第12話 鬼、魔神王と雌雄を決す。

(何だ、コイツは……。気配が先程までと違う……。いや、それよりもコイツはいつ立ち上がったのだ? この我に気配すら感じさせぬとは……)


 そこにいるはずなのにいないような……そんな不思議な気配を漂わせる大竹丸を前にして、ベリアルは言い様の無い不安のようなものを覚えていた。


 だが彼は即座にその思いを振り払う。自分にも気取けどられることなく早く動いたというのであれば、自分もそれに対応すれば良いと考えたからだ。


 神通力は様々な用途に使える力だ。


 大竹丸で言えば、刀を作り出したり、分身を作り出したり、風や雲や雷までをも操ったりと、使用用途は多岐に及ぶ。


 そしてその神通力は個人の資質により総量に差がある代物であった。


 大竹丸はそんな神通力の総量をより多くする為、幼子の時から身体を神通力が溜まり易い性質に徐々に作り替えていった。だからこそ人の身であれど化け物の如き神通力を操ることが出来るのである。そもそも彼女の成長が遅いのも原因は肉体改造そこにあるのだが……それは今は良いだろう。


 問題はベリアル自身が堕天使という存在であり、大竹丸が長年に渡って改造を施してきた肉体よりも生まれつき多くの神通力を保有出来るという点にある。


 例えば、通常の人間が操作出来る神通力が十ぐらいであったとしよう。それに対して、大竹丸は一万ぐらいを平気で扱える。たが、ベリアルは生まれながらにして一万二千を扱える身体なのだ。


 そして、その膨大な神通力のバランスを調整することで、ベリアルは大竹丸が如何に早く動こうとしても対応出来ると踏んでいたのである。


 実際、先程大竹丸を圧倒したのもそこにカラクリがある。


 膂力を重視していた神通力の配分をより速度が出る割り振りへと。その結果、ベリアルの膂力は落ちたが速度が劇的に上がり、大竹丸はベリアルの速度についてこられずに砂の上に倒れることになったのだが……。


(今度はコイツが速度重視に切り替えたということか……ぬ?)


 ベリアルが大竹丸を睥睨する中、ぎらりと輝く光が大竹丸の後背より浮かび上がるのが見えた。


 それは一本の刀だ。


 大通連でもない、小通連でもない、三明さんみょうつるぎの最後の一本、顕明連けんみょうれんである。


 それが仕掛けも何もなく、大竹丸の背後からゆらりと浮かび上がる姿は彼女自身の変貌と相まってどこか不気味なものがある。


(いや、何かが背にあるぞ……。なんだあれは? 巨大な腕……?)


 ベリアルが意識を集中させた瞬間、それはハッキリと知覚出来るようになった。


 美しく、すらりと細い彼女の腕とはまるで真逆の、太く毛だらけの鬼の腕が大竹丸の背から生えている。


 それは実体ではないのだろう。


 その証拠にベリアルも意識をしていなければ見えなくなってしまうほどにかすかな存在感しか所持していない。


 だからこそ逆にベリアルは恐ろしいと感じていた。あんな巨大な腕をにしか知覚させないということこそ、目の前の少女が凄腕であるという証左なのだから。


「油断、慢心……? いずれにせよ、妾が守りたいと思っていた者に不安と恐怖を覚えさせ、あまつさえ傷を負わせてしまうとは……妾は、妾自身を心底不甲斐なく思う……」


 大竹丸が砂の上に突き刺さった小通連をずるりと引き抜く。


 ギョとしながら、大竹丸の姿を慌てて視界に捉え直すベリアル。


 彼女は五十メートル程の距離を一瞬で移動してみせていた。その動きは速度重視に神通力の割り振りを変えたはずのベリアルにも見切れないほどの早さだったのだ。


(どういうことだ! 我は確実にあの小娘を視界に収めていたはずだぞ!? それが何故一瞬姿を見失った!?)


 大竹丸が移動した瞬間がまるで見えなかった。


 それだけ大竹丸の動きが早いということなのか。


 ベリアルは警戒心を更に高めるが、そんな中を大竹丸は何気ない動作で光を右手に集めて大通連を作り出す。


 かくして、右手に大通連、左手に小通連、背の手に顕明連と三明の剣が揃う。


「ちぃ……」


 その姿を見て、ベリアルも応じるように瘴気の左腕を作り出す。その腕は先程作り出した靄のような不安定さはなく、よりしっかりとした存在感を放っている。ベリアルも大竹丸との戦いの中で神通力の操作に慣れたということなのだろう。


 当たった瞬間、物が腐り落ちそうな文字通りの雰囲気を纏う左腕を背の後ろに隠すようにしてベリアルは半身で構えを取る。


 今まで構えらしき構えを取ってこなかったベリアルが初めて構えを取った瞬間である。


 それだけ大竹丸を警戒しているということだろう。


 大竹丸も三明の剣をそれぞれに構え、ゆっくりとベリアルに向かって歩みを進める。


「不甲斐なさ過ぎて吐きそうじゃ。故に、此処からは全力でいく……。すまぬが呆気のない幕切れになるじゃろう。じゃが気を落とすでないぞ……。御主は強い。じゃからこそ、妾も本気を出すのじゃからな……。後は小鈴に手を出した罪じゃ……。いっぺん死んでこい……」


「全力でいく? まさか今まで全力でなかったとでも?」


「……そうじゃ」


 気負いも何もなく大竹丸はただ自然にベリアルに近付き刀を振るう。その動作は美しくも怪しく、まるで舞いを舞うかのように華麗で優雅だ。


「大嶽流奥伝、幽玄――」


 その斬撃は決して早くはなく、ベリアルに取って大したものではないように見えた。ただ三本もある刀の軌道が複雑であり、捌くには厄介だという思いを抱く。


 大上段、袈裟斬り、逆胴がそれぞれ絶妙に時間をずらして襲い掛かってくるが、ベリアルにとっては遅すぎる攻撃だ。


 右腕一本で全てを弾き返し、瘴気の左腕で大竹丸の心臓を抉り取ってやろうと考える。


 まずは大上段。筋肉を高質化した、鎧の如き腕で顕明連を弾こうとし――……その刃がベリアルの右角を斬り裂き、顔の右半分に大きな刀傷を負わせる。血が派手に渋き、ベリアルは防御の為に上げていた右腕を思わず傷口を塞ぐようにして顔の半分を覆う。


「ぐぉあぁぁぁ!? 何だ! 何が起こった!?」


 理解不能な現象におののきながらもベリアルは一体何が起きたのかを考える。ベリアルが防御の為に出した右腕は確実に大竹丸の刀の軌道を塞ぐ位置にあったはずだ。なのに、大竹丸の刀は何の妨害も受けなかったかのように、ベリアルの頭に斬撃を当ててきた。


(刀が腕をすり抜けたのか……! くそっ、油断したか……! ならば、次の一撃は……!)


 大竹丸の袈裟斬りを大きく後方に跳んで躱そうとするベリアルだが、砂を蹴立てて着地した瞬間、右腕が何の前触れも無くあっさりと斬り飛ばされる。


「がぁぁぁっ!? 我が、我が右腕がぁ! な、何故だぁぁぁっ!」


 血潮が飛沫となってベリアルの視界を隠す中、大通連を振り切った状態の大竹丸がいるのが見えた。


 底冷えのする光を湛えた大竹丸の瞳は獲物を前にした狩人ハンターよりも冷静で、ベリアルはその瞳に心臓を鷲掴みにされたかのような恐怖を覚える。


 そして、大竹丸は逆手に持った小通連を動揺するベリアルの右脇に深々と食い込ませていた。肋骨を抜けて走った刃はベリアルの主要な臓器を大きく傷付け、彼は大量の血を吐血する。だがそれこそが彼の狙い目でもあった。


「!?」


「か、掛かったな……。これなら避けようがあるまい……! クククッ最後に勝つのはこの我だぁぁぁッ!」


 ベリアルの筋肉という筋肉が膨張し、肉に食い込んでいた刀が全て動きを止める。一瞬の出来事に大竹丸も刀を手放すという判断が下せぬままにベリアルの左腕が放たれる。


 触れただけでも全てが腐って落ちる瘴気の左腕――。


 それが大竹丸の心臓目掛けて一直線に走り、大竹丸の胸に風穴が開こうかという瞬間になって――、大竹丸は左手に持っていた小通連でベリアルの左腕を弾き飛ばしていた。


「何だ? 何故、その刀がそこにある? その刀は我の体に挟まって動けないはずでは……?」


 それに対する答えではないだろうが、ひらりひらりと舞う桜のように華麗な剣舞がベリアルを襲う。


 どんなに距離を開けようとも、どんなに避けようとも必ずあたる刀。そして、絶対に防げないタイミングで攻撃しているのにも関わらず、必ず防いでしまう刀――。


「これにて終幕じゃ。強かったぞ、御主は」


 ――ゆるりと剣舞が止んだ時、そこには赤い砂よりも更に濃く咲く大輪の血の華があった。その華に抱かれたベリアルは重い音と共に膝から大地に沈み込むのであった。

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