第10話 鬼、魔神王と相対す。④
「どうした、口数が減ったぞ? それにそちらが来ないのであれば、こちらから行くとしようか!」
ベリアルの翼膜が忙しげに空を打ち、その姿を加速させる。そのまま突っ込んできた彼はまるで太い槍のようである蹴りを打ち込んでくる。頭、胸、腹。避けにくい部分に的確に繰り出される高速の蹴りを上体を大きく振ることで素早く躱しながら、大竹丸は機を窺う。
「小賢しい!」
轟っとベリアルの右拳が飛ぶ。
あくまでも左は温存するつもりなのか、それともまだ馴染まないのか、使わないつもりのようだ。それならそれでと大竹丸はベリアルの右腕に絡めるようにしてカウンターのパンチをベリアルの顔面に叩き込む。
「ブッ!?」
ベリアルの均整の取れた鼻から鼻血が飛び散り、彼は目を白黒させて瞬きを繰り返す。
ベリアルは気付いていないのかもしれないが、力の強さではベリアルの方が上だが速度では大竹丸の方が若干上なのだ。彼女はするりとベリアルの背後に移動するなり、隙だらけの後頭部に蹴りを放つ。
「なぬっ!?」
だがその蹴りは紙一重で回避されてしまっていた。どうやらベリアルは危険を察知して翼を畳み、落ちるに任せたらしい。大竹丸が蹴りを空振るのを感覚的に掴み、翼を再度羽ばたかせて急上昇する。
ザクリ!
ベリアルの鋭い角が空振った大竹丸の腿を深く傷付け、大竹丸は悲鳴を上げそうになるのを歯を食い縛って耐え抜く。だが、そんな態度を嘲笑うかのようにベリアルはその場でとんぼ返りをし、大竹丸の背後に回りながら右肩を掴むと、その漆黒の左腕を大竹丸の頭に突きつけていた。
「ククク、所詮はこの程度よ! さらばだ!」
「くっ!」
大竹丸はベリアルの左腕を嫌がって暴れるが右肩を掴むジャージが伸びるだけで逃げられそうにない。ベリアルの拳が大竹丸の頭を焼き溶かそうとした瞬間、大竹丸は神通力を使ってジャージをノースリーブのものへと変更する。
「ぬぐっ!?」
右肩を押さえていた感触が急激に変わった為か、ベリアルが右手をつるりと滑らせる。
かつてこれほど、自分の肌がつるつるたまご肌で良かったことはあっただろうかと感謝しながら、大竹丸は身体を反転して一気にベリアルの懐へと潜り込む。
「だりゃッ!」
大竹丸の背後を漆黒の靄が通り抜けていく中、彼女はベリアルの鳩尾にショートアッパーを叩き込んでいた。
「がはっ!?」
ベリアルの甲殻のような腹筋が崩壊し、背中の筋肉にまで衝撃が突き抜ける。そのあまりの痛みにベリアルは思わず体をくの字に折って動きを止めていた。そこを見逃すほど大竹丸は甘くない。
「鬼の連撃をとくと見よ!」
正中線にある人体の急所を中心に、目にも止まらぬ早さで大竹丸の拳が乱れ飛ぶ。その一撃が決まる度にベリアルの体が衝撃に揺れ、彼は何とかダメージを減らそうと身体を丸めて凌ごうとする。
(くっ! これは押し切れぬか!)
ダメージは与えられるものの、致命傷には至らないと見た大竹丸は一瞬で大通連を右手に顕現。大上段に構えると、溜めなしでさらりと刃を振り落としていた。流れる銀閃に一瞬だが光の粒子が集い、それはさながら光の線となる。
「大嶽流中伝、鬼神斬!」
光の筋がベリアルの左腕をなぞり、その一撃は何の抵抗を示すこともなく瘴気の腕を切断していた。その瞬間、箱にぎゅうぎゅうに詰め込まれていたと言わんばかりの勢いで真っ黒な気体が一気に噴き上がる。これは絶対に触れてはいけないものか? 分からなかった為、大竹丸はベリアルとの距離を大きく離す。
「ぐおぉぉぉぉ~~っ! 貴様、我の左腕を一度ならず二度までも~~っ!」
ああいうのを怒髪天を衝くというのか。緩くウェーブ掛かった髪が波打って逆立ち、涼しげであった顔色がいつの間にやらどす黒い紫色へと変色している。まさに人が変わったかのようだ。
「貴様だけは許さんぞぉぉぉッ!」
雄叫びと共に莫大な不可視のエネルギーがベリアルの元に集っていく。大竹丸は手早く大通連を光の粒子に戻すと、その攻撃に備えて構えを――……取るよりも早くベリアルの拳が大竹丸の頬を捉える。
「がっ!?」
――早い、などという陳腐なものではない。
気付いた時には大竹丸は殴られており、勢いを殺すこともなく、そのまま空中で何回転もするはめとなった。お陰様で痛みそのものよりも、回る視界に気分が悪くなったほどだ。いや、痛くないわけではない。暫くは固いものが噛めないくらいに頬骨が痛い。
視界がぐるりと回転する中で大竹丸は急制動を掛けて体勢を立て直す。だがそれすらもさせじと大竹丸の脇腹に太い脚による蹴りが直撃していた。みしみしとあばらの折れる音が響き、流石の大竹丸も苦し気に呼気を吐き出したほどだ。だがその程度では終わらないとばかりに、ベリアルは大竹丸をわざわざ地上に向かって蹴り飛ばしたのである。
胃がひっくり返るほどの酷いGが大竹丸を襲い、激痛と視界が激しく移り変わる中で胃の中の物が外に出そうになる。大竹丸はそれを歯を食い縛ることで耐え、赤い砂の上に両手両足を用いることで着地。そのまま反撃に出ようと立ち上がろうとするが、その背を大きな足がそうはさせじと踏みつけてきた。
「ぐぎっ!?」
女の子が出しちゃいけない声を出しながら、大竹丸は背骨に掛かる絶望的な圧力を前に肺から空気を吐き出すことしか出来ない。
「どうした不敬者! そんなに砂の上に這いつくばるのが好きかね! ははははっ!」
徐々に足に加えていく力を増していきながらベリアルは高笑い。
ぎしぎしと大竹丸の体が悲鳴を上げ、彼女の鼻から目から口から血が垂れ流れ始める。だが苦しくても大竹丸は叫べない。肺にあった空気は既に絞り尽くされており、万力を思わせる圧倒的な力によって胸の上下動を阻害されては息を吸い込むことさえ難しい。更にじたばたと暴れようにも、ベリアルが片足だけで実に見事に大竹丸の動きを封じてみせたのだ。
約一分。
その短い時間で大竹丸は暴れることも出来ないほどに疲弊しきっていた。
「大口を叩いておいて結局これとは! 実に滑稽! 実に無様! 矮小なる存在が高貴なる我に勝てるとでも思ったのか! これまでの行い、実に実に不愉快だ!」
「…………」
酸素を十分に吸引出来ない大竹丸の視界が徐々に暗くなっていく。酸素欠乏症による失神が近いのかもしれない。こんなところで終わりなのだろうか。
そう考えると喉の奥から自然と笑いが漏れてきた。
「何がおかしい?」
ベリアルが不審げに尋ねる中で、大竹丸は血の混じった唾をぺっと砂の上に吐き出す。その瞳を見やれば、まだ絶望にうちひしがれていないように見える。忌々しい、とベリアルは足の裏で押さえつけるのを止めて、大竹丸を蹴り転がす。
「何だぁ! その目はぁ! これだけの実力差を見せられておきながら! まだ勝てるつもりでいるのかぁ!」
赤い砂地の上でようやく吸えた空気を思い切り吸い込みながら、大竹丸は霞む視界の中でニヤリと笑う。
「トーゼン……!」
「ならば見せてみよ! 貴様たち矮小なる存在が見せる束の間の奇跡というものをな!」
ベリアルが己の右腕にギシギシと弾け飛びそうな濃密な力を溜め込んでいく中――。
「り……、
九字を切りながら、少女がゆっくりと歩みを進めようとしていた。
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