§065 「はい、喜んで」

 ひっく……うっぐ。


 希沙良は顔を両手で覆い隠して、もう声を抑えることもなく、泣きじゃくっていた。

 そんな中でも、嗚咽を漏らしながら、唇を震わせながら、必死に言葉を絞りだそうとしてくれてる。


「なっ、なんで……あんなにひどいこと言ったのに、そんなに優しい言葉をかけてくれるの」


「どこかのお姫様に丁重に扱うようにご命令をいただいていたものでね」


「あんなに頑張って、涙も堪えて、お別れしたのに……」


「涙は残念ながら堪えられてなかったけどな」


「私なんかと一緒にいたら、未知人の人生が……めちゃくちゃになっちゃう」


「こんなに可愛い女の子に人生めちゃくちゃにされるなら願ったり叶ったりだ」


「それに……私の『能力』のせいで……未知人は大怪我を……」


「国分のやつ……また余計なことを希沙良に吹き込みやがって」


「私なんかと一緒にいたら……絶対に不幸になる」


「俺が絶対に幸せにしてみせる」


「こんなわがままな女の子でいいの?」


「わがままな方が退屈しないで済むさ」


「これからも私のことを好きな男がいっぱい現れるよ?」


「そしたらその男をぶっ飛ばすまでだ」


「私のことずっと好きでいてくれるの?」


「約束する」


「じゃあ……」


「…………」


「……私はあなたを好きになっていいの?」


「当たり前だろ。希沙良は普通の女の子なんだから」


 俺がゆっくりと頷くと、彼女はまるで子供のように泣いた。

 空を仰ぎわんわんと声をあげる希沙良からは大粒の涙が何粒も何粒も零れ落ち、体育館の石段を濡らしていた。

 俺はそんな希沙良を静かに見守った。


「うぐっ……み、ちひと……ごめんなさい、わっ、わたし……嘘ばっかりついて」


「うん」


「……そ、その気持ちは幻とか言って……あなたのこと好きじゃないとか言って……」


「うん」


「すっ……すべて未知人の言うとおりだよ。あなたには『能力』が効かないの」


「うん」


「最初はそれが本当に腹立たしくて……どうにか私のことを『好き』って言わせようと躍起になって、でも、段々とその気持ちも変わってきちゃって……『好きにさせたい』という気持ちが……本当に大切なものに変わってきちゃって」


「うん」


「だからね……未知人と『恋人のふり』をするようになってからは『能力』を使うのを一切やめたの。未知人にも未知人以外にも。もう『好き』という気持ちを弄びたくなかったから」


「うん」


「『恋人のふり』を始めて、毎日が幸せだと感じるようになったの。あんなに心から笑えたのは本当に久しぶりで、未知人と一緒にいるときは、私のような女でも普通の女の子でいることができたの」


「うん」


「でもやっぱりね……朱理の言葉に傷付いて、渋谷先輩のことを思い出して、未知人にも同じことをしてしまうのが本当に怖くて。私は……あなたのことを『好きじゃない』という嘘をついて、あなたから離れた」


「うん」


「でも、本当は……本当は……あなたのことが好きで好きでたまらなかったの。未知人のことを考えると夜も眠れなくなって。未知人の表情を思い出してドキドキして、未知人の声を思い出してキュンキュンして、未知人の匂いを思い出してニヤニヤしてた。もう、どうしようもないくらい好きだった」


「うん」


「……それから」


「あっ……あの……希沙良?」


 俺の声に我に返ったようで、ハッと顔を上げる希沙良。


「いっぱいの愛情嬉しいんだけど、俺の差し出した手が悲しいことになってます」


 俺は希沙良に手を差し出した体勢のまま、左頬をぽりぽりと掻く。

 そんな俺の顔を見て、希沙良はいままでの自分の発言が急に恥ずかしくなったのか、かぁぁぁっと顔を真っ赤にする。

 そして、悔しそうに唇をギュッと噛む。


 ああ、希沙良って恥ずかしくてどうしようもないときってこういう顔するよな。

 いや……これは……めちゃくちゃ可愛い。


「もう……ばかっ! 私にあれだけ言わせといて! 女の子に恥をかかせるなッ!!」


「希沙良のその顔、写真撮りたい」

 

 希沙良は更に顔を真っ赤に染め上げ、これでもかという目で睨みつけてくる。


「やだ……めっちゃ恥ずかしい。もう泣きたい……」


「いや……踊ってくださいって言って手を差し出したのに、その手をなかなか取ってもらえない俺の恥ずかしさのことも考えろよ」


 そして、お互いがお互いの紅潮した顔を見つめ合う。

 と同時に、ドッと笑い声が起こる。


「あはは、めっちゃウケる! 今思うとその格好、滑稽すぎるよ、カーネルおじさんみたい」


「ばか、カーネルおじさんは両手だ! 俺が視界にも入らないくらい『大好き節』を熱弁してたくせによく言うわ!」


「あれは……その……あんたが世界の誰よりも私のこと好きでいてくれるとかいうから……ちょっと雰囲気に飲まれたというか、なんというか」


「じゃあ嘘なのか?」


「……嘘、じゃないけど」


 希沙良は目も鼻も耳も真っ赤にして、もじもじと視線を逸らす。


「俺は希沙良のことが世界の誰よりも好きだよ。これだけは絶対に嘘じゃない」


「わっ……私だって………………大好きだよ!」


 希沙良は慌てたように顔を上げる。


「じゃあさ……」


「……うん」


「今度こそ。俺と踊ってくれませんか」


 改めて希沙良に手を差し出す俺。

 ふたりの視線が交差する。


「はい、喜んで」


 俺の手に重ねられた彼女の手は、スッとしてて、しなやかで、雪のように白くて……でも、の手だった。


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