第3話 待機も立派なお仕事
あの日、契約を交わすとレクターは窓から飛び出して、そのまま姿をくらました。
あれから三日、レクターからは未だになんの音沙汰もない。
書面なんてないし、身体にも変化はない。結局あれは夢だったんじゃないかって思えてくる。そう、こんな風に……。
「コラ、広原! 起きろ」
突然耳をつんざいた怒鳴り声に、一気に背筋が伸びる。恐る恐る顔を上げると、そこに立っていたのは英語の先生だった。
先生は舌打ちをしながら、不機嫌そうな顔で俺を見下ろしている。いや、不機嫌に決まってる。俺は授業中に寝てたんだから。
俺は慌てて教科書を開きながら、先生に謝った。
「す……すみません」
「立って続きを読んでみろ」
「すみません、わかりません」
寝てたんだから続きがわかるわけがない。それをわかってるくせに、続きを読ませようとするんだから陰湿すぎだろ。何度も謝らせようっていう魂胆か。
とは言っても、一番悪いのは寝てた自分だ。そんな口答えができるわけない……。
「お前のせいで授業が遅れたんだからな、みんなにも謝れ」
「……すみませんでした」
「座ってよし。授業に戻るぞ」
はぁ……結局三回も謝らせられた。俺はため息をつきながら窓の外を眺める。
するとそこへ、レクターの声が頭に響いた。
『やぁ、待たせたね。キミの初仕事が決まったよ!』
「お前、今までどこに!」
周りを見回してもレクターの姿はない。あるのは俺に集中する、先生を含めたみんなの視線だった。今度は何回謝らせられることやら……。
『さっきは驚かせてゴメン。一刻も早く初仕事を知らせてあげたくてね。そうそう、ボクへの返事は心に念じてくれれば、こっちで勝手に読み取るから心配しないで』
念じるだけでいいって、テレパシーみたいなもんか?
勝手に読み取るって言われても、どう念じていいのかさっぱりだ。俺にそんな超能力があるとも思えないし……。
『それで大丈夫だよ。ちゃんと伝わってるからさ』
「嘘だろ!? 今のなんて、ぼんやり考えただけだぞ」
しまった、また声に出てた。周りから変な目で見られたけど、今回のダメージは少ない。
さっきは授業中の静まり返った教室に声を響かせちゃったけど、今は休み時間。ちょっとぐらいの失敗は大丈夫だ。どうせ俺のことなんて、誰も気にかけてない。
『ところでレクター、お前はどこに隠れてんだ?』
『元々、この星の人たちにボクの姿は見えないんだよ。僕が存在をアピールする必要があるときは、ああやって出現してみせるけどね』
『で? 初仕事が決まったって話だったけど?』
『そうなんだよ。それでね……あっ、ちょっと黙るね』
『なんでだ? どうした? レクター。おーい』
中途半端に盛り上げといて、突然黙るとか……。
焦らすレクターに腹が立ったけど、その理由はすぐにわかった。
「広原君、いい加減にしてよ!」
声の出所を見上げると、俺の横にはクラス委員長の由美子が立っていた。
由美子はとことん俺のことが気に入らないんだろう。またあの蔑んだ目で、俺のことを険しく睨みつける。
美人でスタイルのいい由美子から話しかけられるのは、たとえ叱責でもちょっと嬉しい。だけど彼女のことだから、きっとまた罵詈雑言が飛んでくるんだろう。
俺はこの後の展開を楽しみ……いや、覚悟して身構える。
「委員長か。休み時間ぐらい放っといてよ」
「放っておけるわけないでしょ、あなたさっきの授業中も寝てたじゃない。いい加減にしなさいよ」
「授業中は先生に怒られたんだし、それでいいじゃないか」
「良くないわよ。ああいうのが、どれだけ授業の邪魔になってるかわからないの? あなた自身が損をするのは勝手だけど、他人に迷惑をかける行為は許せないのよ」
さっき先生に怒られた時点で覚悟はしてたけど、やっぱり今日も始まる由美子のお小言。
だけど今は、レクターとの会話がいいところ。邪魔して欲しくない俺は、由美子を適当にあしらうことにした。
「ちょっと今忙しいんだよ。話なら放課後にでもしてくれないかな?」
「どこが忙しいのよ、ぼーっとしてるだけじゃない。それとも何か、いやらしい妄想でもしてて忙しいのかしら?」
「してないよ! 今はレクターと――」
『守秘義務に違反したらわかってるよね? 記憶を消させてもらってお役御免だよ。たまに消し過ぎて、大事な記憶もなくなるから気をつけてね』
そうだった。うっかり口を滑らせるところだった。ちょっと漏らしちゃったけど……。
守秘義務については契約の時に説明された。俺は素性や情報を明かしちゃいけないし、魔法少女のことを探るのもダメだ。
ろくな人生を歩んでこなかった俺にだって、消されたら困る記憶はある。
それに魔法少女と対決するのは楽しみだ。一度も対決しないうちにクビじゃ、ちょっとやりきれない。
「なによ、レクターって。あなたの好きなアニメ番組のキャラクター? そんな紹介なんて、してもらわなくて結構よ!」
「いや、アニメの話じゃなくて……」
「じゃぁなに? 妄想? ますます気持ち悪いわね」
「そうじゃなくて……」
下手なことを口にすると、守秘義務に引っ掛かりそうで何も言えない。
そんな言葉を詰まらせる俺に対して、由美子は追撃の手を休めてはくれない。
「とにかく、遅刻といい、居眠りといい、これ以上クラスのみんなに迷惑をかけないで欲しいのよね。さっきだって授業が中断したんだし、先生だって――」
そこまで言い掛けると、由美子の声が突然止まった。
そして何か用事でも思い出したのか、話を打ち切って教室から駆け出していく。
「もういいわ。とにかく、少しは態度を改めてよね」
去り際にも由美子はとどめの言葉を忘れない。だけど俺は、何とか許されたらしい……。
これでやっとレクターの話の続きを聞ける。と思ったら、今度は入れ替わるように前の席の岡本 友恵(おかもと ともえ)が、怪訝な顔つきで振り返った。
「いつも賑やかで、とても楽しそうですね」
「どこを見てるんだ? 俺と委員長なんて、ケンカしかしてないだろ」
「嫌味も通じませんか? わたくしは広原さんの能天気な性格が羨ましいです」
「羨ましいならいつでも代わるぞ? こんな冴えない男で良かったら」
いつも思うけど、このお上品な口調はよっぽど育ちがいいんだろう。彼女は笑う時だって、口を手で隠して歯は見せない。
そんな友恵は丸めの輪郭で、目尻の下がった穏やかな顔つき。低めのだんご鼻に、両頬のえくぼが可愛い。あどけない顔と低い身長で、見た目は中学生かと思うほど。そのくせ学年で一、二を争う巨乳の持ち主だから驚きだ。
身体が弱いのか、体育はいつも見学してるみたいだけど、勉強は常に学年上位。
絵やピアノといった芸術にも秀でてるから、いつだって周囲は取り巻きだらけ。休み時間のたびに目の前に人垣ができるんで、俺にとっては鬱陶しいったらありゃしない。
「友恵ちゃんの冗談に決まってるでしょ? あんたが羨ましいわけないじゃない」
「本気にしちゃって、バカだな。こいつ」
「こんな奴と口を利いたらアホが伝染りますよ」
「それよりも岡本さん、今度一緒にお出かけしませんか?」
男女入り混じった人垣が、容赦なく俺を排除する。そして栗色のポニーテールを振り立てながら、友恵が前方に向き直って一件落着。まぁ、いつものことだ。
確かに友恵は可愛くて、体型も俺好み。だけど俺には不釣り合いな高嶺の花。もう雲の上の人かってぐらい。
そこまで行くと別次元過ぎて、何の興味も湧かない。
そりゃぁ、向こうから迫ってくるなら拒みはしないけど……。
『やっぱり学校だと落ち着いて話せないね。続きは家に帰ってからにしようか。寄り道しないで、まっすぐ帰ってくるんだよ』
『うちの親かよ。それよりも、ちょっとだけでも相手のことを……』
『キミはそのまま妄想を楽しむといいよ。それじゃ、ごゆっくり』
俺の頭の中を読み取るなってーの。
レクターのことを綺麗さっぱり忘れてたから、これ以上は話にならないと思ったんだろう。レクターの声はそれっきり聞こえなくなってしまった……。
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