第17話 リベンジのその後に

「人間っていうのは脆弱な生き物だね。大丈夫かい? 死にそうな顔してるけど」


 レクターが、風邪で寝込んでる俺を心配そうに覗き込む。心配してくれるのは嬉しいけど、俺の身体の上に乗って見下ろすのは止めて欲しい。

 昨夜、魔法少女みーたんと対決した後、家に帰ってから熱が上がり始めた。

 戦闘で汗をかいたからシャワーを浴びたけど、やっぱりちゃんとお風呂に浸かるべきだったかも。朝起きたら三十九度の熱で動けなくなってた。

 ズル休み以外で学校を休んだのなんて、何年ぶりだろう……。


「うーん、昨日の戦闘で体力を使い果たしちゃったかもな。げほっ」

「そうかな? ボクには寝る時に体力を使い果たしたように見えたけどね」

「がほっ、げほっ、げほっ……」


 目が覚めると、不意打ちで奪われた昨夜のファーストキスを思い出す。そして戦闘を詳しく振り返ってるうちに、顔をニヤケさせたままいつのまにか寝てる……。

 今日はその繰り返しで一日中寝てたせいか、だいぶ体調も良くなってきた。

 すると玄関のチャイムが、階下から俺の耳に届く。


「誰か来たみたいだね」

「息子が病気だってのに、うちの親はほったらかしで仕事だもんな……よっと」

「大丈夫かい? 起き上がって」

「ずっと寝てたから、だいぶ良くなったよ。それに、ちょうど喉も乾いたしな」


 応対に出ようとベッドから降りた足元で、レクターが俺を見上げる。

 俺の身体の心配をしてくれる存在があるのはちょっと嬉しい。地球外生命体だけど……。

 朝起きた時は立ち上がった途端に世界が歪んだけど、今はもう大丈夫みたいだ。俺は階段を降りて玄関に向かう。



『じゃぁ、ボクは念のため姿を隠しておくね』

『わかった』


 今さらインターホン越しに会話するのも手間だから、直接玄関のドアを開ける。ずいぶん待たせたから、もう帰っちゃったかもしれない。

 体力が落ちた俺には重く感じるドアを押し開けると、そこには学校帰りらしい由美子が夏服で立っていた。

 俺は思わず、その唇に目が行ってしまう……。


「あれ、委員長。ごほっ……どうしたの?」

「その、ノートを持ってきてあげたのよ、今日の授業の」

「そんなことまでしてくれるなんて優しいんだな、委員長は」


 俺が感謝の言葉を掛けたら、由美子は急に頬を赤らめた。

 そして言い訳がましく俺の言葉を否定する。別に照れを隠さなくていいのに……。


「な、な、なに言ってんのよ。クラス委員長だからに決まってるでしょ。あんただけを特別扱いしてるわけじゃないんだからね」

「がほっ、ごほっ。ちょっとこの体勢辛いから、中に入ってもらっていいかな?」


 玄関口で不安定な体勢を続けてた俺は、由美子を玄関の中に招き入れる。せっかく来てくれたから居間に案内したいとこだけど、もてなせるほど俺の体力は戻ってなかった。

 由美子がゴソゴソとカバンの中を探ってる。すると風邪で鈍ってる俺の鼻にも、いつもの石鹸の香りが漂ってきた。やっぱりこの匂いを嗅ぐと落ち着くかも……。


「はい、これが今日の授業の分」


 由美子が差し出したのは、ノートを破いて書き写してくれた数枚の紙だった。


「え、わざわざ自分の分の他に、俺の分を書き写してくれたの?」

「し、仕方ないじゃない。ノートを貸しちゃったら、あたしが家で復習できないでしょ。それに、あんたがちゃんと書き写すとも思えないし……」

「よくご存じで。ごほっ、綺麗な字で読みやすいな、委員長の字は。どうもありがとう」

「それから、こっちが今日配られたプリントで……。ちょっと、大丈夫? あなた顔が真っ赤だけど……」


 さっきまでは大丈夫だったけど、しばらく話し込んでたら身体がふらついてきた。

 あれ? また世界がグニャっとねじれる。熱が上がってきたかも……。

 俺は立っていられなくなって、その場にしゃがみ込む。そのまま次第に意識が遠のいていった……。



 俺は自分のベッドで目を覚ました。おかしいな、下で倒れたはずなのに……。

 そしてすぐ隣には心配そうな表情の由美子が、勉強机の椅子を持ってきて腰掛けていた。


「俺を担いで階段を上ってくれたのか? 力あるんだな」

「そ、そんなわけないじゃない! えーっと、たぶん、その……あんたが覚えてないだけよ。あたしは肩を貸しただけ」

「そうだっけ? そんな覚えないけどな」

「あんたが覚えてないだけなの! 熱でフラフラになってたからよ、きっと」


 いくら自分の家だからって、無意識のうちに階段を上って自分の部屋まで辿り着けるなんて思えない。

 俺は真実を知ってるはずのレクターに尋ねてみた。


『ひょっとして由美子が魔法少女みーたんに変身して、ここまで運んだんじゃないのか?』

『それはお答えできないね』

『否定しないってことは図星か』

『それはお答えできないね』


 魔法少女なのがバレるリスクを負ってまで、俺のために変身してくれたなんて……。

 俺は由美子の優しさに、ちょっと胸が熱くなった。


 部屋には由美子と二人きり。目に見えないレクターはいるけど……。

 気まずくなりそうな二人の距離も、今は俺の具合が悪いから保ってられる。

 だけどその距離を、由美子が不意に縮めてくる。額に当てられた由美子の手。熱を見るためだってわかってても、その優しい感触に脈が速くなる。また熱が上がったかも……。

 そして由美子がポツリとつぶやいた。


「すごい熱だね。ごめんね、あたしのせいかな……」

「えっ?」

「あー、違うの、違うの。あたし、いっつも泰歳くんにばっかりきついこと言ってる気がして、ちょっと悪いなって思ってて……」


 あれ、泰歳くん? なんかいつもの由美子とちょっと違う……。

 最初は失言をごまかしただけかと思ったけど、ジッと由美子を見つめても目を逸らさない。むしろ真剣な表情で、由美子はさらに言葉を続けた。


「うちってね、お母さんいないの。小さい頃に離婚して、家を出て行っちゃって。うちにはお父さんと弟がいるんだけど、なんだかあたしが母親みたいな役割になっちゃってて……」

「そうだったんだ」


 突然始まった由美子の身の上話。ちょっと不幸そうな話の内容に、俺は相槌を打つぐらいしかできない。


「うん。だからついつい学校でもその癖が出て、口やかましくなっちゃうのよね。なんだか、弟を躾けてるみたいに」

「いいじゃない。間違ってることをちゃんと指摘するのって、なかなかできることじゃないと思うよ。俺は好きだな、委員長のそういうところ」


 俺がそう言うと、由美子は一気に顔を真っ赤にして言葉を詰まらせた。

 あぁ、意識したか。俺もわざとからかうように言ってみたんだけど……。

 そんな由美子は目を泳がせながら、しどろもどろで取り繕った。


「ちょっと、突然何言いだすのよ、あんたは。……ビックリさせないでよ」

「でもほんとのことだよ? 委員長のそういう性格が好きなのは」

「はいはい、ありがとう。でもね、知ってるの、みんながうんざりしてること。それに、陰口言われてることもね。だからついつい、言いやすい泰歳くんにばっかり注意するようになってたんだって、この間気付いたの……」

「確かに俺にだけ、やたらときついなーとは思ってたんだよね」

「ごめんね。泰歳くんのこと、あたしのはけ口にしちゃってて……。本当にごめんなさい」


 今日の由美子は謝ってばっかり。ほんとにどうしちゃったんだか……。

 俺は由美子に嫌悪感なんて持ってなかったから、そんなに謝られると逆に申し訳ない気分だ。


「なんで謝るんだよ。委員長の言ってることはいっつも正論じゃないか。俺が迷惑をかけたから怒られた、そういうことだろ?」

「でも泰歳くんだって、いっつもあたしに怒鳴られて、気分悪かったでしょ?」

「いっつも怒鳴ってる自覚あったのか。そりゃ、あれで気分が良かったら、ちょっと変態だね。だけど言ったろ? そんな委員長は嫌いじゃないって。だから委員長は今まで通りでいいんだよ」

「でも……」


 まだ足りないのか。こうなったらとことん言ってやる、納得してくれるまで。


「委員長みたいに注意してくれる人が、俺には必要なんだよ。誰も注意してくれなくなったら、俺が堕落していくのは想像つくだろ?」

「ふふ、そうだね。これ以上、泰歳くんがダメ人間になっちゃったら、大変だよね」

「そうそう、だからこれからもよろしく頼むよ。由美子」

「あ、あ、今……」


 表情を一気にぱぁっと明るくさせながら、由美子が期待通りにうろたえる。チョロすぎだぞ、由美子……。

 だけど、知らないうちに俺は反撃を食らってたらしい。呼び捨て程度でオロオロする由美子に、俺は不覚にもときめいてしまった。

 フィフティ・フィフティで引き分けだな……。俺は内心で自分に言い訳すると、照れ隠しのためにツンデレ風味で由美子におどけてみせる。


「でも、優しくしてくれたっていいんだからね!」

「だーめ。厳しくするのがあたしの優しさよ! なーんてね。ちゃんと治して、早く学校に来てね? 注意する相手がいないと、あたしも張り合いがないから」

「明日は行くよ、きっと」

「それじゃ、あたしは帰るね。お大事にね、泰歳くん」


 由美子が立ち上がったから、見送ろうと思って俺は身体を起こす。そうしたら由美子は覆い被さりそうな勢いで、俺をそっとベッドに押し戻した。

 またキスしてくれるのかと思っちゃったじゃないか……。


「ダメだよ、寝てなきゃ。あたしは勝手に帰るから、泰歳くんはちゃんと寝てて」

「わ、わかった。今日はありがとうな」

「あ、そうだ。お見舞いの品が……あった。気に入ってくれたみたいだから、これ置いてくね。それじゃ、また」


 由美子が枕元にそっと置いていったのは、キスの味のするのど飴だった……。

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