§036 「更科さんはどうして成瀬と付き合ったの?」

 私は昇降口の横にある石段に腰かけて未知人くんの帰りを待っていた。


 ここは私と未知人くんが『恋人のふり』をするようになってからの待ち合わせスポット。

 校門からは逆側に位置しているため人が通ることは滅多になく、また、昇降口からも死角になっているために美少女である私が座っていても下校中の生徒にジロジロとみられることもない。

 まさに絶好の待ち合わせスポットだ。


 そろそろ『恋人のふり』を始めてから1カ月が経とうとしているが、ほぼ毎日と言っていいほど、ここで未知人くんと待ち合わせをしては一緒に帰っている。

 我ながらちょっとやりすぎかなと思うこともあるが、念には念をという言葉もあるし、彼もボディーガードを兼ねて一緒に帰りたいと言ってくれているのだから特に拒む理由もなかった。


 しかし、今日はまだ彼は来ていない。

 さっきLINEに連絡があったが、どうやら急に先生に呼び出されたらしく少し遅れるとのことだった。


 私はふぅとため息をつきながら、すっかり見慣れてしまったコンクリートの壁をぼーっと眺める。


 思い返すと未知人くんと『恋人のふり』を始めてからいろんなことをしたな。

 一緒にお弁当を食べて、映画を見て、バッティングセンターにも行った。

 こうやって毎日一緒に過ごしていると、これが『恋人のふり』だということを忘れそうだよ。


 私はふぅ~と更に深いため息をつく。


 でも……いつまでも彼に頼ってもいられないよね。

 これ以上、迷惑かけられないもん。


 そう思って、私はスマホのLINE画面を開く。


『久しぶりだね。オレもこっちに戻ってきたんだ』

『オレが希沙良さんを好きなのは今でも変わってない』

『希沙良さんがオレを許してくれるならいますぐにでも会いに行く』


 これは最近先輩から届いたLINE。


 私の初恋の人。

 私に初めて本物の『好き』を伝えてくれた人。


 そして……

 私の人生を狂わせた人。

 私が人生を狂わせた人。


 これは私の蒔いた種だ。

 だから……私一人の問題。

 そんなことに……彼を巻き込むわけにはいかないの……。


 どれくらい時間が経っただろうか。

 私が物思いに耽っていたら、昇降口の方から人が近付いてくる気配を感じた。


 ふぅ……やっと来たか。

 さすがに待ちくたびれちゃったよ。

 こんなに美少女を待たせるなんて本当に図々しい王子様だよね。


 私は痺れてじんじんしているお尻をあげ、その人影に向かって叫ぶ。


「もう! 遅いよ! 罰として今日は私の荷物持ってもらうからね!」


 しかし、言い終わってからそこに立っていたのが彼ではないことに気付く。

 未知人くんとは似ても似つかない男の子。

 ひょろりとした長身に、どこかオタクさを感じさせるぼさぼさとした黒髪。

 そして、黒縁のメガネが不敵に光る。


 私は思わず一歩後ずさる。


「君は確かクラスの…………」


「真壁だよ、更科さん」


 彼は私の言葉を遮るように言う。

 もちろんクラスの男の子の名前はすべて覚えている。

 それに真壁くんは未知人くんと初めて話したときに一緒にいた子だから印象にも残っている。

 でも……真壁くんがどうしてここに……?

 私と特に接点があるわけでもないし、クラスの用事ってわけでもないよね。


「成瀬と待ち合わせか……」


 彼の静かな、そして冷たい声に返す言葉が出てこなかった。


「更科さんはどうして成瀬と付き合ったの? 僕のことは好きじゃなかったの?」


 この言葉ですべてを悟った。

 予想はしていたが、このタイミング、この場所か……。


 これは『能力が効きすぎてしまった』ことによる結果だ。

 私は男の子を意のままに操れる程度を意識して、男の子たちに触れる時間を調整してきた。

 だからこそ、未知人くんが恋人宣言をしてくれたときも大きな暴動は起きずに、クラスのみんなも自分の気持ちを内に留める選択肢を取ってくれた。

 私のことは好きだけど、殴り合って奪い取るまでは好きではないラインと言えばわかりやすいかもしれない。

 しかし、能力の効き方は十人十色。

 ほんのちょっとしか触れていないのに私のことをになってしまう人もいれば、かなり長時間触れてもにしかならない人もいる。

 でも彼は完全に前者だ。

 彼の瞳からは既に光沢が失われており、まるで意思なき人形のようになっている。

 一種のトランス状態のようなものだろう。

 彼は壊れたラジオのように言葉を続ける。


「あの日、更科さんが僕の手をギュッと握ってくれて本当に嬉しかったのに。結局は僕じゃなくて成瀬を選ぶんだね。僕はこんなにも更科さんのことが好きなのに」


 彼の言葉を聞いて自責の念に駆られる。

 胸をギューッと締めつけられ、心臓の鼓動が速くなる。

  

 ああ……私は彼の人生までも狂わせてしまったのだ。

 あのときは……未知人くんに出会う前は……不幸なのは自分一人だと勝手に決めつけて……過去の過ちも忘れて……男を手玉に取ろうと……。


 そして、そんな自責の念と同時にいま直面している恐怖から足の震えが止まらなくなる。


 彼はいま私の能力のせいで暴走状態にある。

 となるとさすがにこの状況はまずい……ここは人目がなさすぎる。

 助けを求めようにも人がいないのではどうにもならない。


 ひとまず逃げなきゃ……。

 未知人くんのところまで逃げればなんとかなるはず……。


 そう思うか否かのタイミングで私は走り出していた。

 しかし、一瞬遅かった。

 私が彼を躱そうとした瞬間、彼は私に向かってずいっと詰め寄ると、私の手を強い力で掴んできた。


「――――――ッ!!」


 私は手に走る痛みに声にならない声を上げる。

 どうにか彼の手を振りほどこうと必死に抵抗するが男の力の前では女の力など無力だ。

 グイっと押し込まれて、手を掴まれたまま壁際まで追いやられる。


 これは……本当にまずい。

 手を振りほどけない。

 早く離れないと。

 彼に手を掴まれてからもう10秒……いや20秒くらい経っただろうか。

 彼にこれ以上能力を使ったら、本当に彼の理性が失われちゃう。

 そうしたら私は……。


 そう考えたら、堪えていた涙がどっと溢れてきた。

 私……こんなところでヤラれたくないよ……。


 誰か……助けて……。

 未知人くん……。


「未知人くん! 助けてー!」


(ビュン!)

(パリンッ!)


 何かが割れる音と同時に私を締め付けていた手がパッと離れる。

 

 私は恐る恐る目を開けると、そこには顔を押さえてうずくまる真壁くんの姿があった。


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