第30話 鬼、相手に向かってピースをす。
★
松阪ダンジョン???階層――。
「あら……」
紫煙が身動ぎをしたように蠢き、
「どうした?」
「こっちが見ていることに気付かれたみたい」
「ほう、それは……」
興味が出たのか、男はソファーから立ち上がり、女が覗く水晶球へと顔を近付ける。その水晶球からは淡い光が漏れており、ダンジョン内の様子をつぶさに観察することが出来た。
「なるほど。こっちを見ているな」
監視の視線位置を変えても追随するように、その水晶球の中の人物はこちらをずっと見続けてくる。監視位置を細かく変えた為、周囲の人間にはキョロキョロとしているようにしか見えなかっただろうが、その人物は確実にこちらの監視に気付いているようであった。
「素晴らしい」
「何か気味が悪いわ……」
二人の感想は交わることはなかったが、その人物がただ者ではないということに関しては意見の一致をみたようだ。男は双眸を細め、この者が今何処にいるのかを確認する。
「この感じであれば、今日中には三階層ぐらいにまでは辿り着くか……」
「良く分かるわね。迎えに行くの?」
女の問いに男は軽い調子で首肯する。
「いつもと同じさ。他の地に討って出るのであれば兵がいるからな」
「でも、彼女はいつもと何かが違うわ……。私、嫌な予感がするのよ……。ねぇ、今回は見送らない?」
「いや、お前がそこまで言う相手なら益々欲しいな。心配するな。俺は強いし、周りには優秀な兵もいる。それに……」
男は濡れる瞳を見せる女の言葉を遮るように、彼女の唇を自分の唇で塞ぐ。二人は互いに求めるように貪り合い、次の瞬間には別れを惜しむように二人の唇の間を銀糸が繋ぐ。
「お前という勝利の女神がいれば負けはしないさ」
「もう……」
女は頬を染め、男は整った顔に自信に満ちた笑みを浮かべる。
そして、水晶球の奥ではそんな光景を見透したかのように
★
「じゃあ、臭いの方に行ってみたい人……」
黒岩の声に合わせて手を上げたのは小鈴とルーシーだ。この二人は人命救助派ということらしい。
「じゃあ、行きたくない人……」
元気のない黒岩の声に手を上げたのは黒岩とあざみだ。この二人はわざわざ危険に関わりたくないタイプなのだろう。そもそも今回の試験では時間制限付きの移動が求められている。わざわざ
だがこうなると困ったことに多数決では結論が出ないことになってしまう。
「って、ちょっと待って!」
小鈴の一言に思わず皆が何事かと顔を向ける中、小鈴は困った顔をしながら指先を、何もない空間に向けてピースをしまくる大竹丸に向けていた。どうやら、彼女は多数決に手を上げていなかったようだ。どうりで五人パーティーなのに同数票となってしまうわけである。
「ちょっとタケちゃん!」
「んん!? おお、小鈴もピースするか? 今はこっちの方じゃぞ!」
「そうじゃなくて! 話聞いてた!?」
「無論、全く聞いておらん!」
「なんでそんなに偉そうなの!?」
仕方ないのでかくかくしかじかと小鈴が説明をすれば、大竹丸は鷹揚に頷いてすぐに結論を出す。
「そんなの当然行くに決まっておる! というか行かないは無いぞ!」
大竹丸の言葉に「ほう」と思わず柴田は声を漏らしてしまう。それだけ意外だったということなのだろう。
「助かる命があるなら助ければ良いじゃろうし、もしモンスターじゃとしても訓練にもなるし、DPも手に入る! あと、なによりも冒険者カードが必要じゃろ? さっさと手に入れることで戦略の幅が広がるのじゃ!」
「DPが使えるようになるってこと?」
「その通り!」
班員たちはあまり納得がいかないようだが、柴田は『なるほどな』と思う。
冒険者カードを得ることで探索者はDPショッピングが可能となるのだが、そこで売られているものにダンジョン攻略のヒントがあるのだ。大竹丸が知っているかどうかは分からないが、10DPで買える【白紙の地図】という商品がそれである。自衛官や慣れた探索者などはまず10DPを貯めて即座にこれを買うほどの便利な
ちなみに何が便利なのかと言うと、この地図を買うと白紙が出現し、それを手に取ることで自分のダンジョン内での現在位置がマーカーとして浮かび上がるのである。それがあれば自分がダンジョンのどの位置にいるのかの把握も簡単だし、今後の順路の選定も楽になるのだ。大竹丸がそこまで考えて発言したかまでは分からないが、悪くない判断だと柴田は思う。
(三点ぐらい加点しておいてやろう……)
問題は地図に気付くかどうかだが、一流の探索者の動画をあらかじめ予習といった形で見ていれば気付くことも出来るだろう。そこは此処に来るまでの積み重ねがものを言うところだ。
「じゃ、じゃあ、行くってことで良いんだね……?」
どこか不安そうな黒岩に対して小鈴は力強く頷く。
「うん。クロさん、行こう」
隊列は黒岩を先頭にして、その隣に光源を持つ小鈴。その後ろに中盤からの飛び出しを考慮してルーシー。一番後列にはその辺の石を拾って携帯したあざみと頭の後ろで腕を組む大竹丸が続く。柴田はその後に続く。そろりそろりと先頭の黒岩は歩いているようだが……。
(緊張し過ぎだ。そんな事だと後半でバテるぞ。あと、光源のせいで音を立てんでも近付けば敵にバレる。堂々と歩いて進めば良いんだ。……減点、二と)
一方の小鈴は堂々たる立ち居振舞いであった。明かりを掲げ、先を見通そうとする。そもそも小鈴は一度此処よりも高難易度のダンジョンに入ったことがある。そして、とんでもない敵との戦いを間近で見ていた。それに比べたらゴブリンなどというF級モンスターに恐れを抱くはずもない。
足音を立てずに進むこと五分。むわりと噎せ返るような濃い血の臭いを嗅いで全員が顔をしかめる。どうやら現場は近いようだ。
「T字路、だ……」
黒岩が言うように光の届く先にT字路が見えた。そして、その右側の壁に小さな黒い染みのようなものが付着しているのが見えた。恐らくこの血臭の原因が通路右奥側にいるのだろう。
「左側は私が確認する。クロさんと小鈴は右側を頼むよ」
どこか固い表情で告げるルーシーに対して、黒岩と小鈴の二人は頷く。
「分かった。それじゃ三秒後に行こう……」
黒岩がハンドサインで三本の指を立てる。それを見てルーシーがごくりと喉を鳴らし、あざみが固い表情のままに投石器に石を設置する。そして指の数が徐々に減っていく。三本、二本、一本……
意を決して小鈴と黒岩が右側に飛び込み、左側にはルーシーが飛び込む。そして結果はすぐに出る。
「左側! こっちには何もいない! 外れだ!」
「み、右にゴブリン、ご、五体……っ! ひぃっ!」
黒岩は報告しながらもみっともない声を漏らしていた。とはいえ、悲鳴をあげたいのは小鈴も同じであった。現場は凄惨の一言。ゴブリン五体がゴブリン一体を惨殺し、それをカニバリズムを行うが如く食していたのだ。そんな光景を目の前にしたら、大の大人でも情けない悲鳴が出ようというものだ。
食事を邪魔されたゴブリンたちは怒ったのか、それとも更に食料が来たと喜んだのか、とにかく興奮した様子で手に手に武器を取り、害意ある眼差しを黒岩と小鈴に向ける。
「ひぃっ」
その視線だけで黒岩の脳裏に一瞬で様々なことが甦る。中学の頃に言われなき誹謗中傷を受け虐められていたこと、担任の先生に相談しても覚めた目で自分に非があるのだと諭されたこと、教師に話したことで虐めがエスカレートし、敵意ある視線を向けられるようになったこと、家に引きこもるようになって両親は一定の理解をしてくれたが哀れむような視線、非難するような視線でいつも自分を見てくること、ダンジョンが出来てもう一度やり直そうと決心したこと……。なのにまた害意ある視線を前にして黒岩の足は竦んでしまった――。
(――なんで!? なんでだよ! やり直すんだろ! 彼女たちを守るんだろ! なのに、なんで!? なんでだよ!? 畜生、僕って奴は……!)
膝を叩くが黒岩の膝は壊れてしまったかのようにガクガクと震えるのみだ。腰もいつの間にかへっぴり腰になっている。
「クロさん、前に出るね!」
そんな黒岩を差し置いて小鈴が前に出る。彼女の背をまるで風が押すように、一陣の疾風となりながら小鈴は大上段にピッケルを構え、それを型も何もなく思い切り振り下ろす。先頭のゴブリンもそれに気が付いて棍棒を横に構えて防ごうとするが風を巻いた小鈴のピッケルは止まらない。そのまま膂力で押し切り、ゴブリンの眼窩にその鋭い先端を突き刺す。
「ギョワワワーーー!?」
言語とも言えない叫び声を上げ、先頭のゴブリンは片目を押さえてその場に倒れ込もうとするが、小鈴はそれを許さない。
「邪魔! あっち行け!」
体重の乗った前蹴りがゴブリンに鋭く直撃し、こちらに向かおうとしていたゴブリン三体を巻き込んでボーリングのピンのように吹き飛ぶ。これは小鈴一人でも楽勝かと思われた次の瞬間――。
「ギャギャギョギゲー!」
被害を逃れた一体が雄叫びを上げながら黒岩に迫る。
「クロさん!」
小鈴の悲鳴に似た叫びを受けながら黒岩は泣きそうな顔でゴブリンを迎え撃つのであった。
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