第11話 鬼、魔神王と相対す。⑤

 刃物を握り締め、それを前面に――。


 本来なら相手を脅し、自分が優位な立場を作る行為だというのに、どうしてこんなにも心許こころもとないのだろうかと小鈴は考える。


ぴょうっ!」


 一歩を歩く度にジャリと鳴る砂の音が耳にさわる。


 九字印を切っているにも関わらず、心がざわめくのはそれだけ緊張しているからだろう。右手に大竹丸から受け取った小通連を構え、左手で印を切りながら小鈴は荒くなる気息を何とか整えようとしていた。


とうっ!」


「……何のつもりだ? 小娘?」


 ベリアルの意識がついと小鈴に向く。


 それだけで小鈴は心臓が止まってしまう思いであった。


 ――分かっている。これは自殺行為だ。


 大竹丸という鬼とベリアルという悪魔の激しい戦いの中へ小鈴が介入する余地は微塵も無い。


 そんなことは誰よりも良く理解している。


 それでも、小鈴は止まってしまいそうになる心臓を無理矢理動かし続けて九字印の続きを切る。


しゃぁ!」


 小鈴が大竹丸の世話係に決まったのは小学校の低学年の頃だ。


 里長でもある父親に連れられて大竹丸に会いに行ったのが最初の出会いであった。その時の第一印象としては『とても綺麗なお姉さん』――であったのだが、付き合っていく内にその印象は怠惰でだらしのない姉へと何故か変わっていった。


 小鈴は今でこそ大竹丸の世話係を率先してやっているのだが、最初の頃は大竹丸の世話をするのが嫌で嫌で仕方がなかった。


 何せ小学校低学年などは遊びたい盛りであるし、周りの子供は誰も他人の世話などを焼いていないのもあって、自分の行動に疑問を持っていたのだ。


 それでも小鈴は叱られるのが嫌だったので、嫌々ながらも御世話をし続ける日々を過ごしていた。


 転機が訪れたのは世話係となって半年ぐらいの頃だろうか。


 その日、大竹丸の元に小鈴でさえもテレビで見たことのある大物の政治家が山道を登って現れたのだ。


 小鈴は『わ~、この人見たことある~!』と驚くばかりであったが、その政治家は大竹丸にすがるようにして何やら懇願し始めたのである。そして、小鈴には理解が出来ない駆け引きの末、その政治家は大竹丸から小通連を借り受けて頭を何度も下げながら帰っていったのであった。


 その時、小鈴の中で『もしかして大竹丸は凄い人なのでは?』という思いが芽生える。


 自分が仕えている人が凄い人だと思えば、その世話を焼くことも苦痛ではなくなり、やがて小鈴の中では密かな自慢へと変貌していくのであった。


 年頃の子供は誰しもが自分が特別であることを願うものだ。そんな中で特別な存在に仕えることが出来ている自分が特別な存在であると錯覚するのは極自然なことであったのかもしれない。


 やがて、小鈴の献身ぶりに感謝した大竹丸は小鈴に簡単な神通力を教えていく。それもまた小鈴の信仰心を育てる一助となったことだろう。


かいっ!」


 ――田村って付き合い悪いよね~?


 そう言われたのは中学校の頃であろうか。


 小鈴は大竹丸の存在を重視し過ぎるあまり、周りから浮いた存在となっていた。


 家があるのが、通う中学校よりかなり遠いことも、小鈴がどんな少女であるかを不明瞭にしていた要因であったのだろう。


 どんな人物か分からないというのは人と人の間に壁を作る。小鈴は別に苛められていたわけではないが、クラスからは確実に浮いた存在となっていた。


 だが、小鈴は平気であった。何故なら彼女には大竹丸という存在があったからだ。


 だから、誰が何を言おうとも気にはならなかったのである――。


ぢんっ!」


『駄目じゃぞ、小鈴。お友達とは仲良くせんと』


 ――だが、大竹丸にはそうたしなめられた。そして、自分の世話は良いから周囲と仲良くして欲しいと笑顔で言われたのだ。


 正直、小鈴はそんな言葉を受けて素直に頷けるものではなかった。


 自分はこんなに大竹丸の為に尽くしているのに、何故彼女はそんなことを言うのかと憤ってもいた。


 けれども、大竹丸が自分の為を思って言ってくれているのだという気持ちは伝わってきていた。


 まるで親のような慈愛だ。


 だから、小鈴は大竹丸のことを信じて、少しだけクラスメイトに心を開くことにした。


れつ!」


 心を開いた効果は劇的であった。


 元々、大竹丸の世話をしていた分、他人に対して細やかな気配りが出来る性格で、修験道の修行により運動神経は抜群。そして、今までは愛想のない態度であったのが笑顔で対応するとあって、すぐに小鈴の評価はクラス内で……いや、学校中で書き変わっていった。


 そして、小鈴自身も変わりゆく環境の中で自身の狭量さを恥じ、大竹丸一筋から変わっていく事となる。


ざいぜん……!」


(これが走馬灯、かな……)


 小鈴は短い人生を思い返しながら、それでも歩みを止めなかった。手が震え、刀を持つ切っ先がガタガタと大きく揺れていた。嗚呼、ここで引き返せたらどんなに楽なことかと何度も考える。だけど、それをしたが最後、待っているのは暗い未来だ。


 小鈴の失敗を豪快に笑い飛ばしてくれる大竹丸の顔が――。


 ゲームにムキになって怒る大竹丸の顔が――。


 応援球団が負けて沈み込む大竹丸の顔が――。


 修行を見守ってくれている厳格な大竹丸の顔が――。


 小鈴を諭してくれる優しい大竹丸の顔が――。


 ――もう見れなくなってしまう。


 それは自分が傷付くことよりも自分が痛い思いををすることよりも何よりも悲しいことで……小鈴はそれを思うだけで涙がポロポロと溢れてくるのだ。今も視界が歪むほどの涙が溜まっている。暗澹たる未来を案じ、心が泣いているのだ。


「タケちゃんを……、タケちゃんを虐めるなぁぁぁぁーーーーっ! ウワァァァァァッーーーー!」


 小鈴の半生は大竹丸と共にあり、その喪失は看過出来ないものであった。その思いは悪魔に殺されるかもという恐怖よりも、きっと勝てないと思う絶望よりも、深い決意を彼女に与えていた。


 赤い砂の上を駆け、小鈴が小通連で斬りかかる。


「雑魚が――……逝ね」


 ぎぃん、とまるで鋼同士を打ち合わせたかのような異音が赤い砂の世界に響く。それに驚いたかのように悪魔たちは前進を止め、大竹丸たちはその音の中心に視線を送る。


 小鈴の素人丸出しの一撃はベリアルの蝿を払うような何気ない一撃によって弾き飛ばされ、小さな体がゴロゴロと砂地を転がっていった。砂埃が派手に立ち昇り、小鈴は砂の上に四肢を投げ出したまま、ピクリとも動かない。その様子を見ながらベリアルは納得がいかないようにしきりに首を傾げる。


「上半身を消し飛ばすつもりで払ったのだがな? 何故消し飛ばない? ……むっ!」


 そして、そんなベリアルとは遠くない位置に鋭い風切り音が響く。その風切り音はやがて重々しい音へと切り替わり、ひと振りの刀が砂の大地に突き刺さった。小鈴の身を守った小通連はその使命を全うしたが、繰り手である小鈴が衝撃に耐えられずにその手を離してしまったようだ。ベリアルは暫くその刀を警戒するかのように見つめた後で意識を小鈴に向ける。


「何も無いのか? まぁいい、不安因子は取り除くに限る……」


 大竹丸より意識を外し、ベリアルはゆっくりと倒れた小鈴に近寄ろうとする。一歩、二歩、三歩と歩いたところで、ベリアルは背筋にぞくりとしたものを覚えて慌てて振り返る。


「死んだぞ、御主……」


 そこには先程までの余裕も、小馬鹿にした態度も何もなく、ただただ幽鬼のように立つ大竹丸の姿があった――。

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