ではあるが致命傷には程遠い状態であった。それを見て、泥仕合になると感じたあざみが地面に落ちている石を拾って、山なりの軌道でゴブリンの頭部に投げ付ける。軽い音を残して飛んだ石はルーシーを警戒するあまり、周囲が見えていなかったゴブリンの後頭部に直撃する。『アホ』のゴブリンはそれだけで背後を振り向き、隙だらけの後ろ姿をルーシーの前に晒していた。


「ナイス、あざみ!」


「あとでアイス奢って」


 ルーシーはゴブリンの隙だらけの背中に持っていたナイフを思い切り突き立てると、その感触が気持ち悪かったのか思わず手を離してしまう。


「うげっ、何、この感触……」


「ルーシーちゃん、まだゴブリンは光になってないよ!」


「わ、分かってるって!」


 ルーシーはそのままゴブリンの背に刺さっていたナイフの柄に蹴り。ナイフの刃が深々と突き刺さり、ゴブリンはその生を終えたのか光の粒子となって、その場から姿を消していた。


「ふー、何とか勝てた……。勝てたけど……」


 手に残る感触が気持ち悪くてルーシーはバタバタと手を振っている。返り血を浴びたつもりはなかったのだが、なんだか無性に手が汚れてしまったように思えて手を洗いたくなったようだ。


「こ、これで見逃してくれるんですよね……?」


「さてのう? それはこれからの態度次第じゃないかのう?」


「が、頑張りますんで! どうか命だけは! 命だけは!」


 ルーシーが手の汚れを気にしている間に洞窟の一角では大竹丸と黒岩の間でそんな会話が繰り広げられていたらしい。その様子は何やら聞いちゃ駄目な取引現場に遭遇したかのような怪しさで満載だったという。

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