第25話 鬼、一次探索者資格試験を受けんとす。④

「お、驚いたな……」


「えぇ……」


 顎が地面に落ちそうなほど大口を開け、目の玉が飛び出そうなほど目を見開いていた成田と甲斐は、未だに目の前で起きたことが信じられないのか、目を何度もしばたかせる。


「彼女はフ○ッシュなのか?」


「むしろ長時間露光では?」


 某アメコミヒーローと写真の取り方。どちらも全く違うはずなのだが、彼らが見たものは全く同じものであった。


 いや、正確にははっきりと確認出来てはいない。距離があったのにも関わらず、その超スピード故に姿を捉えられなかったのだ。それだけ標的の動きが人外めいていたということなのだろうが……。


「ようやく、太田一佐の言っていた意味が分かった。これが見せたかったのか……」


「世界最高レベルが云々って奴ですね……。というか、ダンジョンでもないのにあんなレベルで動ける人がいるんですか……」


「人……。人、じゃないのかもしれない……」


 甲斐は驚き、思わず成田の顔を見てしまう。彼は決して冗談を言っている様子はなく、あくまで真剣そのものの様子だ。


「あんな速度で動く人間がいてたまるものか……」


「でも良かったですよ。彼女が探索者を目指してくれて。あれがモンスターとして襲い掛かってくると考えたらぞっとしません」


「もし、仮に彼女と戦うとして……勝てると思うか?」


 一瞬の間が空く。甲斐は東部ダン攻一課のエースとして真剣に脳内会議シミュレーションしているようだ。


ちょくで戦うなら無理ですよ。作戦立案ありきならやれると思いますけど……。そういうのは成田一佐の仕事ですよね?」


 暗に、『お前が何とかしろ』と放り投げられた形だ。成田はそりゃそうだとばかりに後頭部を掻く。


「一応、これからダンジョンを潜っていくに連れて、ああいう手合いもいると仮定して作戦を考えるとしよう。ふぅ……。俺はもう帰るが、甲斐二尉キミはどうする?」


「最後まで見ていかないんですか?」


 てっきり最後まで見ていくものだと思っていた甲斐は驚いた表情だ。


「あれを見ていると自分の中の常識が狂って調子を崩しそうだ。ダンジョンに潜るのに普段の力が出せなければ致命傷になりかねん。俺は死にたくないんでね。帰るよ」


「そうですか。私は最後まで見ていきます」


「その心は?」


 調子を落とす危険を伴ってまで甲斐が残る選択をした理由が気になり、成田は思わず尋ねる。


「だって気になるじゃないですか。世界最高峰の力と自分がどれくらい差があるか」


「甲斐二尉、それは……」


 目指しているのか? 彼女も強さの頂きというものを……。


 成田はそれを指摘しようとして止めた。エースと呼ばれる人間が強さを追い求めなくてどうするというのか。わざわざ向上心を薄める言葉は必要ないだろう。


「まぁ、頑張れ。応援はしているぞ」


「はい!」


 笑顔で応える甲斐。こう見れば年相応の可愛い女性ではあるのだが、その戦いぶりは鬼神や悪鬼と呼ばれる苛烈ぶりである。


(そうやって笑っていれば可愛いのにな)


 声には出さず、成田は後ろ手を振りつつその場を去る。そうやって気楽な姿を見せながらも、一部の探索者を交えながら自衛隊として活動するにはどうしたら良いのかと成田は本気で考え始めていた。


 ★


「こぉぉぉぉ――――……」


 鼻で息を吸い、長く長く口で呼気を吐き出す。


 龍道館空手で『龍呼』と呼ばれる精神統一の技である。三戦さんちん立ちのまま、両腕を丹田の前で交差するように回した渡辺巌はカッと目を見開くなり、右足を真っ直ぐ前へと踏み出し、前屈立ちの姿勢になりながら右腕を一閃した。


「せいぁっ!」


 突く手も見せぬ早業がサンドバッグにも似た布張りの柱に衝突する。柱が衝撃に揺れ、様子を見ていた探索者志望者たちも思わず「おぉ~」と感嘆の息を漏らす程だ。ほどなくしてサンドバッグの揺れが収まり、その頂点に設置されていた電光掲示板に数値が刻まれる。


 その値は231pt。


 ここまでで最大の値であった。


「すっげー……。三重の星が話にならねぇわ」


「稲垣君のキックで百八十だったのにおかしくない?」


「誰だよ、渡辺がロートルとか言った奴……。まだまだ全然現役じゃん……」


 人々が口々に噂をする中、当の渡辺本人は心の中で少しだけほっとしていた。未知の機械が相手とはいえ、攻撃力測定にてあまりに低い数値を出してしまうと見栄えが悪いからだ。特に渡辺は道場を持つ身でもあるため、そういった噂は営業面でも打撃となってしまう。そういう意味で言えば、今回の成績は満点といって良いだろう。


「お、なんじゃ。面白いものがあるぞ! 小鈴、見てみろ変則サンドバッグじゃ!」


 渡辺がゆっくりとその場を辞そうとしたところで、鈴を転がしたような耳に心地好い声が届く。どうやら渡辺が精神統一に時間を掛けたせいで次の測定グループが来てしまったらしい。


「なんじゃ、これ殴るのか? 殴っていいのかのう?」


「あぁ、すまない。今、退くよ」


 ちらりちらりと渡辺を見ながら、そんな事を言ってくるので彼は気を利かせてその場を離れる。ちなみに彼の測定グループの中では彼が最後だったので、次にこの測定器を使うのは次のグループの人間となるはずであった。


「なんじゃ、気を使わせたみたいで悪いのう! 呵々っ!」


 やたらと古めかしい言葉で喋る少女は不恰好な眼鏡とは正反対の整った口元だけで笑うと何が面白いのかバンバンと加圧式攻撃力測定器サンドバッグを無造作に叩く。


「いや、気にしないでく――」


 327pt――。

 

 293pt――。


 319pt――。


 加圧式攻撃力測定器の上部に付けられた電光掲示板の文字が目まぐるしく移り変わる。そして、それは最悪なことに全ての数字が渡辺の数字よりも上回っていたということだ。


「あれ、あの子、凄くない?」


「いやいや、流石に機械の故障だろ?」


「むしろ軽く打った方が記録が出るとか?」


 ざわざわと波紋が広がっていく。そんな中で少女は恐ろしいことを言う。


「のう、係員のお姉ちゃんよ?」


「……測定員です。何でしょう?」


「この変な機械どれぐらいまで測れるんじゃ?」


 少女が言う変な機械の外観は確かに変だ。見た目は床に立つサンドバッグ。だが上部に鎖の固定器具はなく、その代わりに下部の床の接地面が広かったのだ。これは衝撃を逃しにくい代わりに下段の攻撃でもきっちりと衝撃を計測するという意図がある。ちなみに皮張りのサンドバッグの奥には衝撃を計測するために最新の測定器が備えられていた。これを蹴ったり、殴ったりすることで攻撃力を計測するわけだが、無論、測定出来る上限値というものは存在する。


「一応、一千ポイントまでは測定出来ると聞いています」


「そうか。――ほれ」


 ズドンッ!


 少女の放った裏拳にサンドバッグが激しく揺れ、床に広がっていた固定器具からびしびしっといったネジがはち切れそうな悲鳴が響く。そして、上部の電光掲示板に表示されたのは……。


 1000pt――。


「妾の記録はこれで良いぞ」


「え? あ? え?」


「さて戻るかのう」


 混乱する測定員を後にしてふらりと小鈴たちの元に戻ろうとするところを、巨大な影に塞がれる。


 それは真剣な顔をした渡辺巌であった。


「……なんじゃ?」


「一手、お手合わせ願いたい」


「ふむ。……こういうのは有りなのかのう? 係員のお姉ちゃんよ?」


「測定員です! 今は資格試験中ですので止めて下さい! どうしてもやるというのであれば、失格にすることもやむを得ません! ……何で? どうして? 人間の攻撃じゃ絶対に上限値まではいくことはないだろうって言っていたのに……」


 後半はぶつぶつと呟くようにして喋る測定員。そんな彼女は無視して少女は肩を竦める。


「……だそうじゃ」


「仕方ない。ならば、資格試験が終わったならば、俺の道場に来てくれないだろうか。そこでろうではないか」


「嫌じゃ」


「な、なにっ」


「妾は帰りがけに小鈴たちと美味しいパンケーキを食べる約束をしているのじゃ! その予定をキャンセルしてまで、むさ苦しい男とド突き合いなんぞしたくないわい!」


「むむ……!」


 確かに自分も同じ立場であったのなら、即刻拒否してしまうかもしれないと一瞬脳裏によぎる渡辺である。


「どうしても、やりあいたいというのならば、妾のところまで来い。案内は田村宏という奴にでも頼めば良かろう」


「田村宏だな。分かった」


 小鈴の父に余計な仕事が増えた瞬間であった。それを原因にまた深酒をする宏なのだが、一杯で潰れる彼にとってはむしろ健康的であったとかなんとか。まさに禍福は糾える縄の如しである。

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